一次試験(2)
楼華国の四家は仲が悪い。
かつては初代国王を支えた英雄達がそれぞれ東西南北の領地を与えられたのが楼華国が大きく四地方に分けられている由来であり、四家はその英雄の末裔であるらしいので、元は仲間だったはずなのだがその名残は一切見受けられない。各領地の支配者たる四家がの中の悪さはそのまま四領の豪族たちの中の悪さに繋がっている。
「ねえ、ご覧になって。あれが西の耀家のご息女よ」
「王妃候補なのに舞姫になりに来たっていう、あの?」
「さすが、西の方は強欲ね」
その仲の悪さは年頃の美しい娘達であっても変わらない。
選姫の儀のために待機している令嬢たちの一角は、他領の姫君の噂に花を咲かせていた。
一次試験が行われる紫麗殿は、普段は儀式に向けての予行演習などで使われている建物で、大きな舞台と練習用の大部屋が複数あり候補者を待たせておくのに丁度いいのである。
高位の貴族・豪族用に設けられたこの『一の間』は紫麗殿で最も広く、中には中央領と四領のそれぞれの令嬢達が座って待機できるように簡易的な畳や屏風が用意されている。なぜ、中の悪いはずの四領の令嬢を同じ部屋に入れているのかというと、紫麗殿の部屋は『一の間』からだんだんと小さくなり、同じ大きさの部屋はないので、他領に比べて広い狭いで後から文句を言われないようにするためである。
(東の小鳥の喧しいこと)
この日のために特別に誂えた瑠璃色の内衣と金糸の花模様の奏衣を身に纏い、品の良い真珠の髪飾りで髪を束ねた詩琳は、声のする方を見ようともせず内心溜息をついた。
四地方の中でも東と西は政治的に長年対立してきた。ひどい時は互いに暗殺者を差し向けたりして、戦争一歩手前の状況に陥ったこともあるらしい。
この程度の陰口に目くじらを立てていてはきりがないのだ。
「詩琳様、お久しぶりでございます」
「選姫の儀に参加されるというのは、本当でしたのね」
見覚えのある二人の少女が詩琳に歩み寄ってきた。二人とも西の豪族の息女である。
「ええ、貴女達も参加するのね。お互いに頑張りましょう」
二人は顔を見合わせて苦笑した。
「詩琳様にはとうてい敵いませんわ」
「新年の舞は本当にお見事でしたもの」
口々に告げる言葉はお世辞ではないだろう。二人の顔からは既に舞姫になろうという気概は見えない。
「そんなことないわ、お二人とも舞の名手でしょう。豊穣祭の莉苑様の『黄金』は素晴らしかったし、一昨年の新年に見た清蓮様の『斑雪』は今まで見た中で最も美しい『斑雪』だったわ」
詩琳の言葉に二人は嬉しそうに微笑む。自分の優秀さを鼻にかけず、常に周りの者に公平に接する詩琳が耀家の息女であることが、西の豪族の息女達が他に比べても仲がいい理由の一つである。
「まあ、春麗様」
先ほどから元気よく騒いでいた東のご令嬢達の声が一層大きくなる。
詩琳達が待機していた部屋に一人の令嬢が入ってきたのだ。
薄紅がかった艶やかな黒髪に作り物かのように完璧に美しい容貌。上等な桃紅色の内衣と黒地に銀の梅模様の奏衣、それに濃い紫の裳を合わせた着こなしは、容姿によほどの自信がないとできないだろう。
(東のご令嬢達が紅色の着物を選んでいない時点で予想はしてたけど…)
部屋に入ってきたのは、詩琳が密かに警戒していたうちの一人、栄家の分家筋に当たる胡家の息女、胡 春麗だった。
「春麗様、お待ちしておりましたわ」
「今日はいつにも増してお美しいですわ」
東の令嬢達が一気に春麗のもとに集まる。
東は力の強い豪族が多く、栄家に並ぶとも言われる家もいくつかある。そのうちの一つが胡家なのだ。その上、春麗は国一番の美人と名高く、齢十の時に隣国の皇太子の妃にという話が持ち上がったという噂もある。彼女に憧れ、または取り入ろうとして近づく者は多いだろう。
「ありがとう。皆さんも綺麗よ」
軽く微笑しただけで見る者を虜にしそうな程、美しい。
(舞の実力だけが分からないのよね…)
東と西は仲が悪いので彼女の舞を見たものを探すだけでも一苦労で、やっと見つけた知人の知人からは「言葉にできないほど美しかった」という何の役にも立たない感想しか得られなかった。
「失礼、入り口を塞がないでいただけます?」
凛とした声が春麗の後ろから響く。
「これは、翠廉様。失礼いたしました」
春麗が優雅な仕草で道を譲ると、部屋に入ってきたのは南の四家・鱗家の次女である鱗 翠廉だった。
(彼女も参加するの?)
背が高く、艶やかな黒髪を一つに束ねた凛とした印象の彼女は、女だてらに武芸に秀でることで有名な令嬢だ。彼女の姉である蒼玉は王妃候補の一人なので、まさか姉妹で寵愛を取り合いかねない真似をするとは詩琳も予想していなかったのである。
翠廉は詩琳の姿を見つけると、堂々とした足取りで近づいてきた。
「詩琳様、お久しゅうございます」
「ええ、翠廉様。お久しぶりですね」
翠廉は本当に儀礼として挨拶をしにきただけらしく、一言二言健闘の言葉を交わすとすぐに南の者が多く集まる方へ行ってしまった。
(東は胡家、南は鱗家を出してきた。北は…)
北の令嬢達の方に目を向けるが、目立った評判のある者はいないように見受けられる。斉家の者もいないし、舞の名手であると評判の李家の娘は先月嫁いだそうなので、選姫の儀には参加しないだろう。
(北は王妃争いに本腰を入れるつもりかしら。そうなると、あとは実力のある踊り子が障壁になってくるわね)
詩琳が考え込んでいると、試験の開始を告げるため楽舞局の者がやってきて簡素な説明を始めた。一から五番の者がいないか確認があったが、この部屋には該当者がいないらしい。
詩琳の順番は四十二。まだ待つことになりそうだ。
西の令嬢たちと互いの順番を確認していると、また入り口の方が騒がしくなった。
「何の騒ぎかしら?」
「どうやら、平民の方が部屋を間違えてしまったようです」
莉苑の言葉に詩琳は眉を顰めた。
入り口に最も近い場所で待機していたのは東の令嬢達だ。東は裕福な豪族が多く、平民との格差が大きい。貴族の部屋に迷い込んできた娘にどんな対応を取るかは概ね予想できる。
「あら、あなたも参加者だったの?あんまり質素なお姿だから下女かと思ったわ」
「まあ、そんなことを言っては失礼よ。貧しくても夢を見る権利はあるわ」
予想通りの言動を取る東の令嬢達を見て、詩琳は立ち上がる。
「でも、そんな着物じゃ舞を披露する前に部外者だと思われて摘まみだされてしまうかも。春麗様もそう思いませんこと?」
話を振られた春麗は退屈凌ぎに開いていたと見える歌集を閉じた。
「ごめんなさい、聞いてなかったわ。何のお話?」
今ここにいる東の豪族の中では最も格上であるにも関わらず、周りのことを全く気にしていないらしい春麗に詩琳は呆れる。
「彼女の着物、選姫の儀には相応しくないと思いませんか?」
春麗に全く相手にされていないにも関わらず食い下がる令嬢には呆れを通り越して感心してしまう。
春麗は平民の少女を上から下まで眺める。
少しくたびれた衣に今流行りの色ではない裳、髪には飾りのひとつも付いていない。最低限の形だけ整えたものだと一目で分かる。
「そうね」
はっきりとそう言い捨てた春麗は立ち上がって自分の髪から簪を引き抜いた。解けた髪がサラリと揺れる。
「次はこれでもう少しまともな着物を買った方がいいわ」
春麗の言葉に周りの令嬢たちが一斉に笑う。
呆然と簪を受け取った平民の娘は徐々に顔を赤くして俯いた。
(少しでも胡 春麗にた私が愚かだったわね)
「春麗様、いつまでも彼女を引き止めるのはよろしくないのでは?」
怪訝そうに振り返った東の令嬢達は詩琳の姿を見て慌てて頭を下げて一歩引いた。
「引き留めているつもりはなかったのですけど。そうですね、そろそろ自分の部屋へ戻った方が良いわ」
少女が迷っているという事情も知らないらしい春麗の言葉に少女は困ったように口を開いた。
「あの、待機するよう言われた部屋への戻り方が分からなくて」
詩琳は春麗と少女の間に立った。
「私の侍女が案内するわ。何度か来たことがあるから」
詩琳が振り返ると三人いるうちの侍女の一人が心得たとばかりに頷いた。
「あ、ありがとうございます」
恐縮したような少女に詩琳は微笑んだ。
「それから貴女は髪の毛が明るくて顔立ちが愛らしいから、明るい色の衣が良く似合ってる。自信を持って臨んで下さいね」
少女は初めて明るい顔になった。
「はい!」
侍女に連れられて少女が去ると、春麗が詩琳に頭を下げた。
「お手を煩わせてしまい申し訳ありません。状況を把握していなかったもので…」
詩琳は春麗に向き直ると告げる言葉を考える。
(言いたいことは色々あるけど、こんなところで騒ぎを起こすのは良くないわね)
「いいえ、こちらが勝手に口を出しただけですので、お気になさらず」
「詩琳様はお優しいのですね」
春麗の言葉に彼女の後ろにいる東の令嬢達が嫌味たらしい笑みを浮かべる。
「やはり王妃候補の方は違いますわね」
「選姫の儀に出られるのもきっと深い考えがおありなんでしょうね」
「私たちも見習わなくては」
令嬢達は口々に詩琳へ賛辞に見せかけた嫌味を送るが、詩琳は応えた様子もなく淑やかに微笑んだ。
「そう仰って頂けて嬉しいわ。私は残りの待機時間は舞に集中するために静かに過ごすつもりなの」
詩琳の言葉に春麗は悠然と微笑み返す。
「では、私たちも詩琳様を見習って静かに過ごしましょう」
最も格上である春麗の言葉に東の令嬢達は慌てて口々に賛成の意を唱えた。
「貴女方の健闘を祈っています」
そう告げて詩琳は西の豪族用の待機場所に戻って行く。
流石に口には出さないようだが東の令嬢達の刺すような視線は背中に感じる。恐らく「これだから西の人間は」と考えているのであろう。詩琳としても全く同じ気持ちである。
(本番の前はなるべく穏やかに過ごしたかったのに…)
溜息を飲み込んで背筋を伸ばす。
ここにいる令嬢の半数は本気で舞姫になろうとは思っていないだろう。『あわよくば』や『もしかしたら』と考えて、若しくは家の都合で無理に参加しているのかもしれない。
そんな令嬢達に負ける気は微塵もない。
絶対に自分は舞姫になるのだと、詩琳その気持ちだけはその場にいる誰よりも勝っていた。