第131話:痛い
廊下の音で分かった。
三人だ。息子の足音がいちばん前で、いちばん落ち着きがない。二十二にもなって、走るときの癖が九つの頃と変わっていない。
扉の前で止まった。止まってから、少し長かった。何か話している。声は届かない。
俺は天井を見ていた。天井の梁は、俺が伯爵を継いだ年に入れ替えたものだ。三十年経っても割れていない。良い材だった。あのとき王都から運ばせた。
あの頃は、運べたのだ。
*
扉が開いた。
「エイブラム殿」
二十年ぶりでもない。去年来られなかっただけだ。それなのに、ずいぶん長く聞いていなかった気がした。
「ベルナール殿」
「お顔を拝見できて、何よりでございます」
この人は嘘を言わない。だから「お元気そうで」とは言わなかった。俺の顔を見て、言えることだけを言った。
「どうぞ、お掛けに」
「では、失礼を」
*
寝台の脇に椅子がある。息子が朝から置いていた椅子だ。
この二日、あれはそこに座って動かなかった。
俺は寝たふりをしていた。目を開ければ、あれが何か言おうとする。言おうとして、言えないのを見るのが、こたえた。
「ライアン殿は、ご立派になられました」
「まだまだです」
「二年で、ずいぶん」
俺は返事をしなかった。返事の代わりに、息を継いだ。二度継がないと、次が出ない。
「頼みが」
「伺っております」
「そうですか」
書かせた二行を、あれを読んですぐ発ったのだろう。
二年、道が塞がって来られなかった人が、二行で来た。
「祈りを」
「はい」
*
司祭様は立ち上がって、俺の枕元に立たれた。手を組まれる音がした。
*
すべては大地より生まれ、大地に帰る。
*
この句を、俺は何百回も聞いた。部下の上で。村の者の上で。父の上で。
自分の上で聞くのは、初めてだ。
悪くない。
畑になる。麦が生える。誰も刈らない。あの領の墓地は、よそから来た者が畑と間違える。俺はそれを、ずっと誇りに思ってきた。
あそこへ行く。
*
司祭様の声が止まった。止まってから、少し間があった。
この人は、祈りのあとで間を置く人ではなかったはずだ。
「もう一人、お連れしております」
「聞きました」
「お会いになりますか」
「是非とも」
*
入ってきたのは、子供だった。
いや、子供ではない。十六か七か、そのくらいだ。息子より若い。
埃をかぶっている。袖が擦れている。歩き方で分かる。この子は歩いてきた。
王が歩いてくる。
「エリアスです」
「ロロア領主、エイブラム伯爵です。伏せたままで失礼を」
「楽にしていてください」
この子は、俺の顔を見た。
病人を見る目ではなかった。見舞いに来た者は、たいてい一度目を逸らす。傷の話をするか、天気の話をするかを決めるために逸らす。
この子は逸らさなかった。
*
「痛いですか」
*
俺は、去年の夏から、それを聞かれるたびに同じ返事をしてきた。
痛くない、と言ってきた。
言えば楽になる者がいるからだ。息子がそうだ。モーリスもそうだ。あれらは、俺が痛くないと言うと、少し息を吐く。
そうしてきた。
俺は口を開けた。
*
「痛い、です」
*
この子は困った顔をしなかった。うなずいた。
「そうですよね」
そして、俺の手を取った。
温かい手だった。この二日、俺に触れたのは息子だけだ。息子の手はいつも冷たい。緊張しているからだ。
この子の手は、温かかった。
「すみません」
と、この子は言った。
「私では、痛いのは治せません」
俺は笑おうとした。笑うと胸が動く。動くと切れる。だから笑わないようにしてきた。
それでも、少し笑った。
「勿体ないお言葉」
言ってから、次を継ごうとした。
継げなかった。
*
最後に息子の名を呼んでおくべきだった、と思った。
二日そこにいてくれたのに。
だが、悪くない。
あの畑へ行く時間だ。




