第135話:立ち上がるアルと仲間たち
一、 少年の背中と、響き合う心
「……みんな! 諦めちゃダメだ!」
アガルタの地上口。
暴走するマナの雷雲と、赤黒い瘴気が吹き荒れる中、全身を土気色に汚した少年料理人アルの声が、激しい戦場のノイズを切り裂いて響き渡った。
彼の足元には、三十メートルを超える神造魔獣『裁きの獅子』の一体が、アルが包丁で突いた【マナの鬱滞】からの逆流によって自壊し、地響きと共に横たわっている。
そしてアルの背後には、大盾を砕かれ、満身創痍となって倒れ伏す女騎士エレナの姿があった。
「……神様がいなくなっても……僕たちには、自分の足がある! 自分の手がある!」
アルの握る黒鉄の包丁は、神造金属に無理やり打ち込んだ代償で、刃こぼれし、柄もヒビ割れていた。彼自身のマナを持たない生身の腕も、限界を超えた衝撃の反動でカタカタと小刻みに震えている。
だが、アルは一歩も引かなかった。
彼の漆黒の瞳の奥で輝く黄金の【真理の目】は、残る二体の裁きの獅子と、背後から迫り来る無数の狂乱天使たちの『理』を、決して見失うまいと必死に凝視し続けていた。
「……冷えた体なら、僕が温かいスープで温めてあげる! 倒れそうなら、僕たちが背中を支えてあげる!」
その小さな、しかし圧倒的な『生命の温度』を持った叫び。
地下から逃げ出してきた数万の避難民たちと、武器のエネルギーが尽きて絶望の淵に立たされていたレジスタンスの兵士たちは、そのアルの背中を見て、激しい衝撃を受けていた。
『……神様が助けてくれないなら……俺たち自身で、この子たちを守るんだよォッ!』
先陣を切って飛び出したのは、地下の作業場で魔導機関の整備をしていた数人の若い男たちだった。彼らは正規の兵士ではない。手には鈍く光る巨大なレンチや、採掘用のピッケルが握られている。
「……うおおおおおッ!!」
彼らがアルの隣に駆け寄り、迫り来る一体の狂乱天使へ向かって、レンチを力の限り振り下ろした。
ガギィンッ!
狂乱天使の装甲には傷一つつかない。逆にその反発力で、男たちは手を弾かれ、尻餅をついてしまう。
「……チクショウッ! 固ぇ……!」
狂乱天使が無慈悲な光の剣を振り上げ、男たちを両断しようとした、その刹那。
「……そこッ! 左の関節の隙間!」
アルが叫びながら、地を蹴った。
彼は男たちと狂乱天使の間に割り込み、下から突き上げるようにしてボロボロの包丁を振るう。
刃は装甲を斬るのではない。アルの【真理の目】が見極めた、狂乱天使の駆動マナが一時的に途切れる『関節の死角』へと、包丁の峰を正確に叩き込んだのだ。
キンッ!
「……エラー……」
駆動系の同期を狂わされた狂乱天使の動きが一瞬だけ硬直する。
「……今だッ! みんなで一斉にッ!」
アルの指示に呼応し、尻餅をついていた男たちが立ち上がり、狂乱天使の足元へとピッケルを叩き込む。
「せぇぇぇのッ!」
テコの原理で、狂乱天使のバランスを完全に崩し、仰向けに転倒させた。
「……よしッ! 倒したぞ!」
「俺たちでも……やれる……!」
男たちの歓喜の声が上がる。
それは、力任せの魔法でも、神に祈る奇跡でもない。
人間の知恵と、技術(解体の理)と、互いを信じる力が噛み合った瞬間に生まれた、確かな『勝利』であった。
二、 立ち上がる無数の命
その小さな勝利の光景は、パニックに陥っていた人々の心に、伝染病のように【勇気】を広げていった。
「……おい、俺たちも行くぞ!」
「あの子だけに戦わせて、大人が隠れてるなんて恥だ!」
レジスタンスの残存兵たちが、落ちていた瓦礫や鉄パイプを拾い上げ、次々と最前線へと駆け出してくる。
さらには、避難民の女性たちまでもが、周囲に散乱していた布や木材を集め、即席の包帯と松葉杖を作り、負傷した兵士たちを背後から支え始めた。
「……アル君ッ! 傷の手当ては私たちがやる! だから、前を見て!」
「僕たちの目はアル君の目ほど良くないけど、アル君が指差した場所なら、何百人でだって叩き割ってやるッ!」
数千、数万という人間の壁が、アルとエレナを背後から庇うようにして、アガルタの地上口に展開された。
彼らはもはや、使徒の理不尽に怯え、神の救いを待つだけの弱い羊ではない。
自分たちの命と居場所を、自分たちの手で掴み取ろうとする【真の人間】として、覚醒を果たしたのだ。
「……フッ。……なんてことだ」
片膝を突き、血を流していたエレナが、その光景を見て美しくも儚い笑みをこぼした。
「……私が彼らを護らねばと……そう思っていたが。……いつの間にか、私たちの方が、この名もなき無数の命に……背中を支えられているとはな」
エレナは、砕けかけた大盾を強く握り直し、力を振り絞って立ち上がった。
「……エレナさん! 無理しないで!」
アルが心配そうに振り返る。
「……心配無用だ、アル殿。私の盾は砕けても、私の魂(騎士の誇り)までは砕けはしない」
エレナの全身から、これまでとは全く質の異なる、黄金色の温かい聖光が立ち上り始めた。
それは、使徒から与えられた『教国のマナ』ではない。
彼女自身の命の熱と、背後に立つ数万の人々から送られる【信頼と祈り】が融合して生み出された、真なる『守護の光』。
「……アガルタの民よ! アル殿の目に狂いはない! 彼の示す『敵の理』へ向かって、我らの全力を叩き込むのだッ!」
エレナの号令と共に、アガルタの民の反撃が、巨大なうねりとなって暴走する神の軍勢へと押し寄せていった。
三、 地下深淵の調律者
一方、その頃。
アガルタの地下数千メートル、巨大な魔力炉の間。
ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ! ドクンッ!
リアクターの核である巨大な水晶球は、地上から流れ込む暴走マナの奔流によって、今にも臨界点を超えて爆発しそうなほどに激しく脈打ち、赤黒い光を放っていた。
炉の温度は数千度に達し、制御盤の前にいた老技師たちは、熱気に耐えきれずに後方へと避難している。
その灼熱の地獄のド真ん中で。
カルムは、生身の両腕を脈打つ水晶球へ押し当て、全身から滝のような汗と血を流しながら、己の【我流極奥義・赤蓮解躰】を炉の内部へと流し込み続けていた。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……! ……クソが……ッ! どんだけ溜め込んでやがんだ、このクソ炉は……!」
カルムの左目(解体眼)には、リアクターの内部で渦巻く、何億トンという暴走マナの『スジ』が見えていた。
それは、巨大なスパゲッティの塊のように複雑に絡み合い、互いに摩擦を起こして熱(爆発エネルギー)を生み出している。
力任せに炎をぶつければ、リアクターごとアガルタは吹き飛ぶ。
カルムは、自分の真紅と緋色の炎を『極薄の概念刃』へと変え、その絡み合ったマナの結び目一つ一つへ、ミクロン単位の精度で滑り込ませては切り離し、暴走の熱を外部へと逃がすという、極限の【解体作業(調律)】を行っていたのだ。
(……アル……。エレナ……。地上の連中……)
カルムの耳には、地上の戦闘音は聞こえない。
だが、彼の魂には、地上で絶望に抗い、立ち上がったアルたちの『命の温度(祈り)』が、確かな鼓動となって伝わってきていた。
(……俺は……俺の火は……もう、誰も傷つけねぇ。……護るために……理不尽をぶっ壊すために、俺は地獄から這い上がってきたんだッ!)
カルムは、両腕の赤蓮の紋様に、己の命の残量を度外視した極限の熱を注ぎ込んだ。
「……オォォォォォォォォォォォォッ!!!!」
カルムの絶叫と共に、リアクター内部へ注ぎ込まれる赤蓮の概念刃が、爆発的な増殖を遂げる。
一本の刃が、十本、百本、千本へと枝分かれし、リアクター内部の複雑怪奇なマナの鬱滞を、一瞬にして完璧に【解きほぐした】。
シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………ッ。
その瞬間。
赤黒く脈打っていたリアクターの水晶球が、ピタリとその暴走を停止させた。
そして、過剰なエネルギーが浄化され、アガルタを本来包むべき、穏やかで透き通った『青き清流の光』が、リアクター全体から静かに放たれ始めたのだ。
「……や、やった……! カルム様が、リアクターの暴走を完全に抑え込んだぞ!」
「炉の出力が安定している! いや、以前よりも遥かに純度が高い……!」
後方に避難していた技師たちが、信じられないものを見るように歓声を上げる。
カルムは、限界を迎えた両腕を水晶球から離し、ズンッ……とその場に膝を突いた。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……。……終わったぜ、シェフ。……最高の火力は……完璧に温めておいたぜ」
カルムの顔に、疲労困憊でありながらも、最高に不敵な修羅の笑みが浮かぶ。
次の瞬間、リアクターから放たれた青き光が、巨大な光の柱となってアガルタの地下から地上へ向けて一気に噴き上がっていった。
四、 反撃の狼煙、アガルタの青き光
地上口。
アルとエレナ、そして数万の人間たちが、残る二体の『裁きの獅子』と無数の狂乱天使たちを相手に、絶望的な死闘を繰り広げていた。
「……アル君! 右だ!」
「……わかってる! みんな、右の獅子の前足の付け根ッ!」
アルの真理の目が見極めたスジへ向けて、レジスタンスたちが瓦礫を投げつけ、エレナが聖光を纏った大盾で強引にバッシュを叩き込む。
連携は取れてきているものの、やはり質量と絶対的なマナの差は覆しがたい。
彼らの体力は限界に近づき、陣形は徐々に押し込まれ始めていた。
「……グオォォォォォォォォッ!!」
一体の裁きの獅子が、アルたちの頭上へ向けて、二発目の黒紫色の極大熱線を充填し始めた。
今度こそ、防ぐ手立てはない。
誰もが、死を覚悟し、アルの小さな背中を庇うように抱きしめた。
その時である。
ズバァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!
アガルタの地下深くから、空を覆う紫色の雷雲と赤黒い瘴気を真っ二つに切り裂くような、巨大な【青き光の柱(絶対防衛結界)】が、爆発的な勢いで噴き上がったのだ!
「……え……?」
アルが目を見開く。
光の柱は、アガルタの地上口全体を覆い尽くす巨大なドームとなり、裁きの獅子が放った黒紫色の極大熱線を、何の抵抗もなく空の彼方へと弾き飛ばした。
それだけではない。
その青き光のドーム(結界)の中には、微かに、しかし確かな【真紅と緋色の炎の粒子】が混じって舞い散っていた。
その炎の粒子が、アルの頬に触れ、エレナの傷ついた身体に降り注ぎ、戦う人々の身体を優しく包み込む。
「……この温もりは……!」
エレナが、ハッとして空を見上げた。
「……カルムだ。……カルムが、アガルタの結界を……直してくれたんだッ!」
アルの目から、大粒の涙が溢れ出した。
その結界から放たれる青い光と炎の粒子は、ただの防御壁ではない。
カルムが命を懸けて調律し、彼の『祈り(生命の温度)』が込められた、地上で最も強固で、最も優しい【不滅の防壁】であった。
五、 絶望の逆転、裁きの獅子の解体
アガルタの結界が完全に復活したことで、戦況は一変した。
結界の光に触れた狂乱天使たちは、その内部に混じる『解体の概念炎』によってマナの循環を絶たれ、次々と活動を停止して地面に崩れ落ちていく。
残るは、巨大な二体の『裁きの獅子』のみ。
彼らは結界の外へ弾き出され、内部へ侵入しようと結界の壁に激しく体当たりを繰り返していた。
「……みんな! 結界が僕たちを守ってくれてる! 今なら、あいつらを倒せるよッ!」
アルが、黒鉄の包丁を高く掲げて叫ぶ。
結界の中であれば、敵の攻撃を恐れることなく、アルの【真理の目】が示す最大の急所へ向けて、全員の力を一つに集約することができる。
「……エレナさん! 獅子の胸の真ん中! あそこに、暴走したマナの最大の結び目がある! あの結び目を叩き割れば、獅子は自爆するッ!」
「……承知したッ! アル殿の目に、狂いはなし!」
エレナは、青き結界の力によって傷の痛みを抑え込み、砕けかけた大盾を右手に、折れた長剣を左手に構え、残された全マナを解放した。
「……行くぞッ! アガルタの戦士たちよッ! 私の背中に続けェェェッ!」
「「「ウオォォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」」」
エレナを先頭に、数千のレジスタンスと民衆たちが、結界の境界線ギリギリまで突撃する。
そして、裁きの獅子が結界の壁に体当たりをした瞬間、その反動で生じたわずかな【隙】へ向けて。
エレナが渾身の力で長剣を投擲し、獅子の胸の装甲を砕く。
そこへ、アルが指示した通り、数千の人間たちが一斉に瓦礫を投げ、魔導銃を撃ち、手にした武器を投げつけた。
一つ一つの力は、赤子の手をひねるほどに弱い。
だが、アルの『解体の理』によって導かれたその一点集中は、裁きの獅子の分厚い装甲を貫き、胸の奥にある暴走マナの結節点を、見事に打ち砕いた。
パキィィィィィィィンッ!!!!
『……エ……ラァァァァァァァッ……』
二体の裁きの獅子の巨体が、内側から激しく発光し。
自らの体内に溜め込んだ暴走マナに耐えきれなくなり、凄まじい爆発を起こして四散した。
六、 涙の勝利と、空を裂く流星の帰還
ゴォォォォォォォォォォォォ…………ッ。
爆発の煙が晴れる。
アガルタの地上口の周囲に群がっていた神の軍勢は、一体残らず完全に沈黙し、光の塵となって消え去っていた。
静寂が、戦場を包み込む。
空を覆っていた紫色の雷雲も、カルムの修復した青き結界の光に浄化され、徐々にその隙間から、本来の青空と太陽の光が差し込み始めていた。
「……勝った……」
「俺たちが……神様のバケモノに……勝ったぞォォォォォッ!!」
誰かが上げた歓喜の叫びを皮切りに。
アガルタの地上口は、抱き合い、涙を流し、喜びを爆発させる数万の人々の歓声で包まれた。
それは、使徒の理不尽な管理から完全に脱却し、人間が自らの意志と力で未来を掴み取った、歴史的な勝利の瞬間であった。
アルは、ボロボロになった黒鉄の包丁を取り落とし、そのまま膝から崩れ落ちた。
極度の緊張が解け、全身の痛みが押し寄せてくる。
だが、その顔には、最高に幸せそうな笑顔が咲いていた。
「……やったよ、カルム。……僕たち、ちゃんと護り抜いたよ」
その時。
ドガァァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
アガルタの青き結界の遥か上空、大気を真っ二つに切り裂くような凄まじい轟音が響き渡った。
人々が驚いて空を見上げる。
青空の奥深くから、一本の【真紅と緋色の流星】が、太陽の光よりも眩しく輝きながら、アガルタの地上へ向けて一直線に降下してくるのが見えた。
「……カルム殿……!」
エレナが、血に濡れた顔で空を見上げ、震える声でその名を呼ぶ。
地下で魔力炉の調律を終え、地上の仲間たちの前へとついに帰還を果たした『深紅の流星』。
アルの瞳から、再び大粒の涙が溢れ出した。
「……おかえりなさい……ッ! カルムッ!!」
修羅の修練を終え、神殺しの刃を手に入れた最強の火力(相棒)が、ついにアガルタの地へと舞い降りる。




