第145話:重力を焼き切り使徒を退ける
一、 崩落する巨神と、天門からの神罰
ズズズズズズズズズズズズズズズズズズで……!
大界を叩き割るような絶響。
カルムの放った【我流極奥義・双炎・赤蓮解躰】の十字の閃光は、使徒バアルの巨大な肉体を概念の根底から切り刻み、彼が数千年にわたって誇ってきた神の肉体を完璧に解体した。
「ガアアアアアアアッッッッッ!!!!!」
バアルの口から放たれたのは、絶叫という言葉すら生ぬるい、世界そのものが不協和音を上げて割れるような悲鳴であった。
彼の胸甲を十文字に切り裂いた真紅の炎と緋色の光は、その巨体の中に蓄積されていた過剰な神聖マナを力づくで解突(解体)していく。
バアルの体内から溢れ出す緋色の蒸気は、周囲の白亜の大理石を一瞬で流体へと変え、大地を真っ赤に溶かし出していく。
不滅を誇った神の使徒という高次元の存在が、ただの肉片と光の塵へと還元されていくその光景は、教国ルミナが数千年間維持してきた「神の不敗神話」が完全に崩壊した瞬間であった。
「見たか……あれを……」
「使徒様が……神の使徒様が……バラバラになっていく……!」
「人間が……ただの人間が、使徒様を打ち倒したんだッ!!!」
アガルタの結界の陰で身を縮めていたレジスタンスの兵士たちが、信じられないものを見るように叫び声を上げた。
恐怖に震えていた目には、今や歓喜と、そして圧倒的な希望の光が宿っている。
自分たちが神の理不尽に抗い続けた日々は、決して無駄ではなかった。
血を流し、仲間を失い、それでも明日を信じて握りしめ続けた折れた剣が、ついに絶対の支配者を地へと引きずり降ろしたのだ。
しかし、戦いはまだ終わっていなかった。
「……カルム、気をつけろッ!!」
アルが、急に喉を破らんばかりの叫び声を上げた。
彼の黄金の左目——【真理の目】が、崩れ去っていくバアルの肉体の中心に、おぞましい『歪み』を捉えていたからだ。
「消えてない! バアルの命は消えてるのに……あいつが体内に溜め込んでいた重力マナの全体系が、制御を失ってそのまま暴走しようとしてる! これは……自爆なんかじゃない、空間そのものを握り潰す『重力壊死』だッ!」
「何だと……!?」
カルムの解体眼が、崩落するバアルの肉体の奥深くに合焦する。
そこにあったのは、肉体が消滅したにもかかわらず、空中へ置き去りにされた【超高密度の重力結晶】であった。
バアルが死に際に全世界から吸い上げようとしていた異常重力のエネルギーが、彼の死によって解流(解放)の道を失い、一点に圧縮され続けている。
その重力結晶は、赤黒い光を放ちながら、周囲の光、空気、瓦礫、さらにはマナそのものを目に見えない力で引き寄せ、空間を歪ませていた。
もしそれが破裂すれば、アガルタの地下都市はおろか、地上数十キロメートル圏内の全ての物質が、超高圧の質量となって崩壊し、この地から完全に消滅する。
さらに。
『……エラー個体名カルム。および、対象空間アガルタ。……個体名バアルの生命反応消滅を確認』
遥か空の彼方。成層圏に鎮座する『天門』の中枢から、一切の感情を削ぎ落とした使徒エノクの冷酷な音声が、天を揺るがして降り注いだ。
『個体名バアルの敗北は、本システムの計算領域外である。しかし、彼が残留させた重力マナの崩壊系は、地上の不純物を一括消去するための絶好の事象と判断する』
空が、重苦しく揺れた。
天門の最下層から、幾重にも重なる巨大な神聖ルーンの環——【空間干渉環】が展開される。
『これより、天門中枢より遠隔干渉を実施。バアルの残留重力核へ指向性エネルギーを増幅注入。……超局地融合重力場【絶対重力監獄】を形成。……地上に生きるすべての異端者よ。自らの紡いだ歪みとともに、押し潰されるがいい』
「あのクソメガネが……ッ!!」
カルムは歯を剥き出しにして上空を睨みつけた。
使徒エノクは、バアルの死すらも即座に自らの計算の中に組み込み、彼が遺した巨大な重力の遺産を、アガルタを完全に消滅させるための『巨大な重力爆弾』へと書き換えたのだ。
ドスゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!!!
空間が、劇的な軋みを上げた。
崩落するバアルの残滓を中心に、半径数キロメートルの空間全体が、まるで巨大な透明のプレス機で上から叩き潰されたかのように落とし込まれた。
「ぐああああああああっ!?」
「が、息が……呼吸ができないっ!?」
地上にいたレジスタンスの戦士たち、そしてアガルタの民たちが、逃げる間もなくその場に崩れ落ちた。
先ほどの重力異常とは桁が違う。
全方位から加わる圧倒的な圧力が、人間の骨を直接軋ませ、臓器を押し潰そうと襲いかかる。
地面に落ちていた金属の破片や瓦礫が、自身の重みに耐えきれずに、一瞬でペシャンコの金属片へと平潰されていく。
「くっ……! この期に及んで、まだこんな理不尽を叩きつけてきやがるのか……ッ!」
カルムは両足を深く大地に踏み込み、全身の筋肉を激しく収縮させてその重圧に耐えた。
両腕の赤蓮の紋様が、激しい光を放つ。
だが、この重力場は特定の個体を狙ったものではない。アガルタという『空間そのもの』の曲率を折り曲げ、そこに存在するすべての物質をペシャンコに押し潰す、世界そのものの歪みであった。
二、 歪む空間と、耐え抜く不屈の盾
「……させ……させるものかァァァァァァァァァッッ!!!!」
その圧殺の地獄の中で、一人の女騎士が血を吐きながら立ち上がった。
エレナ・ルミナスである。
彼女の両腕の骨は、カルムの放った【魂の修復】の炎によって接合されたばかりであった。
肉体の損傷は癒えても、彼女の疲労は限界を超えている。だが、エレナは自らの腕が激痛に震えるのにも構わず、足元に落ちていた大盾の巨大な破片——先ほどの激闘で半ばからへし折れた『聖光の鉄板』を、力任せに拾い上げた。
「エレナさん! ダメだ、無理をしたら腕がまた……ッ!」
アルが重圧に耐えながら絶叫する。
「黙って見ていることなどできるかッ! 私は……私は不滅の盾だッ!!」
エレナの口から、大量の鮮血が解流(噴出)した。
彼女は折れた大盾を自身の胸の前に引き寄せ、全身の生命力を、いや、彼女の魂の残量そのものを力ずくでマナへと変換した。
「教国の騎士としてではなく……! 人間の希望を護るための盾として……! ここで倒れることなど、一光年先まで許されんッ!!【絶対不可侵領域・魂の楔】ッ!!」
ガキィィィィィィィィィィィィィィィンッ!!!!
エレナが半壊した大盾を大地へと突き立てた瞬間、彼女を中心に、眩いばかりの純白と黄金の光が円状に弾け飛んだ。
それは、過酷な重力異常の圧力を、彼女自身の肉体と魂で力ずくで食い止め、背後にいるアルやレジスタンスの兵士たち、そして避難民たちの頭上に【重力の無風地帯】を作り出すための、命がけの障壁であった。
「ぐぅっ……! ガハッ……! ぐあああああああッ!」
エレナの全身の皮膚から、血が噴き出す。
重力監獄の圧力が、彼女の展開した聖光の障壁に集中的に叩きつけられ、その反動が直接彼女の生身の身体を砕こうとする。
甲冑の関節部が悲鳴を上げ、彼女の足元の大地がドロドロに沈み込んでいく。
それでも、エレナは膝を折らなかった。
その背中は、どんな強大な神の理不尽の前であっても、決して折れることのない【人間の気高き壁】として、凛として立ち続けていた。
「すごい……エレナさんの光が……重力を押し押し返してる……!」
兵士たちが、涙を流しながらエレナの背中を見上げる。
「みんな! 立ち上がるんだッ!」
アルが、激痛に耐えながら、声の限り叫んだ。
「エレナさんが命を懸けて守ってくれてる! カルムが道を作ってくれた! 僕たちは、ここで潰されるために戦ってきたんじゃないッ! 自分の足で立ち上がるんだッ!」
アルの声に呼応するように、身体を丸めていたレジスタンスの戦士たちが、泥を噛み、血を吐きながらも、一人、また一人と立ち上がり始めた。
彼らは折れた槍を杖にし、互いの肩を抱き合い、重力の重圧に抗うようにして足を一歩前へ踏み出す。
「そうだ……! 俺たちは、もう逃げねぇ……!」
「使徒を一人倒したんだ! 俺たちの未来は、俺たちの手で掴むんだよォッ!」
人々の胸に灯った『反逆の火』。
それは、使徒エノクが計算した「恐怖による屈服」を完全に凌駕していた。
人間は、一度自由の味を知り、互いを信頼する温かさを知ったならば、二度と誰かの飼い犬には戻らない。
『……狂気だな。理解不能だ』
天門のエノクの声が、冷ややかに響く。
『肉体の限界を超えて立ち上がったところで、過充填された重力核の連鎖爆発は止まらない。……あと三十秒で、その空間の存在確率は完全にゼロとなる。無駄な足掻きだ』
「無駄かどうかは……俺が決めるんだよッ!」
カルムの全身から、爆絶的な真紅と緋色の炎が噴き上がった。
三、 魂の目と、真理の導き
重力監獄の中心で、不気味に脈動を増すバアルの残留重力核。
それは、使徒エノクの遠隔操作によって天門からの神聖マナを直挿し(直接注入)され、もはや物理的な質量弾ではなく、空間そのものを破砕する【概念のブラックホール】へと変貌を遂げようとしていた。
その直前に立つカルム。
彼の両手には、武神の孤島での地獄と、アルとの絆によって覚醒を果たした二振りの炎の太刀——【命刃・赤蓮】と【理刃・緋断】が握られている。
(……切るべきスジはどこだ……!?)
カルムの黄金の左目——【解体眼】が、超高速で重力核の内部構造を解析しようとする。
しかし、今回の相手は「物体」でも「生物」でもない。
天門からの遠隔干渉と、バアルの崩壊したマナ、そしてこの世界の空間そのものがグニャグニャに捻じ曲げられて作られた【無秩序な重力の渦】。
解体眼の透過視界に映るスジは、何万、何億という不規則な不協和音となって乱反射し、どこが「核の解体点」なのかを完全に見失わせようとしていた。
「チッ……! ぐにゃぐにゃ曲がってやがる……! これじゃ、どこに刃を滑り込ませればいいのか解らねぇ……!」
カルムの額から、血のような汗が流れる。
一ミクロンでも切り込みの角度を間違えれば、その瞬間に重力核は臨界点を超え、爆発の連鎖反応を引き起こす。
残された時間は、二十秒。
その時である。
「カルム! 僕の『眼』を使ってッ!」
アルが、倒れそうな身体を激しく震わせながら、カルムのすぐ隣へと駆け寄ってきたのだ。
「アル!? 来るな、ここは重力の渦だ! お前みたいな生身じゃ、立ってるだけで骨が砕けるぞ!」
「逃げるわけないだろッ! 僕たちは二人で一つなんだ!」
アルは、重力に押し潰されそうになる身体を、漆黒の魔狼オルタの巨体に預けながら、その黄金の左目——【真理の目】を、限界を超えてカッ……と見開いた。
アルの眼に映る世界。
それは、カルムの解体眼が見る「物理・概念の構造」とは異なる、もっと根源的な【万物の命の形】であった。
使徒エノクが天門から流し込んでいる神聖マナの直線。
バアルの肉体が崩落した際に生じた、重力マナの結び目。
そして、このアガルタの大地が本来持っていた、温かい龍脈の流動。
「見えた……! カルム、見えたよッ!」
アルの頭髪が、限界を超えたマナの消費によって、幾筋か真っ白に染まり始める。
それでも、アルの【真理の目】は、無秩序に混乱していた重力の渦の中から、たった一本の【最も太く、最も重要な因果の太線】を鮮明に浮き彫りにしてみせた。
「……天門から伸びてる黒いマナの糸と、バアルの重力核が交差してる『根元の結び目』! あそこだ! あそこに天門からのエネルギーが集約されて、重力を無理やり歪めてる!」
アルの指し示す視線。
そこは、重力核の表面ではなく、空間が最も激しく捻じ曲げられ、光すら届かない【歪みの絶対死角】であった。
「あそこに刃を入れられれば……重力の歪みそのものが『解けて』、ただの自然マナに戻る! でも……あの死角は、空間が折りたたまれてて、普通の斬撃じゃ絶対に届かない!」
普通なら、絶対に届かない場所。
空間が折りたたまれ、物理的な直線が存在しない領域。
だが、カルムの口元に浮かんできたのは、恐怖でも絶望でもない。
最高に凶暴で、どこまでも相棒を信頼しきった【修羅の八重歯】であった。
「……届かない? 冗談言えよ、アル」
カルムは、右手(命刃)と左手(理刃)を交差させ、己の全魂の熱量を双剣へ注ぎ込んだ。
「……お前の『眼』が道を示してくれたんだ。……届かない空間があるなら、その空間ごと【焼き切って】、真っ直ぐな道にしてやるまでのことだッ!」
四、 【双炎・赤蓮解躰】重力切断の儀
「オルタッ! 僕たちもカルムを支えるよ!」
『ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!』
進化した漆黒の魔狼オルタが、絶叫と共に全開の緋色マナを解放した。
オルタは自らの巨大な影を、カルムの足元へと広げる。
【影渡り】の極致。
空間が折りたたまれ、攻撃の届かない『歪みの絶対死角』。そこへ向けて、オルタは自らの影を「架け橋」として強引に接続し、カルムの攻撃のベクトルの邪魔になる空間の曲率を、物理的に押し広げたのだ。
「エレナさん! 頼むッ!」
「受け取れぇぇぇぇぇぇぇッ! カルム殿ォォォッ!!」
エレナが、血反吐を吐きながら大盾の破片を地面に叩きつけ、最後の聖光をカルムの背中へと集中させた。
エレナの【不滅の護り】が、カルムを全方位から襲いかかる異常重力の圧力から完全に切り離し、彼に『一瞬の無重力状態(完璧な踏み込み)』を作り出す。
アガルタの民の祈り。
エレナの不滅の盾。
オルタの影の架け橋。
そして、アルの絶対の真理の目。
地上のすべての人間の意志が、一つの束となり、修羅の少年カルムの双剣へと集約された。
「……ハァ……ッ……スゥ……ッ」
カルムは、深く息を吐き出した。
彼の周りから、音が消える。
重力の圧力も、天門の使徒の嘲笑も、己の肉体の悲鳴すらも、すべてが彼方へと吹き飛んでいく。
残されたのは、自分と、目の前にある『世界の歪み(重力核)』、そして隣に立つ相棒アルの息遣いだけ。
(……俺は、ずっと奪われてきた)
カルムの脳裏に、スラムの冷たい泥の中で倒れていた幼い頃の記憶が走る。
理由もわからず踏みつけられ、神の理不尽によって居場所を奪われ、腕を焼き切られ、地獄の底へと落とされた。
(……だが、今の俺には……最高の相棒がいる。護るべき居場所がある。……温かいスープを一緒に食う家族がいる!)
カルムの両腕の『赤蓮の紋様』が、かつてないほど高く、美しく、神聖なまでに黄金と真理の光を交錯させて輝き始める。
右手の【命刃・赤蓮】。
いかなる理不尽をも燃やし尽くす、絶対の火力。
左手の【理刃・緋断】。
いかなる因果の結び目をも解きほぐす、絶対の切断。
二つの二刀流の太刀が、胸の前で美しく交差する。
「……エノク。……てめぇらの作った『重力』なんて気取った理屈……」
カルムの左目(解体眼)と、アルの左目(真理の目)が、寸分の狂いもなく一つの『解体点』を射抜いた。
「……俺とアルの包丁で……綺麗に削ぎ落としてやるよッ!!!!」
五、 爆熱の双閃、重力の因果を焼却す
「……【我流極奥義】……ッ!!!!」
カルムの全身の筋繊維が、限界を超えて躍動する。
踏み込んだ右足が、重力監獄の異常圧力を力ずくで砕き割った。
オルタの広げた『影の道』を通り、エレナの授けた『不滅の無重力』を纏い、アルの指し示した『真理のスジ』へ向けて。
カルムの身体が、一瞬で空間の折り目を飛び越えた。
「……【双炎・赤蓮解躰・重力無帰(そうえん・せきれんかいたい・じゅうりょくむき)】ッ!!!!!!!!」
ズバァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!!!!!
世界が、白に染まった。
爆発ではない。
カルムが放った真紅と緋色の交差太刀が、天門から伸びていた黒いマナの糸と、バアルの重力核の『根元の結び目』を、空間の曲率ごと完全に切り裂いた瞬間。
物理法則としての『重力』という概念そのものが、その切断面から【熱量】へと直接変換され、焼き切れて蒸発し始めたのだ。
「な……ッ!? 重力が……重力が『燃えて』いるだと……!?」
天門の中枢で、使徒エノクが生まれて初めて、理性を取り乱した絶叫を上げた。
あり得ない。
重力とは、質量を持つ物質が空間を歪めることで生じる「幾何学的な現象」に過ぎない。エネルギーですらない抽象的な法則を、どうやって『刃で斬り』、どうやって『熱で焼き切る』というのか。
だが、カルムの放った【赤蓮の概念炎】は、武神の試練とアルの真理によって到達した、因果そのものを解体する絶対の炎。
「重力を発生させている法則のコード」を、直接概念刃で切り刻み、そのエネルギーをただの無害な光へと還元して散らしてしまったのだ!
バリバリバリバリバリバリバリバリッ!!!!
天門から伸ばされていた【空間干渉環】が、逆流してきた赤蓮の概念炎によって次々と内側から爆砕していく。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
重力核が、断末魔のような高周波を上げて歪み。
次の瞬間、カルムの放った十文字の極光によって、綺麗な四つの欠片へと解体され、爆発することなく、温かい光の粒となってアガルタの空へと散っていった。
シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………ッ。
重力監獄が、消えた。
地上数十キロを押し潰していた異常重力が、まるで初夏の夕立が上がった後のように、完璧に、綺麗さっぱりと消滅したのだ。
六、 散り行く神威、勝ち誇る地上の太陽
静寂。
アガルタの地上口を包み込んでいたのは、重苦しい圧力でも、死の恐怖でもなかった。
それは、カルムの炎が残していった、どこまでも優しく、暖炉の前にいるかのような【生命の温度】であった。
「……消えた……。重力が……元に戻った……?」
レジスタンスの兵士が、自身の両手を恐る恐る動かしてみる。
軽やかだった。
身体を押し潰していた万力は跡形もなく消え去り、空を覆っていた紫色の不気味な重力雲も、カルムの放った極光によって雲散霧消し、そこにはどこまでも透き通った青空と、温かな太陽の光が広がっていた。
「……勝った……。俺たち……本当に、勝ったんだ……!」
「使徒バアルを撃破し……神の重力すらも、焼き切ったぞォォォォォッ!!」
「「「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!!!!!!!」」」
爆発する凱歌。
アガルタの地下都市から、地上から、地鳴りのような歓声が湧き上がった。
人々は抱き合い、空に向かって拳を突き上げ、涙を流して自分たちの勝利を称え合った。
神の使徒バアル、完全討伐。
そして、使徒エノクが仕掛けた世界規模の重力兵器の全滅。
教国ルミナが誇った絶対的な支配は、いまや完全に打ち砕かれ、地上は人間たちの手によって取り戻されたのだ。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……」
戦場の中央で。
カルムは、両手の双剣をスゥッと消滅させ、生身の両腕に戻すと、その場に深く、深く息を吐きながら膝を突いた。
両腕の『赤蓮の紋様』が、限界を超えた出力を使い果たし、チリチリと心地よい余熱を上げて鎮まっていく。
「……カルム殿……!」
エレナが、折れた大盾を投げ捨て、血まみれの身体を支えながら駆け寄ってきた。
「……見事だ……! 正直、一瞬間、世界が終わると思った。……だが、君たちは……君とアル殿は、本当に重力という法則すらも解体してみせたのだな……!」
「……へっ。堅苦しい真似すんなよ、エレナ」
カルムは、膝を突きながらも、ニッと八重歯を覗かせて笑った。
「……お前が……命がけで『不滅の盾』になってくれたから……俺は余計なことを考えずに、目の前の重力だけに集中できたんだ。……感謝してんぜ」
「……カルム殿……」
エレナが、感無量といった様子で胸を押さえる。
そして。
「カルムッ!!!!」
アルが、全速力で走ってきた。
彼はカルムの身体へと勢いよく飛び込み、その胸板に顔を埋めて、おいおいと声を上げて泣き出した。
「よかった……! よかったよぉ、カルムッ! 爆発しなくて……みんな、無事で……ッ!」
「バカ言え。お前のナビゲートが完璧だったからだろ」
カルムは、生身の右手をアルの頭に乗せ、乱暴に、しかし最高に愛おしそうになで回した。
「……お前が『スジ』を示してくれたから、俺の刃は迷わずに重力を斬れたんだ。……やっぱり、お前は最高のシェフだよ」
「……ううん、カルムが最高の火力だからだよッ!」
二人は、泥と血に汚れた顔のまま、お互いを見つめ合い、弾けるような笑い声を上げた。
その傍らで、進化した漆黒の魔狼オルタが、巨体をすり寄せて「クゥ~ン」と嬉しそうに鼻を鳴らし、二人を大きな舌で舐め回していた。
アガルタの地に注ぐ、温かな太陽の光。
神の支配から完全に解き放たれた地上で、カルム、アル、エレナ、そしてオルタの四人は、完全なる勝利と、深き絆の温もりを噛み締めていた。
遥か空の彼方。
天門の中枢で、震えながら自分たちを見下ろしているであろう使徒エノクとメリエルへ向けて。
カルムは、アルの手を引いて立ち上がると、空へと向かって力強く右拳を突き上げた。
「……待ってろよ、エノク。……次は、お前らのいる『天門』を、まるごと三枚におろしてやるからよッ!」
その力強い誓いの声は、アガルタの民の歓声とともに、青空の彼方へと高く、高く響き渡っていった。




