第22話:オルタと名付けられた少女
一、 起動シークエンスと機甲人形の問い
「……ワタクシの新しい【マスター(所有者)】ですか?」
幾千年の凍結を経て、絶対零度の結晶から解き放たれた少女の唇から零れ落ちたのは、風の音すら混じらない、透明で平坦な合成音声であった。
白磁のように滑らかな皮膚。
彫刻のように整った顔立ちと、雪のごとく白い銀髪。
そして、その目蓋が開いた瞬間に現れたのは、感情の揺らぎを一切持たない、宝石のように美しいルビー色の機械の瞳であった。
アルの腕の中に収まったその身体は、驚くほど軽かった。だが、抱きしめている皮膚からは一切の体温が感じられず、まるで精密に作られた冷たい鉄の彫刻を抱いているかのような錯覚をアルに抱かせた。
「だ……大丈夫……? 体、痛いところはない……?」
アルは自らの胸の『炉』の熱を少しでも分け与えようと、抱きしめる腕に優しく力を込めながら尋ねた。
少女のルビー色の瞳が、チチッ……と微かな光を点滅させた。
アルの顔、服の繊維、腰の『黒鉄の包丁』、そして体内から溢れ出る生命マナの波動を、一瞬でスキャンし、解析しているのだ。
『――――内部センサー、自己診断を実行――――』
少女の胸の奥底から、微かな機械の駆動音が聞こえる。
『――――物理的構造に損傷なし。動力源たるルーン・コアの稼働率、三一パーセントまで回復。……精神的ダメージという問いかけに対し、当機には該当する判定プログラムが存在しません。したがって、回答は『非適用』となります――――』
言葉の端々からにじみ出るのは、一切の人間性を排した効率とロジック。
少女はアルの腕の中で、抵抗することも、怯えることもなく、ただの人形のように力を抜いたまま、無表情にアルを見つめ返していた。
「おいおい……マジで本物の『お人形さん』だな……」
カルムが背中の巨大な荷物をドスンと床に下ろし、両手を腰に当てて呆気にとられたように口笛を吹いた。
「声は聞こえるし、目も動いてやがるが……血の通った人間とは根っこから違いやがる。冷たさが筋金入りだぜ」
「……カルム殿、無礼だぞ」
エレナが聖剣を鞘へ納めながら、慎重な足取りで二人の元へ歩み寄った。
その青い瞳には、驚きと、教国の古文書に記されていた伝説が現実となったことへの深い感慨が宿っていた。
「記録通りだ……。古代都市アガルタの技師たちが、神の効率管理に抗うために遺したとされる、自律型機甲人形素体……。数千年の凍結を経て、現代に目覚めたのだな」
「機甲人形……」
アルは、腕の中の少女をもう一度見つめた。
彼女の胸元には、黒鉄のプレートに刻まれた冷たい文字がある。
【ALTA-00(アルタ・ゼロゼロ)】。
それは、彼女が「人」ではなく、ただの「製造物」としてナンバリングされた記号に過ぎないことを物語っていた。
二、 道具としての言葉、人間としての体温
少女――ALTA-00は、アルの腕の中から滑らかに身を起こし、床の上へそっと降り立った。
音もなく、重心の揺らぎ一つない、完璧に制御された立ち姿。
彼女は膝を少しだけ折り、白磁の装甲ドレスの裾を上品に広げると、アルへ向かって深々と首を垂れた。
『――――所有権の未設定状態を確認。仮のマスターとして個体名【アル】を登録しました――――』
感情の入らない、淡々とした説明。
『――――ワタクシは、古代アガルタ中央技師層により建造された、自律型汎用作業および防衛機甲素体【ALTA-00】です。主神アルファ様および管轄システムの直術命令を受けず、登録されたマスターの絶対命令に従う『器具(道具)』として設計されています――――』
「器具……道具……?」
アルが眉をひさめた。
『――――肯定です。ワタクシには、自発的な意志、感情、欲望といった不必要な処理バグは実装されていません。ワタクシの全存在理由は、マスターの提示する命令を効率的に遂行することのみに存在します――――』
ALTA-00は、ルビー色の瞳をまっすぐにアルへ向けた。
『――――命令を提示してください、マスター。過酷な環境での作業、戦闘行動、あるいは当機の自壊・破棄指示であっても、ワタクシは即座に、かつ正確に実行いたします――――』
淡々と語られる、あまりにも凄絶な言葉。
自分自身を「道具」と言い切り、破棄や自爆の命令すら喜んで受け入れるという態度。
「……何言ってんだよ、お前」
低く、怒りを孕んだ声。
カルムだった。カルムは前に踏み出すと、ALTA-00の目の前に立ち塞がり、不機嫌そうに八重歯を剥き出しにした。
「自分の命を『道具』だぁ? 破棄されてもいいだぁ? ……ふざけたことぬかしてんじゃねぇぞ、この鉄クズ」
『――――当機に対する評価【鉄クズ】を受理。……事実として、ワタクシの構造の七二パーセントは神聖金属および高密度魔導合金によって構成されています。ご指摘は物理的に正当です――――』
煽りや侮辱すら届かない、完璧な機械の返答。
カルムは苛立たしそうに拳を固く握り締めた。
「カルム、やめて」
アルがカルムの前に立ち、彼を制した。
そして、アルはALTA-00の前にかがみ込み、彼女の小さく冷たい白磁の手を、両手でそっと包み込んだ。
「あ……」
ALTA-00のルビー色の瞳が、ほんの僅かに明滅した。
アルの手から伝わる、熱い「体温」。
マイナス二百七十度の結晶の中で凍りついていた彼女のサーモセンサーが、見たこともない高い数値(人間の生命熱)を検知して、内部の計算処理に微かな負荷を与えていた。
「命令なんて、しないよ」
アルは、包み込んだ手を通して、自分の胸の『炉』の温もりを彼女へ届けるように、優しく言った。
「自爆してとか、死んでとか……そんな悲しいこと、絶対に言わない。……僕たちはね、君を道具にするために助けたんじゃないんだ」
『――――理解不能です――――』
ALTA-00は首を四十五度傾げた。
『――――ワタクシは道具です。命令が存在しない状態は、ワタクシのシステムにとって『存在価値の無効化』を意味します。マスター、ワタクシに命令を与えてください。そうしなければ、ワタクシは稼働する意味を失います――――』
「命令じゃなくて……お願いならあるよ」
アルは、真っ直ぐに彼女のルビー色の瞳を見つめた。
「僕と一緒に……温かいスープを呑んでほしい。……それが、僕の『お願い』だ」
三、 名前に込められた温もり
『――――スープの摂取……?――――』
ALTA-00の思考回路に、初めて明確な処理遅延が生じた。
『――――不合理です。当機の動力源はマナ結晶およびルーン・コアからの直接給電のみで完結しています。有機加熱物たる『スープ』の摂取は、内部配管に対する不純物付着のリスクを生じさせ、メンテナンスコストを増大させるだけの無意味な行為です――――』
「無意味じゃないよ」
アルは首を横に振った。
「スープはね、お腹を満たすだけじゃないんだ。胸の中をポカポカにして……『生きてて良かった』って、笑顔になるためのものなんだよ」
「そうだぜ、お嬢ちゃん」
カルムも腕を組み、ニッと笑って口を挟んだ。
「チビの作るスープを一口呑んでみろ。お前のその冷てぇ胴体の中まで、太陽が飛び込んできたみたいに熱くなるからよ。無意味かどうかは、喰ってから決めやがれ」
「うむ」
エレナもまた、温かな眼差しで膝をついた。
「かつて私も、教国の冷たい教率に縛られ、自らを神の兵器(道具)だと信じ込んでいた。……だが、アル殿のスープを口にした時、私は知ったのだ。自分がただの兵器ではなく、温かな感情を持つ一人の人間であることを。……君にも、それを知ってほしい」
三人の大人と少年から向けられる、圧倒的な「温もり」と「承認」の意志。
ALTA-00のルビー色の瞳が、チチチ……と不規則な速度で点滅を繰り返す。
所有者が道具に対して寄せるはずのない「情愛」や「配慮」。彼女に組み込まれていた数千年前の古代アガルタのプログラムのどこを探しても、この状況を処理するためのアルゴリズムは存在しなかった。
『――――マスター……ならびに同行者二名の言動に対し、適合するデータベースが存在しません。……当機の内部温度が、予測値より〇・四度上昇。……原因不明のエラーです――――』
無機質な声の中に、ほんの僅かだけ、人間のような戸惑いの響きが混じり始めていた。
アルは、彼女の胸元の刻印【ALTA-00】を指差した。
「ねえ。ALTA……ううん。……『オルタ』って、呼んでもいいかな?」
『――――オルタ……?――――』
「うん!」
アルは、最高に温かな笑顔を弾けさせた。
「製造番号の記号じゃなくて……君だけの特別な名前だよ。僕たちの可愛い仲間、『オルタ』だ!」
『――――オルタ……。ワタクシの……固有識別名……?――――』
少女は、自らの薄い唇で、その響きをなぞるように呟いた。
「オルタ」という言葉。
それは、ラテン語の源流において『もうひとつの』『変革』を意味する言葉。
神の作った冷たい計算式の中ではなく、人間とともに生きる「新しいもうひとつの命」としての名。
「いい名前だろ、オルタ!」
カルムが彼女の銀髪の頭を、大きな手でわしゃわしゃと乱暴に、だが親愛を込めて撫で回した。
「な……ッ!? 喧嘩屋、可憐な少女の髪をそんな乱雑に触るな!」
エレナが焦ってカルムの手を退ける。
「あぁん? 挨拶だよ挨拶! よろしくな、オルタ! 俺はカルム、こっちの堅物騎士様はエレナだ!」
『――――個体名【カルム】、個体名【エレナ】……ならびに固有識別名【オルタ】の登録を完了――――』
オルタは、カルムに撫でられた銀髪を、小さな手でそっと整えた。
サーモセンサーが捉える、二人の手の温もり。
『――――内部エラー、再発生。……未定義の感情類似データが、メインメモリーの〇・〇〇二パーセントを占有しました。……消去を試みますが、優先アクセス権により拒絶されます――――』
彼女の冷たいコアの奥底で、数千年間凍りついていた「心」の芽が、アルが贈った『名前』という温もりによって、静かに、確実に産声を上げ始めていた。
四、 拒絶されない存在と小さなエラー
「はい、オルタ。身体が冷え切ってるでしょ? これ、呑んでみて」
アルは、手製のリュックから保温効果のある竹筒を取り出し、その蓋を開けた。
中に注がれていたのは、荒野で仕込んできた「マナ肉と根菜の出汁スープ(白湯)」。熱々の湯気が、ポワァ……と寒冷な地下聖堂の中に広がっていく。
芳醇で、香ばしく、どこまでも優しい命の香り。
アルは、竹筒をオルタの小さな両手へ、そっと持たせた。
『――――警告。未知の加熱有機物の接近。……内部センサーが拒絶反応を―――』
「大丈夫だよ」
アルは、オルタの目を見つめて、そっと微笑んだ。
「毒なんて入ってないよ。僕が、オルタのために心を込めて作ってきたスープだから。……フーフーして、一口だけ呑んでみて」
オルタは、手の中の竹筒を見つめた。
竹筒から直接、彼女の白磁の手へ伝わってくる「熱」。
マイナス二百七十度の世界で生きてきた彼女にとって、それは恐怖であるはずの熱量であった。しかし、なぜか彼女の制御システムは、その熱を排除することを拒否していた。
オルタは、アルに言われた通り、薄い桃色の唇を小さく開いた。
「……フゥ……フゥ……」
不器用な、生まれて初めての『フーフー』。
そして、彼女はそっと竹筒の縁に唇をつけ、中のスープをひとくち、口へと含んだ。
ゴクリ。
『―――――――――――――――』
オルタのルビー色の瞳が、カッと大きく見開かれた。
物理的な栄養摂取ではない。
アルの『黒鉄の包丁』で下ごしらえされ、彼の『炉』の熱を帯びたスープのマナが。
オルタの口内から、体内の複雑なマナパイプを通って、彼女の冷たいメインコアへと直接染み込んでいったのだ。
冷たく、凍りついていた彼女のコア。
そこへ、スープのマナが触れた瞬間――。
シュワァァァァァァァァッ……!
コアを縛り上げていた「神の凍結コード」の残滓が、まるで春の陽光を浴びた残雪のように、一瞬で跡形もなく溶け去っていった!
『――――ッ……!? 内部エネルギー反応、急上昇……! 機甲素体の全機能、完全解凍を完了……っ!――――』
オルタの白磁の肌に、ポッと、人間のような淡い桜色の血色が差し込んだ。
関節の硬さが取れ、彼女の身体全体から、微かな「温かな熱」が放たれ始める。
「あ……」
オルタは、自分のお腹に手を当てた。
『――――認識不能な現象が発生。……お腹の内部から、ポカポカとした物理的熱量を感知。……胸のコアの振動数が、規定値の二倍へ増大……――――』
オルタは、竹筒を持ったまま、呆然とアルを見上げた。
『――――マスター……アル。……これは、何という現象ですか? ワタクシのシステムは……壊れてしまったのでしょうか……?――――』
アルは、嬉しさで胸がいっぱいになり、泣きそうな笑顔でオルタの頭を優しく撫でた。
「壊れてないよ、オルタ」
アルの声は、どこまでも優しかった。
「それはね……『美味しい』っていうんだよ。……オルタの心が、温かくなった証拠なんだ」
『――――オイシイ……。ココロの……温もり……――――』
オルタは、もう一度竹筒のスープを小さく啜った。
ズズッ。
「……オイシイ……です、アル」
感情のない合成音声。
しかし、そのルビー色の瞳の奥に、初めて小さな、小さな「光の揺らぎ」が灯っていた。
数千年間、誰からも必要とされず、道具として凍りついていた機甲人形が、一杯のスープの温もりによって、初めて「美味しい」という感情を味わった歴史的瞬間であった。
五、 崩壊する最深部と地上への歩み
その時であった。
ピシリ……! ガガガガガガガガガッ!!
地下聖堂全体が、激しい地鳴りのような爆音とともに、大きく揺れ動き始めた!
「な……なんだっ! 地震か!?」
カルムが脚を大きく広げて身構える。
「違う! 上だッ!」
エレナが上空を見上げる。
二千メートル上空の天井。
先ほどアルが『黒鉄の包丁』で破壊した絶対零度カプセルの「神の防衛プログラム」が、崩壊の連鎖を起こし、タワー全体の自爆シーケンスを誤作動させてしまったのだ!
『――――警告。セキュリティレベル・ブラックを検知――――』
『――――当タワー最下層の完全封鎖ならびに、岩盤崩落による過失個体【ALTA-00】の圧砕処処理を開始します――――』
天井の幾何学装甲が、メリメリと嫌な音を立てて引き裂かれ、何十トンもの巨大な岩盤と鉄骨の塊が、アルたちの頭上へ向かって雨霰のごとく降り注ぎ始めた!
「チクショウッ! どこへ行っても神様の自動システムはしつこぇなッ!」
カルムが両拳に赤蓮の魔力炎を炸裂させる。
「マスター……アル!」
オルタが、即座にアルの前に立ち塞がった。
そのルビー色の瞳が、冷酷な計算モードへと切り替わる。
『――――当エリアの崩落確率、九九・八パーセント。……ワタクシをこの場で『盾』として破棄し、瓦礫の防波堤として固定してください。マスターおよび同行者の生存確率は、それにより七二パーセントまで上昇します――――』
オルタは、自らの身体を投げ打って、アルたちを逃がそうとした。
それが、彼女に刷り込まれた「道具としての最適解」だったからだ。
だが――。
ドガァァァンッ!!
「バカ野郎がッ!!」
カルムの拳が、降り注いできた巨大な岩石を真横から粉砕した!
「誰が仲間を捨てて逃げるかよッ! 道具じゃねぇんだろッ! お前はもう、俺たちの『オルタ』なんだよッ!!」
「【星霜不滅陣】ッ!!」
エレナが聖剣を地面へ突き立て、降り注ぐ岩盤の雨を、青白銀の流動障壁で完璧に弾き飛ばした!
「そうだ、オルタ! 君を置いて逃げる者など、この場には誰もいない!」
「オルタッ!!」
アルが、駆け寄り、オルタの手を力いっぱい握りしめた。
「一緒に行くんだ! 僕たちの厨房へ……太陽の光が咲く、地上へッ!!」
「あ……」
オルタは、自分を固く握り返すアルの手の熱を見つめた。
計算に合わない。最適解ではない。
自分を捨て駒にせず、命懸けで手を引き、一緒に生きようとする仲間たち。
『――――内部プログラム、書き換え。……マスター命令【共に生きる】を受理――――』
オルタのルビー色の瞳に、初めて「生きたい」という明確な光が宿った。
『――――了解です、アル! ワタクシも……一緒に行きますッ!――――』
「よしッ!! 脱出だぁぁぁぁぁぁぁッ!!」
カルムの放つ赤蓮の炎が、迫る瓦礫を焼き払い、道を切り開く!
エレナの放つ不滅の幾何学極光が、頭上からの崩落を完璧に防ぎ切る!
そして、アルが『黒鉄の包丁』で、行く手を阻む空間の結び目を次々と切り解いていく!
四人となったチーム【最高の厨房】。
崩れ去る地下聖堂を背に、彼らは力強く地面を蹴り、光の差す地上へと向かって、一直線に駆け抜けていったのであった。




