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神殺しのフルコース ~少年料理人と修羅の創世食卓~  作者: solune
第3章:海洋都市アクアリア編

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第55話:料理人の直感

一、 凪ぐ海と異様な平静

狂乱の海竜(リヴァイアサン)が、アルの振るった『黒鉄の包丁』の真理解体によって解き放たれてから数時間。


空を覆い尽くしていたどす黒い暗雲は嘘のように消え去り、海洋都市アクアリアの沖合には、鏡のように平穏で透き通った【群青の海】がどこまでも広がっていた。


「うわぁ……すごい。波が全然ないよ」


捕鯨船シーホーク号の甲板の先端で、アルが手すりに身を乗り出して呟いた。

さっきまで家屋ほどもある巨大な三角波が吹き荒れ、船体を木端微塵に砕かんとしていたのが幻であったかのように、海面は穏やかな春の陽気を映し出し、波の音すら穏やかな子守唄のように優しく響いている。


「ああ。海竜が正気を取り戻したおかげで、海の結界ライン(潮目)が正常化されたんだな」


隣に立つ船長のギルが、背中にまっすぐ修復された『白銀の銛』を背負い、誇らしげに髭を撫でた。


「これなら教国への航海も順風満帆だ。マストの補強も完璧だし、風もいい追い風が吹いている。……この調子なら、予定よりも半日は早く教国の領域へ入れそうだぞ」


「やったね、カルム! エレナさん! オルタ!」


アルが振り返り、甲板の上で休息をとっていた仲間たちへ向けて笑顔を見せた。


「うむ。海竜の救済と、航路の確保……見事な手さばきであったな、アル殿」

エレナが甲冑の肩当てを整えながら、穏やかに微笑む。


「へっ、これで気兼ねなく教国の神様どもに突撃できるってわけだ!」

カルムも、火傷の残る両拳を軽く叩き合わせ、ニッと八重歯を見せて笑った。


しかし――。


アルの表情から、ふっと笑顔が消えた。


アルは、手すりから再び海面を見下ろした。

凪いだ海。美しい群青色の水面。

何一つ問題はないはずだった。海竜は正気を取り戻して深い海溝へ戻り、風は爽やかで、船は順調に進んでいる。


(……なんでだろう?)


アルは、己の胸の奥底――トクトクと脈打つ命の火『炉(かまど)』に、そっと手を当てた。


胸の『炉』が、微かに、しかし不気味な違和感を訴えて、チリチリと痺れるような感覚を放っていた。


(この海……静かすぎる。……まるで、冷たい大きな氷の中に閉じ込められちゃったみたいに……静かすぎるんだ)


二、 違和感の正体と目に見えぬ「アク」

「アル? どうしましたか?」


アルの様子の変化に最初に気づいたのは、隣にいたオルタであった。

オルタは、ルビー色の瞳を瞬かせ、アルの顔を心配そうに覗き込んだ。


「あ……ううん、なんでもないよ、オルタ」


「いいえ。アルの心拍数と体温に、微小な変動が見られます。……どこかお身体が痛みますか?」

オルタが、自身の治癒マナを掌に灯しながら、アルの身体をスキャンする。


「ううん、傷は痛まないんだ。ただ……」


アルは、腰の『黒鉄の包丁』の柄にそっと触れた。


「なんかね……『嫌な匂い』がするんだ」


「嫌な匂い……?」


その言葉に、甲板にいたカルムとエレナもハッとして立ち上がった。


「おいおいアル、なんだそりゃ? 風の匂いか? 俺の鼻じゃ、潮の美味ぇ匂いしか聞こえねぇけどな」

カルムが周囲の空気を鼻で深く吸い込む。


「私もだ。異様な魔力の気配や、使徒の殺意などは感知できんが……」

エレナも眉をひそめ、聖剣の柄に手をやる。


「匂いっていうか……味かな」


アルの漆黒の瞳に、【真理の目】の黄金の輝きが、深く、静かに灯った。


アルの視界が、クリアな現実からモノクロームの「因果の世界」へと切り替わる。


さっき解体した海竜の体内にあった、教国の【漆黒の魔導鎖】。

あの鎖は、確かにアルの包丁によって綺麗に切断され、海竜の命は解き放たれた。

しかし――アルの【真理の目】が、海面の下、深度数千メートルの深い深い海溝の底を見通した時。


アルの黄金の視界は、信じられない「真実」を捉えた。


(あ……っ!?)


海竜の体内にあった鎖は、単なる制御装置ではなかったのだ。

あの黒い鎖は、海溝の底に張り巡らされた、巨大な【神聖吸魔パイプライン】の末端に過ぎなかった。


海竜が苦しみ、狂乱していた本当の理由。

それは、教国が海竜を媒介にして、この『忘却の海』全体の巨大な生命マナを、底からじわじわと吸い上げ、神座の塔へ向かって強引に蓄積させていたからであった!


海竜の鎖を切ったことで、暴走は止まった。

しかし、海溝の底にある【マナの吸い上げ口(因果の根)】は、今この瞬間も、不気味な音を立てて海から生命力を奪い続けていたのだ。


「海が……痩せていってるんだ」


アルの口から、冷ややかな言葉が漏れ出た。


「海が痩せる……? どういうことだ、アル殿?」

エレナが表情を引き締める。


「表面は綺麗で穏やかに見えるけど……海の底の『一番美味しいお出汁(マナ)』が、教国へ向かってどんどん吸い取られていってるんだ。……このままじゃ、海のお魚たちも、サンゴも、全部カサカサに乾いて、死んじゃうよ!」


三、 料理人の直感と機械の解析

「……っ!?」


アルの言葉を受け、オルタが即座に自らの解析ソナーの深度(レンジ)を、限界を超えて深海へと切り替えた。


『――――深海領域への広域探査(ディープ・スキャン)を実行!……深度三〇〇〇メートル、忘却海溝!――――』


オルタのルビー色の瞳に、これまで表示されていなかった、おぞましいデータが次々と赤く明滅し始めた。


「……アルの仰る通りです……っ!!」


オルタの声に、震えるようなショックのノイズが混ざる。


「ワタクシの通常センサーでは、表層の波形しか捉えられていませんでした……! 深海三千メートルの海底に、教国ルミナが敷設した最高位の【概念吸魔陣(グランド・シフォン)】が作動しています!」


「概念吸魔陣だと……!?」

エレナの顔から血の気が引いた。


「はい、エレナ! 教国は……この広い忘却の海そのものを『巨大なマナの電池』として利用していました! 海竜の暴走は、その莫大な吸魔の負荷に耐えかねた海竜が起こした『副産物のエラー』に過ぎなかったのです!」


オルタは、震える手で空中にホログラムの深海図を投影した。


「海竜を解放したことで、一時的に表層の嵐は収まりました。ですが、吸魔陣の根幹は今も生きています。……このペースで海のマナが吸われ続ければ、あと数日で、忘却の海はマナを完全に枯渇させられ、死の海水へと変質します!」


「なんだと……ッ!?」

ギルが、操舵輪を強く叩いて怒号を上げた。

「海の魚が死ぬだけじゃねぇ……海のマナが枯れりゃ、アクアリアの街を浮かせているサンゴ礁も全部崩れ落ちて、街ごと海の底に沈んじまうぞッ!!」


カルムの拳が、ギリギリと音を立てて握り締められた。


「神様の野郎……どこまで汚ねぇ真似をしやがるんだ! 海竜を兵器にし損ねたら、今度は海そのものを殺して吸い上げようってのかッ!」


「うむ……恐ろしいのは、教国のこの徹底した隠蔽工作だ」


エレナが、冷や汗を流しながら呟く。


「表面上は波を静め、穏やかな海に見せかけることで、我々やアクアリアの人々に『事件は解決した』と錯覚させ、その隙に海全体を死滅させようとしていたのだ。……オルタの超高度な電子頭脳ですら見落としていたこの仕掛けを……アル殿は、ただ『匂い』と『直感』だけで見抜いたというのか……!」


四、 「下ごしらえ」の本当の意味

「……直感じゃないよ、エレナさん」


アルが、静かに首を振った。


アルは、手の中の『黒鉄の包丁』を固く握り締め、自分の胸の『炉』を見つめた。


「料理人はね……食材の『一番美味しい状態』を知ってるんだ。だから、食材が傷ついてたり、毒が入ってたりすると……包丁を持った手が、勝手に教えてくれるんだよ」


アルの瞳には、一切の迷いがなかった。


「お魚を捌く時と同じだよ。表側をいくら綺麗に飾っても、お腹の中に『生臭い腐った内臓(アク)』が残ってたら、その料理は絶対に美味しくならない。……教国が海に仕掛けたその内臓を、きれいに取り除いてあげなきゃ、本当の解決にはならないんだ!」


「アル……」

オルタが、アルの横顔を見つめる。


完璧な計算とデータ分析を誇るオルタの電子頭脳。

しかし、アルの持つ【料理人の直感】は、データの数値を超えた「命の違和感」を、五感と魂でダイレクトに感じ取っていたのだ。


「ふッ……さすがは俺たちのコック長だぜ!」


カルムが、重い雰囲気を吹き飛ばすように、豪快に笑いながらアルの頭を乱暴に撫で回した。


「表面だけ繕って『出来上がり』なんて、そんな半端な料理、俺たちの『最高の厨房』の看板が泣くからな! 根っこにある腐った内臓ごと、俺の炎で焼き切って解体してやろうじゃねぇかッ!」


「うむ! 異論はない!」

エレナも聖剣を抜き放ち、不滅の決意を固めた。

「神の理不尽な吸魔陣など、我らの不滅の絆の前にはただの『アク』に過ぎん! アル殿、指示をくれたまえ!」


「ギルさん!」

アルが振り返り、船長を見つめた。


「深海三千メートルの吸魔陣……そこまで、シーホーク号で行ける?」


ギルは、背中の修復された白銀の銛をバシッと叩き、三白眼を不敵に輝かせた。


「ハッ! 誰に口聞いてやがる、坊主!」


ギルは、操舵輪を力強く握り直し、全乗組員に向かって腹の底から叫んだ。


「野郎どもッ!! 目的地変更だッ! 教国へ向かう前に……この海の底に沈んでる神様のド汚ねぇ吸い上げパイプを、全部叩き潰しに行くぞォォォォッ!!」


「「「「おっしゃぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」」」」


シーホーク号の漁師たちが、一斉に歓声を上げた。


五、 深海へ向かう決意

「オルタ! 深海へ潜るためのルートを割り出して!」


「了解しました、アル!」


オルタが、ルビー色の瞳を輝かせ、深海図のホログラムを最速で展開した。


「忘却海溝への最短ルートは、この前方五キロにある【潮の渦(ボルテックス)】です! そこから海流に乗れば、一気に深海三千メートルの吸魔陣の中枢へ到達できます!」


「よしッ! 潮の渦へ向かって突進だぁぁぁぁッ!!」


ギルが舵輪を回し、シーホーク号は穏やかだった海面を切り裂き、不気味な深海へと続く潮の渦へ向かって、凄まじい速度で加速を始めた。


空は青く、海は穏やかに見える。

しかし、その偽りの平和の足元で、神の冷たい計算式と、少年料理人の温かな魂が、本当の「最終決戦」を迎えようとしていた。


料理人の直感。

それは、傷ついた世界を見捨てず、最後の最後まで命の輝きを取り戻そうとする、アルという少年の「無限の愛」そのものであった。


教国ルミナが海に仕掛けた、おぞましき吸魔の毒。

チーム『最高の厨房』は、その底知れぬ深海へ向かって、恐れることなく、力強く飛び込んでいくのであった。

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