鉄道連絡船 ⑨
「青函連絡船に引導を渡すことになる青函トンネルの構想自体は、戦前から既に始まっていて、戦争中に中断を見たけど戦後すぐには測量も始まったんだ。だけど、その建設を急速に進めさせる切欠になったのは、前にも話した1954年の洞爺丸台風だったんだね。5隻の青函連絡船に加えて、史上最悪とも言える犠牲者を出した海難事故だったからね。この後起きる「紫雲丸」の事故と同じように、国鉄の連絡船の事故がより安全な交通手段を求める契機になったんだよ。あ、「紫雲丸」についてはまた宇高航路の時に話すね」
「はい・・・でも、青函トンネルが出来たのって確か・・・」
「昭和63年、西暦だと1988年だね」
「じゃあ、まだまだ随分先のことですね」
「確かにね。だけどその建設が本格的に始まったのが1961年11月の函館側の吉岡町で行われた鍬入れ式なんだ。つまり、青函連絡船が「津軽丸」や「八甲田丸」と言った新造船が続々と竣工している頃、その足下では、青函連絡船の存在を脅かすトンネルの建設が少しずつ進み始めていたんだね」
「でも、そう考えると青函トンネルの工事て長く掛かったんですね」
実に20年以上と言う長い工事に、桜はちょっとばかり驚いている。そんなに長く掛かるものだと。
「青函トンネルはそれ程までに難しい工事だったってことだよ。関門トンネルよりも遥かに長く深いトンネルで、しかも地層も軟弱な部分があったから。そんな大工事を、この経済成長が伴っている時代に行うことができたのは、日本にとって幸運とも言えるけどね・・・で、話は青函連絡船に戻るね」
「はい」
青函トンネルに移っていた話を、再び青函連絡船へと戻す。
「1964年に投入された「津軽丸」はその後同型船が投入されたんだけど、この内3番船の「松前丸」も青函連絡船の歴史において、とても画期的な船になったんだ」
「何が画期的だったんですか?「津軽丸」と型は同じなんですよね?」
「それはね、建造された場所だよ」
「場所ですか?」
「それまでの連絡船は基本的に横浜や浦賀、神戸と言った本土の造船所で建造されていたんだ。でも「松前丸」は初めて、航路の地元である函館の造船所で建造されることとなったんだ。つまり、青函連絡船で初めての道産子になったわけだ」
「おお!確かに、地元で作られたら地元の人も嬉しいでしょうね」
「実際7月の進水式や、その後の一般公開でも多数の人が押し掛けたからね。それ程までに、地元で船を造るって言うのは、大きな意味のあることだったんだ」
「ですよね。自分たちが毎日使っている船が、初めて地元で作られたんですから」
「それも含めて、1964年はイベントの多い年になった。青函連絡船はあの聖火も運んだしね」
「聖火?東京オリンピックの?」
「そう。函館から青森までね。新造船の竣工、地元での建造、さらにはオリンピックの聖火リレーへの参加。まさに戦後復興を成し遂げ、高度経済成長の波に乗る日本を、青函連絡船自身も体現したみたいなものだね」
「でも、そんな時代も終わっちゃうんですね」
桜がこの後の廃止を知っているだけに、残念そうに言う。
「と言っても、さっき君が言ったように実際に青函トンネルが開通して航路が廃止になるまで、実際のところ四半世紀もあるけどね・・・ただ確かにこの64年は「津軽丸」型の登場や聖火リレーて言う華々しい慶事がある一方で、青函連絡船を含む国鉄にとって悪い予兆と言うか、不吉な部分も出始めたとも言える年だったけどね」
「どう言うことですか?」
「まず国鉄と言う意味では、この年から赤字に転落したんだよ」
「え!?でも、新幹線も出来て戦争からの復興も進んだんじゃ・・・」
「新幹線を作るってことは、それだけ莫大な投資をしなきゃいけないってことだよ。確かにこの時代車や航空機の台頭が始まっていたとはいえ、日本国内の特に旅客交通の主流はまだ鉄道だった。ところが、この頃の国鉄は輸送量の増大に輸送力が追い付いていなかったんだ。新幹線を含めて在来線にも莫大な投資をしなきゃいけない。一方で国策として全国中に敷いたローカル線もある。おまけと来て、この時代右肩上がり成長の時代だから、物価や人件費の上昇もバカにならないしね」
「うわ~。その赤字を何とか埋めるとか出来なかったんですか?駅ビル建てるとか、駅の中にお店作るとか?」
桜の言葉に、木藤はチッチッチと指を振る。
「今みたいなJRだったら、国鉄もそういう様々な事業を展開できたもね。例えば鉄道の赤字をホテルやドラッグストア事業で埋めるとか。でも当時の国鉄は国有企業。つまり、鉄道省時代のような国の直営ではないけど、国の持ち物としての公共企業体なわけだね。今でもそうだけど、公共団体が無闇やたらに金儲けに走ることはできないってわけ。それどころか、運賃の値上げすら自由に行えない。そんなんだから、私鉄みたいな駅ビルや駅構内でのビジネスなんて、夢のまた夢。もし国鉄にそうした営利面での自由度がもっとあったら、延命したかもしれないし、例え民営化したとしても残した負債はより少なかったかもしれないね」
「難しいですね」
「そうだね。で、金儲けと少し関わるけど、新しい「津軽丸」型ではある部分で問題が出た。何故かお客が料金の高い一等を使わなくなって、安い二等に流れるようになっちゃたんだ」
「何でです?サービスが悪くなったんですか?」
「逆、逆。良くなったせい」
「はあ?」
意味が分からないと首を傾げる桜。
「それまでの古い型の船だと、一等船室と二等船室のサービスや配置に明確な差があったんだ。ところが「津軽丸」型ではこの差が縮まって、大して変わらないから安い二等へお客が逃げたわけ。だから差額400円分の収入が人数分減ったわけ」
「サービス良くして収入減るって、最悪じゃないですか!」
「もう少し一等のグレードを上げるべきだったかもね・・・そしてこの年青函連絡船に取って残念なことは、それまで行われていた乗船者と見送り者の間での5色の紙テープによるお別れが禁止されたんだ」
「事故か何かですか?」
「あたり。その紙テープは長さ20mで、見送り者が船に向けて投げて乗船者が受け取って伸ばすていう風だったんだけど、取り損ねた乗船者の短大生が桟橋に落ちて死亡して、一切禁止されたんだ。それまで見送る者と見送られる者が最後の別れを惜しんで結んだテープが、船と桟橋を彩った名物風景が消えちゃったんだ」
「物悲しい話ですね」
「相当な反対運動もあったようだけど、安全には代えられないからね」
(つづく)
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