プロローグ 走馬燈
自分でも馬鹿な事をしたなと思うのは、大抵、後悔した後だった。
「ルネ! ルネ! ねぇ、起きて! しっかりして!」
「おい、あんたは不死兵なんだろう! 何で……何で、傷が塞がらないんだ!」
耳元でガンガンと響く声にルネが薄っすらと目を開ければ、そこには敵国の軍人達がいた。
ついこの間まで敵だったのに、何でこんな泣きそうな顔をしているんだろう。
そんな事を思いながら、ルネはやたらと熱くて痛みを感じる腹に手を当てる。するとべっとりと血がついた。
どうやら自分の腹には穴が開いているらしい。理解して、小さく笑う。
「どうして笑ってるの! 笑いごとじゃないですよ!」
敵国の紺の軍服を来た少女が泣きながらそう怒鳴る。歳は十二、ルネの弟や妹達と同い年だ。名前をクラウィスと言い、隣で怖い顔をしている青年の妹だ。彼はノヴァと言い、ルネの周囲にいる軍人達が所属する隊の隊長である。
それにしてもおかしな気分だ。敵に自分の怪我の心配をされているなんて。
「あんたは死なないはずだろう、ルネ・アインス!」
ノヴァが再度、そう言った。
不死兵。死なないはず。それが彼らのルネに対する認識だ。
実際に、ルネはそういう軍人だった。
正確には不死兵、もしくはその計画の名前を取ってゾンビブラッドと呼ばれている。不死兵は特殊な手術を受けた強化人間の事で、彼女・彼らは頭を吹っ飛ばされない限り、体のどこが失われても再生する。
もちろん痛みはあるし、公表されていないが、再生できる限界数というのもある。
つまりルネの体が再生しないのは、そういう理由だ。
不死兵としての力をすべて使い来って、ルネはただの人間の体になった。
ただ、それだけの事だ。
「生き物なのでね。そこはまぁ、無限じゃない……んだと思う」
秘匿事項ではあるが、この短い間に自分に良くしてくれた人間達へ、ルネはそう答える。
「何で。何で、黙っていたの!? 黙って、一人で向かったの!?」
ぽたぽたとクラウィスの瞳から落ちた涙が、ルネの頬に当たる。
ああ、温かいなとルネは思った。血と同じくらい熱を持っているのに、こちらの方がずっと心地良い。
「成功率と言うか……まぁ、これも、なりゆき……かなぁ。ホラ、結局、解剖されなかったし」
「解剖なんてするわけないでしょう!」
「するんだよ。……少なくとも、きみ達以外はね」
ルネは笑う。捕えられた不死兵が解剖されたという話は、何度も聞いた。
けれど何をしても再生して、解剖なんて出来ない体に諦めて、頭を吹っ飛ばされたという話も。
そうならなかっただけ自分は本当に運が良かった。ルネはそう思っている。
「人としてまともに接してもらったのは、ずいぶん久しぶりだった。それが敵だったなんて、ちょっと笑っちゃうけどね」
「…………」
「……不死兵も、死ぬのか」
「頭を吹っ飛ばしたら、いつも死んでるでしょ」
ハハ、とジョークめかして笑ってみせるとノヴァが苦い顔になる。
「どうして……あんたは不死兵になんてなったんだ」
「んー? うーん、そうだなぁ……まぁ、俗っぽい話だけど、お金だね。うち、貧しかったからさぁ」
不死兵は実験体という意味合いも強い。
だからこそ、その実験は希望制だ。けれどそんな死ぬかもしれない実験に、手放しで寄って行く酔狂な人間は僅かだ。
なので国は高額の報酬を用意した。
ルネの国は昔から、ノヴァ達の国と戦争なんてしていたものだから、国民の多くは金がなく飢えていた。
そこへこんなご褒美をちらつかせれば、飛びつく者も少なくない。
ルネもそうだった。ルネには働き過ぎで体を壊した母親と、当時七歳だった双子の弟と妹がいる。父はすでに戦死した。
そんな中、まともに働けるのはルネだけ。けれど学のないルネが就ける職は少なく、技術も持たない十二歳の子供のルネが得られる給金も安い。
その時に目にしたのは不死兵募集のチラシだ。
ルネは考えて、考えて――――そして家族に黙って応募した。採用通知が来たのはそれから数日後の事だ。
事実を知った母には泣かれた。行かないでくれと弟と妹にも縋られた。でもルネはそれを振り払って、家を飛び出した。
不死兵の手術は彼女が想像していた以上の苦痛だった。
もはや拷問とも呼べるような痛みと高熱と幻覚に魘され――――やがて「おめでとう」との言葉で、ルネは自分が無事に生き延びた事を知った。
目覚めた時には黒髪だった髪は真っ白に、瞳も赤い色に変わっていた。御伽話の吸血鬼が、ちょうどこんな髪と目の色をしていた気がする。
その日からルネ・アインスは不死兵の一人になった。そして人である事を捨てた日でもある。
けれど、まさか。
(五年も経つのに、もう一度、人として扱われるなんて思わなかった)
それはとても新鮮で、不思議な事だ。
ああ、そうだ。敵地でありはしたが、ここにいる数日間がルネにはとても楽しく感じられたのだ。
短くて、眩い時間。
それが走馬燈のようにルネの頭に浮かび上がり出した。
遡ること十日前。
小雨の降る春の半ば、ルネがノヴァ達と出会った日だ。