↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神殺しのフルコース ~少年料理人と修羅の創世食卓~  作者: solune
第3章:海洋都市アクアリア編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
58/151

第58話:カルムの焦燥

一、 雨の埠頭と敗北の刻印

ザァァァァァァァァァ……ッ。


冷たく重い雨が、海洋都市アクアリアの白亜の街並みを叩き続けていた。

深海三千メートルの忘却海溝から、命からがら這い上がってきた捕鯨船シーホーク号。その船体は至る所が裂け、手すりは吹き飛び、まるで巨大な魔獣の爪で引き裂かれたかのような惨状で、埠頭の浮き桟橋へと力なく接岸した。


「……また、だ」


埠頭に集まっていた街の人々の間から、冷ややかな、そして深い失望の落胆の声が漏れ出た。


「また負けて帰ってきたのかよ……。シーホーク号までボロボロじゃないか」

「あの連中が深海へ潜ったせいで、沖合の黒い嵐が前より大きくなってるぞ! もうダメだ……この街は、海に飲み込まれちまう……!」


心ない囁き、恐怖に引き攣った住民たちの視線。

しかし、船を下りるチーム『最高の厨房』の四人に、それを言い返す気力すら残されていなかった。


エレナは絶大なる限界を超えたマナ消費と内臓の損傷によって意識を失い、カルムとギルが彼女の身体を必死に支えながらタラップを下りていた。

オルタもまた、治癒魔法の連続使用により、その白磁の肌からかつての温かな体温が失われ、冷ややかなノイズをその身に宿している。


そして、アル。

アルは、包帯で固く巻かれた両腕を痛々しくかばいながら、静かに、一歩一歩踏み締めるように石畳を歩いていた。黒鉄の包丁は無事だったが、その背中は小さく、激しい徒労感に苛まれているのが見て取れた。


「……アル、宿へ行きましょう。早く横になってください」

オルタが、自身の小さな身体でアルを支えるように寄り添う。


「うん……ありがとう、オルタ」


アルは静かに頷いたが、彼らの最後尾を歩くカルムの姿を振り返り、胸を締め付けられるような痛みを覚えていた。


カルムは、一切の言葉を発していなかった。

赤銅色の前髪を雨でべっとりと額に張り付かせ、不機嫌という言葉では到底片付けられない、血を吐くような無言の「焦燥」を全身から撒き散らしていた。


彼の両手――深海の絶対零度と超高水圧の前に、生まれた瞬間に消し去られた己の炎。

その焦げついた両拳は、固く、固く握り締められ、指の隙間から赤い血が溢れ出て雨水と混ざり合い、石畳へぽたぽたと滴り落ちていた。


言葉をかけることすら許されないほどの、痛々しい拒絶のオーラ。

カルムは、己の無力さという底なしの暗闇の中で、独りもがき苦しんでいた。


二、 軋む拳、血を流す誇り

宿屋『潮風の休まり亭』の二階。

傷ついたエレナをベッドへ横たえ、オルタが必死に睡眠・自己修復シークエンスへと入った後。


カルムは、自室の扉を固く閉ざし、暗闇の中に一人佇んでいた。

部屋にはランプの灯りすらない。ただ、窓を叩く雨音と、彼自身の荒く破裂しそうな息遣いだけが響いていた。


「……クソッ」


カルムは、自分の両手を見つめた。

暗闇の中でも、自身のマナが不気味に明滅しているのが見えた。


「クソッ! クソッ! クソォォォォォォォォォッ!!!!」


ドガァァァァァァンッ!!!!


カルムの右拳が、宿屋の分厚い木製の壁を深々と撃ち抜いた。

拳骨が砕けるような鈍い音が響き、木屑と血が飛び散る。だが、肉体の物理的な痛みなど、今の彼の胸を苛む「焦りと情けなさ」に比べれば、何の意味も持たなかった。


(なんでだ……! なんで俺の炎は、届かねぇんだよ……っ!)


頭の中で、深海での光景が何度も、何度も、残酷なスローモーションとなって再生される。


ひび割れるエレナの不滅の盾。

血を吐くアルの小さな背中。

そして――自分が必死の想いで放った最大火力の炎が、結界を出た瞬間に「ジュワッ」と虚しく消えていった、あの絶望的な瞬間。


オルタが告げた、冷酷なまでの分析結果が、耳の奥で凶器となってリフレインする。


『あなたの炎は、対象を破壊し、消滅させることを目的とした排他・拒願のエネルギーです』

『海を「敵」として認識し、自分の力でねじ伏せようとしている限り……あなたの炎は、絶対に海には届きません』


(破壊するだけの、炎……)


カルムは、血まみれの拳を抱え、床に崩れ落ちた。


そうだ。俺の炎は、スラムのゴミ捨て場で生まれた。

自分を殴る大人たちを焼き殺すために。自分を虐げる世界を拒絶するために。

『力を示さなければ殺される』という恐怖と怒りだけを薪にして、燃やし続けてきた凶器の炎だ。


アガルタの機械どもをスクラップにし、アビスの魔物どもを灰にしてきた時は、その「破壊の火力」こそが正義であり、アルの相棒としての誇りだった。


だが、海という大自然は。

そして、教国の悪意によって狂わされた海竜は。

ただ「破壊するだけの火」など、端から求めていなかったのだ。


「俺が……俺が役立たずなせいで……アルに怪我させた……っ!」


カルムは、歯が砕けるほど強く噛み締め、血の涙を流した。


アルは「カルムの炎は最高に優しい炎だ」と言ってくれた。

だが、現実として、自分の炎は深海の水圧一粒すら押し返せず、アルを庇うことすらできなかった。


「俺は……相棒じゃねぇ……。ただの……お荷物だ……ッ!」


焦燥が、恐怖が、カルムの心を激しく浸食していく。

このままでは、アルは神座の塔へ辿り着く前に死んでしまう。

自分が「本物の強さ」を手に入れなければ、チーム『最高の厨房』は、ここで全滅するのだ。


三、 雨の中の咆哮と崩れ去る全存在

部屋の狭さに耐えきれなくなったカルムは、窓を押し開き、雨が降りしきる夜の屋根の上へと飛び出した。


ザァァァァァァァァァッ!!


冷たい雨が、彼の血に染まった上半身と赤銅色の髪を打ち叩く。

アクアリアの街を見下ろす高い屋根の上。遠く沖合には、なおも黒い雷雲が渦巻き、嘲笑うかのように不気味な閃光を放っていた。


「オラァァァァァァァァァァッ!!!!」


カルムは、屋根の上で足場を砕かんばかりにして踏み込み、空へ向かって全力の拳を突き出した!


【我流神殺・極大赤蓮柱】ッ!!!!


ドガァァァァァァァァンッ!!


夜空へ向けて、数十メートルの火柱が吹き上がる。

熱い。眩しい。陸の上であれば、建物を一瞬で灰に帰すほどの圧倒的な熱量。


「燃えろッ! もっと燃えろッ! 海を全部蒸発させるくらい、熱くなれぇぇぇぇッ!!」


ドガッ! ボワッ! ドガァァァンッ!!


カルムは、狂ったように空に向かって炎の拳を放ち続けた。

一発、二発、十発、五十発――。

己の毛術回路が悲鳴を上げ、全身の皮膚から血が噴き出すのも構わず、彼は火力を上げようと必死にマナを絞り出そうとした。


だが――。


「ハァ……ハァ……ハァ……ッ!」


火柱の勢いが、徐々に衰えていく。

雨水が炎を冷まし、彼の体内のマナが急速に枯渇していく。


空へ放たれた炎は、夜空の冷たい雨によってあっけなくかき消され、あとにはただの虚しい水蒸気と、カルム自身の血の匂いしか残らなかった。


いくら火力を上げようと、どれだけ魔力を注ぎ込もうと。

「破壊の炎」である以上、深海の質量には届かない。


その事実が、突きつけられた。


「あ……あぁぁぁぁぁっ……!!」


カルムは、屋根の上に両膝と両手をついた。

ボロボロの拳。枯渇した魔力。雨に打たれ、体温が奪われていく肉体。


「俺の炎じゃ……ダメなんだ……。俺の、俺のやってきたことは……全部……無駄だったのかよ……っ!!」


カルムの絞り出すような叫びは、激しい雨音の中に虚しく消えていった。


スラムを生き抜き、仲間を見つけ、ここまで辿り着いた彼の「これまでの生き方(強さ)」のすべてが、完全に全否定された瞬間であった。

焦燥は絶望となり、彼の荒々しかった魂は、深海の暗闇よりも深く沈み込んでいっていた。


四、 アルとカルムのすれ違い

「カルム……ッ!」


雨の屋根の上に、小さな影が駆け上がってきた。


アルだ。

アルは、包帯で巻かれた両腕を痛そうにかばいながら、濡れた屋根の上で滑りそうになりながらも、カルムの元へ必死に駆け寄ってきたのだ。


「アル……?」


カルムは、泥と血にまみれた顔を上げた。

アルの漆黒の瞳には、カルムを心から心配する、優しく澄み切った光が宿っていた。


「カルム、だめだよ! こんな雨の中でマナを使い切ったら、身体が壊れちゃうよ!」

アルが、カルムの冷え切った手に触れようとする。


「触るなッ!!」


バシィィィィィンッ!!


カルムの手が、反射的にアルの手を激しく弾き飛ばした。


「あっ……」


アルが、驚きに目を丸くする。

弾かれたアルの左手の包帯から、うっすらと赤い血が滲み出た。


「……っ!」


カルムは、自分が弾き飛ばしたアルの手を見て、息を呑んだ。

自分が……また、アルを傷つけた。

自分を心配して追ってきてくれた相棒の手を、自分の身勝手な拒絶で、血を流させた。


「カルム……」


「来るな……アル……頼むから、俺に近づくな……」


カルムは、震える声で懇願するように言った。

彼は、己の手を見つめながら、ボロボロと涙を流していた。


「俺は……俺の炎は、お前を護れねぇ。深海じゃ水一滴弾けねぇ役立たずだ。……それどころか、お前を傷つけることしかできねぇ……!」


「そんなことない! カルムの炎は――」


「嘘をつくなッ!!」


カルムの悲痛な叫び。


「現実を見ろよッ! 俺の炎じゃ海竜は救えなかった! エレナは血を吐いて倒れた! お前だって大怪我したんだぞッ! 全部……全部、俺が弱ぇからだッ!!」


カルムは、自分の頭を抱え、屋根の上に丸まった。


「俺は……『最高の火力』なんかじゃねぇ。俺はただの、人を傷つけることしか知らねぇ、スラムの野良犬だ……。お前の相棒でいる資格なんか……最初からねぇんだよ……っ!」


「カルム……」


アルの胸が、激しく痛んだ。

カルムの言葉は、アルに対する怒りではない。

自分自身に対する、あまりにも深く、あまりにも切ない「拒絶」であった。


アルは、弾かれた左手を抱きしめ、雨の中で佇んだ。

言葉が出なかった。

どんな優しい言葉をかけても、今のカルムの「閉ざされた心」には、届かないことが分かっていたからだ。


二人の間に、冷たい雨のカーテンが落ちる。

スラムで出会い、アガルタを共に戦い抜いてきた最高の相棒同士の間に、かつてないほどの決定的な「溝(すれ違い)」が生まれてしまった瞬間であった。


五、 破滅へのカウントダウン

その時であった。


ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!!


海洋都市アクアリア全体を揺るがす、凄まじい大地震が発生した。


「な……なんだ!?」

カルムがハッと顔を上げる。


アクアリアの水路の水位が、狂ったように上下に激しく波打ち、白亜の建物たちが不気味な悲鳴を上げて軋み始めた。


沖合の忘却海溝の方角。

そこから、昨日の比ではないほどの、真っ黒な【死のマナの柱】が、天を衝くように打ち上がったのだ。


『――――緊急アラート! 緊急アラートッ!!――――』


宿の部屋から、傷ついた身体を押してオルタがバルコニーへ飛び出してきた。

彼女のルビー色の瞳が、悲痛な赤い光を激しく点滅させている。


「アル! カルム! 大変ですっ!! 海底の【概念吸魔陣】の吸収スピードが、限界突破(オーバーロード)しました!!」


「吸魔陣が……!?」アルが叫ぶ。


「教国の自動プログラムが、海竜を完全に兵器化させたことで……忘却の海全体からのマナの強制吸い上げを最終シークエンスへ移行させました!」


オルタが、空中に真っ赤に染まった海の透過ホログラムを投影する。


「あと……あと十二時間です! 十二時間以内に海底の吸魔陣の中枢を解体しなければ……忘却の海のマナは完全に枯渇し、海水は『絶対不毛の毒水』へと変質します!」


「十二時間……!?」


「それだけではありません! マナを失ったアクアリアの土台であるサンゴ礁が、海中で一気に崩落を開始します! 十二時間後……この海洋都市アクアリアは、十五万人の住民ごと、完全に海底の闇へ沈没しますッ!!」


「な……街が……沈む……!?」


アルとカルムの顔から、完全に血の気が引いた。


教国の残した不気味な仕掛け。

それは、アルたちに敗北を突きつけただけでなく、タイムリミットという絶対の死刑宣告を、この街と海全体へ突きつけてきたのだ。


十二時間。

残された時間は、それだけ。


シーホーク号はボロボロ。

エレナは動けず。

そして――カルムの炎は、深海へ届かないまま。


「クソ……ッ! クソがあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


カルムは、雨の屋根の上で、己の無力さに絶望しながら、天を仰いで慟哭した。


絶望的なタイムリミットの開始。

バラバラになりかけたチーム『最高の厨房』。

しかし、この最大の暗闇と焦燥の底にこそ――相棒カルムが己の炎の真の性質を理解し、真なる『最高の火力』へと覚醒するための、絶対に必要な【脱皮の火種】が隠されていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
最後までお読みいただきありがとうございます。 もし少しでも「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、作品ページや各話下部にある【ブックマーク追加】や評価(★マーク)をいただけますと、今後の執筆の大きな励みになります!
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。