第10話:スラムの危機
一、 白銀の騎士と使徒の対峙
舞い散る土煙と、大気を焦がす青白銀の幾何学極光。
その中心に凛と立ち尽くすのは、白銀の甲冑に身を包んだ女性騎士――教国ルミナが誇る最強の盾、【聖騎士長エレナ・ルミナス】であった。
「……くっ……」
アルは、両腕の皮膚から流れる血を拭うことも忘れ、目の前の背中を見つめていた。
彼女が手にする大剣――『星霜の聖剣』から溢れ出すマナは、スラムの淀んだ空気を一瞬で清涼なものへと塗り替えるほどに澄み渡っている。
しかし、その圧倒的な神聖さを前にしても、天空から降り立った二機の【第一使徒・神聖執行機】の鏡面は、ピクリとも動かなかった。
『――――個体名【エレナ・ルミナス】。教国ルミナ・最高位聖騎士長と照合――――』
使徒の顔面に刻まれた一筋の「黄金の縦線」が、七色の不快な光を点滅させる。
感情を排した無機質な合成音声が、直接エレナの脳内へ響き渡った。
『――――質問。……教国の最高戦力たる貴様が、なぜ神の管轄外たる最下層スラム街に存在している? ならびに、なぜ神の粛清プロトコルを阻害する行動をとった?――――』
「……質問に答える義務はない」
エレナの青い瞳に、硬く冷たい意志が宿る。
彼女は聖剣を低く構え直し、その刀身に幾何学の青白銀極光をより一層強く巡らせた。
「だが、答えてもらおう。使徒よ……! このスラム街の民が、一体何の罪を犯したというのだ! ろくに食べ物も与えられず、泥の中で生きることを強いられた者たちを……なぜこれほど無慈悲に消し去ろうとする!」
エレナの問いかけは、叫びに近かった。
彼女は教国の騎士として、「神の教えこそが絶対であり、秩序をもたらす」と信じて生きてきた。
しかし、数日前――教国の神託機関が捉えた「第十三スラム街における未定義の巨大異常マナ波形」。その調査のためにこの黒鉄の街へ潜入した彼女が目にしたのは、神の慈悲など微塵も存在しない、ただの「一方的な虐殺(初期化)」の光景であった。
使徒は、エレナの問いに対し、全くの無感情で答えを吐き出した。
『――――理解不能。罪の有無などという概念は、当システムの計算式には存在しない――――』
『――――第十三スラム街において、世界の管理ルールを逸脱する非正規の創生反応が発生した。よって、当エリアの存在すべてをゼロに還元し、初期化することが唯一の最適解である――――』
「バグ……だと?」
エレナが唇を噛み締める。
『――――忠告。エレナ・ルミナス。……神の粛清を阻害する行為は、教国全体の背信行為と判定される。直ちにその刃を収め、退去せよ――――』
使徒の指先から、再びジジジ……と不気味な純白の光線――『消去の光芒』がチャージされ始める。
エレナは、一歩も後退らなかった。
背後で傷つき、恐怖に身を縮めている少年料理人アル、泣き叫ぶ子供たち、そして瓦礫の中で血を流す粗暴な青年カルムの姿を、彼女は確かに視界に捉えていた。
「断る……!」
エレナの声が、夜の広場に高く響き渡った。
「私が仕えるのは、民を護るための『正義』だ! 理由なき虐殺を命じる神など……私は認めないッ!」
『――――了解。個体名【エレナ・ルミナス】の言動を、明確な神への反逆と認定――――』
使徒二機の背中から、六枚の幾何学光翼がカァッと眩い純白に発光した。
『――――粛清対象に組み込み……当エリアごと、完全消去を開始する――――』
二、 拒絶障壁と聖術の激突
ズバァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!!!!
二機の使徒の指先から、同時に二本の純白の消去光線が撃ち放たれた!
大気を蒸発させ、光の軌道上にある空間そのものを削り取りながら迫る、絶対の神罰。
「【星霜不滅陣】ッ!!」
エレナが叫び、聖剣を地面へ力任せに突き立てた!
その瞬間、エレナを中心に、半径数メートルに及ぶ美しい幾何学模様の「青白銀の極光障壁」が立体的に展開された。
教国に伝わる絶対防御の聖術。
ドドドガァァァァァァァァァァンッ!!!!!!
衝撃。
純白の消去光線と、青白銀の聖術障壁が正面から激突した。
周囲の瓦礫や泥水が、すさまじい風圧によって余波で吹き飛ばされていく。
「く……ッ! ぬぅぅぅぅぅっ……!」
エレナの白磁の甲冑がミシミシと悲鳴を上げ、彼女の口元から一筋の血が伝い落ちた。
使徒の放つ『消去』の威力は、人間の魔法や聖術の域を遥かに超えている。触れた概念そのものを無に帰すエネルギー。
いくら最高位の聖騎士であるエレナの防御陣であっても、真正面から受け続ければ、遠からず削り潰されるのは明白だった。
「気取った騎士様が……一人でかっこつけてんじゃねぇぞッ!!」
怒号とともに、瓦礫の山を吹き飛ばして躍り出た影があった。
カルムだ。
全身から血を流し、肋骨が折れた激痛に顔を歪ませながらも、その両拳には死んでいない「深紅の魔力炎」が再び激しく燃え上がっていた。
「カルム! だめだよ、体がつもたないッ!」
アルが叫ぶ。
「黙ってやがれチビッ! 俺は……お前の用心棒だッ! 飯を喰わせてもらっておきながら、女騎士の後ろで指くわえて見てられるかぁぁぁッ!!」
カルムは、泥地を爆発的に蹴った。
使徒の一機の側面に滑り込み、死角からその首元へ向かって、全魔力を込めた左フックを叩き込む!
「消えろやバケモンがぁぁぁッ!!」
しかし――。
ピタァッ……。
カルムの拳は、またしても使徒の周囲数十センチの地点で、見えない壁――『拒絶障壁』に阻まれ、ピタリと停止した。
カルムが込めた深紅の炎が、触れた瞬間にジュワッ……と音を立てて鎮火し、無へ還されていく。
「チッ……! またこのイカサマの壁かッ!」
『――――無駄だ。不純な生命体の攻撃は、当障壁の物理・魔力干渉計算により、すべてゼロへ置換される――――』
使徒が、無造作に白磁の腕を払い、カルムを再び叩き飛ばそうとした。
「させない……! 【星霜一閃】ッ!」
目ざとくそれに気付いたエレナが、防御陣の一部を解除し、聖剣から一束の幾何学極光を放って使徒の腕を弾いた!
バシィィィィィンッ!
「なっ……!?」
カルムは九死に一生を得て、後ろへ転がりながら体勢を立て直した。
エレナは肩で息を吐きながら、カルムとアルへ鋭い視線を向けた。
「無茶をするな、喧嘩屋! 奴らの『拒絶障壁』は、あらゆる魔力攻撃を位相の彼方へ散らし、概念そのものを無効化する神の絶対防御だ! 正面から殴ったところで、腕を壊すのが関の山だぞ!」
「うるせぇ! だったらどうすんだよ! 殴っても斬っても効かねぇバケモン相手に、指くわえて消されるのを待てってのかッ!?」
カルムが血反吐を吐き捨てながら吠える。
戦況は絶望的だった。
エレナの聖術でかろうじて消去光線は防いでいるものの、使徒の『拒絶障壁』を突破する術が誰にもない。
このまま削り合いになれば、エレナのマナが底をつき、スラム街ごと全員が蒸発することになる。
三、 崩壊する街と交錯する信念
『――――第二シークエンスへ移行。……広域消去モードを起動――――』
使徒二機が、意思疎通をするかのように同時に幾何学翼を大きく広げた。
二機の頭上に、直径十メートルを超える巨大な純白の幾何学陣が展開される。
そこから漏れ出す気配は、先ほどの単体攻撃の比ではない。スラム街の区画ひとつを、地形ごと丸ごと地図から消し去るための「広域消去神罰」。
「な……ッ!? 街ごと消すつもりか……!?」
エレナの顔から血の気が引く。
「逃げろッ! みんな逃げるんだぁぁぁッ!!」
広場の奥で、ボリスが声を枯らして住民たちを逃がそうとしていた。
しかし、住民たちの逃げ道であった路地裏も、先ほどの攻撃で崩落した瓦礫に塞がれ、逃げ場はどこにもなかった。
トニとマリアが、アルの服の裾を固く握りしめ、ボロボロと涙を流している。
「アル兄ちゃん……怖いよぅ……」
「僕たち……消えちゃうの……?」
「大丈夫……。大丈夫だよ、二人とも」
アルは、静かに二人の頭を撫でた。
その漆黒の瞳は、絶望に染まっていなかった。
アルの胸の奥底――命の熱『炉』が、太陽のように激しく、熱く脈打ち始めていた。
(使徒の攻撃には、結び目がなかった……。拒絶障壁も、僕たちの攻撃を全部『ゼロ』にしちゃう……)
アルは、手の中の『黒鉄の包丁』を固く握り締めた。
刀身の墨流しの模様が、アルの体温に呼応するように、ドクン、ドクンと怪しい黒い輝きを放っている。
(でも……本当にか? 本当に、隙間(筋)がないのかな?)
アルは、両足をしっかりと泥地に踏み込ませ、『真理の目』を自身の命の限界を超えて見開いた。
カァァァァァァァァァァッ……!
アルの視界から、すべての色が消え去る。
白と黒のモノクロームの世界。
その中で、上空の使徒二機と、彼らが展開している『拒絶障壁』の構造が、ミクロの精度で透かして見え始めた。
使徒の拒絶障壁。
それは、魔法でも物質でもない。「神の定めた空間の書き換え(プログラム)」だ。
だからこそ、カルムの物理的なパンチも、エレナの聖術も、触れた瞬間に「計算」されて無効化されていた。
しかし――どんなに完璧に見えるプログラム(計算式)であっても。
それを現実世界に固定するためには、必ず【世界のマナと接続するための接合部(結び目)】が存在しなければならないのだ!
(見えた……ッ!!)
アルの黄金の瞳が、使徒の周囲に揺らめく透明な障壁の「端っこ」――空間と神威が交差している極小の点に浮かび上がった、一本の細く不気味な【黒黄金の解体線】を捉えた!
あそこだ。
あの壁そのものを切るんじゃない。
あの壁をこの空間に繋ぎ止めている『絶対の結び目』を、滑らかに切り離せばいい!
「騎士様ッ!!」
アルが、叫んだ。
エレナが、驚いてアルを振り返る。
「少年……!?」
「僕が……あの使徒の壁の『結び目』を解体する!」
アルは、エプロンをなびかせながら、黒鉄の包丁を低く構えた。
「僕が壁を剥がしたコンマ一秒の隙に……あなたのその一番強い極光を、あいつの胸に叩き込んでッ!!」
「な……何を言っているんだ! 相手は神の使徒だぞ! 一撃でも掠れば、君の体など一瞬で無に――」
「僕を信じてッ!!」
アルの叫びが、エレナの言葉を遮った。
アルの瞳。そこにあったのは、無謀な子供のハッタリではなかった。
どんな理不尽な絶望を前にしても絶対に折れない、泥臭くも圧倒的な「命の熱」と、己の包丁(道具)への絶対の確信。
エレナの心が、強く震えた。
教国の騎士として、教義として叩き込まれてきた常識が砕け散る。
目の前にいるのは、魔力ゼロの「空箱」と呼ばれる少年。だがその佇まいは、どの聖騎士よりも気高く、頼もしかった。
「……分かった」
エレナは、覚悟を決めたように美しく微笑み、聖剣を天高く掲げた。
「我が全マナを……君の一閃に預けようッ!!」
四、 包丁と聖剣の交錯
『――――広域粛清シークエンス、完了。……消去光芒、放流――――』
使徒二機の頭上の巨大幾何学陣から、スラム街全体を覆い尽くすほどの超巨大な純白の光の柱が、音もなく下りてきた!
「今だぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
アルが、白磁の泥地を爆発的に蹴った!
「アルッ!!」
カルムが叫ぶ。
アルの身体は、まるで弾丸のように、上空から降り注ぐ純白の滅びの光の中へと、正面から飛び込んでいった!
死の光芒がアルの鼻先かすめる。
髪の毛が数本、触れただけで一瞬で消滅してチリとなる。
しかし、アルの『真理の目』は、一ミリのブレもなく使徒の周囲を覆う『拒絶障壁の接合部(結び目)』だけを捉え続けていた。
(硬いお肉の皮を剥くのと……一緒だ!)
(力で叩くぶんじゃない……刃先を、滑らかに『筋の隙間』へ吸い込ませるんだッ!)
アルは空中で身体を捻り、全魂の『炉』の熱を黒鉄の包丁の刃先へと一極集中させた。
「【真理解体】―――――ッ!!!!」
シュッ――――。
アルが振るった黒鉄の包丁。
その黒い刃先が、使徒の拒絶障壁の「空間との接合部」へと、ミリの狂いもなく吸い込まれた。
サクッ――――。
世界で一番、美しく澄み切った下ごしらえの音。
「『――――……え……?――――』」
使徒の合成音声に、初めて「ノイズ(動揺)」が混じった。
アルの包丁が結び目を切断したコンマ数秒後。
いかなる打撃も、いかなる魔法も受け付けなかった使徒の絶対防御『拒絶障壁』が、まるで薄いガラス細工のように、パリーンッ!! と音を立てて全周囲から一斉に砕け散ったのだ!
「障壁が……消えた……!?」
カルムが目を見開く。
神の絶対の壁が、ただの少年の包丁一振りで、完全に剥ぎ取られた!
「見事だ……少年ッ!!」
アルが空中で道を譲った、その瞬間。
背後から飛翔してきたのは、純白の極光を纏った、気高き白銀の流星――エレナ・ルミナス!
彼女の手にある『星霜の聖剣』には、彼女の全生命と全マナが注ぎ込まれ、太陽のごとき青白銀の輝きを放っていた。
「【我が生涯の誇りを賭して……星霜無窮斬】ッ!!!!」
ズバァァァァァァァァァァァァァァンッ!!!!!!!!!!!
エレナの一刀が、無防備になった使徒一機の胸のコアを、縦一文字に完璧に叩き斬った!
「『――――ガ……ガガガッ……! 破解……不能……ッ!』――――」
使徒の白磁の装甲がメキメキと崩壊を始める。
内部に蓄積されていた純白の消去エネルギーが逆流し、使徒の巨体が内側から爆発的に膨張していく。
ドガァァァァァァァァァンッ!!
一機の使徒が、青白銀の極光とともに、大空で四散して粉々に打ち砕かれた!
「やった……! やったぞッ!!」
ボリスたちが歓声を上げる。
アルの『解体』と、エレナの『聖術』。
あり得ざる二つの力が交錯し、ついに神の使徒一機を完全に撃破してみせたのだ!
五、 天空からの絶望
「ハァ……ハァ……っ!」
着地したエレナは、聖剣を支えにして膝をつき、激しい息を吐いた。
全マナを放出した彼女の顔は蒼白で、白磁の甲冑から汗が滴り落ちている。
アルもまた、着地と同時に激しい眩暈に襲われ、黒鉄の包丁を泥に突き立てて倒れ込むのを踏みとどまった。
『真理の目』の過剰使用と、拒絶障壁の結び目を切るための『炉』の過負荷により、全身の細胞が焼けつくような痛みを上げていた。
「すごいよ、騎士様……! あいつを倒せた……っ!」
アルが血の滲む顔で微笑んだ。
「君の……おかげだ、少年」
エレナも、奇跡を見るような目でアルを見つめ返し、息を整えた。
「君の包丁は……本当に、神の理すら切り解くのだな……」
しかし――彼らが勝利の余韻に浸る時間は、一秒たりとも与えられなかった。
『――――第一執行機(ガラテア-01)の機能停止を確認――――』
頭上から、冷酷な声が響いた。
残されたもう一機の使徒が、微動だにせず、アルとエレナを見下ろしていたのだ。
『――――データ更新。対象【アル】の脅威度を「危険度S」へ上書き。……ならびに、個体【エレナ・ルミナス】の反逆を確定――――』
使徒の背中の幾何学光翼が、狂ったように回転を始めた。
『――――状況の緊急性に鑑み……当エリアの消去方法を「局所初期化」から【大陸級・広域概念消去】へと変更する――――』
「な……んだと……!?」
エレナの顔から、完全に血の気が引いた。
残された使徒の手の中に、生成されたのは――先ほどまでの消去光線とは比べ物にならない、直径数十メートルに及ぶ、黒と白が渦巻く「宇宙の亀裂(疑似ブラックホール)」のような極大の消去核であった。
あれが解き放たれれば、第十三スラム街どころか、黒鉄の街全体、いや東の大陸の半分が地図から消滅する。
「クソッ……まだそんな隠し玉持ってやがったのかよッ!」
カルムが必死に立ち上がろうとするが、折れた体が言うことを聞かない。
エレナのマナも、すでに底をついていた。
アルの『炉』も、過熱により悲鳴を上げている。
一機を倒した。だが、神の理不尽な層の厚さは、彼らの想像を遥かに超えていたのだ。
『――――これより……黒鉄の街全域の『第十三回リセット』を実行する――――』
使徒の頭上の黒白の消去核が、絶望の唸りを上げて膨らみ始める。
逃げ場はない。防ぐ術もない。
スラム街の住民たちが、トニとマリアが、カルムが、エレナが、そしてアルが。
圧倒的な消去の光に包まれ、世界から完全に消し去られようとした、まさにその時――!
アルは、血塗れの手で、もう一度『黒鉄の包丁』を握り直した。
「まだだ……! まだ……僕の包丁は、折れてないッ!!」
絶望の淵で、少年料理人の魂が、さらなる覚醒の産声を上げようとしていた。




