第139話:迫り来る使徒の追撃
一、 天門の静寂と、冷徹なる処刑宣告
地上から遥か彼方、星の成層圏に浮かぶ巨大な神の浮遊城『天門』。
その白亜と黄金で彩られた中心部、世界を管理する中枢システムルームにおいて、三人の使徒たちは眼下の地表で起きている現象を冷徹な視線で見下ろしていた。
巨大な水晶盤に映し出されているのは、教国ルミナの大陸各地で散発的に起こっている人間の蜂起。そして何より、彼らが「最も危険なバグ」と認定した特異点カルムがいる、青き結界に守られた地下都市アガルタの光景であった。
『……忌々しい。あの下等生物の放った炎が、アガルタの地下にある龍脈と直結し、我々の管理システムのアクセスを完全に弾き返しているわ』
使徒メリエルが、水晶盤に映る青き結界を睨みつけ、美しい顔を苛立ちに歪めた。
『このまま放置すれば、あの青き結界は世界中へ反逆の波を広げる。……システムの一部をパージしてまでこの天門へ退避したというのに、これでは本末転倒よ』
『ガハハハッ! だから俺が直接行って、結界ごとあのガキを粉々に叩き潰してやるって言ってんだろうが!』
使徒バアルが、カルムの刃によって両断された右腕の装甲を忌々しげにさすりながら、凶暴に吠える。彼の肉体は使徒の不死性によってすでに修復されていたが、カルムの放った【概念の解体】の恐怖と屈辱は、その魂に深く刻み込まれていた。
『……騒ぐな、バアル。メリエル』
中枢システムのメイン・コンソールを操作していた使徒エノクが、無機質な声音で二人を制した。
エノクの眼鏡の奥で、無数の光の文字列が超高速で処理されていく。
『特異点カルムの「理を解体する刃」は、確かに我々の法則にとって天敵だ。だが、彼の能力はあくまで対象の「結節点」を見極め、一点に火力を集中させて切断するという物理的・概念的な技術。……ならば、彼が解体しきれないほどの【絶対的な質量と面】で押し潰せばいい』
エノクは、水晶盤の映像を教国の大陸全体へとズームアウトさせた。
『……彼がアガルタの結界を修復し、人々を鼓舞したことで、地上全域でレジスタンスが蜂起している。ならば、その全てを同時に、この星の重力そのものを使って押し潰す。彼がどこを解体しようと、世界そのものが崩落するなら意味を成さない』
『ほう……。世界全体へ「制裁」を下すと?』
メリエルの瞳が冷酷な光を帯びる。
『あぁ。これより、天門の最下層から【星喰いの楔】を地上全域へ向けて無数に射出する。これは対象の座標の重力を局地的に百倍、二百倍へと書き換える絶対抑圧兵器。……さらに、アガルタには特別に、教国に保管されていた上位神造兵器の大軍勢を投下する』
エノクの指先が、最終のルーン文字を叩き込んだ。
『彼がアガルタを守ろうと留まれば、他の全ての反抗拠点は重力に潰されて消滅する。逆に彼が他を救おうと動けば、アガルタは我々の大軍勢に飲み込まれる。……さあ、エラー個体よ。どう足掻くか見せてもらおう』
二、 空を覆う絶望、降り注ぐ神の楔
アガルタの地上口。
カルムの放った『生命の火』とアルの温かいスープによって活気を取り戻し、復興作業が順調に進んでいた矢先。
世界は再び、圧倒的な絶望の影に覆われた。
「……な、なんだあれは……!」
「空が……空が落ちてくるッ!」
瓦礫を運んでいたレジスタンスの若者が、手にしていたシャベルを取り落とし、震える指で天空を指差した。
透き通っていた青空が、突如として黒紫色の次元の亀裂によって覆い尽くされた。
そして、その亀裂の向こう側から、まるで巨大な槍のような、漆黒の金属で構成された長さ数百メートルの【星喰いの楔】が、隕石の雨のように地上へと降り注ぎ始めたのだ。
ズズズズズズズズズズッ!!!!
その楔は、地上に激突して爆発するのではない。
地上から数百メートルの空中でピタリと静止すると、その先端から不気味な紫色の波紋を放射し始めた。
バキィィィィンッ! メキメキメキッ!
波紋が及んだ空間の重力が、局地的に数十倍、数百倍へと異常増加する。
アガルタの周辺だけではない。カルムたちの視界の遥か彼方、地平線の向こうのレジスタンスの拠点や都市の跡地にまで、無数の楔が突き刺さり、その重力場で大地をすり鉢状に陥没させていた。
「……ぐぁっ……! 体が……重い……!」
「立てない……っ! 結界の中なのに……!」
アガルタの青き結界は、物理的な攻撃やマナの侵入は弾くことができる。
しかし、空間そのものの『重力の曲率』を書き換えるという楔の異常な干渉は、結界をすり抜けて内部の人々にダイレクトに襲いかかっていた。
「……アル殿! 大丈夫か!」
エレナが、大盾を地面に突き立て、その陰で崩れ落ちそうになっていたアルの身体を必死に支えた。
「……う、うん……。体が鉛みたいで……息が……っ」
アルは、進化したオルタの巨大な前足に寄りかかりながら、必死に顔を上げた。
「……チッ。天門のクソ使徒ども、なんて陰湿なマネしやがる」
その凄まじい重力異常の中で、ただ一人、全く意に介することなく平然と立っている者がいた。
カルムである。
武神の孤島で、三十倍、百倍という異常重力の中で死闘を繰り広げ、肉体と魂を極限まで鍛え上げた彼にとって、この程度の重力場など、そよ風が吹いた程度にしか感じられなかった。
カルムの左目——黄金の『解体眼』が、空を覆う無数の漆黒の楔と、その奥から次々と転送されてくる【大軍勢の気配】を睨み据えていた。
三、 迫る大軍勢と、修羅の決断
「……カルム……! あの空の黒い槍……!」
アルが、呼吸を乱しながら上空を指差す。
「……あぁ。あれはただの兵器じゃねぇ。空間そのものの重力を書き換える『楔』だ。……アガルタの上だけじゃない。俺の目には、遠く離れた別のレジスタンスの隠れ里や、スラムの連中がいる場所にも、あの楔が落ちていってるのが視える」
カルムの言葉に、周囲の兵士たちが絶望の声を漏らした。
せっかく蜂起し、復興の火を灯し始めた地上の仲間たちが、あの重力の楔によって一方的にすり潰されようとしているのだ。
さらに、カルムの眼光が鋭さを増す。
「……それだけじゃねぇ。あの楔を合図にして、天門からとんでもねぇ数の『上位神造兵器』がアガルタに向かって降下してきやがる」
カルムの解体眼が捉えたのは、かつての『裁きの獅子』や『狂乱天使』などとは比べ物にならない、完全武装された上位の天使軍団や、都市を丸ごと蒸発させるほどのマナを秘めた戦略級の魔導兵器群。
その数は数千、いや数万に及ぶかもしれない。
使徒たちは、カルムというバグを完全に排除するために、教国の全戦力をこのアガルタの防衛線へ向けて一点集中させてきたのだ。
「……どうするんだ、カルム殿。……アガルタの結界があるとはいえ、あの重力異常の中で数万の軍勢に押し込まれれば、内部の民の体力が先に限界を迎える。……かといって、地上全域の楔を放置すれば、世界中で蜂起した仲間たちが全滅してしまう!」
エレナが、歯を食いしばりながら戦況の絶望さを口にする。
アガルタを守れば、世界が死ぬ。
世界を救おうと動けば、アガルタが落ちる。
使徒エノクの仕掛けた、冷酷無比な二者択一の罠。
だが。
「……二択? 冗談じゃねぇ」
カルムは、生身の両腕に刻まれた『赤蓮の紋様』を真紅と緋色に発光させながら、不敵に笑った。
「……俺はどっちも諦めねぇ。……アガルタも護るし、地上の連中も全員救う。……全部の理不尽をぶっ壊して、神様どもを絶望させるって決めたんだよ」
カルムは、アルとエレナ、そしてオルタに向き直った。
「……アル、エレナ。それにオルタ。……悪いが、このアガルタの防衛線……お前らに少しの間だけ、任せてもいいか?」
「……カルム?」
アルが目を丸くする。
「……俺の『赤蓮の炎』は、物理的な攻撃だけじゃなく、あの重力の楔の『法則』そのものを焼き切ることができる。……だが、地上全域に散らばった楔を全部解体して回るには、俺がここを離れて、空を飛び回らなきゃならねぇ」
カルムは、空に浮かぶ巨大な重力楔を見上げた。
「……世界中の楔を全部ぶっ壊して、反撃の足場を作る。……その間、天門から押し寄せてくる大軍勢から、このアガルタの入り口を……お前たちで死守してほしい」
四、 託された盾と、最高の相棒
カルムの提案は、あまりにも過酷なものであった。
カルムという『絶対の火力』を欠いた状態で、エレナ、アル、そして地上の民たちだけで、数万におよぶ上位神造兵器の軍勢と、重力異常の負荷に耐え抜けというのだ。
普通の人間であれば、絶望して首を振るだろう。
だが、エレナ・ルミナスの瞳には、一片の迷いも生じなかった。
彼女は第138話で、己の過去の呪縛と迷いを完全に断ち切り、「君たちの拓く未来を護るための、人間の盾になる」と誓ったばかりなのだから。
「……フッ。……愚問だな、カルム殿」
エレナは、ひび割れた大盾を地に叩きつけ、気高く胸を張った。
「……私を誰だと思っている。かつて教国最強と謳われた聖騎士団長であり、今は君たちの背中を護る『不滅の盾』だ。……君が世界を救うためにこの場を離れるというのなら、何万の軍勢が来ようとも、この防衛線は一歩たりとも抜かせはしない!」
エレナの全身から、重力異常の負荷を弾き飛ばすほどの、黄金色の生命の光が激しく立ち上る。
「……エレナ……。サンキューな」
カルムが、短く感謝を告げる。
そして、カルムはアルの前にしゃがみ込み、その両肩をしっかりと掴んだ。
「……アル。お前の『真理の目』と、オルタの『影渡り』があれば、どんな大軍勢の攻撃だろうと、必ず隙を見つけて凌げるはずだ。……重力で体が重くても、お前がアガルタの連中を導いてやってくれ」
「……うんッ! わかってる!」
アルは、重力に押し潰されそうになる身体を必死に奮い立たせ、黒鉄の包丁を強く握りしめた。
「……カルムこそ、気をつけてね。世界中の楔を全部壊すなんて……マナがないカルムには、すごい負担になるはずだから」
「……へっ、バカ言え。お前の作った『アガルタ復興スープ』のおかげで、俺の腹の中には極上のエネルギーが満ち溢れてる。……ガス欠なんざ、絶対に起こさねぇよ」
カルムは、立ち上がると同時に、傍らに控えていた漆黒の魔狼・オルタの頭をポンと叩いた。
『……ガルッ』
オルタは、任せておけと言わんばかりに、喉の奥で炎を燻らせて力強く吠えた。
「……じゃあ、ちょっと行ってくる。……俺が帰ってくるまで、絶対に死ぬなよッ!」
カルムの背中から、真紅と緋色が交じり合う巨大な【赤蓮の翼】が爆発的に展開された。
五、 飛び立つ流星と、防衛線の幕開け
ドガァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
カルムの身体が、凄まじい爆発音と共に大地を蹴り、アガルタの青き結界を突き抜けて、紫色の暗雲が渦巻く空へと一条の極光となって打ち上げられた。
『……目標、特異点カルム。アガルタの防衛線を離脱し、上空へ飛翔』
天門から降下してきていた上位神造兵器の軍団が、空へ向かうカルムの姿を捉えた。
『……追撃は不要。特異点個体は重力楔の解体に向かうと推測。……我々の任務は、護りを失ったアガルタの殲滅である。全軍、地下都市の入り口へ向けて降下を開始せよ』
無感情な機械音声が空に響き渡る。
カルムという最大の脅威が去った今、使徒の軍勢にとって、眼下のアガルタの結界など、数と火力で強引に押し潰せる薄い卵の殻に過ぎなかった。
ズズズズズズズズズズッ!!!!
空を覆い尽くすほどの数万の光の点が、一斉にアガルタの防衛線へ向けて急降下を開始する。
それは、まるで天空そのものが崩れ落ちてくるかのような、圧倒的な絶望の光景。
さらに、頭上の重力楔から放たれる紫色の波紋が、防衛線に立つエレナやアルたちの身体に、数十倍の重力負荷を容赦なく叩きつけていた。
「……みんな! 膝を折るな! カルム殿が必ず世界を救って帰ってくる! それまで、意地でもこの入り口を死守するのだッ!」
エレナが、大盾を頭上に掲げ、アガルタの民たちへ向けて絶叫した。
「「「オオオオオオオオオオオオオオッ!!!!」」」
復興のために手にしていたシャベルやピッケルを、再び武器として握り直したレジスタンスや市民たちが、エレナの背後に集結する。
彼らの動きは重力異常によってひどく鈍く、苦しげだ。
だが、その瞳に宿る闘志の炎は、使徒の絶望的な大軍勢を前にしても、決して消えることはなかった。
六、 激突する最前線、託された想い
「……来るぞッ!!」
エレナが叫ぶ。
『……異端者……殲滅……』
先陣を切って降下してきた数百体の上位天使たちが、無慈悲な光の長槍を構え、アガルタの結界へ向けて一斉に突撃を仕掛けてきた。
ガキィィィィィィィィィィンッ!!!!
最前線で待ち構えていたエレナの大盾が、数十本の光の槍を強引に弾き返す。
重力異常の中で放つバッシュは、エレナ自身の筋肉と骨に激しいダメージを強いるが、彼女の顔には一歩も引かない決死の覚悟が張り付いている。
「……アル殿! 敵の連携の隙間を頼む!」
「……うんッ! オルタ、行くよ!」
アルが、重い身体を引きずりながら、黄金の真理の目を極限まで見開いた。
「……右から三番目の天使の群れ、槍の構えにマナの偏りがある! オルタ、そこを突いて!」
シュンッ!!
アルの指示と同時に、漆黒の魔狼オルタが影の中へと沈み込む。
そして、マナの偏りを起こしていた上位天使の背後の影から唐突に飛び出し、灼熱の炎牙で敵の首筋を噛み砕いた。
『影渡り』による神出鬼没の奇襲。アルの目とオルタの機動力が、使徒の軍勢の完璧な陣形に次々と小さな綻び(スジ)を生み出していく。
「……今だ! 崩れたところへ撃ち込めッ!」
レジスタンスの兵士たちが、オルタの作った隙へ向けて、ありったけの魔導弾や瓦礫を投げつけ、強引に敵を撃墜していく。
カルムが不在という絶望的な状況。
数十倍の重力負荷。
数万におよぶ使徒の追撃大軍勢。
誰がどう見ても、陥落は時間の問題である、圧倒的不利な防衛戦。
だが、アガルタの最前線で抗うアル、エレナ、オルタ、そして地上の民たちは、泥に塗れ、血を流し、息を荒げながらも、決してその歩みを止めようとはしなかった。
空の彼方、世界を救うために飛び立った『深紅の流星』が、必ず自分の使命を果たし、この場所へ帰ってくると信じているから。
彼らの背中を支えているのは、物理的な力ではない。相棒と交わした、絶対に揺るがない【信頼の絆】であった。
激突音と怒号が飛び交い、空から無数の光の刃が降り注ぐ中。
アガルタの入り口を巡る、最も過酷で、最も気高い防衛戦の幕が、いよいよ切って落とされた。




