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幼馴染


 白月殿の大殿に六人の候補者が集まる二刻程前。


「荷物が多いからって早く着きすぎじゃない?」


 荷車から大量の衣服や楽器、家具が降ろされるのを眺めながら春麗は溜息をついた。

 たかが一月試験のために住むだけなのに、過保護な春麗の両親は嫁入り道具かと思うほどの家具を新調していたのだ。春麗がその事実を知ったのは昨日のことである。


「遅れるよりいいでしょう。楽舞局使者が白月殿を好きに見て回っていいと言っていましたが、どうしますか?」


 実家から連れてきた侍女の鈴蘭の問いに春麗は迷わず頷いた。


「見て回るわ。ずっと牛車に押し込められていて体が固まってしまったから、少し動きたいの」

「では、玲花をお連れ下さい。私と玉風は荷物の整理をいたしますので」


 高級品も多いのでそそっかしい玲花が残るのは心配なのだろう。

 春麗は明麗から玲花は舞が好きという話を聞いたので、本選に同行させることにしたのだ。


「分かったわ」


 玲花を呼んで白月殿を見て回るから付いてくるように言うと、玲花は嬉しそうに頷いた。


「ここが全部選姫の儀のための建物なんて、豪華ですね」


 とりあえず自分が泊まるであろう花の館を目指して歩いていると、落ち着きなく周りを見渡しながら玲花が感心した声を出した。


「大昔は王妃と舞姫は同じ人が務めてたらしいから、王妃決めの建物でもあったんじゃない?」

「そうなんですか!知りませんでした」

「まあ、夏王の時代とかの話だから、どこまで正確なことか分からないけど」


 そんな話をしていると、鳥の館の庭が見えてきた。


「凰架様!そんなところにしゃがみ込んでは裾が汚れます」

「後で払えばいいじゃん」

「そういう問題では…」


 賑やかな声がする方を見ると、池の畔にしゃがみ込んで水の中を覗き込む少女とその少女に右往左往する侍女がいた。あまり豪族の屋敷では見ない光景に春麗と玲花が思わず見つめているとその視線に気づいた侍女が慌てて少女を立たせた。


「凰架様!他の参加者の方がいらしています。ちゃんとしてください」


 凰架と呼ばれた少女はのんびりと春麗達の方を見ると、嬉しそうに駆け寄ってきた。

「だから走らないで下さい!」


 玲花がビクッと背筋を伸ばしたのは、よく屋敷で同じ注意をされるからである。


「二次試験の後に会った方ですよね。また会えて嬉しい、です。私は北の風家の凰架と申します」


 ところどころ敬語が怪しい自己紹介をして、風凰架は僅かに微笑んだ。


「私は、胡家の春麗です。私も、また貴女に会いたいと思っていました」


 春麗らしくもなく、緊張で声が上ずっている。

 凰架が何も言わずに春麗を真っすぐ見上げるので、何か話をしなくてはと春麗は慌てて言葉を紡いだ。


「あの、庭の池には何か面白いものがあるのですか…」


(あれ?この話題、合ってる?)


「鯉がいます。すごい面白い顔の」

「鯉…」


 凰架が至極真面目な顔でそう言うので、春麗は返答に困る。


「春麗様、魚は嫌いですか?」

「いいえ」

「じゃあ、見に行きましょう」


 凰架がごく自然に春麗の手を引いて庭に連れ出す。


(おおお凰架様、やめてくださいいい)


 凰架の侍女である詩詩は心の中で絶叫した。

 胡家といえば四家の一角である栄家の分家筆頭な上に、東で一位二位を争う財力の持ち主。風家なんかとてもじゃないが太刀打ちできない相手である。

 自由すぎる主に絶句どころか気絶する勢いで固まった詩詩をよそに、凰架と春麗は楽しそうに池を覗き込んでいる。


 麗かな春の陽気に相応しい、楽し気な笑い声が白月殿に響いた。


***


「候補者が六人いて良かったわ。耀家や鱗家に向かって部屋を交換してなんて言えないもんね」


 本選の説明が終わった後、花の館に向かいながら春麗が嬉しそうに言う。


「うん。っていうか出身地によって館が決まってるって知らなかった」

「伝統もあるけど、予め決まってた方が荷物の運び込みとか早く済むからね」


 春麗の持ってきた大量の荷物はすでに花の館の中である。凰架は衣装と普段着くらいしか持ってきていなかったので、移動させるのに手間はかからないだろう。


(本当に、風家のご息女と仲良くなられたのね)


 玲花から報告を受けていた鈴蘭だが、二人の打ち解けた様子に改めて驚く。春麗は社交的だが、他家の令嬢の前では澄ました顔をしていることが多いので、同世代と楽しそうに笑いあう姿は新鮮だったのだ。


(でも、鯉を眺めているうちにってどういうことかしら…)


 玲花の報告を思い出しながら鈴蘭は首をひねった。


「花の館って言うだけあって、庭はなかなかね」


 中の廊で庭を眺めながら、春麗は満足げに頷く。


「なかなかなの?こんな手の込んだ庭初めて見たよ」


 北領は土地が痩せているので、豪族であっても庭は質素だ。


「館の中も見て回りましょう。玲花と玉風が窓を開けておいてくれてるはず」


 春麗の言葉に凰架は頷く。


 二人が花の館に入ると、春麗の言葉通り窓があけ放たれ、すっかり空気が入れ替わっていた。


「一階は三部屋あるのね。真ん中の広い部屋がきっと稽古用でしょ。南と北の部屋をそれぞれで使う?」

「でも、二階もあるみたいだよ」


 二人は二階も見に行くことにした。

 二階は二部屋あり、庭に面した扉の外は手すりの付いた板張りになっており、庭が上から一望できる。


「春麗様、凰架様!ここから庭の桃が綺麗に見えますよ」


 恐らく二階の窓を開ける作業を終えたばかりらしい玲花が手を振っているので、二人は外の廊下へ出る。


「本当ね。花びらに手が届きそう」


 春麗はふざけて舞い踊る花びらを掴もうとする。


「春麗様、危ないですよ」

 いつの間にか二階に来ていたらしい玉風が苦笑した。


「都の桃の木は大きいなあ」


 凰架も感心した様子で手すりから身を乗り出して桃の木を眺めた。

 春麗にはその時、木が軋んだ音が聞こえたが、音に気づいた時にはもう遅かった。


 ふわりと、白い花びらが舞うように、凰架の体が手すりの外に投げ出される。


「凰架!」


***


 今年の選姫の儀は四家から二人も本選に残る者が出たので、警備が強化されることになった。どういう風の吹き回しか、王太子の甲覇からの命令で武官のライが兵の配備の責任者になり、ライは自分の信頼できる部下数名と選姫の儀の警備を経験したことのある兵士を白月殿に送った。


「いやあ、流石今年の武道大会の優勝者だわ。ウキと組んでて本当良かった」


 白月殿の警備に当たることになったライの信頼できる部下の内の二人が軽口を叩きながら、白月殿の大殿に向かっていた。

 一人は短めの黒髪に長身の目つきの悪い青年で、もう一人は長い茶髪を背中でくくった人懐こそうな青年である。茶髪の方はご機嫌で、足取りも軽い。


「そんなに喜ぶことか?豪族の令嬢なんてお前には珍しくもなんともないだろ」


 ウキと呼ばれた青年は厄介なものを見る目で隣を歩く同僚の宋夜を見る。

 宋夜は兵衛部に所属する前は南の豪族の元で兵士として働いていたのだ。


「豪族の元で働いてたってご令嬢の姿はそうそう拝めないぜ。それに、今年の舞姫にはとびきりの美人がいるらしい」

「どうせ大袈裟な噂だろ」


 ウキはそっけなく返す。


「そんなこと言っても無駄だって。お前が結構遊んでるのを俺が知らないと思うか?」

「女が声かけてくるんだ」

「今『お前とは違って』って言おうとしたろ」

「…」


 図星を食らって言葉を失ったウキを宋夜は呆れたよ

うな半眼で見る。


「まあ、舞姫候補のお姫様方はお前でも手が届きようのない天井人さ。どんな美人がいても口説くなよ」


 宋夜の言葉にウキは片方の口角を僅かに釣り上げた。


「思わず口説きたくなるほどの美人がいるなら見てみたいね」


 ウキ達の目的地である大殿は五条殿の最奥に位置する。そこに向かうには、最低でも二つの建物とそれを繋ぐ中の廊を通らねばならない。

 鳥の館を抜けて花の館が見えてきたとき、ウキは宋夜が最初にやたらと東側の建物を通りたがっていたのを思い出した。


「おい、もしかしてお前が見たがってる美人が使う館を調べたのか?」


 宋夜はやれやれと言いたげな様子で「そんなわけないだろ」と首を降った。


「調べなくても予想はつく。東の豪族は派手好きだから選ぶならこの花の館さ」


 感心すればいいのか呆れればいいのか迷ったウキがふと館の方を見ると、ウキ達のいる廊下と庭を挟んだ左前方にある花の館の二階部分に鮮やかな衣を纏った少女達がいるのに気づいた。


「おい、あれもしかして…」


 舞い上がった様子の宋夜が小声でウキのわき腹を小突く。

 ウキも興味がないわけではないので、そっと少女たちの方を見るが日差しがまぶしく顔ははっきりしない。

 宋夜も同じようで、額の前に手を翳して日よけを作ってまで見ようとしているのに気づいたウキは宋夜の足を思い切り踏んづけた。


「ほら、行くぞ」


 これ以上ここにいると碌なことにならなそうなので、ウキは宋夜の腕を掴んで速足で廊下を進む。

 花の館に入る前にもう一度例の美女を見ようと宋夜が未練がましく立ち止まったので、「いい加減にしろ」と言おうとした時、ウキは何かの音を聞いた。

 その音の正体を考えるより早く、反射的にウキは少女達のいる廊下の真下へと駆け出していた。


 少女達の悲鳴が響く。


 ふわりと花びらが散るように投げ出された少女の体と地面の間にウキは何とか自分の体を滑り込ませた。


(間に合った…)


 冷や汗の出る思いでウキは両手に抱えたおそらく豪族の娘であろう少女の様子を伺う。

 長い髪が顔にかかっているため、表情は分からないが口が小さく動いたので、意識はあるとウキは安堵した。


「大丈夫ですか」

「…びっくりした」


 気絶もしなければ取り乱した様子もない令嬢は、顔にかかった髪を鬱陶しそうに両手で描き分ける。まるで猫の子が顔をこするようなその仕草には見覚えがあった。


「あれ?ウキだ」


 ウキの両腕の中で目を丸くして首を傾げた少女の顔を見て、ウキは危うく少女を放り投げそうになった。


「…こんな所で何してんだ?凰架」


 二年ぶりにその名を呼んだ親友の妹は、二年前と変わらない力の抜ける顔でこともなげに「選姫の儀の本選」と言い放った。


「凰架!大丈夫?」


 二階の廊下から凛とした少女の声が響く。


「平気」


 凰架はひらひらと手を少女に向かって手を振る。


 二階の少女達はほっと息をつくと下に降りるために廊下から姿を消した。


「ウキ、廊下まで私を持ってて。靴履いてないんだ」

「だろうな」


 仕方なく凰架を抱えてウキは立ち上がる。


「忘れてたけどお前も一応豪族だったな」


 ウキの言葉に凰架はニヤリと笑った。


「今更なに言ってるの…。それとも、二年ぶりにあった幼馴染があまりにも綺麗になってて驚いたとか?」


 ウキは無言で凰架を廊下にごろんと転がした。



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