表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大阪を歩く犬2  作者: ぽちでわん
9/44

難波大道・後半

それからまた別の日、難波大道の続きを歩きに行った。

まずは住吉街道で長居公園へ。

長居公園には有料の広い植物園や自然史博物館が南側にある。その自然史博物館そばの出口から公園を出て、バス停に近い信号を渡り、南へ。

すぐ左折、すぐ右折、すぐ左折、すぐ右折とじぐざぐに歩いた。長居公園通りのすぐそばなのに古い町並みが残っていて驚いた。ただ、じぐざぐと曲がっていった内側にあって、用がある人でなければまず気づかないだろうなあ。古い集落の周りに道路がいっぱいできていって、集落が道路の内側に隠れている感じだった。

左手に保利ほり神社。半分は公園になっている小さな神社だった。詳細は不明ながらこのあたりに室町時代に城があり、その守護神だったのではないかと言われているみたい。石山合戦で織田信長によって攻め落とされたという新堀城だったのではという説もあるそうだ。けれど堺の新堀にあったという説の方が有力みたい。

ここは堀村という環濠集落だったという話もあるのだって。それは本当かもしれない。あたりは元環濠集落だらけだから。

境内には吉田奈良丸寄進という碑があった。明治から大正にかけて活躍した浪曲の名人だったらしく、興行しては収益を神社に寄進していたそうだ。こんな小さな神社にまで寄進するって、このあたりでも興行を行っていたのかな?と驚いたけれど、ときどき村相撲の力士の石碑が村にたてられていることもあって、村相撲とか浪曲とかはテレビの無い時代には村々で開催される楽しいイベントだったのかな。浪曲師や力士は、いろんな村に招かれて行くものだったのかな。

そして今の公民館的な役割をしていたのが各村にあった寺社だったそうだから、神社の境内で開催されることが多かったんだろうか。

その後も道がつきあたったりしつつも南へ南へと進んでいった。田畑も残っていて、わたしの知らない昭和ってこんな感じだったんだろうかと思った。レトロな小さな電気屋、畑、畑で働く人、家々の感じ。


それから区画整理で生まれた感じの住宅地へと入っていった。ほんの一部だけには古い建物も残っていて、きっと畑の中の一軒家だったのだろう。その周辺にぎっしりと家や集合住宅が建ち並んでいったのだろうな。

地名が右手は苅田(住吉区)になり、左手は南矢田(東住吉区)に。このあたりでは難波大道の通っていたあたりで区が分かれているみたい。

広い府道42号住吉八尾線に出て、このまま南に行けば難波大道のものと思われる遺構の見つかった今池水みらいセンター(元・今池浄水場)。けれどそこに至るまでの間には江戸時代にここを流れるようになった大和川があって橋はない。

右手に吾彦あびこ大橋、左手に行基橋があって、より近い行基橋は42号線で渡っていけるらしく、近いけれどまだ見えない大和川に42号線で向かった。途中右手にお寺が見えて行ってみると、永安寺や石仏でいっぱいの地蔵堂、枯木八幡宮があった。小さな古い集落だった感じのところだった。

枯木は地名で、枯木八幡宮の詳細は不明。小さな神社で、祭神は火雷ホノイカヅチだって。

南には大和川の堤が見え、その手前には廃線になったJR貨物線。大依羅神社などに行った時も見た阪和貨物線の跡だ。

古い集落だった感じがするのもそのはずで、もう少し西に行くと大依羅おおよさみ神社のある庭井だった。庭井の向こうの橋が吾彦大橋。吾彦大橋という名なのは、我孫子あびこが近いから。ヨサミノアビコからきたという地名ね。

ヨサミのアビコは、古代、ヨサミと呼ばれていた松原市にも及ぶ一帯の有力者。仁徳天皇とかの時代から続く氏族ね。飛鳥時代には百済の聖王から仏像を贈られている。それを後に聖徳太子が寺にして祀ったのが今も残るあびこ観音。


42号線に戻り、廃線跡を越えて、行基橋へ。手すりがピンク色の行基橋は、行基にまつわる伝説があるからなのかな?と、この時はまだ知らなくて思った。

大和川の向こうを東西に走る広い新しい道ができていて、その道も橋で越えるものだから、大和川を過ぎてもしばらく橋が続いていた。

左手には緑が見えていた。阿麻美許曽あまみこそ神社で、そのそばを下高野街道が通っているらしかった。

ヨサミが変化してアマミになったと言われているそうだ。それが地名の天美あまみにも

なっているのだって。・・・ちょっと無理があるような。

長い橋を下りると、右手に見える今池水みらいセンターに行き、みらいセンター沿いの道で南下した。みらいセンターはかなり広い施設だった。

近くの大和川の河川敷では難波大道の跡の他、いろんなものが見つかっているそうだ。縄文土器、古墳時代の埴輪や住居跡、平安時代の牛や人の足跡、鎌倉時代の屋敷跡などなど。

牛や人の足跡っていうのがきゅんとくるなあ。平安時代の足跡が残っているんだ、とびっくりしたけれど、アメリカでは1万年以上前の人の足跡も見つかっているそうだ。


水みらいセンターの南側には開放緑地がずっと南北に続いていて、ここを歩かせてもらった。水路があり、桜並木が続き、水鳥もいて、素敵なところだった。公衆トイレなんかもある。

「開放緑地・風の広場」からセンターを出て、西除川を渡った。

西除川って、古代につくられた狭山池から流した2つの除川のうち、西側を通るほうね。かつては北に流れていたけれど、途中を大和川が流れるようになって、西除川は天美あたりで西に向きを変え、大和川に注ぐようにつくりかえられたみたい。

難波大道跡で住吉区と東住吉区が分かれているように、このあたりでは堺市と松原市が難波大道跡で分かれているらしく、その境目まで西除川遊歩道を少し西に向かい、堤にあって高台になっている遊歩道から下に下りて、また南に向かっていった。

地名は天美我堂あまみがどうで、古そうなところだった。面白くて、周辺をうろうろ歩き回った。旧道らしくカーブした道があちこちで交差し、あっちを見てもこっちを見ても古い家々。

屋根の一部が茅葺(かな?)になった大きな旧家もあって、これは元庄屋の西川さん宅で、江戸初期の建物らしかった。

歩いていて、環濠集落だったのかな?という気がしたのだけれど、正解だった。この西すぐにはイオンモール北花田店があったりするけれど。

前に東大阪あたりで河内七墓を知った。行基が開いたという7つの墓だった。他にも大阪七墓など行基が開いたとされる墓が多数あり、この近くにもそんな墓の1つの阿坂墓地もあるらしかった。阿坂って・・・浅香ね。


古い家には「我堂善正寺檀家」とか「我堂八幡宮氏子」の古いシールが貼られていた。うろうろしているうちに善正寺を見つけた。重厚な感じのお寺だった。

元は平野にあったそうだ。蓮如の頃に浄土真宗の寺になってこの近くに移転。さらに江戸時代にここに移転。

広い通りに出ると行基大菩薩の新しい像があった。東に緑が見えていて行ってみると、ここが我堂八幡宮。江戸時代に百舌鳥八幡宮から勧請したのかな? このあたりも周辺は古い町並みで面白かった。

適当に南に歩いて古い集落を抜けると、区画整理されてうまれた感じの町並みに。

途中の公園には土地区画整理事業の立派な碑があった。区画整理って、広い土地を開発するにあたり、道や公共施設などと住居用区域の配置もあらかじめ決めておいて計画的に開発していくことだと思う。ここは天美我堂の西端にあたり、堺に近くて市街地化することは必至なので、あらかじめ美化のために公園をつくっておいた、みたいなことが碑には書かれていた。


南花田町交差点で信号を渡った。松原市を出て、堺市に入ったらしかった。市の境がこのあたりではじぐざぐになっているみたい。

このあたりも古い町のようだった。南花田村って、江戸時代からあったのだって。旧道らしくカーブした道でいっぱいだった。

緑が見えたので行ってみると、八坂神社だった。すごく入り組んだ道の中ほどにあって、新しい町並みの側からは入れないようになっていた。

大泉緑地も見えてきた。

小さな光竜寺川を小さな大泉橋で渡った。もう少し行くと金岡。金岡神社あたりで難波大道が終わり、今度は東に向かう官道があったというところ。今の竹内街道との交点ね。

金岡神社にはもう行ったからなと、難波大道歩きはここまでにして、西にある新金岡駅(地下鉄御堂筋線)から帰ることにした。住吉街道も歩いたのがきいたかな、もう疲れていたし、また歩き直さなきゃあな、と既に思っていた。

一度目の難波大道歩きはまだ知らないことが多すぎた。もっといろんなことを知ってから歩いたら新しい発見もあるだろうし、そのときにまたやって来て金岡神社まで歩こう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ