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二次試験(1)

 紫麗殿は西の館と東の館の二棟で構成されている。西の館と東の館の間には広い中庭があり、今はそこに大きな舞台と客席が用意されていた。

 一次試験では審査員のみが舞を見ることができたが、二次試験は参加者やその連れが自由に見学を許されているのだ。

 一次試験で八割の参加者が落とされる選姫の儀に於いて、二次試験まで進んだ事はどの娘にとっても大きな成果と言える。豪族の親たちは自分の娘の晴れ舞台を見て喜びの涙を流し、踊り子の同僚たちは『いつか自分も』と希望を胸に抱いて目を輝かせる。

 昔の選姫の儀はもっと神殿の力が大きく、神聖なものとして部外者の立ち入りが禁止されていたが、数代前の舞姫と楽舞局の尽力により在り方が大きく変わったらしい。


「すごいね、当たり前だけど全員すごい上手」

「着物もとっても綺麗」

「うちは衣装にお金かけてくれくれる店だけど、やっぱり貴族は違うね」


 紅莉は永瑛館の踊り子の中から若くてやる気のある者たちを10人ほど連れてきていた。

 紅莉自身、数年前にこの二次試験を見て舞姫への憧れが高まったからこそ、今ここに居られるのだと思っている。自分が受けた恩は、次の世代に繋げていくのが永瑛館の伝統なのだ。


「でも、やっぱり一番最初の人がすごかったよね」

「うん。美人だし、あの人が現れた瞬間に舞台が一気に華やいだ感じ」


 踊り子達が殊更興奮したように話している所に紅莉は口を挟んだ。


「あんたたちもそう思う?」

「はい。舞も素晴らしかったですし、着物も綺麗で、本人はもっと綺麗!」

「他の人とは存在感が違いました」


 既に四人の舞を見てきたのだが、踊り子たちは一番手の少女に魅了されてしまったらしく、頬を紅潮させて矢継ぎ早にそう言った。


(彼女が一番手で良かったわね)


 紅莉は顎に手を当てて考え込む。


 一番手は東の有力な豪族、胡家の娘だった。東の豪族は美人が多いと聞いてはいたが、彼女の美しさは想像を遥かに上回っていた。咲き乱れる八重桜のような艶やかさ、彼女が舞台に現れた瞬間、そこだけが色づいて見える程の圧倒的な存在感が彼女にはあった。

 ただ美しいのではない。『華がある』という言葉の正しい意味を、そしてその言葉が当てはまる人間の持つ力の大きさを紅莉は改めて実感したのだった。


 紅莉は試験官の多くが貴族になる二次試験は派手さと技巧で勝負するつもりで曲を選んできていた。出番が胡家の娘の直後だったら、技巧は評価されても華やかさでは見劣りしていただろう。


「でも、綺麗さでは紅莉さんも負けてませんよ」

「うん、紅莉さんはうち一番の美人だもの」


 考え込んでしまった紅莉さんを心配したらしく、踊り子達が口々にそう言ったので紅莉は慌てて微笑んだ。


「ありがとう。大丈夫、不安になったりしていないから。それにね、私が一番警戒しているのはああいう舞手じゃないのよ」


 紅莉の言わんとすることが理解できていないらしく、踊り子たちは首を傾げる。


 そうこうしている間に次の出場者が舞台に現れた。

 二次試験は20人を一日かけて審査するため、時間には余裕がある。それを感じている為か一曲終わる毎に人々はそれぞれに話し込み、毎回曲が始まるまで完全に口を閉じはしないのだが、その出場者が現れた瞬間に示し合わせたように場が静まり返った。

 相当な権力者の娘なのだろうと紅莉は少し遅れて舞台に目を遣って、静けさの意味を知った。

 舞台上にいるのは藤紫の衣が良く似合う色の白い娘だった。佇まいだけで良家の娘だろうと想像させる上品さがあるのだが、それだけではなく、彼女には人の上に立つ者が持つ独特の余裕のようなものがある。

 意識はしていないのだろうが、ゆっくり客席を見渡す彼女の視線にさらされただけで、観客たちは思わず背筋を伸ばした。そして、その橙色の瞳を見て紅莉は彼女の正体に気づく。


(耀 詩琳…)


 事前に集めた情報では、西で一番の舞手と言われていた耀家の一人娘。舞の腕だけでなく、容姿、教養、家柄、全てを兼ね備える完璧な令嬢らしい。

 舞台上の少女の正体に思いを馳せていた紅莉は、やや遅れて詩琳の手に握られている白銀の剣に気が付いた。


(『黎明』を選んだのは意外ね…)


 『黎明』は神楽の一種に数えられることもあるこの舞は、剣舞の中では拍子がゆったりとしておりかなり舞い易い部類に入るとはいえ、豪族のお嬢様が自ら進んで選ぶ曲とは思わなかったのだ。


 鈴の音と共に舞が始まる。


 白魚のような手が剣をそっと撫で、横一文字を描くように剣が振られる。

 その最初の動作を見た時点で、紅莉は詩琳がなぜこの曲を選んだかを理解した。


 詩琳の武器はその所作の上品さと本人が内包する気品にある。


 元は戦神に勝利を祈るために作られた『黎明』は、今は宝剣を祀る儀式で用いられる由緒正しい舞である。素人が踊れば単調とも思えてしまう振りも、完璧を極めた詩琳の所作で舞えば一つ一つに高潔な意味が与えられる。


(これは、真似できないわね)


 紅莉が最も警戒していたのは、正に詩琳のような舞手だった。


 舞の技術でも、人生経験でも、美貌でも、紅莉はその辺のお嬢様には引けをとらない自信があった。ただ一つ、紅莉が手に入れられないもの、それが育ちの良さから滲み出る品性だ。

 二次試験の審査員である豪族も、本選で恐らく審査に関わってくるであろう王家の人間も、高貴な人間というものは気品への評価が厳しい。

 勿論、紅莉も先輩の踊り子や豪族の客から盗めるだけの所作を盗み、舞ではそれを十二分に発揮するよう心がけてはいるが、必死で真似ているそれと、自然に滲み出るそれとでは確かな違いがある。


(技巧で補える自信はあったんだけど…)


 紅莉の自信が若干揺らぐ。

 それだけ、詩琳の持つ高貴さには魅力があった。これが人の上に立つべき人間だという貫禄と、何者にも汚されない力強い輝きに見るものは引き寄せられる。


 最後の鈴の音と共にぴたりと剣が止まる。


 自然と湧きあがった拍手に動じる様子もなく、詩琳は悠然と微笑むと一礼して退場した。


(ううん。参ったわね)


 胡 春麗に耀 詩琳。まだ五人目にも関わらず強敵が二人も現れたと、紅莉は忌々しいほどに晴れ渡った空を見上げて目を細めたのだった。

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