鉄道連絡船 ⑧
「さっきも言ったけど、台風で損傷した船の復旧と、新造の「十和田丸」と貨物船2隻が加わったことで、洞爺丸台風で喪われた船の代わりなんとかなった。でも今度は、戦前から戦後すぐに建造された船の老朽化も同時に進行していたから、その取り換え船も必要になった。そこで船底の二重底化や水密の強化、エンジンの強化、当時としては最新の自動化機器を搭載した新型船「津軽丸」型が建造されることになったんだ。この船は最新の自動化船とされたけど、それがもめ事を起こす原因にもなったんだね」
「どういうことですか?船は新しくなって、性能も良くなって、自動化されて仕事も楽になれば皆喜ぶと思いますけど?」
桜が首を傾げる。それがどうして困ることを引き起こすのか、理解できないらしい。
「そうは世の中うまく行かないんだね。いいかい、自動化ていうことは、今まで人の手で動かしていたことを機械に任せるってことだよ。つまり乗員の数が減ることになるんだ。一つ前の型の「十和田丸」の乗員が94名だったのに対して、国鉄側が「津軽丸」型に最初必要な乗員として提示した数は、なんとたったの41名」
「ええ!?じゃあ、53人も減るんですか・・・前の船で働いていた人たち、余っちゃうじゃないですか!」
「だから職員で作る労働組合は安全が確保できないって猛反発して、国鉄と何度も団体交渉が行われたんだ。日曜日返上で行われて、それなりに歩み寄りを見せたんだけど、結局条件がまとまらなくて、ついに「津軽丸」が函館に入港する1964年の4月11日に、青函連絡船では初めてのストライキに突入したんだ」
「ストライキて、あれですよね?労働者の人たちが、いい条件を求めて仕事を止めちゃうやつ」
「そうそう。青函連絡船の場合は2時間の全船ストで、旅客便はなんとか運行されたけど貨物便はその日4便が運休。この結果、4人の労組幹部職員が懲戒処分、他に減給とかも含めて1000人以上が何らかの処分を受ける大騒動になっちゃたんだ」
「せ、1000人!?スゴイ話ですね・・・で、結局どうなったんですか?」
「最終的に471名を陸上に転換配置することで妥結したんだ。まあ、新型船の投入はもう決定済みのことだったからね。でも、その苦労に見合うだけの成果を「津軽丸」は叩き出せたけどね。まず最高速力が上がったから、所要時間が3時間50分に短縮された。これはそれまでの連絡船が4時間以上を要していたから、画期的な時間短縮だったんだ」
「それってアレですか?4時間の壁ってやつですか?」
「いや、それは関係ないね」
と桜の言葉に苦笑する木藤。
「4時間の壁は新幹線の話だから。ただ「津軽丸」型は新幹線とも無関係ではないけどね。この「津軽丸」が完成した1964年、昭和39年は東海道新幹線が開通した年なんだ。だから「津軽丸」も「海の新幹線」とか「船の超特急」なんて異名を持ったんだ」
「カッコイイですね」
「そしてこの「津軽丸」型の2番船の「八甲田丸」は、青森から函館までの航海で歴史に残る金字塔を打ち立てたんだ。竣工直後の9月に、本土から連絡する特急が踏切事故の影響で大幅に遅延して、連絡した「八甲田丸」も1時間10分遅れで出港したんだけど、そこからが新型船の本領発揮で、夜の津軽海峡を驀進して、函館に定刻の11分遅れ。なんと遅れを1時間も取り戻して3時間26分で走ったんだ」
「おお!」
「この結果北海道側で待っていた接続の特急も10分遅れで発車できた。この記録は後にも先にも破られていない、青函航路最速記録なんだよ」
「非常事態とは言え、そこまで遅れを縮めるってスゴイですね」
「「津軽丸」型と、当時の乗組員たちが如何に優秀だったかがわかるエピソードだね・・・そうそう、ちょっと話は脱線するけど、この頃青函連絡船に接続する特急列車も、大きな進歩を遂げていたんだ。戦前から終戦後昭和30年代初めまでは、国鉄においても特急列車は東海道線くらいしかなかったんだけど、昭和30年代半ばに入ると、全国に特急網が整備されるようになったんだ。これに合わせて、東京から青函連絡の出発地である青森を結ぶ常磐・東北線のルートにも新しい特急として「はつかり」が設定されたんだ」
「「はつかり」?鳥の名前ですね」
「そうだね。日本の列車の場合地名とともに鳥の名前が多いね。「はつかり」もそんな列車の一つで、東北へ向けて走る最初の特急列車として昭和33年に登場したんだ。最初はSLが牽引していて、上野から青森まで12時間掛かって走っていたんだ」
「12時間!?ひええ~。丸々半日ですね」
「それでもそれまでの最速の急行より2時間も速くなった。前も言ったかもしれないけど、青函連絡船と合わせて北海道に到達するまで16時間以上掛かるんだから、飛行機が当たり前になる前の時代、本土から北海道に行くって言うのはそれほど大変なことだったんだ」
「そう考えると、今て本当に便利なんですね」
「そうだよ。その便利さは、少しずつ先人が進めてきたものなんだ。で「はつかり」もデビュー2年後には日本初のディーゼルカーによる特急に変わったんだ。この時投入されたのは最初の本格的な特急型ディーゼルカーのキハ80系で、青森では青函連絡船に接続すダイヤがとられた。ボンネットの見た目からブルドッグと呼ばれた車両だね」
「確かに、いかめつい顔しています」
写真を見せられた桜がウンウンと頷く。
「ただこのキハ80も、最初は故障続きで火災事故まで起きたから、(はつかり、がっかり、事故ばっかり)なんて揶揄されたりもしたんだよ」
「な、なんだかちょっと気の毒です」
「でも、それも段々と改善されて、そしてこのディーゼルの「はつかり」に続いて、北海道側では同じくディーゼルで青函連絡船に接続する「おおぞら」、そして大阪から日本海周りで青森に連絡する「白鳥」が続々と運転されて、北海道連絡特急ルートが一気に整備されたんだ・・・一方で、青函連絡船を後に廃止に追い込む工事もこの頃始まっていたけどね」
「工事ですか?」
「そう、青函トンネルの工事がね」
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