【第9話】「看板犬ポムとビクビクお母さん」
異世界焼肉の朝は、いつも炭火の香りと賑やかな声で始まる。
だけど今日は――お姉ちゃんの買い出しの日。
いつものようで、ちょっとだけ騒がしい一日になる予感。
朝の光が差し込み、窓の外では市場のざわめきが聞こえる。
今日はアーちゃんが朝から買い出しに行く日。
相変わらず眠たそうに目をこすりながら、布団からのそのそと出ていく姉を見送り、私は早く目が覚めてお母さんの手伝いに取りかかっていた。
お母さんは「まだまだ若い」と言ってくれるけれど、毎日ひとりでたいていのことをこなしてしまう人だ。
その手際の良さ、料理の腕――同じようにやっても、私の味はどうしてもお母さんのようにはならない。
自信を失いそうになる私に、いつもお母さんは優しい笑顔で「美味しいよ」と励ましてくれる。
そんなお母さんが、私は大好きだ。
ところが、その日はいつまで経っても姉が帰ってこない。
開店準備の時間が迫り、私はそわそわしはじめた。
「仕方ないね、今ある材料で今日の一品を作るよ。手伝って」
お母さんの声で、私は慌てて包丁を握った。
普段は切り落としてしまうスジ肉の部分を、今日はしっかり煮込むことにする。
けれど時間がない。圧力鍋はないから……と、お母さんは時空魔法を使いはじめた。
「時空魔法で圧縮して、風と火の魔法で温度と圧を保つのよ」
言葉ではよく分からなかったけれど、目の前でぐつぐつと煮え、短時間で柔らかくなっていくスジ肉は圧巻だった。
そこに素早く味付けをしていくお母さん。
さすがだなと感心していたその時――
「ただいま〜」
ようやく帰ってきた姉が抱えていたのは、もふもふとした生き物だった。
「お母さん、この子……なんか寂しそうで、拾ってきちゃった」
次の瞬間、お母さんから聞いたことのない悲鳴が上がる。
「ぎゃああああっ! 元の場所へ返してきなさい! 無理無理無理無理!」
何度も繰り返すお母さん。
でも本当は優しい人だから、「捨ててきなさい」とは決して言わない。
ただ、生き物が苦手で、ビクビクしながら距離を取っている。
開店時間まであとわずか。私は急いで食材を受け取り、お母さんは腕を伸ばしながら最後の味付けをする。
「今日は早くから手伝っててよかった」と心から思った。
その間、姉は拾ってきた犬を丁寧に洗い、散髪までしている。
「名前はどうするの?」と聞くと、姉は「ポムかな?」と答えた。
一瞬、頭の中に「ポムポムプリン」という謎の言葉がよぎったけど、今はそれどころじゃない。
――姉って犬好きなんだ。しかも、犬のカットなんかできるんだ……? そんな疑問も浮かぶ。
ギリギリで開店準備が整い、暖簾がかかる。
今日も忙しないけど、なんだか楽しい一日になりそうだ。
お客さんたちは、店に入るなりポムを見て「可愛い!」と笑顔になる。
姉のカット技術が見事で、ポムはすでに看板犬の風格を漂わせていた。
お母さんは相変わらずビクビクしながらも、最後には腕をいっぱい伸ばして、今日の看板犬として頑張ってくれたご褒美に、自家製の干し肉をあげていた。
その手は震えていたけれど、ちゃんとポムの口元まで届いていた。
そんなお母さんの姿を見て、改めて思う。――やっぱり私は、この人が好きだ。
明日もまた、わちゃわちゃした一日になるだろう。
動物はちょっと苦手だけど、この子ポムは……なんだか、可愛い。
第9話、お読みいただきありがとうございます!
今日はまさかの新入り、看板犬ポムが登場しました。
犬好きなお姉ちゃん、ビクビクしながらも干し肉をあげるお母さん、そして少しずつ距離を縮めていくルミ。
異世界焼肉にまた一つ、新しい物語が加わった瞬間です。
次回は、ポムの存在がちょっとした騒動を呼ぶかもしれません。
どうぞお楽しみに!