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神殺しのフルコース ~少年料理人と修羅の創世食卓~  作者: solune
第3章:海洋都市アクアリア編

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第56話:海竜の暴虐

一、 忘却海溝への潜行と絶対防壁

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ……!!


海洋都市アクアリアの沖合にぽっかりと口を開けた巨大な海水の竜巻――【潮の渦(ボルテックス)】。

それは、穏やかな海面の下に隠されていた深海へと続く直通の海流であり、教国ルミナが敷設した巨大な吸魔陣へと至る唯一の道であった。


「野郎どもッ! 振り落とされるなよッ!!」


船長ギルが操舵輪を限界まで切り返し、捕鯨船シーホーク号はその巨大な渦の中心へと、まるで滝を滑り落ちるように真っ逆さまに突入していった。


「うわぁぁぁぁぁぁっ!!」

アルが甲板の手すりにしがみつき、凄まじい遠心力と落下速度に目を回す。


「エレナさんッ! 防壁の展開、急いでください! このままでは水圧で船体が圧壊しますッ!」

オルタが、激しく揺れる甲板の上で両手をかざしながら叫んだ。


「承知しているッ! 我が全マナよ、船を包む『息吹の結界』となれッ!」


エレナが、聖剣『星霜』を甲板の中央に深々と突き立てた。

【星霜不滅・絶対極光球(アウローラ・スフィア)】!


青白銀の幾何学魔法陣が、シーホーク号全体をドーム状にすっぽりと包み込む。それは単なる物理的な防壁ではなく、内部に空気を保ち、深海の恐るべき水圧を完全に遮断する【潜水用の特殊結界】であった。


ザパァァァァァァァァァンッ!!!!


シーホーク号が、結界の泡に包まれたまま、完全に海面の下へと没した。

激しい水しぶきと泡が窓の外を通り過ぎ、やがて視界は、エメラルドグリーンから群青、そして底知れぬ漆黒の闇(深海)へと、急速に色を変えていく。


「ふぅ……間一髪だったな」

カルムが、ホッと息を吐きながらマストから手を離した。

「だが、すげぇな騎士様。船ごと海の中を潜れるなんて、魔法ってのは便利だぜ」


「感心している場合ではないぞ、カルム殿。……私のマナが続く限りは水圧を防げるが、この深度での結界維持は、地上での戦闘の数倍の魔力を消耗する。……長居は無用だ」

エレナの額には、すでに大粒の汗が浮かんでいた。


『――――現在深度、一五〇〇メートルを通過。……目標の海底まで、残り半分です――――』


オルタのルビー色の瞳が、暗闇の深海を照らすサーチライトのように光を放ち、船の周囲の状況を的確にナビゲートしていく。


アルは、結界越しに外の暗闇を見つめていた。

太陽の光が一切届かない、静寂と冷酷な水圧が支配する絶対の暗黒。

だが、その暗闇の底から、アルの【真理の目】には、チリチリと嫌なマナの波形が、明確な悪意の「匂い」として伝わってきていた。


「もうすぐだ……。教国が海に隠した、一番冷たい『毒(アク)』が……」


二、 海底の巨大吸魔陣と、追ってきた影

『――――深度三〇〇〇メートル。……海底に到達します――――』


ドスゥゥゥゥンッ……。


微かな振動と共に、シーホーク号を包む光のドームが、忘却海溝の最深部――砂泥の海底へと静かに着底した。


「おいおい……なんだよ、あれは」

カルムが、結界の向こう側に広がる光景を見て、絶句した。


オルタが放つ照明フレアの光に照らし出された海底。

そこには、珊瑚や深海魚の姿は一切なかった。


見渡す限りの海底を覆い尽くしていたのは、白亜の石と神聖金属で構築された、都市一つ分ほどもある超巨大な【幾何学魔導施設】であった。

施設の中央には、心臓のように不気味に脈打つ巨大な漆黒のコアが鎮座し、そこから無数の太いパイプラインが、血管のように海底の地脈へと深々と突き刺さっている。


「これが……教国ルミナの【概念吸魔陣(グランド・シフォン)】……!」

エレナが、怒りに声を震わせた。

「海全体の生命マナを吸い上げ、このパイプを通じて教国の本土へ送り込んでいるのだな。……なんというおぞましいスケールの略奪だ」


ズズズズズズズ……ッ!


施設のコアが脈打つたびに、周囲の海水からキラキラとした黄金色のマナの粒子が強制的に吸い寄せられ、黒いパイプの中へと飲み込まれていく。

海が、痩せ細っていく。

アルが水面で感じ取った「料理人の直感」は、見事に最悪の真実を捉えていたのだ。


「許さない……っ! こんな仕掛け、僕が全部解体してやる!」

アルが、黒鉄の包丁を抜き放ち、決意を固めた、その時だった。


スゥゥゥゥゥゥ…………。


シーホーク号の背後の暗闇から、巨大な水の流れが生じ、一つの影が音もなく近づいてきた。


「警戒しろッ! 何か来るぞ!」

ギルが銛を構え、漁師たちが一斉に緊張する。


だが、暗闇から姿を現したその影を見て、アルの顔がパァッと明るくなった。


「あ……! 君は……!」


現れたのは、先ほどアルが海面で鎖を解き放ち、救い出したはずの【伝説の海竜(リヴァイアサン)】であった。

青銀色に輝く美しい鱗。澄み切った群青色の瞳。

海竜は、シーホーク号の結界の外側をゆっくりと旋回し、アルに向かって優しく喉を鳴らすような音を立てた。


「お前……俺たちを心配して、追いかけてきてくれたのか?」

ギルが、信じられないというように目を見張る。


「うん! きっと、自分の海を壊してるあの悪い機械を、僕たちと一緒に壊そうとしてくれてるんだ!」

アルが、結界の内側から海竜に向かって手を振る。


海竜もそれに応えるように、優雅に身を翻し、海底の巨大吸魔陣へ向かって、その強靭な尾びれを振り下ろそうと向かっていった。

海を守る守護者として、自らの海を汚す異物を排除するために。


しかし。

それが、教国の仕組んだ【本当の絶望】の引き金であった。


三、 神の罠、再び狂う命

『――――警告ッ!! 吸魔陣のコアより、対神聖防衛プロトコルの起動を検知ッ!!――――』


オルタの悲鳴に近いアラートが、深海の静寂を切り裂いた。


海竜が吸魔陣に近づいた瞬間。

海底に鎮座していた巨大な漆黒のコアが、カッ! と目を刺すような血塗られた真紅の光を放ったのだ。


「ギョォッ!?」

海竜が、危険を察知して身を翻そうとしたが、遅かった。


ドバァァァァァァァァッ!!!!


吸魔陣の無数のパイプラインの隙間から、実体を持った【漆黒の魔導触手(チェーン)】が、まるで巨大なウツボの群れのように何百本も噴出し、海竜の巨体へ向かって一斉に襲いかかった!


「危ないッ!! 逃げてッ!!」

アルが絶叫する。


しかし、深海という教国のホームグラウンドに仕掛けられた罠の速度は、海竜の回避速度を上回っていた。

バシュッ! ドスゥッ!!


「ギョオォォォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!!!」


海竜の悲痛な絶叫が、水を通してシーホーク号の船体を激しく揺さぶった。

漆黒の触手が、海竜の青銀色の美しい鱗を無残に突き破り、その肉体深く――骨の髄にまで、容赦なく食い込んでいったのだ。


「なんてことを……ッ! 一度解放した海竜を、再び縛り上げようというのかッ!」

エレナが激怒に顔を歪める。


だが、事態は単なる「再拘束」では済まなかった。


吸魔陣のコアから、致死量のドス黒い教国マナが、触手を通じて海竜の体内へと直接、爆発的な勢いで流し込まれ始めたのだ。


『――――海竜の生体マナ波形が……急速に変異しています! 痛覚神経の切断……感情野の完全破壊……戦闘衝動の強制最大化(オーバーライド)……ッ!――――』


オルタのルビー色の瞳に映るデータが、絶望的な数値を弾き出す。


「ギョ……ギョガァァァァァァァァァァァッ…………!!!!」


海竜の身体が、黒いマナに侵食され、見る間に禍々しい姿へと変貌していく。

美しかった青銀の鱗は、硬く分厚い【漆黒の装甲殻】へと変質し、背中からは鋭い刃のような巨大な棘が無数に突き出した。

そして、アルに向けられていたあの澄み切った群青色の瞳は……感情を完全に失った、血塗られた真紅の光(殺戮の光)へと塗り潰されてしまったのだ。


「あ……あぁ……」

アルの瞳から、涙がこぼれ落ちた。


海竜はもう、痛みに泣いて暴れる「傷ついた生き物」ではなかった。

教国のプログラムによって心と痛覚を完全に破壊され、ただ目の前にあるすべてを殲滅するためだけに稼働する、究極の殺戮兵器――【暴虐の黒海竜(リヴァイアサン・オルタナティブ)】へと、完全に作り変えられてしまったのだ。


四、 海竜の暴虐、蹂躙される結界

「ガァァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!!!!!」


暴虐の黒海竜が、深海を震わせる圧倒的な咆哮を放った。

ただ鳴いただけで、周囲の海水が凄まじい衝撃波となって爆発し、シーホーク号を包むエレナの結界を容赦なく叩き潰す!


ガガガガガガガガッ!!!!


「ぐぁぁぁぁぁぁっ……!!」

エレナが、両膝を甲板に突き、口から大量の血を吐き出した。


「エレナさんッ!!」

「騎士様ッ!!」


「だ、駄目だ……っ! 先ほどの海上の波とは……威力が、桁違いだ……ッ!」

エレナが、血塗れの顔で聖剣を必死に支えながら呻いた。


水面で暴れていた時は、まだ海竜自身の「苦痛に抗う意志」がリミッターとなっていた。

しかし、心を破壊され、吸魔陣から無限に教国のマナを供給される今の黒海竜は、文字通り【大自然の理不尽な暴力の完全体】であった。


黒海竜が、その巨大な漆黒の尾びれを振り上げた。

深海三千メートルの超高水圧環境下で、その巨体が信じられない速度で鞭のようにしなる!


ドゴォォォォォォォォォォォォンッ!!!!


結界の正面に、尾びれの一撃が直撃した。

パァァァァァンッ! と、エレナの絶対防壁に、ついに致命的な巨大な亀裂が走った。


「結界が……割れるぞッ!」

ギルが絶叫する。


結界が割れれば、深海三千メートルの水圧がシーホーク号を瞬時に押し潰し、彼らは一秒と経たずに肉の塊となってしまう。


「やらせるかよッ!!」


その絶体絶命の危機に、カルムが結界の内側から、海竜へ向けて両拳を構えた。


「【我流神殺・太陽紅蓮乱舞】ッ!!!!」


カルムの拳から、極高熱の赤蓮の炎弾が、機関銃のごとく連射される!

炎の弾丸は、エレナの結界を透過し、外の深海へと飛び出していく。


しかし――。


シュンッ……。ジュワッ……。


「……なっ!?」


カルムの放った炎は、黒海竜に届くどころか、結界の外に出た瞬間に、深海の恐るべき水圧と、絶対零度に近い冷たい海水の前に、まるでロウソクの火のようにあっけなくかき消されてしまったのだ。


「俺の、炎が……! 海の中じゃ……一歩も進まねぇだと!?」


カルムの顔が、驚愕と絶望に染まった。

地上であれば、鋼鉄すら一瞬で蒸発させる彼の極光炎。

だが、ここは水深三千メートルの海の底。大自然の圧倒的な『水の檻』の中では、火の魔法など、生まれた瞬間に圧殺されてしまう無力な存在でしかなかったのだ。


五、 届かない反撃、絶対の絶望

「ガァァァァァァァァァッ!!」


黒海竜は、カルムの無力な反撃を嘲笑うかのように、大きくその漆黒の顎を開いた。


その口腔内に圧縮され始めたのは、海上でアルが切り裂いたブレスとは比べ物にならないほど高密度に圧縮された、ドス黒い【深海破滅砲(アビス・バスター)】。

周囲の深海の海水が、渦を巻いてその口の中へと吸い込まれ、絶望的な光がチャージされていく。


「駄目だ……っ! 次の一撃が来れば、結界ごと船が消滅するぞッ!」

ギルが、折れた銛の代わりの銛を構えようとするが、結界の中からでは外の敵に物理攻撃を届かせることはできない。


「カルム! もっとだ! もっと炎を出してくれッ!」

漁師の一人が、すがるように叫ぶ。


「わ、分かってるッ! オラァァァァァァァッ!!!!」


カルムは、両腕の毛術回路から血を吹き出しながら、己の命の火のすべてを振り絞って、再び巨大な火炎の竜巻を放った!


「【大瀑布】ッ!!!! 燃えろォォォォォォッ!!」


だが、結果は同じだった。


ジュワァァァァァァァ…………。


結界を出た炎は、深海の圧倒的な闇と冷たさに飲み込まれ、海竜の鼻先にすら届かずに、儚い泡となって消え去ってしまった。


「嘘だ……。俺の、俺の炎が……!!」


カルムは、焼け焦げた両手を力なく下ろし、膝から崩れ落ちた。


自分の炎が、全く通用しない。

相棒であるアルを護るための、唯一の力だったはずの自分の拳が。

海という途方もない質量の前では、ただの「無駄な足掻き」でしかなかった。


「カルム……!」

アルが、カルムの背中に駆け寄り、その震える肩を抱きしめた。


「ごめんな……アル。俺……お前のこと、護れねぇ……っ。俺の炎じゃ……海は、焼けねぇんだ……っ!!」


カルムの目から、己の無力さに対する血の涙がこぼれ落ちた。


エレナの盾は限界を迎え、ひび割れが結界全体に広がっている。

カルムの最強の炎は、深海の水圧に完全に封殺された。

そして、目の前には、心と感情を破壊され、ただ殺戮の兵器と化した【暴虐の黒海竜】が、彼らを海の藻屑に変えるべく、破滅の光を極限まで圧縮し終えようとしている。


深海三千メートルの絶対の暗黒の中で。

チーム『最高の厨房』は、結成以来、かつてないほどの完全なる【無力感と絶望】に、その魂を押し潰されようとしていたのであった。

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