二重螺旋の世界
ボク――二水うるりは、死亡しても過去の時点に戻る不思議な現象に巻き込まれている。
いわゆる「ループ」というもの。記憶を保持したまま、一定の時間線をやり直すことができる。
このループが始まったのは、中学2年生の秋――ボクが、文芸部の部室で更紗に告白をしてからだった。
天川更紗。15歳。5月11日の牡牛座。
身長は173cm。かなり高い。体重は……実は知らない。血液型はA型。
つややかな黒い髪を腰まで伸ばしていて、大きなリボンで後ろ髪を束ねている。
内気な性格だけれども、そんなところが可愛い幼なじみだった。
ボクと更紗が親しくなったのは、小学4年生のことだった。
家は隣同士で同じクラスだったけれども、ボクには他に仲良くしている子がいて、それでボクたちの関係はあまり進展していなかった。たまたま家が隣同士で、たまたまクラスが同じ程度の仲。必要以上に親しくせず、数ある友人のうちの一人という感じだった。
しかし、背が高いことを理由に、更紗がクラスの子に嫌がらせを受けていたことを、ある日知った。
当時から、更紗の身長は平均よりだいぶ高くて、頭一つくらい出ていた。
でも内気な性格ゆえ、身長に関するイヤな言葉を言われても、それに言い返したりすることはできずに、ただ涙を流して我慢することしかできなかったみたいだった。
いわば一種のサンドバッグ状態で、そんな更紗は子供たちの格好の餌食になっていた。
そのことを知って、ボクは嫌がらせの主犯格――割とお金持ちのお嬢様だったと思う――に喧嘩を売って、最終的には取っ組み合いになってしまったけれども、更紗を助け出すことができた。
その行動は「いじめはいけない」とか、そういった純粋な正義感からではなかった。
ボクは、更紗ともっと親しくなりたかったんだと思う。
彼女は長い髪の毛や可愛いヘアアクセサリーやフリルのついたワンピースがすごく似合っていて、とても女の子らしかった。実を言えば、当時は今と比べるとすこぶるやんちゃだったボクは、彼女にあこがれのようなものを抱いていたのだった。
悪く言えば、彼女の弱みにつけ込んで、ボクは更紗に近づいた……というわけだ。
まあ動機はさておいて、このボクの取り組みは成功を収め、思惑通りにことが進んでいった。親友になって、ボクたちはお互いの家や公園で遊んだりするような仲になった。
小学校を卒業して、地元の中学校に入学した。
ただ1年目は、ボクたちは別々のクラスになってしまって、更紗が近くにいなくなることで胸が苦しくなることに気がついた。
これまでは授業中、隣の席にいる更紗が何をしているかなんてすぐ分かったけれども、あの時は、ボクたちを隔てる一枚の壁のせいで、彼女が授業中何をしているのか想像に耽ることが多くなった。
部活動は、文芸部を選んだ。
……といっても、文芸部は部員がゼロでほぼ廃部状態だったところを、顧問である司書さんに頼み込んで、なんとか図書準備室を借りているという状態だったけれども。
文芸部の活動は、図書室の本を読んだり、小説を書いてみたりという具合だった。
物語を紡ぐことは、幼い頃から好きだった。
クマのぬいぐるみを見て、主人公のクマが森の中を冒険するお話を想像したり、魔法使いが出てくるゲームをプレイした後は、魔法使いが困っている人を助ける物語を考えたりという感じで。
人によっては、これを黒歴史というかもしれない。
でもボクにとってはある種生きがいの一つであって、でもこれまで頭の中の雑然とした物語を一つの形にしたことがなかったので、文芸部員として、小説という形で物語を紡ぎたかったのだ。
更紗と二人きりで過ごす部活動は至福のひとときだった。
狭い教室。積まれたダンボール。古書の匂い。
読んだ小説の感想を共有したり、書いた文章を読んでもらって喜んでもらったり。
秘密基地のようなその空間で彼女と一緒に過ごしていると、クラスが別々ということもあって、心が満たされていって――これが恋なんだってボクは気づいていた。
心という器に満たされていく、不思議な気持ち。
器には限りがあるから、募る想いはどんどんあふれ出ていって、心が爆発しそうになる。
この気持ち――更紗に正直に伝えたい。
しかし、なかなか踏ん切りがつかなかったのは、やっぱり「世間体」というものがあったからだ。
「女の子同士はいけないこと」――どういうわけだか本能的に、それが悪いことだって私は知っていた。
クラスの女の子同士で、手をつないだり、あまつさえキスをしたりということは日常茶飯事なのだけれど、それとは違う、一線を越えてしまうことなんだって分かっていた。
更紗はどう思っているんだろう。
周りの子たちと同じで、「女の子同士」を悪いこととみているのか、それとも――。
いや――更紗なら大丈夫。
きっとそんな偏見を持ったりしないはずだ。
そう言い聞かせるものの、ボクは二の足を踏んだままでいた。
この想いを日に日に募らせながら、ついに2年生の秋、文芸部の部室で、ボクは行動へと移すことにした。
と言っても、直接告白するほど、ボクには勇気が足りなかった。
ワンクッション置いて、それから秘めてきた想いを告げる手はずだった。
「更紗、新作書いてみたんだけど、読んでくれない?」
「この間からずっと書いてきた奴?」
「そう」
「確か、恋愛ものって言ってたっけ?」
「うん。こういうの初めてだから、感想を聞かせて欲しい」
「あはは、いつもファンタジーか童話系だものね。うるりは」
コピー用紙に印刷した20ページほどの新作を手渡す。
それは――ボクの想いの結晶であり、更紗の気持ちを確認する踏み絵のようなものでもあった。
要は、女の子が女の子に恋する小説だった。
主人公の女の子は、窓から空を見るのが好きな一風変わった少女。
そんな彼女の友人は、派手目な女の子で、星を見るのが好きな子。
二人は天文学部に所属していて、日々青空か夜空かどっちが優れているかで喧嘩をするような仲だけど、次第にお互いひかれていって……という感じの物語だ。
物語を読み進める更紗を注視する。
読み始めは、いつも浮かべているおだやかな笑顔だった。
一枚一枚ページをめくる度に、ボクは心臓が跳ね上がりそうになる。
そして物語が後半に進んでいって――実は「星の少女」がかつて「空の少女」に助けてもらったことがあって、それがきっかけで恋心を抱いていることが判明すると、更紗は少しだけ頬を紅くした。
更紗、ドキドキしてくれているのかな?
女の子同士の恋愛でひいてたりしないかな?
冷や汗が出て来て、全身が薄ら寒くなってくる。
更紗は無言のまま、ページをめくっていく。
固唾を呑んで見守っていると、ついに最終ページに到達したようだ。
最後は、二人の気持ちが通じ合ってキスをして……というハッピーエンド。
更紗は原稿を机の上に置く。顔はかなり紅くなっていた。
「女の子同士の恋愛だったんだね……」
小声で、まず更紗はそう口にした。
なんだかすごく気まずい雰囲気だ……。
「う、うんっ。ど、どうだったかな? やっぱりこういうの……気持ち悪いかな?」
弱気になってしまい、ボクは心にもないことを口にしてしまう。
すると更紗は突然立ち上がる。パイプ椅子と床がこすれる音が響いて、ボクはビックリする。
「そんなことないよ! 私は……女の子同士の恋愛って、なんだか幻想的でロマンチックで……そういうのもありだと思うの。だからうるりの小説読んでて、すごいドキドキしちゃった」
「……ホント?」
絞り出した声は、今にも消えてしまいそうな小声だった。
まるで泣きじゃくった子供が、親に懇願する時のような感じ。
「ホントだよ。うるりに嘘つくはずがないじゃない!!」
その言葉を聞いた瞬間、ボクの瞳から涙がこぼれ落ちていた。
やっぱり、思った通りだ。
更紗は女の子同士とか――そういうこと、気にしないんだ。
「うっ、うっ……」
あふれ出る涙を抑えることができない。
嬉しすぎたから。
「ど、どうしたの、うるり!? いきなり、ボロボロと泣き出して!?」
でもまだ何も始まっていない。
ボクの正直な気持ちを更紗に伝えないと!
そのための小説だったんだから!
「更紗……ボクね、更紗のことが好きなんだ。ボクと付き合って欲しい……。更紗を想うだけで、どんどん胸が苦しくなってきて、我慢できなくなってきたんだ。でも……女の子同士だから――」
「もしかして、それでこの小説を……?」
「うん。確かめたかったんだ」
泣きじゃくりながらも、ボクはまっすぐに更紗に正直な想いを伝えた。
対面した彼女はしばし硬直して、ポッとうつむき気味に顔を赤らめた。
「嬉しい……」
「え――」
「嬉しいの。私もうるりのこと、ずっと想ってきたから」
「更紗……」
ホント――夢じゃない?
ボクと更紗が、両想いだったなんて――。
「私も怖かった。もしかすると、『女の子同士だから』っていう理由で、拒絶されるんじゃないかって。だからずっとうるりのこと想ってきたけど、正直に告白できなかった」
「うん……」
ボクは更紗を力強く抱きしめた。
更紗も力強くボクを抱きしめてくれる。
「女の子同士」っていう壁は、ボクたちが見ていた単なる幻想だった。
子供の頃に想像していた幽霊みたいに、怖がっていたけれども、実は存在しないものだった。
本当は、隔てるものなんてなくって、こんなにも近くにボクたちはいたんだ。
こうして、ボクたちは想いを告げ合って、恋人同士になれた。
*
幸せの絶頂とはいまのような状態を言うんだろう。
ボクたちはお互いの気持ちを確認し合えて、それから自ずとスキンシップが増えていった。
手をつないだり、一緒にご飯を食べさせあったり……クラスメイトの他の女の子達がするように、ボクたちもそうするようになった。
ただ、もちろん二人のこの関係は秘密だった。
周囲の彼女たちは、「友情を深める」という名目でいちゃついているけれども、恋愛対象はあくまで男なのだ。
ボクたちの関係が露呈すると、そのことで何か良くないことが起こるかもしれない……そう考えていた。
そんな風にして恋人同士になって、ボクたちは最初の休日を迎えた。
前日、部室で、更紗と「どこに行こうか」という話になり、家から歩いて15分ほどの距離にある広い公園でデートをすることになった。
ショッピングや、お互いの家に行って遊ぶという選択肢もあったけれども、それは付き合う以前からやっているから、恋人同士としての初めてのデートは何か特別なものが良かった。
公園でのんびりして、更紗の用意した食事を食べたりといったことは、親友時代にはしたことがなかったので、それがボクたちの初デートに決まった。
午前の10時に家の前で待ち合わせをして、ゆっくりと通りを歩き、西側の入口から公園に入ると、ブロック舗装された小路が続いていて、その左右にジャングルジムやブランコといった懐かしい遊具の並んだ広場があった。公園の奥は緑の芝生が一面に広がったなだらかな丘になっている。
「懐かしいね、小学生の時以来じゃない?」
「そうだね。昔はよくここで遊んだっけ」
「ブランコに滑り台、それからシーソー……遊んだなぁ」
「ふふっ。後で久しぶりに遊んでみる?」
歩きながら、更紗はブランコを楽しそうにこぐ子供たちに目を向ける。
「……ボクたち、もう子供じゃないんだよ」
「えー? でもうるり、ホントはちょっと遊んでいきたいんじゃないの?」
「……なんで分かるの?」
「だってうるりの顔、ちょっと赤くなってるんだもの。遊びたくて、でも恥ずかしくなって、そうなったんじゃないかなーって」
「うう……」
更紗には、ボクの気持ちはお見通しだったみたい。
そう。昔を思い出して、久々に遊びたくなっちゃった。
「子供じゃない」なんて強がってみるものの、ボクたちはまだ子供。
「いいじゃない、子供だって。……子供のほうが楽しいよ」
「そうだね。子供の方が気楽で、ずっと幸せそう。それじゃあ後で一緒に、子供に交じって遊ぼっか?」
「そうしよう」
そんな会話を交わしながら、ボクたちは丘の腹の、勾配の小さなところへ。
レジャーシートを敷いて、その上に横になった。
今日は青空の中をところどころにひつじ雲が浮かぶ、おだやかな気候の日だ。
「いい天気だね」
隣に寝転ぶ更紗に声を掛ける。
ボクたちは手をつないでいて、まるで空の中で一つになっているかのような感覚だ。
「風も気持ちいいね。ゆっくりと動く雲を見ているだけで、なんだか幸せな気分になる」
「……きっと、ボクたちがこうして繋がっているから、なんでも幸せな気持ちになれるんだと思う」
「うるり、結構臭いこと言うんだね」
「……もう、放っておいてよ」
「ふふっ、そうだ。さっそくだけど、サンドウィッチ食べる?」
うるりは体を起こして、手にしたバスケットを開いた。
朝ご飯からちょっと時間が経っていて、お昼にしてもいい頃だ。
「それじゃあ、いただこうかな」
ボクは更紗お手製のハムチーズのサンドウィッチをいただく。
「おいしい」
「ホント?」
「うん。更紗の作ったサンドウィッチ、愛情がこもっていて、本当においしい!」
「……ありがとう。あはは、食パンを切って、ハムとチーズを挟んでいるだけなんだけどね」
「もう、そういう空気を壊すことを言うんだから。ボクたち恋人同士なんだから、こういう甘々なやりとりをするものなの。でも……おいしかったのは本当だよ」
「ありがとう。……そうだったね。そういうベタ甘なやりとりをしてもいいのかもしれないね。でも、なんだか慣れないなー」
そんな風に食事を取ったり、何もせずのんびりしたり、遊具で遊んでみたり。そんな中に、今までの親友とは違う、恋人らしいやりとりが端々に出て来て、ボクは幸せの絶頂を迎えていた。
そう――その瞬間までは。
西の空に太陽が半分近く沈み掛かる、夕刻。
公園で素敵な時間を過ごしたボクたちは、帰路をゆっくりと歩いていく。
手をつないで、お互いのことを話しながら。
通りは、二車線でガードレールのない、交通量のあまりないところで、更紗が道路側を歩いていた。
会話に興じていたからなのか、ボクたちはその背後から迫り来る存在に途中までまったく気がつかなかった。
後ろで、激しいエンジン音が鳴り響く。
それに本能的な危機感を覚えて振り返って、ボクは愕然とした。
すぐ背後に大型トラックが近づいて来ていて――それは更紗のいる歩道へと突っ込んでくる勢いだった。
「危ないっ!」
叫んで、掴んだ更紗の手を引っ張る。
だが爆走したトラックはそれよりも早く歩道に進入し、更紗の体に激突した。
ボクは衝撃に耐えられず、彼女の手を離す。
そしてトラックは何事もなかったかのように車道に戻ると、走り去っていった。
まさに瞬間の出来事だった。
何が起きたかという感じだったが、大切な人が隣にいないということは真っ先に気がつく。
「更紗!!」
更紗の体は約20メートル先に吹っ飛んでいた。
無我夢中で彼女の元に駆け寄る。
「さら……」
言葉を失う。
路上で横たわる更紗は、もうボクの知っている更紗ではなかった。
全身から血を流して、もうぴくりとも動かなかった。
「更紗……!!」
ボクは涙を流して、彼女にすり寄った。
これから二人の幸せな時間が始まっていくのに、どうしてこんなことに――!!
*
結局、ボクはその後、更紗のいないひとりぼっちの世界に耐えきれず、死を選んだ。
トラックの前に飛び出して、更紗と同じように吹っ飛ばされて死んだ。
そして目が覚めると、彼女に告白をする日、更紗の意向を確かめるための小説を渡す前の文芸部の部室に戻っていた。
それからボクは、自分がループに巻き込まれていることを知り、さらに――更紗に告白をして付き合い始めると、彼女が悲惨な死を迎えてしまうことを知ってしまった。
告白の仕方を変えても、どこでデートをしようと、結果は同じ。近いうちに更紗に死が訪れる。
初めのうちは、何度も何度もループを繰り返した。
きっと二人が幸せになれる世界があるはずだって。
でも……目の前で大好きな更紗が悲惨な死に方をしていくのに、心が耐えきれなくなって、10回ほど世界を繰り返した頃、ボクはこのループを放棄した。
つまり、更紗に告白をせず、恋人同士にならない運命を選択した。
どうして恋人にこだわる必要があるんだろう。
ボクはそれに囚われて、大切な物を見失っていたような気がする。
別に恋人同士にならなくたって、これまでの親友っていう関係で満足。
どうせ女同士で付き合ったって、やがてそれは認められないっていう世界の掟にボクたちは従わざるを得ないんだから。
そうやって嘘をつくことで、ボクは自分自身をなんとか納得させる。
そしてボクは、更紗と永遠に友達でいることに決めたのだった。