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乱世の中国は、刻一刻と姿を変える。344年のこの頃もまた、各地で権力の消長が繰り広げられ、未来への種が蒔かれていきました。
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北方の嵐:前燕の雄飛
北の大地には、厳しい風が吹き荒れていました。遼東の地に根を張る前燕の都では、知略と武勇を兼備えた雄大な指導者、慕容皝が天下の趨勢(物事の移り変わる様子)を見定めていました。彼は冷静な判断力と長期的な視野を持ち、着実に勢力を拡大していく忍耐力と戦略性に長けていました。
344年のある日、慕容皝のもとに、急使が駆け込みました。 「陛下! 宇文部にて内乱が勃発いたしました!」 宇文部とは、前燕と同じ鮮卑族の一派で、長年にわたる宿敵でした。しかし今、その宿敵は内の争いで疲弊しきっていました。
慕容皝は静かに地図を広げました。そこには、遼西の地に広がる宇文部の領土が示されています。 「好機到来と見るか……」 彼は独り言ちると、側近を呼び寄せました。 「宇文部は、今や疲弊しきっている。この機を逃す手はない。兵を整えよ。宇文部を併合する。」 併合とは、国や勢力を一つ(ひとつ)にまとめることです。 将軍たちは迷うことなく命令を受けました。前燕の兵士たちは、高句麗との戦いを経て士気が高く、精鋭揃いでした。電光石火(素早いこと)の進軍により、宇文部は抵抗する間もなく前燕の支配下に置かれました。
この勝利により、前燕は遼東から遼西にかけての広大な地域を完全に掌握(自分のものにすること)しました。慕容皝は満足げに頷きました。 「これで後趙への備えも、より盤石になった。次は、華北の中原へ向かう時だ。」 彼の瞳には、新たな野望が燃え盛っていました。
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南方の芽動:桓温の登場
一方、遥か南の地、東晋の都、建康にも、新しい時代の胎動(物事が始まろうとする兆候)がありました。345年、一りの若き武将が歴史の表舞台に姿を現します。その名は桓温。強烈な野心家であり、己の能力に絶対の自信を持つ、複雑な人物でした。
彼はこの年、荊州刺史(地方長官の一種)に任じられました。荊州は長江の中流に位置し、軍事の要衝(戦略上重要な場所)でした。桓温は、その地で着実に力を蓄えていきます。
ある日、桓温は自室で、広大な中国全土の地図を眺めていました。彼の視線は、遠く華北を支配する異民族の勢力と、蜀の地に割拠(いくつか(いくつか)の勢力がそれぞれ勢力圏を作ること)する成漢に注がれていました。 「この乱れた世を、真に鎮められるのは、我が力のみ……」 彼は呟きました。彼の心の中には、東晋の衰退を憂い、中原を回復させようとする高い理想と、それを成し遂げるためなら手段を選ばない冷徹な野心が混在していました。
「まずは、西の成漢か……」 桓温はそう考えると、筆を取り、今後の戦略を練り始めました。彼がやがて成漢を滅ぼす大功を立て、東晋の実力者となることは、まだ誰も知り得ませんでした。
北方では慕容皝が勢力を拡大し、南方では桓温が虎視眈々(こしたんたん)(隙を狙っている様子)と機会を伺う。五胡十六国時代の幕は、静かに、しかし確実に、次の局面へと進んでいくのでした。
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歴史の波は、中国の各地で異なる色を帯びていました。華北の騒乱とは対照的に、涼州の地には、秩序と安定を求める動きがありました。
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西域の光芒:前涼の拡大
345年、中国の西北に位置する涼州は、漢民族の張氏が治める前涼の勢力圏にありました。ここを統治するのは、張駿という人物です。彼は辺境の地で安定した支配を確立し、外交と武力を巧みに使い分ける現実主義者でした。
ある日、張駿は、幕僚(軍の幹部たち)を前に、一枚の地図を広げていました。地図には、西へと伸びる交易路と、その先にある西域の国々(くにぐに)が描かれています。彼の指が止まったのは、焉耆という国でした。焉耆とは、中国の西の方にある、栄えた国のことです。
「焉耆からの貢物(貢物とは、目上の人に捧げる品物を指します)が途絶えて久しい。西域との交易は、我が涼州にとって死活問題だ。」 張駿の言葉には、辺境の民を支える者としての責任感が滲んでいました。西域との交易は、前涼の経済を支える重要な柱だったのです。
「陛下、兵を派遣し、焉耆を降すべきです。」 一りの武将が進み出て言いました。 張駿は深く頷きました。 「うむ。西域の安定なくして、涼州の繁栄はない。直ちに軍を編成し、焉耆へ向かわせよ。」
前涼の精鋭は、過酷な砂漠を越え、焉耆へと進軍しました。焉耆は前涼の軍事力の強大さに驚き、戦うことなく降伏を選びました。この勝利により、張駿は「仮涼王」を自称します。「仮涼王」とは、皇帝ではないけれど、それに匹敵する権力と地位を自ら名乗ったことを意味します。これは、彼の支配が名実ともに確固たるものとなったことを示す宣言でした。
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涼州の継承:若き君主の挑戦
しかし、歴史の流れ(ながれ)は止まることを知りません。翌346年、前涼の君主の座は、張駿の息子、張重華へと受け継がれます。父の事業を引き継ぎ、安定的な統治を維持しようとした堅実な君主である張重華は、若くして重責を担いました。
涼州の都、姑臧(現在の甘粛省武威市)は、父の代に築き上げられた繁栄を享受(楽しむこと)していました。街には西域から来た商人たちの活気ある声が響き、漢民族の文化と胡族(異民族の総称)の文化が混じり合い、独特の彩を見せていました。
張重華は、謁見室で家臣たちと語り合っていました。 「父上が築かれたこの基盤を、我々(われわれ)はさらに盤石なものとしなければならない。」 彼の言葉には、若き君主としての責任感と、父への敬意が込められていました。 「華北の動乱は続いておりますが、涼州だけは平穏を保ち続け(つづけ)たいものです。」 一りの老臣が深く頭を下げ(さげ)て言いました。
張重華は頷きました。 「その通りだ。我々(われわれ)は、民の生活を第一に考え、この地を豊かにせねばならぬ。」 彼は父の遺志を受け継ぎ、内政(国の政治)の充実に(じゅうじつ)と、西域との交易の維持に尽力しました。これにより、前涼は涼州を中心とする地域で、着実にその勢力を広げていったのです。
華北の混乱とは別の世界のように、涼州は張氏の統治の下、一時の安寧(穏やかな状態)を享受していました。しかし、五胡十六国時代の波は、いつかこの平穏な地にも押し寄せるのでしょうか。涼州の未来は、まだ誰にも知る由もありません。
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荒ぶる五胡十六国時代の波は、中国全土を覆い尽くそうとしていました。その中で、わずかな希望の光を見出そうと、人々(ひとびと)は抗い続けます。
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南方の雄、東晋の逆襲
347年、江南に都を置く東晋では、一りの若き将軍が頭角を現していました。その名は桓温。強烈な野心家で、己の能力に絶対的な自信を持つ男です。彼は、乱世にあっても晋の正統性を守り、中原(中国の中心部)回復の夢を抱いていました。
桓温の次なる標的は、遠く西の蜀の地、成漢でした。成漢は、かつて李雄という賢明な指導者によって築かれた国でしたが、度重なる内紛(国や組織の中で起こる争い)によって、今や衰退の一途を辿っていました。現在の皇帝は李勢。時代と勢いの波に逆らえず、帝国の滅亡を招く悲運の君主です。
桓温は、幕僚たちを前に、力強く宣言しました。 「成漢は疲弊(疲れ果てること)しきっている。今こそ、晋の武威(武力によって示される威厳)を天下に示す好機である!」 側近の一人が問いました。「しかし将軍、蜀への道は険しく、兵站(軍隊への食料や物資の補給)の確保も困難を極めます。」 桓温は涼しい顔で言い放ちました。「困難であるからこそ、成し遂げた時の功績は大きい。兵站の困難は、私が解決する。」
彼は自ら軍を率い、四川の険しい山々(やまやま)を越え、成漢の都、成都へと進軍しました。成漢の兵士たちは、東晋軍の勢いに抗う術もなく、次々(つぎつぎ)と崩れ去っていきました。
李勢は、もはや為す術がありませんでした。 「もはやこれまで…。」 彼の呟きは、無常(はかなく、移ろいやすいこと)の響きを帯びていました。 こうして、304年に李雄によって建国されて以来約50年間続いた成漢は、東晋の猛攻の前に(まえに)滅亡しました。この勝利は、東晋にとって初めての華北回復(一時的ではあったものの)となり、江南の人々(ひとびと)に大きな希望をもたらしました。桓温の名は、天下に轟き渡ったのです。
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華北の血と炎:冉閔の悲願
一方、華北では、後趙の暴君石虎が死去した後、権力争いが激化し、混乱は極まっていました。石虎は石勒の甥にあたり、その残虐な支配によって民衆を苦しめ、国を疲弊させた人物です。
その混迷(混乱して先が見通せないこと)の中から、一りの漢民族の武将が立ち上がりました。彼の名は冉閔。民族主義的感情が非常に強く、過激な行動も辞さない激情家です。漢民族が胡族の支配に苦しむ現状を憂い、民族の復興を悲願としていました。
350年、冉閔はついに後趙の皇帝を廃し、自ら帝位に就き、国号を冉魏と改めました。そして、彼は歴史に残る決断を下します。「胡族殲滅(皆殺し(みなごろす)にすること)」の命令です。この命令により、華北では、胡族に対する大規模な虐殺が始まりました。漢民族の長年の恨みと、胡族の恐怖が入り乱れ、大地は血で染まりました。
冉閔は、都の鄴。現在の河北省臨漳県で、集まった兵士たちに語りかけました。 「我々(われわれ)漢民族は、長きに渡り胡族の圧制(権力によって人を苦しめること)に苦しんできた。今こそ、その軛(人を束縛し、自由を奪う(うばう)もの)を断ち切る時だ!」 兵士たちは、冉閔の言葉に熱狂(興奮し、夢中になること)し、咆哮(大声をあげること)を上げました。彼らの目には、長年の抑圧(力で押さえつけること)から解放された、狂気にも似た光が宿っていました。
この出来事は、五胡十六国時代の残酷さを象徴するものでしたが、同時に漢民族の根強い復讐心と、中原を巡る民族間の複雑な感情を浮き彫りにしました。冉魏は短命に終わる運命でしたが、その登場は、乱世の歴史に深い爪痕を残したのです。