第11話 黒い靄の向こう側➁
それが本当に傷を治しているのか、欠けた輪郭を外側から補っているだけなのか、そもそも霊体に対して「傷」という認識が適切なのかまでは透にも判断できない。
ただ、アルトの斬撃が入った直後、その箇所へ周囲の黒い靄が集中し、遅れて崩れた輪郭が元へ戻ったという順序だけははっきり確認できた。
「ハインさん!」
「はい!」
「アルトが斬ったところに黒い靄が集まってます。それから形が戻ってる!」
透の報告を受け、ハインが僅かに息を呑んだものの、すぐにアルトへ指示を飛ばす。
「アルトさん、続けて攻撃してください! 輪郭が戻るまでの動きを確認します!」
「了解!」
アルトは迷わず踏み込み、今度は一撃の重さよりも間を与えないことを優先した。最初の斬撃で肩口を裂き、返す刃で胴を薙ぎ、さらに身体を回転させながら横腹へ三撃目を叩き込む。
立て続けに斬られた濃い影は大きく形を崩し、身体の一部が霧のように散った。
「今です!」
ハインの声に促され、透は影そのものではなく、その周囲へ意識を集中させる。
予想した通り、散った輪郭へ向かって黒い靄が集まり始めた。しかも一方向から流れ込んでいるのではなく、納骨堂の地面近くに滞留していたものや壁際を這っていたもの、墓石の隙間を漂っていたものまでが一斉に動き、欠けた部分へ吸い寄せられていく。
「集まってます!」
「どこからです?」
「納骨堂の周り全部です! 一方向じゃない!」
透が答える横で、澪も周囲を見渡していた。
「ミオさんも同じものが見えますか!」
「同じ! 周りの靄が全部あいつに吸われてる!」
二人からほぼ同じ報告を受け、ハインの表情が険しくなる。
彼自身には、その現象が見えていない。透明石にも黒い靄そのものは映らず、判断材料にできるのは透と澪の言葉だけだった。それでも、互いに答えを合わせているわけではない二人が同じ動きを捉えている以上、偶然や思い込みとして切り捨てる理由はない。
「アルトさん、一度距離を取ってください!」
「まだやれるぞ!」
「倒すことが目的ではありません! 今は黒い靄の反応を確認します!」
「……了解!」
アルトは不満そうにしながらも指示には逆らわず、剣を構えたまま数歩後退した。
ところが、濃い影は追ってこない。
そこで透は、戦闘が始まってから抱いていた違和感の正体に気づいた。
アルトはすでに何度も斬りつけている。それでも影は積極的に反撃しようとはせず、攻撃を受けた瞬間に多少身体を向ける程度で、狙いそのものを変えていない。
顔と呼べるのかも怪しい輪郭の上部は、ずっと透たちのいる方向へ向けられていた。
いや、正確には違う。
「……澪から目を離してない」
気づいたことが、そのまま口から漏れた。
「透もそう思う?」
澪の声音に僅かな震えが混じる。
「ああ」
否定できる材料はなかった。
少し離れた場所で剣を構えていたアルトも同じことに気づいたらしく、影から目を離さないまま口元を歪める。
「俺があれだけ斬っても無視かよ。ちょっと傷つくな」
「今それ言う?」
「冗談だ」
軽口こそいつも通りだが、剣を握る手に緩みはなく、影が動けばすぐ割って入れるよう重心も前へ残している。
「ハイン、こいつ普通のレイスじゃないだろ」
「そう考えた方がいいでしょう」
ハインは透明石を影へ向けたまま、慎重に答えた。
「反応そのものは霊体に近いですが、周辺の魔力が乱れすぎています。別の何かが混ざっているのか、それとも環境の影響を強く受けているのか、今の道具では判別できません」
「名前をつけられない?」
澪が尋ねると、ハインは迷わず首を横へ振った。
「正体の分からないものを既知の分類へ無理に当てはめれば、その先の判断まで引きずられます」
透にも、その考えは理解できた。
見た目や反応がレイスに似ているからといって、同じものだと決めつけてしまえば、本来なら警戒すべき違いを見落としかねない。今確認すべきなのは名称ではなく、何に反応し、どう動き、どの程度の危険を持っているかという現象そのものだった。
「しかしこのままでは、呼びにくいですね。暫定的にノウムでどうでしょうか」
ハインの、提案にパーティーメンバー全員が頷いた。
「透」
隣から澪が小さく呼ぶ。
「靄、まだ来てるよ」
透もすでに気づいていた。
ノウムの崩れた輪郭へ集まっている流れとは別に、細い筋状の黒い靄がいくつも納骨堂周辺から伸び、少しずつ澪との距離を詰めている。
「ハインさん、澪の方にもまだ来てます!」
「位置は?」
「正面から……いや、左右にもあります。あの影から出てるんじゃない。納骨堂の周りに溜まってるものが、澪へ寄ってきてます」
「私を囲もうとしてる?」
澪が不安げに自分の周囲を見回す。
その言葉を聞いて、透にも全体の形が見えた。
一本の流れが一直線に伸びているわけではない。複数の細い靄が異なる方向から近づき、澪を中心にゆるく弧を描くような配置へ変わりつつある。
意図があるのかは分からない。
だが、何が起こるにせよ、完成するまで待つ理由はなかった。
「囲まれます。一旦下がりましょう!」
透は即座に判断し、ハインへ声を飛ばす。
「わかりました。ミオさんとトオルさんを後方へ!」
指示を受けた術者の一人が前へ出ると、杖の先を地面へ向けて短く詠唱した。淡い光の線が透と澪の前を横切り、そのまま半円を描いて光の膜を作り出す。
「この内側へ!」
透はすぐに後退し、澪も隣へついてくる。
その直後、二人を追うように伸びていた黒い靄が結界へ触れた。
透は思わず足を止めかける。
「……すり抜けた」
「え?」
澪も光の膜へ目を向けた。
結界そのものには何の異常もない。淡い光は消えず、術式が破られた様子もないのに、黒い靄だけがそこに何も存在しないかのように通過し、そのまま二人へ近づいてくる。
「ハインさん!」
透は声を張り上げた。
「結界を抜けてます!」
「何がです?」
「黒い靄です!」
ハインの顔色が変わる。
「術式には何の反応もありません!」
教会の術式がそもそも黒い靄を感知できていないのなら、それを防げないこと自体は理屈として理解できる。
しかし、理由が分かったところで、澪へ迫っているという現実は何も変わらない。
「澪、もっと下がるぞ」
「うん!」
透がさらに距離を取ろうとした、その時だった。
それまでアルトの前でほとんど動かなかったノウムが、突然速度を上げた。輪郭を滑らせるように前へ出ると、アルトの横を強引に抜けて澪へ向かおうとする。
「させるか!」
即座にアルトの剣が走った。
肩口へ斬撃を受け、影の上半身が大きく崩れる。それでも動きは止まらず、欠けた輪郭のまま前進しようとしたため、アルトは追撃するより先に自ら身体を割り込ませ、正面から進路を塞いだ。
「こいつ……!」
さらに、それまで前衛と交戦していた三体のレイスにも変化が起きた。
二体が目の前の相手から離れ、まるで合図でも受けたかのように透たちの方へ向きを変える。
「また澪か!」
胸の奥にざらつくような嫌な感覚が広がる。
もう偶然とは考えにくい。
前回の調査でも澪は優先的に狙われ、先ほど現れたレイスも彼女へ向かった。今度はノウムだけでなく、周囲に漂う黒い靄まで同じように反応し、さらに他のレイスたちまで標的を変えている。
理由は何一つ分からない。
それでも、澪がこの場所に存在する何かから明確に対象として認識されていることだけは、もはや疑いようがなかった。
読んでいただきありがとうございます!
今のところ1日1〜2投稿を考えています。
もしよろしければ、また来ていただけると大変喜びます。ブックマークしていただけたら更に喜びます(汗)
それでは、次の話で!




