第117話:百倍重力の試練
一、 漆黒の開口部と六トンの軛
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…………ッ!!!!
武神の孤島、その最深部たる『力学の歪道』のさらに奥底。
黒曜石の断崖絶壁が、まるで内側から見えない巨人にこじ開けられるかのように、メリメリと音を立てて左右に裂けていった。
その亀裂の奥から現れたのは、光すらも逃れられずに吸い込まれていくような、完全なる【漆黒の空間】であった。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……。……冗談キツいぜ……」
カルムは、再生したばかりの両腕を軽く握り直しながら、額から流れ落ちる汗を拭った。
絶壁の亀裂から漏れ出してくる、異常なまでのプレッシャー。
それは、殺気やマナの圧力ではない。星の核そのものが放つ、純粋にして絶対的な物理法則の暴力——【重力】の極致であった。
十倍重力の荒野、三十倍重力のクレーター。
それらでさえ、通常の人間ならば一瞬で内臓が破裂し、肉が骨から剥がれ落ちるほどの地獄だった。
だが、目の前にポッカリと口を開けた漆黒の空間から放たれている重力波は、その比ではなかった。
「……百倍、か」
カルムの黄金の左目(解体眼)が、その空間を透過し、絶望的な数値を弾き出す。
百倍重力。
カルムの体重が約六十キログラムだとすれば、この空間に足を踏み入れた瞬間、彼の身体には実に【六千キログラム(六トン)】もの質量が、上空から絶え間なく叩きつけられることになる。
六トン。
大型の装甲馬車が、常に全身にのしかかっている状態。
骨が砕けるどころの話ではない。細胞の一つ一つ、血液の一滴一滴が、自らの重さに耐えきれずに破裂し、人体という構造そのものが完全に崩壊する圧殺の領域。
魔女による超常的な再生と強化を施された今のカルムの肉体であっても、何の対策もなしに飛び込めば、数秒で赤い染みへと変わるだろう。
「……だがよ。……俺はもう、ただ力任せに重力に逆らうだけのバカじゃねぇんだわ」
カルムは、薄く笑い、真っ直ぐに漆黒の空間を見据えた。
かつての彼なら、「俺の炎の推進力で、上から降ってくる六トンを相殺してやる」と、無謀な力比べを挑んで自滅していただろう。
だが、今のカルムには、アルの包丁から学んだ『解体の理』がある。
重力もまた、世界に満ちる『力のベクトル』の一つに過ぎない。
上から下へ向かう、目に見えない無数の光の線。
ならば、そのスジを真っ向から受け止めるのではなく、己の身体の周囲に降り注ぐベクトルの【結節点】を切り裂き、重力の流れを「左右に受け流す」ことができれば。
「……俺の命の熱……全部使って、この星の理ごと解体いてやるよッ!」
カルムの全身の血管に、真紅の概念炎と緋色の極光が爆発的な勢いで循環を始める。
皮膚の下で二つの熱が融合し、カルムの再生された肉体を、外からの圧力に耐えうる極限の『炎の装甲』へと変異させる。
そして、カルムの両手の手刀の表面に。
厚さ一ミクロン以下にまで圧縮された、世界で最も鋭利な【概念刃】が、チリリと静かな音を立てて形成された。
「行くぜッ!」
カルムは、三十倍重力の大地を力強く蹴り、漆黒の開口部——百倍重力の深淵へと、自らその身を投じた。
二、 百倍重力の深淵、空間の解体
ズゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥンッ!!!!
漆黒の空間に足を踏み入れた瞬間。
カルムの視界が、一瞬にして完全にひしゃげた。
「ガ……ハァッ……!?」
六トンという想像を絶する重圧が、カルムの全身の細胞をミキサーにかけるように押し潰しにかかる。
耳小骨が軋み、視神経が引っ張られ、心臓が悲鳴を上げる。
呼吸をすることすら、鉛を飲み込むような絶望的な苦行。
だが。
「……視える……。……視えるぜッ!!」
カルムは、押し潰されそうになる肉体に鞭を打ち、黄金の左目をカッと見開いた。
彼の解体眼には、上空から絶え間なく降り注ぐ、真っ赤な『重力ベクトルの束』が、まるで太い鋼鉄の雨のように鮮明に映し出されていた。
これらがカルムの身体に直撃しているから、六トンの重みを感じるのだ。
「……流すんだよ……。俺の身体を、岩じゃなくて……『柳』にするんだッ!」
カルムは、落下しながら、両手に纏わせた真紅と緋色の概念刃を、自分の頭上へ向けてクロスさせるように振るった。
スッ……、スパァァァァァンッ!!
カルムの頭上に降り注いでいた太い重力ベクトル(スジ)が、概念刃によって斜めに綺麗に切断される。
すると、切断された重力の線は、カルムの身体を避けるように左右へと滑り落ち、彼に直接かかる重圧が、六トンから一瞬にして数百キロにまで激減したのだ。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……。……いける……ッ! 俺の刃なら、重力(星の理)すらも切り裂ける……ッ!」
カルムは、歓喜に血を吐きながら、漆黒の空間を【泳ぐ】ように進み始めた。
それは、物理法則を完全に超越した、神業の連続だった。
一歩進むごとに、自らに降り注ぐ百倍重力のベクトルを解体眼で見極め、手刀や足刀の概念刃で次々と『斜めに切り裂き』、重力の網目をかいくぐって前進する。
空間そのものがゼリーのように粘り気を持ち、カルムの動きを阻害しようとするが、カルムの刃はそのゼリーすらも綺麗に三枚におろしていく。
シュパッ! スパンッ! スパンッ!
漆黒の空間に、カルムの概念刃が描く美しい真紅と緋色の軌跡が、無数に瞬く。
しかし、これは決して楽な作業ではなかった。
コンマ一秒でも気を抜き、ベクトルの切断をミスすれば、その瞬間に六トンの重圧が直撃して即死する。
極限の集中力と、細胞をフル稼働させる命の燃焼。
カルムの全身からは、汗ではなく、気化した血液の赤い蒸気が立ち上り続けていた。
「……待ってろよ、アル。……こんな理不尽な重力……お前が一人で背負ってきたモンに比べたら、クソみたいな軽さだぜ……!」
カルムの脳裏には、いつも笑顔で、自分の何十倍もの絶望と戦っていた相棒の姿があった。
あいつに背中を預けてもらう。
その誓いだけが、カルムの限界を超えた肉体を前へ前へと突き動かしていた。
三、 武神の真骸、超重力の巨人
百倍重力の漆黒の空間を、重力を解体しながら進むこと数十分。
カルムの視界が、急に開けた。
そこは、空間そのものが球体のように丸く歪んだ、巨大な【ドーム状の深淵】であった。
ドームの中心には、周囲の百倍重力すらも吸い込むほどの、超高密度の【黒い重力球(ブラックホールのような核)】が静かに浮遊している。
そして。
ズズズズズズズズズ…………ッ!!!!
その黒い重力球を背にして。
ドームの底から、先ほどの三十倍クレーターで戦った『武神の残滓』とは比較にならない、絶望的な威圧感を放つ【影】が立ち上がった。
「……なんだ……ありゃあ……」
カルムは、重力を切り裂く手を一瞬止めかけ、危うく潰されそうになりながらも、その影を睨み据えた。
体長およそ十五メートル。
漆黒の原初マナが極限まで圧縮され、筋肉の繊維のように幾重にも編み込まれた巨体。
頭部には顔はなく、ただ一つ、全てを吸い込むような【虚無の渦】がポッカリと開いている。
全身からは、周囲の空間を物理的に歪めるほどの『重力波』が、黒いオーラとなって絶え間なく噴き出していた。
武神の孤島に封印されていた、武の極致の究極系。
古代の闘鬼たちの魂が、星の重力核そのものと完全に融合して生まれた【超重力の巨人】であった。
先ほどの『武神の残滓』が、純粋な武術の技術の極致だとすれば。
この巨人は、百倍重力という環境を自らの力として行使する、絶対的な暴力の極致。
「……シィィィィィィィィッ!!!!」
巨人の頭部の虚無の渦から、空間を震わせる異様な摩擦音が響く。
ドズンッ!!
巨人が一歩前に踏み出した。
それだけで、カルムの周囲の重力ベクトルが激しく乱れ、彼が切り裂いていた重力の網目が一瞬にして修復・強化された。
「……ガッ……ハァッ!?」
カルムの身体が、突然増幅された重圧によって、黒曜石の地面に激しく叩きつけられる。
「……へっ。……俺が重力を斬って進んできたのを……力ずくで書き換えやがったのかよ……」
カルムは、地面に顎を擦り付けながらも、ニヤリと笑った。
ただの暴力の塊ではない。この巨人は、空間の重力場そのものをコントロールする能力を持っている。
ならば、カルムが『線を切る』端から、巨人が『線を太くして書き直す』という、果てしない理の削り合いになる。
「……上等だ。……星の理が相手だろうがなんだろうが……俺の刃で、全部三枚におろしてやるよッ!」
カルムは、地面に張り付いた状態から、全身の概念炎を極限まで爆発させ、百倍の重圧を無理やり切り裂いて立ち上がった。
両腕に、かつてなく鋭く、長く伸びた【真紅と緋色の概念刃】を構える。
対する巨人は、両腕を大きく広げ、その巨大な拳に【超高密度の重力球】を纏わせた。
触れれば、細胞一つ一つが別々の方向へ引きちぎられ、ブラックホールに吸い込まれるように圧壊する、必殺の拳。
四、 ブラックホールの拳と、神殺しの舞
「オラァァァァァァァァァッ!!!!」
カルムが、先手を取って三十倍重力下以上の超スピードで巨人の懐へ飛び込んだ。
百倍重力を斬り開きながらの突進。
彼の通った軌跡だけが、一瞬だけ重力から解放された真空のトンネルとなる。
「シィィッ!」
巨人が、迎撃のために右の『重力拳』を振り下ろす。
空間が歪み、カルムの周囲の時間が引き伸ばされるかのような強烈な引力。
カルムの身体が、巨人の拳の中心へ向かって、強制的に吸い寄せられていく。
(……吸い込まれる……ッ! ならば……!)
カルムは、吸い寄せられる引力に逆らわなかった。
むしろ、その引力を【己の踏み込みの加速】として利用し、自ら巨人の拳に向かって速度を上げたのだ。
「……力任せの引力には……スジが丸見えなんだよッ!」
カルムの解体眼が、巨人の拳を包む黒い重力球の【構成ベクトル】を透過する。
中心に向かって全てを吸い込む力。
だが、その力は完全な球体ではない。巨人の腕からマナが供給されている以上、腕と重力球の【接続部分】に、必ず力の流入口が存在する。
カルムは、巨人の拳に激突する寸前。
沈み込むような体捌きで重力球の正面を避け、横へスライドしながら、左肩から伸びた緋色の概念刃を、重力球の『根元(接続部)』へ向けて滑らせた。
スゥゥゥゥゥゥ…………ッ!!!!
静寂の切断音。
「……ギ……ッ!?」
巨人の右拳を覆っていた超高密度の重力球が。
カルムの刃によってマナの供給源を断たれ、プツンと風船が割れるように霧散した。
「一つ、解体いたぜッ!」
カルムは、引力から解放された勢いのまま、巨人の無防備となった右腕の関節へ向けて、右の真紅の刃を叩き込む。
ズバァァァァァァァァンッ!!!!
火花と黒い粒子が散る。
だが、巨人の肉体は『武神の残滓』以上に強固だった。
カルムの概念刃が関節の隙間に入り込んだものの、巨人の超高密度の筋肉(マナの結晶)が刃を挟み込み、完全に切断するには至らない。
「……硬てぇな、相変わらず……ッ!」
巨人が、切断を免れた右腕をそのまま強引に振り抜き、カルムの身体を薙ぎ払おうとする。
カルムは、刺さった概念刃を瞬時に解除し、後方へ宙返りして回避。
だが、巨人は追撃の手を休めない。
今度は左手の重力拳を、地面に向けて叩きつけた。
ドゴォォォォォォォォォォォォォンッ!!!!
地面から、数十本もの【重力のトゲ】が、カルムの足元を狙って次々と突き出してくる。
触れれば串刺しにされるだけでなく、その部分の空間ごと圧縮されて消滅する即死の罠。
「……ハァッ! ハァッ! ハァッ!」
カルムは、百倍重力に押し潰されそうになりながらも、解体眼で地面から突き出す重力のトゲの『発生ベクトル』を先読みし、右へ、左へ、そして空中へと、アクロバティックな回避と切断の舞を披露する。
シュパッ! スパンッ! ガキィィンッ!
カルムの両腕から放たれる概念刃が、空間に無数に描かれる真紅と緋色の軌跡となり、巨人の放つ重力の暴力を次々と解体していく。
それは、力と力のぶつかり合いではない。
巨大な海嘯に立ち向かう、一羽の水鳥のような、極限の理と技術の拮抗。
「……どうした、デカブツ! 百倍重力も、お前の拳も、俺の刃にはカスりもしねぇぞッ!」
カルムは、息を荒げながらも、血に染まった顔で獰猛に嗤った。
確実に、己の武術がこの神の領域に通用している。
解体の理。
これこそが、アルが教えてくれた、力なき者が世界(理不尽)を覆すための唯一の答え。
五、 圧殺の結界、命を削る一瞬
だが、相手は百倍重力の化身。
小賢しい人間の一人や二人に、容易く後れを取るような存在ではなかった。
「……シィィィィィィィィィィィッ!!!!」
巨人の頭部の虚無の渦が、かつてないほど激しく回転し始めた。
その瞬間。
カルムの周囲の空間が、四方八方から【完全な漆黒の壁】となって迫り出してきた。
「……なっ!?」
カルムの解体眼が、警告の赤色で染まる。
巨人は、個別の重力球やトゲでカルムを狙うのをやめた。
カルムのいる空間そのものを、縦・横・高さ数十メートルの【巨大な重力結界】として切り取り、それを全方向から一気に中心へ向かって圧縮しようとし始めたのだ。
上下左右、全ての方向から迫る、逃げ場のない【絶対圧殺】。
重力のベクトルが、無数の矢印となってカルムの中心(心臓)へ向かって集中しているのが視える。
これを一つ一つ切断していては、絶対に間に合わない。
(……全方位からの圧縮……ッ! 隙間がねぇ……!)
カルムは、迫り来る漆黒の壁を前にして、冷や汗を流した。
どうする。
逃げ場はない。
切断する暇もない。
このままでは、コンマ数秒後には、サイコロ大の肉塊にまで圧縮されて終わる。
(……力で押し返すか? ……いや、ダメだ。俺の出力じゃ、この結界の総質量には絶対に勝てねぇ。押し負けて潰されるだけだ)
刻一刻と狭まる死の空間。
カルムの耳に、己の心臓の鼓動がスローモーションのように響く。
『……料理ってのはね、力ずくで壊すことじゃないんだよ』
再び、アルの声が脳裏を過る。
(……分かってる。……分かってるよ、アル。……力で押し返すんじゃねぇ……。……相手の力を……利用するんだ……!)
カルムは、絶望的な全方位圧縮の結界の中で。
両腕の概念刃を消し、あえて【完全に脱力】した。
無防備に、両腕をだらりと下げ、目を閉じる。
「……来いよ。……全部、俺の中心で受け止めてやる……」
ズガァァァァァァァァァンッ!!!!
漆黒の重力結界が、ついにカルムの身体に到達し、全方位から彼を圧殺せんと激突した。
六、 解体眼の極致、星の理を透過する
「ぐ……アアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
カルムの口から、凄絶な絶叫がほとばしる。
全身の骨が軋み、筋肉が千切れ、内臓が悲鳴を上げる。
全方位からの重力圧縮。
カルムの身体は、実際に数センチほど内側へと物理的に凹み始めていた。
だが。
カルムは、潰れなかった。
彼は、全方位から迫る圧倒的な重力の『力のベクトル』を。
自らの肉体という『器』の中心点(丹田)へと誘導し、そこで全てのベクトルを【正面衝突(相殺)】させたのだ。
上からの圧力と下からの圧力を、自らの背骨を軸にしてぶつける。
右からの圧力と左からの圧力を、肋骨の中でぶつける。
相手の絶大な力を、相手の力自身で殺し合わせる、究極の【合気の理】。
アルが、硬い肉の重み自身を利用して肉を割ったように。
カルムは、結界の圧縮力そのものを利用して、結界の威力を内部で相殺させたのだ。
「……ガ……ハッ……! ゲボォォッ……!」
口から大量の血を吐き出しながらも。
カルムは、圧殺の結界の中心で、まだ人間の形を保っていた。
「……シィィッ!?」
巨人の虚無の渦が、驚愕に歪む。
自らの絶対の結界が、中の小さな人間を潰しきれず、逆に内部で拮抗し、膠着状態に陥ってしまったからだ。
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……」
カルムは、血に染まった左目をカッと見開いた。
相殺しているとはいえ、この極限のバランスを維持するために、カルムの細胞と精神は秒単位で千切れ飛んでいる。
長くは持たない。
だが、カルムの狙いは、防御して生き延びることではなかった。
結界の力がカルムの中心で相殺し、膠着したこの瞬間。
巨人が結界を維持するために流し込んでいる【莫大なマナの供給線】が、まるでピンと張り詰めた一本の太いロープのように、巨人とカルムの間にハッキリと浮かび上がったのだ。
「……見えたぜ……。お前の……命綱がよッ!」
カルムの解体眼は、ついに星の重力の理そのものを、完璧な『切断点』として透過・視覚化した。
七、 空間断裂、我流極奥義の萌芽
「……これで……終わりだァァァァァッ!!!!」
カルムは、拮抗する重力結界の中で、残された命の全て、魂の熱の最後の一滴までを、己の【右の手刀】へと集約させた。
全身を覆っていた真紅と緋色の炎が消え去る。
全ての熱が、右の手刀の先端、わずか数ミクロンの『点』へと極限圧縮される。
それは、もはや刃ですらない。
空間そのものを切り裂くための、超高密度の【概念の針】。
カルムは、その手刀を。
巨人と自分を繋ぐ、張り詰めた重力の供給線に向かって、ゆっくりと、しかし絶対的な殺意を持って振り下ろした。
「……俺とアルの……『我流極奥義(神殺しの解体)』……!」
スゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ………………!!!!!!
時間が、止まった。
音も、光も、重力も。
全てがカルムの振り下ろした手刀の軌跡に吸い込まれ、そして。
パキンッ…………!!!!
澄み切った、ガラスが割れるような音が、百倍重力の深淵に響き渡った。
カルムの手刀は、巨人の肉体を斬ったのではない。
巨人がこの空間に敷き詰めていた『百倍重力の結界』そのものの因果の糸を、根本から完璧に【両断】したのだ。
ズバァァァァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!
その瞬間。
カルムを閉じ込めていた漆黒の重力結界が、内部からの相殺エネルギーと、外側からのマナ供給の断絶によって、凄まじい反動を伴って大爆発を起こした。
「……ギ……ギャアァァァァァァァァァァァッ!!!!」
巨人の虚無の頭部から、かつてない絶叫が迸る。
自らの放った絶対的な重力の結界が、カルムの解体刃によって破綻し、その莫大な反動エネルギーが、供給線を通って巨人自身の肉体へと逆流したのだ。
メキメキメキメキッ!!!!
バキィィィィィィィィィィンッ!!!!
巨人の、超高密度のマナで編み上げられた漆黒の肉体が。
内側から膨張し、亀裂が走り、まるでガラス細工が内側から爆破されたように、無残に砕け散っていく。
八、 瓦解する絶対領域と、修羅の咆哮
「……ハァ……ッ……ハァ……ッ……」
大爆発の光と衝撃が収まった後。
百倍重力という理不尽な圧力が、嘘のように消え去っていた。
通常の、地上の重力(一倍)に戻った空間。
そこには、全身をズタズタにされ、血の海に膝を突くカルムと。
その目の前で、完全に崩壊し、細かい黒い灰となってサラサラと崩れ落ちていく『超重力の巨人』の残骸だけがあった。
「……勝っ……た……ぜ……」
カルムは、自分の声が、信じられないほど遠くから聞こえるように感じた。
右の手刀に込めた最後の一撃。
それは、カルムの命の残量を完全にゼロにするものだった。
炎の腕はとうに消え失せ、再生したはずの生身の両腕も、極限の負荷に耐えきれず、再び皮膚が裂け、筋肉が断裂してだらりと垂れ下がっている。
全身の骨という骨がヒビ割れ、肺からは呼吸のたびに血の泡が漏れる。
しかし。
彼の黄金の左目は、まだしっかりと光を失っていなかった。
「……へっ。……どんなに硬てぇ肉でも……どんなに理不尽な重力でも……。……俺とアルの包丁にかかれば……三枚おろしだ……」
カルムは、崩れ去る巨人の灰を見つめながら、血に染まった歯を見せて、静かに、だが誇り高く嗤った。
武神の孤島。
十倍、三十倍、そして百倍重力という、段階的な絶対の地獄。
その全てを、力任せの暴力ではなく、理を見極め、解体する【真の武】によって乗り越えた。
俺は、強くなった。
神の法則(使徒たちの防御)すらも、一刀両断に解体できる『最強の刃』を手に入れた。
「……待ってろよ、アル。……今度こそ……俺が、お前の背中を護ってやるからなッ!」
カルムの魂からの咆哮が、静寂を取り戻したクレーターの底に響き渡った。
だが、試練はまだ完全に終わったわけではない。
彼がいるのは、地下数万メートルの忘却の深淵、そのさらに底の底である、絶海の孤島の最深部。
ここから地上(アルのいる場所)へ帰るためには、この崩壊しつつある肉体で、果てしない距離を這い上がらなければならない。
命の残量ゼロ。
両腕の機能喪失。
それでも、男の眼の光は消えない。
第118話「這い上がる男」。
全ての敵を解体した修羅が、相棒との約束を果たすため、ただ己の執念と絆だけを頼りに、絶対の地獄から帰還への道程を踏み出す、壮絶なるエピローグがいま始まろうとしていた。




