9 天界《旅立》
「まったく、弟子の旅立ちの日だっていうのにいつまで眠る気ですかね」
博士は溜め息をつきなからベッドに眠る師匠のでこをペシペシ叩いている。
五年前に師匠が眠りについて数日後、師匠の友人で博士と名乗る女性が手紙をもってやってきた。
銀色に輝く髪と白い肌は、どこか師匠と対象的で聡明な美しさだった。
そんな博士が持ってきた手紙の差出人は師匠だったが『弟子をとったよ』とだけ書かれていた。
こんな手紙で来てくれるわけがない。
もはや何もお願いしていない。
やはり師匠は師匠だった。
それでもその時に博士はいくつかの付与について教えてくれたが、今育てている弟子が一人前になるまで待っててくれと言って帰っていった。
博士が教えてくれた付与は基礎的なものだったが、擬音でしか説明してくれない師匠と比べてものすごくわかりやすかった。
博士と敬われるのも納得だったが、その名付けはやっぱり師匠だった。なんでみんな師匠の名付けをすんなり受け入れるのか不思議だ。
と思ったが、俺の名付け親も師匠だった。
きっと師匠はその道のプロなのだろう。
そして博士が天界に居を構えて本格的に習い出したのはニ年前からだ。
それから博士に薬草の特徴や、付与を使わない薬の作り方についても教えてもらった。
この天界にある薬草は地上にも生えているそうで、ここでの知識は無駄にならないとも言われた。
他にも魔道具の作成方法などを習ったが、俺には才能がなかったようだ。というよりアイデアが劇的に乏しいと痛烈に批判された。
俺が作る魔道具のほとんどは修行を行うためのもだ。身に纏うだけで炎に包まれるコートや、寝たら首が締まる首飾りなんかはいつでも修行ができて便利なんだけどな。
それで調子にのった半年前、家の壁から炎が飛び出す魔改造をしたらこっぴどく怒られた。
家の前で正座をさせられて、いつもは丁寧な言葉なのに『舐めてんのか馬鹿野郎』と恫喝された。
ギャップがすごすぎて死を覚悟した。
タイミングよく稽古のために遠くから歩いてきた剣鬼でさえ、博士と俺の様子を見て何も言わずに引き返していった。
そして数日間剣鬼が家に来る事はなかった。
白状だ。
それでも剣鬼は俺の作った魔道具を悪くないって褒めてくれたから、あれ以来博士には内緒で魔道具を作成している。
ただ俺が作る魔道具はこの天界にある素材でしか耐えられないらしい。だから地上に降りた俺はポーション以外作れないことを最近知った。
そして肝心の師匠は五年間一度も目を覚ましていない。
以前、剣鬼と博士にあの男に会わせてくれとお願いしたが断わられた。剣鬼や博士でも滅多に会えないらしく、その住まいに近づけないとも言われた。
結局師匠の眠りを解く方法についてはわからなかったが、剣鬼と博士は何かを知っていそうだった。
しかしそれについては教えてもらえず『そのときがくるまで己を磨け』とだけ言われた。
だから俺はその日を信じて修行に励んできたが、師匠の目が覚める前に約束の十年が先にきてしまった。
「師匠。お世話になりました」
ベッドで眠る師匠に頭を下げる。
それを見た博士は椅子から立ち上がり、静かに部屋から出て行った。
師匠は五年前と変わらない姿だ。
苦しむ様子もなく、静かに眠っている。
叶うならば、旅立ちの日を先に延ばし、師匠が起きるまでここで暮らしたかった。
だが、師匠はそれを望まないだろう。
(俺が剣鬼に斬られた夜、師匠は何を思ったんですか?)
自分の拳を握りなが考える。
手のひらは微かに熱をもっている。
その手をあの日の師匠のように彼女の頭に添えた。
あの日と同じならば、俺と同じように師匠は目を覚ます。
そう信じて自分も目を閉じて師匠の事を想う。
瞼の裏には輝くように笑う師匠がいる。
その笑顔を忘れた日など一日もない。師匠と過ごした時間はかけがえのい幸せな時間だった。
だから、その笑顔にまた会いたいと願う。
しかし、師匠が目を覚ます事はない。
自分の手の熱が冷める事もなかった。
準備を整えて家の外に出ると、博士だけでなく剣鬼とバランも待っていてくれた。
剣鬼は師匠が眠って以来、毎日のように稽古をつけてくれた。
以前は説明もなく斬りつけてくるだけだったが、効率的な体の動かしかたや剣の型についても基本から教えてくれるようになった。
きっと師匠が見たらびっくりしただろう。
その剣鬼は俺の前に歩み寄ると、手に持っていた物を俺に差し出した。
「お前はこれを使え」
剣鬼が手に持っていたのは五年前の夜に師匠が使った剣だ。その剣は通常の剣より短く、ナイフよりも長い短剣だ。
持ちては拳一つ分しかなく鍔も小さい。
僅かに反った片刃は細見で、余程上手く受けなければ簡単に折れてしまいそうだ。
そしてなにより、無骨に見えるその剣からは底の見えない力の気配がする。
「俺には……使いこなせそうにないです」
俺らしくもなく思わず弱気になった。
剣の力に恐れたのか、師匠の物を預かるのにためらったたのか俺にはわからない。
しかし剣鬼は手を引っ込めなかった。
「当たり前だ。お前が一生を費やしてもアマラのように使いこなせるはずがない。そんな事はわかっている。それでも……」
剣鬼はそこで言葉を止めた。
いつもはっきりと言いきる剣鬼にしては珍しい。
視線を剣から顔に移すと、剣鬼は困ったように溜め息を吐いている。
それから俺を睨むように見つめてきたあと、ゆっくりと口を開いた。
「……それでも……お前は、お前たちは、困難と
わかっていても努力するのだろう?」
『努力』
それは五年前、剣鬼が否定した言葉だった。血の滲むような努力を重ねた男が辿り着いたひとつの答えとも言っていい。
だが剣鬼は師匠と俺を認めてくれた。
そのせいか剣鬼が口にした『努力』というその一言が俺に力をくれる。
「俺は最後に間違うところでした。やります。いつか師匠のように使いこなしてみせます」
剣鬼が力強く頷いたあと、その手から剣を受け取る。師匠が使っていた短剣は見た目に反してずしりと重かった。
(師匠の想いを紡ぎますよ)
俺は家の方に振り返る。
声には出さなかったが、力強くそう宣言した。
剣鬼に続き、のそりと近づいてきたバランの口には一対のアクセサリーが咥えられている。不思議に思って手にとると、それについて博士が説明してくれた。
「これは《七星の欠片》と言って、一対で意味をなすものよ。離れた場所にいてもお互いがどこにいるのかわかるの。もっとも、常にわかるわけじゃないわ。一年で限られた時だけよ……本来の役割わね」
「本来?」
なんだその意味深な説明は。
しかも博士は悪戯気に笑っている。
「ふふ。牛に、好かれるわ」
「……はい?」
「だ、か、ら、牛に好かれるのよ。バッファローやミノタウロスが群がってくるかもしれないわね」
「……呪いのアイテムなんですか?」
ジト目でバランを見るが『アホか』と言わんばかりに鼻息を吐く。器用な牛だ。
そんな俺たちのやり取りを冷ややかな目で見ていた剣鬼が口を挟む。
「そいつの結界を昔見ただろ。あれほどではないにしろ、地上の驚異ならほとんどそれに込められた結界の力で防げる。もっとも何度も使えるものでもない」
なるほど。
俺は地上の驚異をまだ知らないがバランの結界があれば安心だ。
俺はバランの額を撫でなから受け取る。
その七星の欠片からはバランの角の気配がした。
「改めてありがとうございました」
ふたりとバランにお辞儀をしながら礼を言う。泣きそうになったが立派な姿を見せたくて歯を食いしばる。
「お前は自分の目的のために生きろ」
「そうよ。人生は楽しむためにあるんだから」
ふたりは俺が師匠の事を気にしないでいいように気をつかってくれたのだろう。
その気持ちが無性に嬉しかった。
「迎えがきたわね」
博士は空を見上げながら呟く。
そこには空を旋回しながら降りてくる大鷲の姿があった。
いよいよ本当の別れである。
こうして天界での十年が終わった。
修行に明け暮れた毎日ではあったが、この十年は俺に大切なものをたくさん与えてくれた。
これからは、まだ見ぬ大地で生きていくのだ。
◇◇◇◇
「よかったの?」
「なにがだ」
博士の問いに剣鬼はぶっきらぼうに答えた。
「頼めばよかったじゃない。アルならあんたの弟子を救いだせそうじゃない? アマラだって私と同じことを言うわよ」
博士は独り言のように呟く。
「確かに俺はあいつに教えられた。だが俺はそれをまだ他人に教えられん。自分にできないことをあいつに頼むことなどできるはずがない。それに……あいつはもう自分の為に生きるべきだ」
剣鬼は博士よりも長い時間アルと過ごした。
それは永く他者に関心を持っていなかった剣鬼には珍しい事だった。
(剣鬼が他人のことを想いやるなんて、あの師弟はどんな魔法使ったのよ? でも、だからこそ、ままならないわね……)
ふたりはアルを乗せて遠ざかる大鷲を眺めた。
これからの少年の旅路を願いながら。
ようやく天界編が終わりましたが、毎日ご覧頂いてありがとうございます。
しかも第2話からブックマークを頂けるとは思っていなかったので、嬉しい限りです。
明日からは地上編の更新を続けますので、どうぞよろしくお願いします。