第43話:新たな目的地
一、 黄金の平原と吹き抜ける恵み
教国ルミナとの国境を分かつ広大な盆地『トエルの大平原』。
天竜山脈の麓から見渡す限りに広がるその平原は、朝陽の黄金色の光をいっぱいに浴びて、風が吹くたびに青々とした草花が波のように揺れていた。
「ふぅ……すごく良い風だね、カルム」
アルはエプロンの紐をキュッと結び直し、背中の大きな調理リュックを担ぎ直した。
腰には、黄金の真理の光を秘めた漆黒の『黒鉄の包丁』が静かに収まっている。スラム街のゴミ捨て場で拾われた頃の泥と死臭は完全に消え去り、今のその刀身には、仲間たちと育んできた不滅の「体温」が確かに宿っていた。
「おうよ! 地下のカビ臭ぇ風とは大違いだぜ!」
カルムが巨大な荷物を片手で軽々と担ぎ上げ、ニッと八重歯を見せて豪快に笑った。赤銅色の髪が朝陽に透け、両拳の傷痕が逞しく輝いている。
ザワァァァァァァッ……。
背後の天竜山脈から、再び一陣の力強い風が吹き抜けた。
それは、アルが古代都市アガルタの地下最深部で防衛核を解体し、大地へと還した【再創生のマナの風】。
どこまでも香ばしく、甘く、命の息吹に満ちたその風は、四人のエプロンやコートを大きく羽ばたかせ、西の地平線へと向かって滑るように駆け抜けていく。
「うむ。再創生のマナは、すでに平原の隅々にまで波及しているようだ」
エレナが、背に負うた『星霜の聖剣』の柄にそっと手を添え、凛とした佇まいで前を見据えた。
「この風が吹く限り、神の冷たい教律による支配は、足元から着実に解きほぐされていくはずだ。……アル殿の包丁が起こした奇跡は、地下だけでなく地上をも救っているのだな」
「……はい、エレナ」
アルの隣に並び立つ少女オルタが、ルビー色の瞳を瞬かせながら、愛らしく微笑んだ。
彼女が背負っているのは、アルが手製で作ってくれた小さな調理リュック。
かつては数千年の間、絶対零度のカプセルの中で「感情を持たない殺人兵器」として凍りついていた白磁の少女。しかし今の彼女の肌には、本物の人間と変わらない柔らかで温かな体温が巡り、その小さな胸のコアは、生きている喜びの鼓動をトクトクと鳴らしていた。
「この風の成分……毒素の含有率、ゼロパーセント。純度九九・九パーセントの、超極上生命マナです。……アルが作ってくれた、世界で一番温かい風です」
「ふふっ、みんなが力を貸してくれたからだよ」
アルは、大平原の真ん中で大きく伸びをした。
「さあ! ひと休みしたら、いよいよ西へ出発だね! 恩人の人が待ってる……教国の『神座の塔』へ!」
二、 立体海図と白銀の絶壁
平原の街道沿いにある、苔生した古代の石碑の陰。
四人はそこに腰を下ろし、アルがサッと手早く淹れた「天竜ハーブの温かい白湯」を啜りながら、これからの道程についての軍議(作戦会議)を開いていた。
「よし、オルタ。俺たちの現在地と、教国の首都までのルートを出してみてくれ」
カルムが竹筒の白湯を飲み干し、オルタへ声をかけた。
「了解しました、カルム」
オルタは、立ち上がって白磁の小さな手を虚空へ掲げた。
彼女のルビー色の瞳から純白のマナの光が照射され、空間に巨大な三次元ホログラムの地図が鮮やかに浮かび上がる。
「これが、現在ワタクシたちがいる東の大陸。そして……西の果てにあるのが、主神アルファが君臨する絶対聖域、【教国ルミナの本土】です」
オルタが投影した地図を見て、アルとカルムは同時に「えっ?」と声を上げた。
「おいおい……陸続きじゃねぇのかよ!?」
カルムがホログラムに顔を近づける。
ホログラムに映し出された教国ルミナは、アルたちがいる東の大陸とは完全に切り離された、巨大な独立大陸であった。
二つの大陸の間には、恐ろしく広大な青い空間――【忘却の海】と呼ばれる絶対の海域が横たわっている。
「うむ。教国ルミナは、四方を海に囲まれた要塞大陸なのだ」
エレナが、険しい表情で地図の一箇所を指差した。
「唯一、陸路で繋がっているのは、北の極寒地帯にある『嘆きの氷橋』のみ。……だが、そこは神託機関が誇る第一級の神罰結界が張られ、神の軍勢が文字通り分厚い壁となって塞いでいる。しかも、我々がアガルタを崩壊させたことで、教国の警戒は最高レベルに引き上げられているはずだ」
エレナの青い瞳が、鋭く光る。
「北の氷橋を正面から突破しようとすれば、第二使徒・神罰審判官のみならず、教国の全軍隊と同時に戦うことになる。いかにアル殿の包丁があろうと……物理的な物量に押し潰されるのは明白だ」
「じゃあ……歩いては行けないってことだね」
アルが、地図の青く塗られた広い部分を見つめた。
「肯定です、アル」
オルタが、ホログラムの表示を切り替え、海路のルートを赤くハイライトさせた。
「データ解析の結果、教国の防衛ネットワークが最も薄くなるのは、海からの接近ルートです。海の大自然が生み出す莫大なマナのうねりは、神の監視システム(レーダー)に強烈なノイズを発生させます。……海路を密かに進めば、教国の外郭防衛線をすり抜け、本土へ上陸できる確率が飛躍的に上昇します」
「海……」
アルの瞳が、ホログラムの青い海原を見て、キラキラと輝き始めた。
「お水がいっぱいあって、お魚がたくさんいる場所だよね! スラムの古い絵本でしか見たことないけど……すっごく広くて、お塩の匂いがするって聞いたよ!」
「へっ! そうと決まれば話は早いぜ!」
カルムが立ち上がり、ニカッと笑って背伸びをした。
「俺もスラム育ちだからな、海なんてハイカラなもんは見たことねぇ! どんなバカデカい水たまりか、いっちょ拝みに行って、ついでに船をブン盗ってやろうじゃねぇか!」
「喧嘩屋、船は盗むものではない、交渉して借りるか買うものだ」
エレナが呆れたようにため息をついた。
「オルタ。この大陸で、海を渡るための外洋船が手配できる場所はどこだ?」
三、 新たなる目的地・海洋都市アクアリア
「はい、エレナ」
オルタのルビー色の瞳が瞬き、ホログラムの地図の「東の大陸の最西端」――海に面した巨大な入江の部分をズームアップした。
「現在地から西へ向かい、国境の荒野を抜けた先。そこにあるのが、この大陸最大の港町……【海洋都市アクアリア】です」
「海洋都市……アクアリア!」
アルが身を乗り出した。
「記録によれば、アクアリアは神の教律が届きにくい海産交易の要衝であり、屈強な海の男(漁師)たちや、外洋を渡る腕利きの航海士たちが集まる自由都市です。……そこで船と案内人を確保することが、教国へ至るための絶対条件となります」
オルタは、ホログラムを消去し、アルに向かってコクリと頷いた。
「わぁ……! 海の街! きっと、僕の見たこともない食材がいっぱいあるんだね!」
アルは、両手を胸の前で組んで、興奮に頬を紅潮させた。
「お魚でしょ、それにカニさんとか、貝殻とか……! それに、海の水を煮詰めれば、極上の『お塩』が作れるんだよ! 最高のお料理ができそう!」
少年料理人にとって、「未知の海」という環境は、これ以上ないほど魅力的な食材の宝庫であった。
「ギャハハ! アルは相変わらずブレねぇな! 神様をぶっ倒すことより、海のメシの方が楽しみって顔してやがる!」
カルムが豪快に笑い、アルの頭をガシガシと撫でた。
「でも、腹が減っては戦はできねぇからな。海のバケモンみたいなデカい魚を、俺の炎で丸焼きにしてやるのが今から楽しみだぜ!」
「ふふ、君たちのその逞しさには恐れ入るよ」
エレナも、思わず顔をほころばせた。
「海洋都市アクアリアか。……教国の目が届きにくいとはいえ、海の男たちは荒くれ者が多いと聞く。それに、海という大自然は、山の魔獣とは比べ物にならないほど無慈悲で強大だ。油断は禁物だぞ」
「はいっ! 分かってるよ、エレナさん!」
アルが力強く頷く。
「でも……僕たち四人が揃ってれば、どんな荒波だって乗り越えられるよ。だって僕たちは……最強の『家族』なんだから!」
アルの言葉に、カルム、エレナ、そしてオルタの顔に、絶対の信頼と温かな笑顔が浮かんだ。
四、 アガルタの遺志を胸に
出発の準備を整え、アルは最後に一度だけ、背後の天竜山脈――その奥深くで眠る古代都市アガルタの方角を振り返った。
数千年の間、感情を凍結され、機械の死都として沈黙していた街。
しかし今、あそこには色鮮やかな野花が咲き、温かなマナが脈打っている。
「……オルタ」
アルは、隣に立つ少女にそっと声をかけた。
「アガルタの技師さんたちが、オルタに『心』の器を作ってくれたこと。そして、あの恩人の人が、僕に『炉』の火を託してくれたこと。……全部、繋がってたんだね」
「……はい、アル」
オルタは、自らの胸のコアにそっと手を当てた。
「技師長たちは、神の冷たい氷(大氷期)から世界を救うために……ワタクシという『記録の器』と、アルという『太陽の炉』を、数千年の時間を超えて出会わせたのです。……ワタクシがアガルタで目覚め、皆様と家族になれたことは、決して偶然ではありません」
オルタは、アルの瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「ワタクシは……アガルタの悲しい過去も、技師たちの願いも、全部この胸に抱えていきます。……そして、アルと一緒に、世界中の冷え切った心を、温かいスープで解きほぐしてみせます!」
「うん……っ!」
アルは、オルタの決意に満ちた言葉に、胸が熱くなるのを感じた。
アガルタの遺志。恩人の願い。
自分たちが背負っているものは、決して小さくはない。
教国の放つ最強の刺客たちや、世界を凍らせる『大氷期』の恐怖が、確実に迫ってきている。
しかし、アルの胸の『炉』は、恐怖ではなく、愛する世界を護るための圧倒的な情熱で燃え盛っていた。
(待っててね。……僕にスープをくれた、優しい人)
アルは、腰の『黒鉄の包丁』の柄を固く握り締めた。
(僕はもう、一人ぼっちの空箱じゃない。こんなに強くて、優しくて、温かい家族がいるんだ。……僕たちの『最高の厨房』で、冷たい神様の下ごしらえをしに行くからねッ!)
五、 第2章完結・潮風の待つ海へ
「よしッ! 決まりだなッ!!」
カルムが、両腕を大きく広げて、青空に向かって背伸びをした。
「目指すは西の果て、海洋都市アクアリア! デカい船と、美味ぇ海のメシを手に入れるぞッ!」
「うむ。我が聖剣と不滅の盾も、次なる海の舞台へ向けて、いっそう研ぎ澄ませておこう」
エレナが、銀髪を風になびかせながら、凛と歩みを進める。
「ワタクシのナビゲーション機能も、海路モードにアップデート完了しました! アル、カルム、エレナ! 出発進行ですっ!」
オルタが、リュックを揺らしながら、元気いっぱいに先頭を歩き出す。
「おーっ!!」
アルが、太陽の光が降り注ぐ西の街道へ向かって、元気よく駆け出した。
四人の足音が、希望と決意のリズムを刻みながら、黄金色の平原をどこまでも、どこまでも力強く進んでいく。
背後には、彼らが救った古代都市アガルタから吹き下ろす、温かな命の風。
前方には、まだ見ぬ青き大海原と、激動の波乱が待ち受ける海洋都市。
冷たい神々の支配する世界に対し、一振りの包丁と温かなスープで挑む、少年料理人の創生の大冒険。
古代都市アガルタでのすべての死闘と奇跡、そして結ばれた四人の「不滅の家族の絆」を胸に抱き。
チーム【最高の厨房】の物語は、ついに荒れ狂う波涛と大自然の試練が待ち受ける――海洋都市アクアリアへと、圧倒的な熱量を帯びて出航していくのであった。




