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第一章32 抱き枕という甘え

 それは、夕食を済ませてほどなくしてのこと。

 止湮としずはリビングの三人掛けソファに身を横たえ、顔を肘掛けに預け、隣の一人掛けソファに座る際允あいゆるを力なく見つめている。


際允あいゆる、ごめん」

「何のこと?」


 訳が分からなかった。止湮としずに謝られるような心当たりなど、際允あいゆるには何一つもなかったからだ。


「君の死の真相を突き止めるって大口を叩いたのに、こんなに時間をかけても一向に進展がなくてな……」


 止湮としずが重いため息をついた。


「別にいいよ。もともと気にしていないんだし。たとえ永遠に真相がわからいままだとしても、僕は構わない」


 際允あいゆるは淡々と返した。


「当の本人にそこまで気にしていないように言われるのも、それはそれであまりいい気分じゃないな……」


 止湮としずがぼそりと呟いた。


 とうに警告したはずだし、自分には意味がないとはっきり伝えたはずなのに。際允あいゆるもまた、心の中でため息をついた。


 今の止湮としずは相当落ち込んでいるようだ。長年続けてきた調査が挫折の連続で収穫がないからだろうか。

 しかし、これまで止湮としずがそのような理由で負の感情を見せることはなかった。今日は格別に気分が沈んでいるのだろうか。


「今日、何かあったのか?」

()()()()がまた聖堂に来たんだ」


――あの二人。


 止湮としずが明言せずとも、前後の脈絡がなくとも、際允あいゆるは瞬時にそれが彼の実の両親のことを指しているのだと理解した。


 四年前、止湮としずに引き取られたあの日以来、実の両親について止湮としずが話すことは稀だった。

 あの二人が時折、止湮としずの職場である聖堂に押しかけて彼を待ち伏せしていることだけは知っているが、理由はわからぬままだった。

 止湮としずが自ら説明しない以上、際允あいゆるも聞くつもりはない。


 そしてこのような日に、帰宅した止湮としずは決まって、目に見えて沈んだ様子を見せる。


「でも、どうして急に調査のことで僕に謝るんだ?」


 止湮としずの両親の話を深追いすれば、彼の気分がさらに悪くなることを察し、際允あいゆるは話を元に戻そうとした。


「うーん……」


 止湮としずは話すべきか少し迷ったようだが、




「あの二人に会ってしまう度に、自分が()()()()()()人間だってことを思い出すんだ」




やがて、感情のない口調で答えた。


「……」


――止湮としずが? 役立たない?


 際允あいゆるにとって正反対の意味を持つ二つの言葉が並べられたことに、一瞬思考がショートした。長い沈黙の末、ようやく止湮としずの話の意味を咀嚼し終える。


「あの時、それは君にとって意味のあることだと言ってただろう? 君はただ、自分にとって意味のあることをしたいだけだって」


 他人を慰める術を知らない際允あいゆるは、ただ冷静に、己の本心を止湮としずへと伝える。


「なら、僕の気持ちなんて気にしなくていい。続けるにせよ諦めるにせよ、君が満足すればそれでいいんだ」


「いや、()()()()()


 どん底に沈んでいるような気配に反して、その言葉だけは揺るぎない決意に満ちていた。


「君も分かっているとは思うけど、もう一度言うよ」


 その褐色の瞳をまっすぐに凝視し、際允あいゆるは真剣な面持ちで告げた。


「諦めてもいいんだよ? それで失望やしないし、君を責めやしないから」


 むしろ、諦めてほしいというのが本音。


 けれど、引き取られた二日目、あらゆる困難とリスクを知った上での、止湮としずの揺るぎない決意を目の当たりにしたのだ。

 それ以降、際允あいゆるはそれ二度とそういう言葉を口にできなくなった。「諦めてもいい」――それが、自分に許された言葉の限度だった。


 止湮としずも彼を見つめ返し、しばらく何かを思案するように黙り込んでいた。




「もし、いつかうっかり君を()()()にしてしまったら、その時は遠慮なく注意してくれ」




 やがて、止湮としずがぽつりとそう呟いた。


「ん?」


――どんな脈絡で、本筋と全く関係のないその話が飛び出したんだ? どういう意味? 今の沈黙の間、まさかそんなことをしようと考えてしまったのか?

――これが俗に言う「甘える」というやつか?


「癒やしやストレス解消がほしいなら、ペットを飼ったりしたら?」

「世話する時間がないだろ」


 止湮としずが少し困ったような目で見返してきた。


「それに僕たちは一緒に住んでいるのに、そんなに他人事みたいに言われるのはな……。もし本当にペットを飼ったら、君にも影響があるだよ?」

「じゃあ、同僚や友達と食事とか飲みに行ったりしたら? 彼女作ってデートしたりしても悪くはないだろ」


 こんな話をしている自分が、まるで世間一般の典型的なお節介な母親のようだな、と際允あいゆるは思ってしまった。


「空いた時間は家にいるか調査に行ってるかで、同年代の人とほとんど交流していなだろ。二十代の独身男性としては、少しだけは、どうかと思うんだけどな……」


 今世で十歳になったこの年、止湮としずはもう二十八歳。世の中、多くの人にとって、家庭や仕事について様々に考えを巡らせ始める年齢だ。

 今の止湮としずのように、際允あいゆるの価値のない事件の調査に力も時間も捧げるよりも、自分の人生をもっと考え、それらを有意義なことに使ってほしいと思っているのだ。


 でなければ、自分が止湮としずの人生の足を引っ張っているような気がしてならない。


 だが、

「そんなことのために、君を一人で家に置いていけるわけないだろ」


 止湮としずは、至極当然のことのように言い切った。


 至って重要なことを話しているつもりなのだが。どう考えても「そんなこと」の一言で片付けられるレベルの話ではないだろう。おかしすぎる。

 際允あいゆるは心の中でそうツッコんだ。


 それに、止湮としずに「際允あいゆるにそんなこと言われたくないよ」とでも返されるかと思っていたのに、まさか自分の安全を心配されるとは。

 止湮としずのような()()()の思考回路は、やはり際允あいゆるには理解しがたい。


「数時間くらいなら大丈夫だろ。この建物の防犯・防火対策などのセキュリティ面は万全なんだし」


 引き取られてから4年が経ち、今世は10歳になっていた。世間一般では、多くの家庭が子供を一人で外出させても安心だと思える年齢だ。

 それでもなお、止湮としずの自分に対する過保護が今日まで微塵も減っていないことを、際允あいゆるは知っている。


「安全面だけの話じゃないんだ」


 止湮としずは眉をひそめる。


「君が一人で家にいるって分かっているのに、自分だけのために外で遊んだり楽しんだりするなんて、できるわけないだろ」

「どうしてそう思うんだ? 僕は構わないし、一人には慣れている」


 際允あいゆるには、どうしても理解が追いつかなかった。

 その困惑した表情を見て、止湮としずは諦めたように小さくため息をつく。


「とにかく、僕にはそういうのは必要ない。毎日こうして君と話すだけで、十分に癒やされるしストレスも解消される。それで十分だ」


「……そうかよ」

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