閑話 次期王と四人の王妃候補
楼華国現国王、甲河には三人の子供がいる。
長男が王太子の甲覇、その一つ下に次男の甲雷、そして歳の離れた末娘の麗麗。甲覇と麗麗は民の間でもその美しさが評判になっていたが、体の弱い甲雷だけは人前に姿を見せたことがなく、その素性は謎に包まれている。
そして今年、自分はもう長くないだろうと悟った甲河は王太子である甲覇に国王の座を譲ることを決意した。自分がこの世を去る前に息子に王位を受け渡し、少しでも体制を盤石にしてやりたかったのだ。
甲覇は父の気持ちをしかと受け止め、王位に就くことを決めたが、一つだけ頭の痛い問題があった。
それは、王になる前に正室を決めなければならないということである。
「なるほど、流石は鱗家のご息女だ。私ももっと精進しなくては」
春の日差しが差し込む部屋で若い二人の男女が四角い盤を挟んで向かい合っている。
「勿体無いお言葉でございます。ですが、甲覇様もお見事です。危うく負けてしまうかと冷や汗をかきましたよ」
男の笑顔に女は頬を赤らめる。黒髪に深緑の瞳の彼女は燐家の長女である怜藍だ。武芸に優れる妹とは違い、大人しい性格で武芸は不得手だがその代わり頭が良く盤上軍戯を得意としている。
王太子との顔合わせということで、少しでも共通の話題になればと怜藍は盤と駒を持ってきたのである。
怜藍が思っていたよりずっと甲覇の反応は良い。
「たとえ遊戯でも私に本気でかかってきてくれる者は少ないからな。是非、もう一局頼む」
甲覇は屈託なく笑った。
(前回は間が持たなくて困ったが、得意なことならよく話してくれるんだな。聡明さには好感が持てるし、少し大人しすぎるところも、余計な騒動を起こされる心配がないと思えば長所かもしれない)
笑顔の裏で甲覇がそんな打算をしていることに怜藍は気づいていた。甲覇の打ち筋を見れば素直で真っ直ぐな性格でないことは分かる。しかし、怜藍は甲覇のそんな所も好ましく思えた。
そもそも、打算の一つもできないようでは王は務まらない。
「喜んで」
怜藍は花のように微笑むと駒を並べ始めた。
***
「では、今の徴税制度には問題があると?」
「はい、そもそも四領は豊かさに差がありすぎます。土地によって環境に差があるのは当然のこと。補い合わなくては同じ国である意味がありません」
怜藍が去った一刻後、甲覇は同じ部屋で別の女性と向かい合っていた。雪のように白い肌の甲覇と同じ年頃の彼女の名は彗雪、北の斉家の息女で王妃候補の一人である。
彗雪もまた淑やかで聡明であると評判の令嬢だが、怜藍が可愛らしい大人しさを感じさせる一方、彗雪はその名の通り雪のような冷たさを感じさせる無口な娘だ。
「それについては、私も同じ意見だ」
「それは喜ばしいことです。私は殿下がなさろうとしていることにも賛成ですよ」
(この場でそのことを口にするか…。博識なだけでなく、胆力もあるらしい)
甲覇は感心する。
「北領は四領の中で最も貧しいですからね。我が斉家は殿下のためと北の民のためにどんな助力も惜しみません。ですので、私を妃にしようなどとお考えになりませんように。交渉の手札にできそうな家の娘を正妃にお迎え下さい」
余りに率直な物言いに甲覇は吹き出しそうになった。
「君は…私がその発言に怒ってこの場で手打ちにするかもしれないとは考えないのか?」
「殿下がいかに人格者かは楼華国の者なら誰もが知っています。そのような残酷なことはしないでしょう」
彗雪はこの部屋にやってきた時と変わらない全くの無表情でそう言い切った。
「それに、これ以上縁談の真似事をするのは時間の無駄かと。せっかくの機会ですから、もっと踏み込んだ議論をすべきです」
甲覇はそれに反論する言葉を持たなかった。甲覇自身、彼女と全く同じ意見だったからだ。
「では、官人の任用制度について意見を聞きたい」
それから、甲覇と彗雪は時間いっぱいまで政治について語り合ったのだった。
***
彗雪が去って一刻後、その部屋には朗らかな笑い声が響いていた。
「それで、ようやく弟は木の上から降りてきたと言う訳です」
「まさか、誉高き栄家でそんな可笑しい事件が起こっていたとはな」
部屋の隅で警備をする兵士達は先ほどとは打って変わって和やかな様子に安心した。彗雪が無礼なことを言い出したときは飛び出ていくべきか本気で迷ったのだ。
その点、今部屋にいる明麗はそんな心配はない。耀家特有の薄紅色の瞳を持つ彼女は、その色に相応しい朗らかで明るい性格の令嬢だ。
「どんなに立派な貴族も子どものころからそうであった訳ありませんわ。殿下も可笑しな事件の一つや二つ起こしているはずですよ」
悪戯っぽい笑顔を浮かべる明麗に甲覇は苦笑した。
「明麗殿の弟君には敵うまい。そういえば、危うく国宝の壺を割りかけたことはあったな…」
「まあ、どうしてそんなことに?」
明麗はただ明朗なだけでなく、非常に話術に優れている。語り手として申し分ないのは勿論だが、相手から話を引き出すのも上手かった。
貴族や豪族、他国の使者と円滑な関係を築くのに、話術が巧みな王妃は有効だろう。貿易が盛んな東領出身の明麗は外国語にも長けていると聞く。それに、耀家の娘であれば四家のどこよりも莫大な持参金が期待できる。
「七つの頃、王宮のある部屋に悪霊が出るという噂が出回ってな。退治してやろうと夜中にその部屋に忍び込んだんだ」
その噂は部屋に人を近づけないために広められた嘘で、宝物庫の改修が必要になったので中の物を一次的にその部屋に移動させていたのだ。暗闇で兵士を悪霊だと思い込んだ甲覇は兵士に果敢にも飛び掛かり、よろめいた兵士が壺にぶつかって机から落としたのだ。甲覇と一緒に忍び込んでいた瞬義が壺を受け止めなければ割れていただろう。
二人そろって父にも乳母にもこっぴどく叱られ、しばらく謹慎を命じられた。かなり幼いころのことなのによく覚えているのは、今では笑い話としてよく持ち出されるからである。
「七歳で悪霊に立ち向かうなんて、勇敢なんですね。怖くはなかったのですか?」
明麗の言葉に甲覇は少し返す言葉に迷った。
(怖くなかった訳ではないが…)
どうしても悪霊には出て行ってほしい理由があったのである。
「もう、昔のことだからな。覚えてはいないが、子ども特有の怖いもの知らずというやつだろう」
「たしかに、子どもの頃って自分でも信じられないくらい怖いもの知らずでしたよね」
「ほお、明麗殿にも隠された武勇伝がありそうだな」
「殿下のお話の後では霞んでしまいそうですが、とっておきのものをお話ししましょう」
甲覇の表情が僅かに陰ったのを察して明麗は素早く自分の話題に切り替える。
怜藍や彗雪とはまた違う聡明さに感心しながら甲覇は明麗の話に耳を傾けた。
***
そして明麗が去ってから一刻後、兵士たちは気まずい沈黙に冷や汗をかいていた。
最後の王妃候補は耀詩琳。甲覇とは幼い頃からの付き合いらしいが、最初の挨拶から全く話が弾まず、会話が数往復しては沈黙が訪れるということを繰り返している。
「そういえば、王宮の裏庭の桃が見頃ですね。ご覧になられましたか?」
「いや、最近は執務が忙しくてそんな暇はない」
「そ、そうですよね。お体は大丈夫ですか?」
「ああ、問題ない」
これはどう考えても殿下が悪いと兵士たちは内心考える。先ほどまで明麗に見せていた優しい笑顔はどこへ行ったのか。
「…君こそ、選姫の儀で忙しいのではないか?」
今日初めて甲覇が詩琳に質問を投げかけた。
「二次試験の準備はありますが、選姫の儀のために領地の視察などは少なくしているので、いつもより時間には余裕があるくらいです」
詩琳は甲覇に気にかけてもらえたのが嬉しいらしく、声を明るくして答えた。
「舞姫と王妃の両立は大変だろう。君が王妃に興味がないのなら、はっきりそう言ってくれて構わない。先ほども、斉家のご息女に『自分を王妃に選ぶな』と言われたばかりだからな」
詩琳は絶句した。甲覇の言葉に傷つけばいいのか、斉家の令嬢の言葉に怒ればいいのか、選姫の儀に出たことについて弁解すべきなのか…。兵士たちは詩琳の心中を察して心の中で彼女を必死で応援する。
「かつては王妃が舞姫を務めていました。時代が進むにつれて王妃には王妃としての資質が必要だと考えられ、王妃とは別に舞姫を選ぶようになったと聞いています。私は両方務められるよう自分を磨いて参りました」
両立が不可能なのではなく、資質の問題なのだと詩琳は主張する。
「さすが、完璧と名高い『西の姫』だな」
「恐れ多いお言葉です…」
詩琳は初めて甲覇の前から逃げ出してしまいたくなった。甲覇は感心したような口調だったが、目の奥に微かに怒りが見える。
「甲覇様は…」
自分のことが嫌いなのか、そうならそう言って欲しいと言おうとした瞬間、部屋の扉が開いた。詩琳が驚いて振り返ると、中に入ってきたのは仮面をつけた武官だった。
反射的に立ち上がろうとした詩琳を甲覇が目線で止める。詩琳は部屋にいる他の兵士を一瞬見ると、浮かせた腰を下した。
「甲覇殿下にご挨拶申し上げます」
跪いて甲覇に礼をした武官は、詩琳にも礼をする。
「美しき八重山吹の姫君たる詩琳様にもご挨拶を」
詩琳は曖昧に微笑んだ。
「ご無沙汰しております。ライ殿」
ライは甲覇付きの護衛兼、王都の兵士の剣の教官を務める若い武官だ。数年前に南領から王宮に移動してきた時は仮面で顔を隠しているせいで奇異の目で見られていたが、案外明るい性格をしていることと、他を圧倒する剣技で今では王宮の名物武官になっている。
「会談を遮って申し訳ありませんが、急ぎ殿下にご報告が」
ライが甲覇の耳元で何かを告げると、甲覇は眉を顰めて立ち上がった。
「詩琳、すまないが急用ができた。会談はまた後日に」
「承知いたしました。では私はこれで失礼いたします」
立ち上がった詩琳を送るために兵士が動いたが、ライが片手を上げてそれを制止する。
「詩琳様は私がお送りしましょう」
「ありがとうございます」
詩林は再び甲覇の方を見ると、眉を下げて微笑んだ。
「殿下、お忙しいとは思いますが、どうかお体をご自愛下さい」
「ああ、君もな」
甲覇はようやく詩琳に少しだけ笑顔を見せた。
こうして、兵士達の胃が痛くなる王妃候補との会談は終了したのだった。
***
「詩琳様のその健気さは、もはや欠点だと思いますよ」
王宮の回廊を歩きながら、ライは詩琳に気軽な調子でそう言った。
「何の話か分かりかねます。ライ殿こそ、その率直さは時と場合を選んだ方がいいと思います。甲覇様はもうすぐ国王となられるのですから、ライ殿も気を引き締めるべきです。…あの軽率な遊びはもうしてませんよね?」
詩琳に痛いところを突かれたライは頬をかく。
「極力、控えてますよ」
詩琳には何か言いたげに顔を顰めたが、言葉を飲み込んだ。
「そういえば、この前の非番に街で選姫の儀に出るという平民の娘に会いましたよ。衣装選びに苦悩していたので、つい手伝ってしまいました」
詩琳が驚いた様子でライを見る。
「全く方向性が決まっていなかったようなので、私が笛を演奏して舞って貰ったのですが、中々見どころのある娘でしたよ。二次試験では、詩琳様の目に止まるかもしれません」
詩琳のひどく傷ついた顔を横目で見ながら、ライは心の中で手を合わせる。
「そうですか。そんな素晴らしい舞が見れるなんて、二次試験が楽しみになりました」
ライの方を見る詩琳の表情は、上品で優美な貴族らしいものに戻っていた。
(この人の中途半端な完璧さが、状況を余計ややこしくしてるんだよなあ)
ライは残念なものを見る目で詩琳を見たので、それを察した詩琳に笑顔の圧で窘められる。
(選姫の儀で厄介なことが起こらないといいけど)
自分で火種を蒔いておきながら、ライは心の中で無責任にそう呟いた。
このライの心配が大当たりしたかのように、選姫の儀が不穏な空気を帯びていくのはまだ先のことである。




