第122話:孤島の重力を焼き切る
一、 崩壊の現実と、灼熱の帰還
パキィィィィィンッ!!!!
無限に広がっていた純白の精神世界が、カルムの眼前で無数のガラス片のように砕け散った。
武神との真剣勝負を終え、魂の境界線を越えたカルムの意識が、強烈な引力に引っ張られるようにして『現実の肉体』へと引き戻される。
「……ッ!!」
カルムがカッと左目を開いた瞬間、彼を迎え入れたのは、肌を焦がすほどの激烈な熱波と、鼓膜を破らんばかりの轟音であった。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………!!!!
そこは、武神の孤島の最深部。
超重力の巨人が消滅したことで、この島を数万年にわたって縛り付けていた力学のバランスが完全に崩壊していた。
見渡す限りの黒曜石の大地はメリメリと音を立てて裂け、そのクレバスの底から、星の核から直接漏れ出した【原初のマグマ】が、天を衝く巨大な間欠泉となって至る所で噴き上がっていた。
空は赤黒い毒煙に覆われ、絶えず降り注いでいた異常重力は、制御を失って予測不能な嵐となっている。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ。……戻ってきやがったか、クソッタレな現実に」
カルムは、崩れゆく岩盤の上に立ち、荒い呼吸を整えながら周囲の絶望的な光景を見渡した。
彼の肉体は、「最初の魔女」による治癒のおかげで完全に再生しており、五体満足の状態だった。しかし、精神世界で武神の究極奥義『理絶』を解体するために魂の熱を極限まで使い果たした代償は大きく、全身には鉛のような疲労感がのしかかっていた。
だが、カルムの両腕に視線を落とすと、そこには確かな『証』があった。
生身の皮膚に深く刻み込まれた、真紅と緋色が交じり合う美しい【蓮の花】の紋様。
神から与えられたマナ回路に頼るのではなく、己の命の熱と相棒の祈りが完全に定着し、武神の承認を得たことで変異した、新たな器官。
(……動くぜ。……俺の意志に合わせて、最高の熱が……!)
カルムが両拳を強く握りしめると、紋様がチリチリと発光し、両腕の表面に極薄の【赤蓮の概念刃】が陽炎のように静かに立ち上った。
熱くはない。自爆の激痛もない。
それは、カルムの意志一つで空間の理すらも切り裂く、完璧な武器として彼の血肉に馴染んでいた。
ドズゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
足元の巨大な岩盤が、下からのマグマの圧力に耐えきれず、大きく傾き始めた。
地下数万メートルのこの最深部から、遥か上空に見える「地上の深淵へと続く縦穴」まで、数千メートルを一気に這い上がらなければ、マグマの海に飲み込まれて完全に消滅する。
「……休んでる暇はねぇってことか。……上等だ」
カルムは、赤蓮の刃を纏った両腕を下げ、深く重心を落とした。
「……待ってろよ、アル。……今、俺が……最高の火力になって、帰ってやるよッ!」
カルムの足元から真紅と緋色の炎が爆発的に噴き上がり、彼はロケットのような猛スピードで、崩壊する絶海の孤島の空へと飛翔を開始した。
二、 狂乱の重力嵐
ズバァァァァァァァァァァンッ!!!!
カルムの身体が、赤黒いマグマの熱波を切り裂きながら、一直線に上空へと突き進んでいく。
かつてマナ回路があった頃の極光炎による飛翔よりも、遥かに速く、そして安定していた。無駄な魔力放出(ガス欠)がなく、魂の熱が100%推進力へと変換されているからだ。
しかし、武神の孤島は、侵入者をそう簡単に逃がすような甘い場所ではなかった。
「……チッ。……やっぱり、タダじゃ通してくれねぇか」
カルムの左目——黄金に輝く【解体眼】が、進行方向の空間に渦巻く『異常な力場』を捉えた。
この島には、十倍、三十倍、百倍という異常重力が地層のように重なっていた。
島の核(超重力の巨人)が破壊されたことで、その重力場が制御を失い、まるで竜巻のように入り乱れた【狂乱の重力嵐】となって、上空への退路を塞ぐように吹き荒れていたのだ。
ギュンッ!!
突然、カルムの身体が右方向へと猛烈な勢いで引っ張られた。
見えない巨大な手で横から掴まれたような、数十トンに及ぶ横向きの重力。
カルムが体勢を立て直そうとした瞬間、今度は上空から、彼を地面へ叩き落とそうとする強烈な圧力がのしかかる。
(……ベクトルがメチャクチャだ。……空間自体が、洗濯機みたいにグチャグチャに回ってやがる)
通常の飛翔魔法で突破しようとすれば、この重力の乱気流に巻き込まれ、推進力を相殺されてそのまま墜落するか、あるいは方向の違う重力に身体を引き裂かれて終わるだろう。
さらに悪いことに、島の天井がマグマの圧力で崩落を開始した。
直径数十メートル、重さ数千トンの黒曜石の岩塊が、重力嵐に巻き込まれながら、無数の巨大な散弾となってカルムの頭上から降り注いできたのだ。
「……障害物競争にしては、ハードルが高すぎんだよッ!」
カルムは、空中で身体を捻り、迫り来る巨大な岩塊の一つを視界に収めた。
岩そのものを破壊する必要はない。カルムが見るべきは、岩を動かしている『力の流れ』だ。
「……俺の目は……もう、全部見え見えなんだよッ!」
三、 ベクトルを裂く赤蓮の刃
カルムの解体眼は、巨大な岩塊に働いている「落下の重力ベクトル」と「重力嵐による横回転のベクトル」を、鮮やかな光の線として完全に透過していた。
アルが、硬い魔物の肉の繊維と重心を見極め、包丁を滑らせるように。
カルムは、飛翔の速度を落とすことなく、両腕に展開した極薄の『赤蓮の刃』を、迫り来る岩塊の【ベクトルの結節点】へとスッと滑らせた。
スゥゥゥゥゥゥ…………ッ!!!!
音すらない。
数千トンの質量の岩塊が、カルムの刃に触れた瞬間、まるで豆腐のように真っ二つに両断され、カルムの身体の左右を綺麗にすり抜けていった。
「……一つ」
休む間もなく、次の岩塊が、今度は下からの重力に煽られてカルムの腹部を狙って突き上げられてくる。
カルムは、腕を振ることすらしない。
自らの飛翔の推進力を利用し、肩を落として刃の角度を合わせるだけ。
スパンッ! スパンッ! シャァァァァァンッ!!
空間に、真紅と緋色の極光が美しい軌跡を描く。
巨大な岩塊が、次々と四分割、八分割へと解体され、カルムの周囲だけが、まるで時間が止まったかのような静謐な空間となっていく。
だが、岩を斬るだけでは、この狂乱の重力嵐を抜けることはできない。
空間を捻じ曲げる『見えない引力』そのものが、カルムの行く手を阻んでいるからだ。
「……重力だろうがなんだろうが……力が動いてるなら、必ず『スジ』があるはずだッ!」
カルムは、解体眼の出力を極限まで引き上げた。
空間を埋め尽くす、赤、青、紫の無数のベクトル線。
それらが最も複雑に絡み合い、嵐の中心となっている【重力の目(力の交差点)】が、カルムの遥か上方に浮かび上がって見えた。
「……あそこだ。……あの結び目を解けば、この嵐は止む……!」
四、 迫り来る星の怒り
しかし、カルムが重力の結び目へ向かって加速しようとしたその時。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
カルムの足元から、これまでで最大規模の地響きが轟いた。
振り返ると、孤島の底を埋め尽くしていた原初のマグマが、ついに限界を超え、巨大な【火柱の竜】となってカルムを飲み込もうと迫り上がってきていたのだ。
マグマの温度は数千度を超え、周囲の酸素を一瞬で焼き尽くし、ただの熱波だけで空間をプラズマ化させている。
それが、直径数百メートルという規格外の質量を持って、下から猛スピードでカルムを追尾してくる。
上には狂乱の重力嵐。下には全てを無に帰すマグマの竜。
まさに、天地を挟み撃ちにする星の怒り。
(……チッ。……少しでも立ち止まれば、一瞬で消し炭だ。……だが、上の重力嵐を抜けるには、あの結び目を正確に斬る必要があんだよッ!)
カルムは、極限の集中を要求される状況下で、口元を凶暴に歪ませた。
「……なら、全部まとめて……料理してやるよッ!」
カルムは、上空の重力の結び目から視線を外し、あえて落下姿勢をとった。
そして、下から迫り上がってくる巨大なマグマの竜に向かって、自ら真っ逆さまに突っ込んでいったのだ。
狂ったのか。
いや、違う。
カルムの解体眼は、マグマの竜という『莫大な熱と質量のベクトル』すらも、一つの巨大な【推進力】として利用する計算を弾き出していたのだ。
「……俺の命の熱と……星の熱。……どっちが上か、勝負しようぜッ!」
カルムは、マグマの竜の最先端——波頭が最も盛り上がり、全エネルギーが集中している一点に向かって、両腕の『赤蓮の双刃』を十字に交差させた。
そして。
五、 孤島の重力を焼き切る
ズバァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
カルムの放った極薄の概念刃が、数千度のマグマの竜の波頭を【真っ向から十文字に切り裂いた】。
その瞬間。
マグマの圧倒的なエネルギーは、カルムの刃に物理法則を解体され、行き場を失った。
だが、カルムはその行き場を失った莫大なエネルギーを、自らの真紅と緋色の炎で包み込み、【己の飛翔の推進力へと強引に変換】してのけたのだ。
「……オラァァァァァァァァァァッ!!!!」
マグマの熱を利用した、超弩級の爆発的加速。
カルムの身体は、隕石が逆流するような凄まじい速度でV字ターンを描き、再び上空の重力嵐へと向かって弾き飛ばされた。
音速を遥かに超える、雷光のような飛翔。
その速度のまま、カルムは上空に渦巻く『重力の結び目』へと肉薄した。
(……視える。……重力のスジが、束になって交差してるド真ん中……!)
カルムは、マグマの加速をすべて両腕の赤蓮の双刃に乗せ、極限まで圧縮された魂の熱を、一点に集中させた。
武神の真剣勝負で感覚を掴んだ、究極の解体。
物理的な肉ではなく、魔法の障壁でもなく。
空間に敷かれた【重力という星の法則】そのものを、焼き切り、解体する一撃。
「……どけェェェェェェェェェェェェッ!!!!」
カルムの両腕が、重力の結び目へ向かって、十字の軌跡を描いて振り抜かれた。
スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ…………!!!!
世界が、白黒に反転したかのような錯覚。
音が消え、時間すらも一瞬停止した。
カルムの放った真紅と緋色の極薄刃は。
嵐の中心で複雑に絡み合っていた、何億トンという重力ベクトルの交差点を、ミクロン単位の狂いもなく、完全に、そして美しく【十文字に両断】したのだ。
パァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!
まるで、巨大なガラスのドームが粉々に砕け散ったかのような、空間の破砕音。
カルムの刃によって『理』を解体された狂乱の重力嵐は、一瞬にしてその引力を失い、ただの温かい突風となって四方八方に霧散していった。
空中に浮遊していた数万トンの岩塊も、重力の支えを失い、雨のように眼下のマグマの海へと真っ逆さまに落ちていく。
カルムの周囲の空間だけが、まるで重力という概念が最初から存在しなかったかのような、絶対的な真空のトンネルとしてポッカリと開け放たれた。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ。……どんなもんだ、バカヤロウ」
カルムは、重力の枷を完全に断ち切った空間を、自らの赤蓮の炎の推進力だけで、真っ直ぐに、どこまでも真っ直ぐに上昇していく。
六、 地上へ続く光の道
ゴォォォォォォォォォォォォッ!!!!
カルムの背後では、重力の抑えを失った武神の孤島の最深部が、ついにマグマに完全に飲み込まれ、ドロドロの火の海へと崩壊していく音が響いていた。
数万年の間、古代の闘鬼や魔獣たちが殺し合い、魂をすり減らしてきた呪われた闘技場が、星の核へと還っていく。
だが、カルムはもう振り返らなかった。
彼の見つめる先には。
果てしなく長い縦穴の頂上に、地上の青空から差し込む、眩いばかりの光が見えていたからだ。
「……光だ。……地上の光だ……!」
カルムの鼓動が高鳴る。
スラムの泥水の中で生きるしかなかった自分が。
神の使徒に全てを奪われ、絶望の底に突き落とされた自分が。
アルの祈りを胸に、極限の死の淵から這い上がり。
力任せの暴力を捨て、理を解体する真の武を手に入れ。
今、神の理不尽すらも切り裂く『我流・神殺しの刃』を両腕に宿して、あの光の向こう側へ帰ろうとしている。
「……アル。……エレナ。……待ってろよ」
カルムは、両腕に刻まれた赤蓮の紋様を強く握りしめた。
彼の体内に宿る炎は、もはやただの熱ではない。
己の命の残量すらも超越した、確固たる『概念』として、彼の魂と完全に一体化していた。
脱出口の光が、カルムの視界を真っ白に覆い尽くす。
「……俺が、最高の火力になって……今度こそ、お前らの背中を護り抜いてやるッ!!!!」
カルムの全身が、真紅と緋色の極光に包まれ。
ついに、武神の孤島という絶対の地獄を完全に突破し、地上への帰還を果たした。
第123話「我流極奥義の開眼」。
地上へ帰還したカルムの中で、これまでの全ての死闘と気づきが一つに結実し、真なる神殺しの技【我流極奥義】が完全に開花する。
彼を待ち受ける地上の戦況と、反撃の狼煙がいま、圧倒的な熱気と共に空を焦がそうとしていた。




