六日目(2)
逆落ひよりの死亡を受け、治験会場にいる夏目坂、劈、シルヴァニア・ナナリーは、現在、大変なショックを受けていた。
単純な死、そのものに驚いたのもあるだろうが、その死体の凄惨さと言うべきか、凄絶さと言うべきか、とにかくその死に様にこそ、彼ら三人は、衝撃を受けていた。
逆落賭の──
逆落賭の首が、斬られていた。
その事実にこそ動揺させられた。
いや──たしかに残酷ではあるのだし、それで驚いているのは確かな事実だが、実際には、そのこと以上にも、さらに動揺を誘う連想が、この死には存在していたのだ。
その連想とは──そう、言うまでもなく老爺の噂だ。
老爺の噂……、この治験会場が建てられる前にあった、古色蒼然とした古寺の敷地内で、呪詛を吐いては練り歩く怨霊が、残骸とはいえいやしくもお寺に無礼を働いた人間を、怒って、縊り殺したという、都市伝説。
その都市伝説の内容とこの事件の概要とが、部分的──否、大部分の重なりを、見せてしまっているのだった。
いやいやどの辺が? という感想を、ともすると抱いてしまったかもしれないのだけれども、これは正直解説するまでもなく──殺害方法と殺害対象が、その典型と言えると思う。
まず、『殺害方法』……縊り殺すという表現を使ったと思うのだが、老爺はその返す刀で──ぶちぶちぶちと、首を引きちぎり、胴から頭を離してしまうのだ……!
今回の事件も、首が斬られて、胴から離れている──だからそれが一つ目の『重なり』だ。
そして『殺害対象』……これはシンプルに、逆落賭が老爺のターゲットの、無礼者だっただけのことだ。
そりゃあそうだろう、自分が番をしてきた建物を撤去して、同じ場所で厚顔無恥にも研究をするなんて、どう考えても無礼このうえない……、これが二つ目の『重なり』だ。
そしてそれらの『重なり』二つに、一つの出来事が布石となっていた。
布石──つまり、手毬唄恋歌の老爺の目撃証言だ。
あれが噂に肉体を与えた。
そのことが悪い方向に奏功して──実体化した噂というイメージを、三人の脳内に植え付けてしまったのだ。
所詮は、実のない噂話──だったのが、実体のある、実際に話して、実際に練り歩く、実在の存在という考えが、この建物の中で一度──たったの一度でも──、席巻してしまったのが駄目だった。
なぜならばだ。
老爺という存在の確度をぐっ、と引き上げてしまったのもそうなのだが、実際にこうして被害者が出てみると、アレが見間違いなどではなく、本当に存在していたということに、彼らの中でなってしまうからだ。
事件だけではそうならなかったろう。
目撃証言単体でも同じことが言える。
だが、両方が存在してしまった──
その条件が揃ってしまったなら、こう言える。
あの老爺が。
手毬唄恋歌が目撃したあの老爺が、逆落賭ひよりのことを──殺したのだ。
※
『そんなこと、ありえないっていうのは分かっているんです……分かっているんですけれど、でも、理性以上に感情が理解しない。理屈より先に、恐怖が先立ってしまうんです』
電話口から聞こえるシルヴァニア・ナナリー、その必死の訴えが、彼のその恐怖を拙くも確実に、この手毬唄恋歌の夫にして、安楽椅子探偵とあだ名される、手毬唄凱歌の心にも届かせた。
そんなことがあったなんて──
「大変だな……警察に通報はしたのかい?」
『しましたけど……無駄でした』
凱歌は聞き返した。「無駄?」
『はい……いま治験をしている新薬なんですが、それにお金を出してもらっている、後見人というか、パトロンというか、出資者というか、とにかくスポンサーに、死者が出たことと、それを通報したことを報告したらですね、「警察に行ってことが公になれば、新薬のイメージダウンにつながる」とかいって、そのことは内々で済ませろというんです……。
すでに通報はしていたので、手遅れなのでは? と疑義を呈したら、
「この薬の開発には文字通り桁違いの額を出資している」
「逆に言えば桁違いの額を出資できる資金力があるということだ」
「……警察に通報が行ったところで、彼らに対応させないということも可能だ」
「今ごろはそんな通報など、署内ではなかったことになっている」
「繰り返すが、事件のことは内々で処理しろ。犯人がわかったら報告するように」
「こちらで犯人は『処理』しておく」
「誤って『処理』されたくないのなら、正しい推理で、誤謬のない真相を、喝破しろ」
「三日は待とう。四日目には関係者全員が『失踪』扱いだ」
「事情を知る人間がいるのは不都合ゆえにな」
「君たちの家族にそんな説明はしたくない」と脅されて……』
シルヴァニア・ナナリーは実に淀みなく滔々と、縷々として間断なくそういったあと、もうめちゃくちゃですよね? コレ、と結んだ。
「た、たしかに──」
無茶苦茶だ。
いくらなんでも、言っていることが。
「それは……何かな? ハッタリとかではない……のかな?」
『おそらくは』ナナリーは言った。『一資産家とか、そういうスケールではないので……』
「具体名は言えるのかい?」
シルヴァニア・ナナリーは、一瞬迷う素振りを見せたあと、若干気後れしたように言う。
『……⬛︎⬛︎⬛︎⬛︎インダストリアルです』
「なぜ黒の四角」
『ブラックボックスと思ってもらえれば』
「意味もなく上手いことを言うんじゃない」
その手の冗談はまだ言えるんだね。
己はそう言って──しかし、事態が相当に重いらしいことを、今更ながら改めて認識する。
どうやら大変なことになったらしい。
『吾、思うんです』たぶん、私、思うんです、と言いたいんだろうことを、彼──シルヴァニア・ナナリーは自然に発言する。『サカオトシヒヨリさんが亡くなったのって、老爺が犯人という仮定のもと考えれば、おそらく動機は「番をしていた寺を撤去したその挙句、あまつさえ同じ場所で厚かましくも研究を始める無礼者」だったからなんですよね。それって──この研究所で働いている、全員に当て嵌まる条件なんですよ』
ですから、とシルヴァニア・ナナリー。
『この事件は、サカオトシヒヨリさんが殺されて、それで終わりというわけじゃない……そんな気がしてならないのです。
たとえば、次に殺されるのは、吾かもしれないし、ビョウドウインムサベツさんかもしれないし、あるいはテマリウタレンカさんかもしれない──テマリウタレンカさんは、彼女が休暇を取って旅行に行ったあとで、吾が研究所に入ったこともあり、面識自体は正直ないんですが、それでも、彼女が研究員であることに変わりはない……ですので、十二分以上に、殺される資格を保有してしまっている』
そう考えると夜も眠れない、と結んで、シルヴァニア・ナナリーはしばらく緘黙した。
幽霊による、連続首斬り殺人事件──
滑稽を通り越して、むしろ笑えない文字列だ、と己は考えた。
「ありえないさ、そんなこと。いまは、令和6年だよ? 今どきそんなもの、流行りはしないって」
『流行るとか流行らないだとか、ことはその遥か以前の問題ですよッ! もうすでに、人が死んでしまっている……ッ! 老爺の存在を実証するように、老爺の実在を確証するように……ッ!!』
そう言って、彼はしばらく喚き散らしていた。
さもありなん。
ふつうの殺人でも十分怖いのに、彼の感じている恐怖と言ったら、その心中は察するに余りある……。
己は慮るつもりでこう言った。
「ま、まあ大丈夫さ。殺人事件なんてやろうと思えばすぐに解決す──」
あっ、と思った。
コレは失言だ。
こんなことを言ってしまっては、次のようなことを言われても仕方がない。
『じゃあ、貴方がこの謎を解いてくださいよッ! 電話越しでも構いませんからッ!!』
……安楽椅子探偵には似合いの仕事だった。
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