閑話 東と南の花々
東の名門、胡家の屋敷は喜びに湧いていた。
末の娘である春麗が選姫の儀の二次試験に見事合格したのだ。
屋敷には連日祝いに多くの人々が訪れ、春麗の部屋には大量の祝いの品が並べられていた。
「おめでとう、春麗」
そして、栄家の息女であり、春麗の従姉妹に当たる明麗も祝いに訪れていた。
「明麗お姉様…ありがとうございます」
「どうしたの?こんな素晴らしい時に浮かない顔をして」
暗い表情の春麗を見て、最初は祝われ疲れたのかと思った明麗だが、春麗はこの程度で疲れるようなやわな少女ではないと思い、首を傾げた。
「見て。お祝いに花を模したお菓子を持ってきたの。春麗には本物の花よりこちらの方がいいでしょう?一緒に食べましょう」
子どもの頃から出入りし勝手知ったる胡家なので、明麗は使用人に茶を用意させて、菓子を広げる。
「美味しいです」
一口食べた瞬間、春麗の顔が明るくなったのを見て、微笑みながら明麗は優しく問いかけた。
「二次試験で何かあったの?浮かない顔の原因は選姫の儀でしょう?」
春麗は少し躊躇いながら、二次試験で見た風凰架の話をした。
彼女の舞がどれだけ素晴らしかったか、自分がとんだ思い上がりをしていたのだと気づいた時の恥ずかしさ、この中途半端な気持ちと舞の腕で本選に進んでいいのか迷っていること…。子どもの頃から姉妹のように過ごしてきた明麗の前では、するすると感情が言葉になって出てきてしまう。
「春麗がここまで思いつめるなんて、風家のご令嬢の舞は相当素晴らしいのね。私も見に行けばよかったわ」
「彼女は天才です。きっと、神様が間違えて地上に生んでしまっただけで、本当は桃源郷にでも住むべき存在なんです」
明麗は苦笑した。
胡春麗は天才だ。舞も箏も笛もどれを習わせてもすぐに上達してしまう。彼女は本当は天女として生まれるべきだったのだ。見よ、あの美しさを…。春麗が凰架に向けて述べた賛辞は春麗が東領で受けている評価と同じだ。春麗は褒め言葉を胡家の令嬢へのゴマすりだと右から左に流すので、いちいち覚えていないだろうが。
同じ麗の字を持つのに明麗より遥かに美しく、優秀な年下の従姉妹。
「そうであるなら尚のこと、巡り会えたことに感謝しなくては。一生のうちで、そんな素晴らしい人に出会えて同じ場所で過ごせるなんて、二度とない機会かもしれないわ」
明麗の言葉に、春麗はゆっくりと頷いた。
「そうですよね。二次試験が終わった後、凰架様に言われたんです。本選を楽しみにしてるって」
嬉しそうにはにかむ従姉妹を明麗は微笑ましく見守る。
(まるで、恋しているみたい)
あれだけ人々からちやほやされて育ったというのに、春麗は驚くほど純粋で素直だ。普段は悠然とした表情の下にそれが隠されて、傲慢だとか生意気だとか言われてしまっているが。
「そういえば、貴女のところに遣った玲花はどう?馴染めているかしら」
「はい。元気すぎて他の侍女にしかられることもありますけど、根性があるので皆に気に入られてますよ」
玲花は元々栄家の使用人だったのだが、活発すぎておっとりした気質の侍女が多い栄家には馴染めていなかったので、胡家に侍女見習いとして送り込まれたのだ。
「それなら良かった。あの子、舞が好きみたいで、春の宴で貴女の舞を熱心に見ていたの。良かったら、舞の稽古でも見せてあげて」
玲花のような年下の純粋な少女からの賛辞なら春麗も真っ直ぐ受け取れるかもしれないと詩琳は考えたのだ。
「分かりました。明麗お姉様は本当に人のことをよく見ていますね」
「人間観察が趣味なの。意外でしょ?」
明麗の言葉に春麗は笑う。
東の二輪の花の楽しいお茶会は日が暮れるまで続いた。
***
そして、南の鱗家も胡家ほど盛大ではないが、次女の翠廉の二次試験合格に賑わっていた。
「まさか、本当に本選に進むなんて…」
そして、当事者である翠廉は意外な結果に未だに困惑していた。
自分の舞の腕は、良家の習い事の域を出ない凡庸なものであると翠廉は評価していた。
「もっと喜びなさいな。あの選姫の儀の本選よ?南領の候補者が残るのは二十年ぶりらしいわ」
翠廉の姉である怜藍は妹に向かって明るく言った。
祝いに来る人々がようやく落ち着いた夕方、二人は庭にある東屋に置かれた椅子に腰掛けて池を眺めながら話をしている。池の周りには青い小花が咲き、どこか幻想的な雰囲気を醸し出していた。
「何で残ったのかも分からないのに、喜べない」
翠廉は物事を何でもはっきりさせずにはいられない性分なのだ。
「まあ、二次試験に剣舞があったからよね。自分では気づいてないかもしれないけど、翠廉は剣を持たせると一皮向けた雰囲気になるもの」
翠廉の性格を熟知している怜藍は素直に答える。
「剣舞が評価されたなら、本選じゃ戦えないじゃない」
「本選にも剣舞があるかもしれないでしょう?帝国の人たちは剣舞を好んでいるらしいから、重視されてるのかも」
翠廉は溜息をついて怜藍を見た。
「前から聞きたかったんだけど、姉さんは私に舞姫になってほしいの?」
やたら前向きな怜藍に翠廉は尋ねた。
舞姫は明言こそされていないが、国王の側室候補である。怜藍が王妃になったら面白くない存在だろう。
「勿論。翠廉なら側室になろうなんて思わないだろうし、甲覇様だって姉妹の両方に手を出すなんて残酷なことはしないでしょう。むしろ、翠廉以外の人には舞姫になってほしくないわ」
翠廉は溜息をついた。どうやら姉は本気で甲覇に惚れているらしい。
「まあ、せっかく詩琳様に勝って王妃になったとして、舞姫になられたら目障りでしかないよね」
完璧と名高い西の姫君。二次試験の舞も見事だった。
「いいえ、詩琳様は問題じゃないわ。理由は分からないけどあの方、甲覇様に嫌われているみたいなの。顔合わせも酷い雰囲気だって聞いたわ」
怜藍は王宮に数人定期的に情報を渡してくれる知人がいるのだ。
「あの二人って幼馴染じゃなかったっけ?」
「らしいわね。長い付き合いだと返って妃として選ぶには不都合なことがあるのかもしれないわ」
「ふうん」
翠廉は耀詩琳が嫌いではない。一次試験でも東の豪族たちの醜い行いを窘めていたし、いつ会っても礼儀正しく好感が持てる。
なので、甲覇が詩琳を嫌っているという話に少しがっかりしてしまった。
(詩琳様も深く付き合うと嫌なところがある人なのかも…)
「斉家の彗雪は王妃にはならないとはっきり言ったらしいし、あと問題になるのは栄明麗だけなの」
「明麗様なら、それこそ問題にならないんじゃない?」
栄明麗は美人が多い東領の娘としては、平凡とも言える顔立ちをしている。小柄で、桃色の瞳は美しいが、それ以外は目立った所のない容姿で、聡明だとか芸事に秀でていると言った噂も聞いたことはない。彼女への賛辞は『明るくお優しい』、それだけである。
栄明麗よりも分家の胡春麗のほうが余程目立っている。
「明麗様との顔合わせが一番和やかで打ち解けた雰囲気だったそうよ。二人はお互いの家族や子供の頃の話までしているとか…。私はこの前やっと趣味の話をしただけ」
怜藍は聡明で美しいが、緊張すると口数が少なくなる欠点があるのだ。
「まだ、二回しか顔合わせしていないのでしょう?回数を重ねれば大丈夫。それに甲覇様は頭がいいと評判だから、姉さんの方が話が合うよ」
たぶん、と心の中で付け足しながら、翠廉は姉の背中をポンポンと叩く。
王妃候補の中で恐らく最も貪欲に行動的に王妃の座を狙っている怜藍だが、彼女はまだ甲覇の数多くある秘密の内のたった一つも、そして隣に座っている妹の秘密すら知らないのである。




