第一.五話 奇襲
敵対するスピリトーソの隊がホーキンスの谷を進軍する。
酔っぱらった敵国の軍人から諜報員が得た情報で、レッジェーロの中尉ノヴァ・サルースが率いる一隊が、奇襲を成功させた後の事。
散り散りになって逃げる彼らの追跡を指示した彼の元に、補佐官のマチスから緊急の連絡が入った。
『隊長、お嬢が崖の下に落ちた!』
それを聞いた途端、ノヴァは血の気が引いた。
お嬢と言うのはノヴァの七つ年下の妹のクラウィスの事だ。戦争で両親や親族を亡くしたノヴァにとって、今ではクラウィスだけがたった一人の肉親である。
クラウィスはノヴァが軍に入ると話した時に「兄さんの力になりたい」と言って聞かなかった。結局、衛生兵としてならとノヴァが折れる形で認め、今ではこうしてノヴァが指揮する隊で一緒に働いている。
そんな妹が、崖の下の落ちた。しかもこの戦いの最中に。
それを聞いてノヴァは酷く後悔した。やはりあの時、大泣きされたって嫌われたって、止めておけば良かったのだ。
ノヴァは青褪めた顔で、躓きそうになりながらも現場に駆け付ける。
そこには――――。
「あ、兄さん!」
思いのほかピンピンした様子の妹がいた。パッと見たところ、額などに多少の怪我はあるが、大怪我をしているようには見えなかった。
クラウィスがぶんぶん手を振る様子を見て、ノヴァは脱力する。
「崖から落ちたって聞いたけど、良かった。無事だったんだね」
「悪い隊長、焦らせた。落ちるには落ちたんだが、比較的緩めの斜面だったから、滑り落ちる形になったのが良かったらしい。ただ……」
連絡をくれたマチスが申し訳なさそうにそう言った。
いや、彼は悪くない。むしろ連絡してくれて良かったとノヴァは思う。
それはそれとして、その後に続く言葉が気になった。
「ただ?」
「大した怪我がなかったのは、もう一つ理由がある」
そう言ってマチスは奥を指さした。
そこには紫色の軍服に身を包んだボロボロの少女が倒れていた。
足は千切れかけ、腕もあり得ない方向に曲がっている。体にも先の尖った岩が突き刺さっていた。
酷い状態だ。軽く見積もっても生きているようには見えない。
「スピリトーソの軍人?」
その服を見てノヴァはそう判断する。この色は今しがたノヴァ達が奇襲した敵国、スピリトーソの軍人が着ている軍服だ。
ノヴァの言葉にクラウィスも「うん」と頷いた。
「この人が、上から降ってくる岩から私を庇ってくれたの」
「え? 敵が?」
ノヴァが驚いて目を見開く。
「俺も半信半疑だったが、アサギリが見たそうだ。お嬢の上に覆いかぶさって落下してくる岩を防ぎながら、その場を離れて……」
「ギリギリで私を押し出してくれて、逆にこの人が岩の下敷きに……」
「…………」
敵が味方を助けるなんて俄かには信じられなかった。しかし二人が言うのだからそうなのだろう。
「何とか岩をどかして引っ張り出したんだが、この分じゃあな……」
「……そうか」
苦い声で言うマチス。その言葉に含まれた意味はノヴァにも伝わった。
仮にもし生きていたとしても、この怪我では助からない。助けようがない。
理由は分からないが、敵であっても妹の命の恩人である人間だ。方法があれば助けてやりたかった。
せめて放置だけはせずどこかに埋めてやりたい。そう思ったノヴァが少女に近寄って片膝をつく。
ノヴァより少し若いくらいだろうか。まだ将来があっただろうに――――そう痛ましい気持ちになっていると、信じられないものが目に映った。
少女の体から流れていた血が、止まっているのだ。
「……え?」
最初は目を疑った。千切れかけていた足だ。服の袖でこすって、再びそこを見ると、やはり出血が止まっている。
それどころか傷口を少しずつ肉が覆い始めていて――――まるで再生しているように見えた。
「まさか……不死兵?」
「不死兵!?」
ノヴァの言葉にぎょっとしたマチスも近寄って来る。そして彼女の足を見て「マジかよ……」と呟いた。
唖然とする彼らの前で、スピリトーソの軍人の少女――――ルネの怪我はゆっくりと、だが確実に再生していく。
「……う」
小さく呻いた声。
その直後に、彼女の体に突き刺さっていた岩が、ガランと抜けて地面に転がった。