第144話:圧倒的な一撃
一、 降臨する狂獣と、覚醒の双剣士
大気が焦げ、アガルタの地上口周辺の空間そのものが、圧倒的なマナの圧力によって悲鳴を上げていた。
天門の使徒エノクが放った世界規模の重力兵器『星喰いの楔』を、遥か成層圏からの一撃で全て解体し、地上へ帰還した特異点の少年カルム。
その神を凌駕する力と、数万の軍勢が一瞬で消滅した光景を天門から見下ろしていた使徒バアルは、自らのプライドと「神の法則」がコケにされた屈辱に耐えきれず、エノクの制止を強引に振り切って、単騎でアガルタの大地へと降下してきたのだ。
ズガァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
バアルの着地と同時に、黒曜石の大地が数十メートルにわたってすり鉢状に陥没し、クレーターが形成される。
全高三メートルを超える筋骨隆々の巨躯。その全身には、黄金の神聖装甲ではなく、激怒によって赤黒く変色し、沸騰するマグマのように脈打つ『破壊の闘気』が纏われていた。
『……ガァァァァッ! 舐めるな、舐めるなァァァッ! 下等生物のゴミムシがァァッ!』
バアルの咆哮は、物理的な衝撃波となって周囲の瓦礫を吹き飛ばす。
だが、その暴風の中心に立つカルムは、髪一本揺らすことなく、底知れぬ静寂を保っていた。
彼の姿は、以前の『赤蓮の紋様』を両腕に灯しただけの状態から、明らかな変貌——【覚醒】を遂げていた。
カルムの両手には、炎そのものが極限まで圧縮され、物理的な「刃」の形を成した【二振りの剣】が握られていたのだ。
右手には、己の魂の熱量を極限まで高め、すべての法則を焼き切る『真紅の命刃』。
左手には、相棒アルの祈りとアガルタの龍脈の力を編み込み、因果の結び目を解きほぐす『緋色の理刃』。
二つの異なる概念の炎を、完全に独立した二本の剣として顕現させた姿。
これこそが、武神の孤島での地獄の修行と、アルとの完全なる絆の同調によってカルムが到達した、真なる修羅の姿——【覚醒した双剣士】であった。
「……吠えるなよ、使徒。……うるせぇし、美しくねぇ」
カルムは、両手に握った真紅と緋色の双剣をだらりと下げたまま、不敵な笑みを浮かべてバアルを見据えた。
二、 双炎の理、完璧なる攻防一体
『……黙れェェェェェッ! 貴様のその生意気なツラを、俺の拳で原形も残らねェくらいにすり潰してやるッ!』
使徒バアルが、大地を蹴り砕きながらカルムへ向けて突進する。
その速度は音速を遥かに超え、周囲の大気が摩擦で発火し、プラズマの尾を引いていた。
『……【神威・爆砕撃】ッ!!!!』
バアルの右拳に、空間そのものを粉砕するほどの異常な重力と破壊のマナが収束される。触れれば最後、巨大な城壁であろうと一瞬で分子レベルまで分解される絶対破壊の拳。
「……カルム殿ッ! まともに受けるな!」
後方の瓦礫の陰から、エレナが血相を変えて叫ぶ。
いかにカルムが強大な炎を得たとはいえ、神の全力が込められた質量攻撃を正面から受ければ、生身の肉体などひとたまりもないはずだ。
だが、カルムは一歩も引かなかった。
彼は、迫り来るバアルの巨体へ向けて、静かに左手の【緋色の理刃】を差し出した。
「……下処理(スジ切り)だ」
ズバァァァァァァァンッ!!!!
バアルの極大の拳がカルムに直撃するコンマ数秒前。
カルムの左手の緋色の剣が、バアルの拳の周囲に纏われていた『破壊のマナ』の複雑な結び目を、ミクロン単位の精度で撫でるように切り裂いた。
瞬間、バアルの拳に込められていた異常な重力場が、風船が割れたかのようにプシュゥゥと音を立てて霧散する。
『……な、何ィ!? 俺の拳の威力が……消えただとォ!?』
バアルが驚愕に見開いた眼の前で。
「……そして、メインディッシュだ」
カルムは流れるような動作で身を沈め、威力を完全に削ぎ落とされたバアルの懐へと滑り込み、右手の【真紅の命刃】を、下から上へと逆袈裟に振り抜いた。
スパーーーーーーーーーーンッ!!!!
『……ガ、ハァァァァァァァァァッ!?』
神造金属よりも遥かに硬いはずのバアルの黄金の皮膚と筋肉が、まるで熱したナイフでバターを切るように、何の抵抗もなく深く切り裂かれた。
使徒の赤黒い血が噴水のように吹き出し、バアルの巨体がカルムの放った熱波と共に後方へ激しく吹き飛ばされる。
「……すごい……」
背後で見ていたアルが、真理の目を輝かせながら感嘆の声を漏らした。
「……左の剣で敵の法則(防御力や攻撃力)の糸を解きほぐして無力化し……右の剣で、無防備になった急所へ絶対の火力を叩き込む……。……完璧な【調理】だ!」
力任せの暴力同士のぶつかり合いではない。
それは、敵の持つ莫大なエネルギーを己の技術で手玉に取り、最も無駄のない動きで解体していく、至高の料理人の手捌きそのものであった。
三、 焦燥の神、覆る世界の領域
ズズズズズズズズズズッ……!
後方へ吹き飛ばされたバアルは、大地に深い溝を刻みながら強引に体勢を立て直した。
彼の胸から腹にかけて刻まれた深い斬り傷からは、使徒の命の源である神聖マナが白煙を上げて漏れ出している。
『……バ、バカな……! この俺が……! 神の使徒たるこの俺の肉体が、ただの人間のガキの刃で斬られただと!?』
バアルは、自らの傷口を震える手で押さえ、信じられないものを見るようにカルムを睨みつけた。
使徒の肉体は「絶対に傷つかない」という不滅の法則によって守られているはずだった。
だが、カルムの双剣は、その法則という名の「殻」を左手で綺麗に剥き出しにし、右手で確実に中身(命)を削り取っている。
『……認めん! こんなデタラメな力が、神の箱庭に存在していいはずがねェッ!』
バアルが狂乱し、全身から赤黒いマナを間欠泉のように噴出させる。
彼は両手を地面に叩きつけ、アガルタの大地を無理やり隆起させ、数百トンにおよぶ巨大な岩盤を無数に空中に浮かび上がらせた。
『……潰れろ! ゴミムシどもがァァァァッ!』
空に浮かんだ無数の巨大岩盤が、流星群のようにカルムたちへ向けて一斉に降り注ぐ。
物理的な質量と、神聖マナによる追尾機能が付与された絶望の礫。
だが、カルムの黄金の左目は、一切の動揺を見せなかった。
「……アル」
カルムは背中越しに、短く相棒の名を呼ぶ。
「……右から三番目の岩、マナの結合が甘い! 左から二番目、奥に隠れてる岩が本命の質量を持ってる!」
アルが、【真理の目】で視た空間の情報を、瞬時にカルムへ伝達する。
「……応よ!」
カルムは地を蹴り、無数に降り注ぐ岩盤の雨の中へと自ら飛び込んでいった。
彼の動きは、重力や慣性を完全に無視しているかのように軽やかで、不可解なほど滑らかだった。
アルの指示通り、マナの結合が甘い岩を緋色の剣で軽く叩いて自壊させ、本命の質量を持つ岩に対しては、真紅の剣を正確に突き立てて内部から爆破する。
巨大な質量がカルムに触れる直前で次々と粉砕され、安全な小石となって降り注いでいく。
『……な、なぜだ!? なぜ俺の攻撃が、まるですべて見透かされているように……!』
バアルの顔に、初めて【明らかな焦燥】と、理解不能な事象に対する【恐怖】が浮かび上がった。
神が人間に追い詰められている。
数千年の間、絶対的な暴力で世界を支配してきた者が、己の信じてきた力が全く通用しない現実に直面し、心がへし折られようとしていた。
四、 魂のナビゲート、重なる料理人の眼
「……おいおい、どうした使徒様。もう手詰まりか?」
カルムは、降り注ぐ岩盤の雨を完全に解体し終え、涼しい顔でバアルの眼前に着地した。
双剣から立ち上る炎は、激しい戦闘の後だというのに、全く乱れることなく静かに燃え続けている。
「……お前の力は、デカいだけで雑すぎるんだよ」
カルムが、蔑むような冷たい視線をバアルへ向ける。
「……力任せにマナを固めて、力任せに叩きつけるだけ。……俺たちにとっちゃ、そんなのはただの『筋張った硬い肉』だ。……どこに骨があって、どこにスジが通ってるか見極めりゃ、どんなにデカい塊でも簡単に切り分けられる」
「……カルム! バアルの右膝の関節、回復マナの巡りが遅れてる!」
後方から、アルの的確な指示が飛ぶ。
「……オラァッ!」
カルムの体がブレた。
『縮地』。
武神の孤島で会得した、空間をスキップするような神速の歩法。
次の瞬間、カルムはバアルの死角である右膝の側面へ潜り込み、緋色の剣で関節のマナの繋がりを断ち切った。
『……ガァッ!?』
マナの供給を絶たれたバアルの右膝が、自らの巨体を支えきれずにガクンと崩れる。
神の巨体が、人間の少年の前に膝を突いた。
「……ウオォォォォォォォォッ!!」
「あのバケモノが……膝を突いたぞ!」
「行けぇぇぇぇッ! カルムゥゥゥゥッ!!」
後方のアガルタの結界内で見守っていた数万の民衆たちから、地鳴りのような歓声が沸き起こった。
それは、恐怖による悲鳴ではない。
自分たちと同じ人間であるカルムとアルが、神の理不尽を完璧に圧倒している光景を目の当たりにし、魂の底から湧き上がる希望と熱狂の凱歌であった。
『……おのれェェェェェェェェッ!!!!』
バアルは、膝を突いた屈辱に顔を真っ赤に染め上げ、狂ったように両腕を振り回した。
しかし、アルの【真理の目】による完璧なナビゲートを受けたカルムの動きは、バアルの暴力の軌道を全て数手先まで読み切っていた。
「……大振りすぎるぜ」
スパンッ!
バアルの右腕の装甲が切り裂かれる。
「……遅ぇよ」
ズバッ!
バアルの左肩から鮮血が噴き出す。
右手の真紅の炎と、左手の緋色の炎。
二つの剣が織りなす斬撃の嵐は、バアルの巨体を文字通り「三枚におろす」かのように、確実に、そして残酷なまでにその肉体とマナの法則を削り取っていった。
五、 極大の絶望、グラビティ・コラプス
『……ふざけるな……! ふざけるなァァァァァァァァッ!!!!』
全身を何十箇所も切り裂かれ、神の威厳など微塵もなくなったバアルが、血反吐を吐きながら狂乱の絶叫を上げた。
彼の中に残されたのは、己の敗北を認めたくないという醜い執着と、この生意気な人間どもをアガルタごと消し飛ばしてしまいたいという純粋な破壊衝動のみ。
『……こうなれば、貴様ら全員、この空間ごと圧縮して塵にしてやるッ! エノクの結界だろうが知ったことかァァァッ!』
バアルが、残された全生命力と神聖マナを、自らの頭上へと一気に収束させ始めた。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォォ…………ッ!!!!
世界から光が吸い込まれ、バアルの頭上に、直径数十メートルにも及ぶ【漆黒の球体】が出現した。
それは、重力そのものを極限まで圧縮し、周囲の空間ごとすべてを吸い込んで崩壊させる、使徒バアルの最大にして最悪の奥義——『重力崩壊球』。
バリバリバリバリッ!
アガルタの大地がメクレ上がり、無数の瓦礫が漆黒の球体へと吸い込まれ、一瞬で塵となって消滅していく。
球体から放たれる引力は、アガルタの青き結界すらも歪ませ、内部の人間たちを空へ引きずり上げようとしていた。
「……くっ! なんだこの引力は……!」
エレナが大盾の破片を地面に突き立てて必死に耐える。
「……カルム殿! 奴は自爆に近い形で、周囲の空間をブラックホールのように消し飛ばす気だ! 早く逃げろッ!」
だが、カルムは逃げなかった。
この極大の重力球から逃げれば、背後のアルやアガルタの民たちが吸い込まれて全滅してしまう。
そして何より、今のカルムにとって、この程度の「力任せのエネルギーの塊」など、最高の調理の対象でしかなかった。
「……逃げる? 誰が」
カルムは、凄まじい引力の暴風が吹き荒れる中、大地に両足を深く突き立て、真っ直ぐにバアルの重力崩壊球を見据えた。
「……お前のそのデッケェ肉団子、中まで火が通ってねぇから……俺が真っ二つに割って、最高の焼き加減にしてやるよ」
カルムは、両手に握った【真紅の命刃】と【緋色の理刃】を、自らの胸の前でゆっくりと交差させた。
六、 空間を割る双閃、崩れ落ちる神話
『……死ねェェェェェェェェェェェェェッ!!!! 【グラビティ・コラプス】ッ!!!!』
バアルの絶叫と共に、空間そのものを削り取る漆黒の重力球が、アガルタを完全に消滅させるべく、カルムへ向けて放たれた。
光すらも飲み込む絶対の絶望。
だが。
交差したカルムの双剣から、それを遥かに凌駕する【極限の生命の輝き】が爆発した。
「……アル」
カルムの声が、魂の奥底で響く。
(……見えてるよ、カルム! あの黒い球体のド真ん中……一番引力が強くて、一番脆い『核』が!)
アルの声が、カルムの双剣に最後の「真理の角度」を付与する。
「……よし。……全部まとめて、解体いてやるッ!!」
カルムの全身の筋肉が爆発的に躍動し。
交差させた真紅と緋色の双剣を、迫り来る漆黒の重力球へ向けて、全力で振り抜いた。
「……【我流極奥義・双炎・赤蓮解躰】ッ!!!!!!!!」
ズバァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!
時間が停止したかのような錯覚。
カルムの放った極大の十字の斬撃が、漆黒の重力球のド真ん中——アルが見極めた『核』へと寸分の狂いもなく直撃した。
パキィィィィンッ!
絶対破壊の重力球が、カルムの『解体の理』と『絶対の火力』が融合した圧倒的な一撃の前に、まるで薄いガラス玉のように真っ二つに叩き割られたのだ。
内部で圧縮されていた重力エネルギーが臨界を失い、無害な光の粒子となって虚空へと弾け飛ぶ。
そして。
真っ二つに割れた重力球の間をすり抜けた十字の斬撃は、そのまま威力を減衰させることなく、背後で狂乱していた使徒バアルの巨体へと真っ直ぐに突き刺さった。
スパーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーンッ!!!!
『……ア…………、エ…………?』
バアルの巨体が、空中で完全に硬直した。
その黄金の装甲と、赤黒い筋肉に。
首から腹にかけて、そして両肩を横断するように、深く、深く、決定的な【十字の真紅の亀裂】が刻み込まれていた。
「……圧倒的な火力で、圧倒的な理を突く。……これが、俺とアルの『圧倒的な一撃』だ」
カルムは、双剣の炎をスゥッと静めながら、バアルに背を向けた。
ドガァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
次の瞬間。
バアルの巨体が、内側から噴き出す赤蓮の炎によって十文字に弾け飛び、神の威厳も、絶対的な破壊の法則も、全てが灰となってアガルタの大地へと崩れ落ちていった。
完全なる決着。
神が人間に敗北するという、歴史を覆す圧倒的な一撃が、アガルタの空に真紅と緋色の極光をどこまでも高く打ち上げたのだった。




