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第7話:変わらない距離
「……弓乃さん」
名前を呼ぶ。
さっきより、少しだけ意識して。
「はい」
変わらない声で、返ってくる。
そのことに、少しだけ安心する。
(……変わってない)
目の前にいるのは、さっきまでと同じ人だ。
黒髪のストレートボブ。
少し疲れたような、それでも柔らかい表情。
「……」
なのに。
自分の中だけが、変わっている。
(……漫画家)
それも。
自分がずっと好きだった人。
「……」
うまく、言葉が出てこない。
「……困りました?」
弓乃が、少しだけ首を傾ける。
「い、いや……」
慌てて否定する。
「その……」
何を言えばいいのか分からない。
でも。
何も言わないのも違う気がして。
「……すごい人だと思ってたんで」
やっと、言葉を絞り出す。
「……思ってた?」
少しだけ、含みのある言い方。
「あ、いや……今もです」
慌てて言い直す。
「ただ、その……」
言葉に詰まる。
「もっと遠い存在っていうか……」
正直な感覚だった。
画面の向こうの人。
届かない人。
そういう距離感。
「……ふふ」
小さく、笑われる。
「遠いですか?」
「……いや」
少しだけ、考える。
目の前にいる。
普通に話している。
名前で呼ばれている。
「……今は、近いです」
自然に、そう言っていた。
弓乃の目が、少しだけ細くなる。
「よかった」
ぽつりと、言う。
その一言が、妙に残る。
「……でも」
弓乃が、続ける。
「さっきまでと同じでいいですよ」
「……え?」
「変に気を遣われる方が、困るので」
少しだけ、冗談っぽく言う。
「……いや、それは……」
無理だと思った。
「無理です」
正直に言う。
「だって……」
言葉を選ぶ。
「普通に話してた人が、実はすごい人でしたって……」
苦笑する。
「難しいです」
「そうですか?」
楽しそうに返される。
「私は、同じですけど」
さらっと言う。
「……」
その言葉に、少しだけ考える。
(同じ……か)
確かに。
変わっていない。
話し方も。
距離も。
空気も。
「……」
少しだけ、息を吐く。
「……分かりました」
完全じゃないけど。
少しだけ、意識を落とす。
「……陽斗くん」
名前を呼ばれる。
さっきと同じ。
自然な呼び方。
「はい」
今度は、さっきより落ち着いて返せた。
「さっきの話」
弓乃が言う。
「すごく、嬉しかったです」
「……」
少しだけ、間が空く。
「本当に、ちゃんと読んでくれてるんだなって」
その言葉が、まっすぐに届く。
「……はい」
短く、返す。
それしか言えなかった。
でも。
それで、十分だった。
「……なんか」
少しだけ、照れるように言う。
「こうやって、直接聞くのって不思議ですね」
「……ああ」
確かに。
普通なら、届かない。
伝わらない。
でも、今は。
目の前にいる。
「……不思議です」
同じ言葉を、繰り返す。
夜の空気が、静かに流れる。
コンビニの明かりが、二人を照らしている。
「……あの」
陽斗が、少しだけ迷いながら口を開く。
「なんで、言ってくれたんですか?」
「え?」
「その……自分がその漫画家だって」
普通なら、隠すと思った。
むしろ、隠す方が自然だ。
「……なんででしょう」
少しだけ、考えるように言う。
「……言いたくなったから、ですかね」
曖昧な答え。
でも。
どこか、納得できる。
「……陽斗くんには」
続けて、言う。
「ちゃんと知ってほしいなって思いました」
その言葉に。
少しだけ、胸が熱くなる。
「……」
言葉が、出ない。
代わりに。
少しだけ、視線を逸らす。
「……」
沈黙。
でも、嫌じゃない。
むしろ。
心地いい。
「……そろそろ」
弓乃が、ぽつりと呟く。
「帰ります」
「……あ」
少しだけ、名残惜しい。
でも。
止める理由はない。
「……はい」
頷く。
「また、来ます?」
自然と、聞いていた。
「どうでしょう」
少しだけ、笑う。
「来るかもしれないし、来ないかもしれないです」
曖昧な答え。
でも。
「……じゃあ、俺も」
言葉を繋ぐ。
「来ます」
自分でも、少し驚く。
でも。
迷いはなかった。
弓乃は、少しだけ目を細めた。
「……楽しみですね」
そう言って。
軽く手を振る。
「また」
「……はい。また」
その背中を、見送る。
黒髪のストレートボブが、夜の中で揺れる。
(……弓乃さん)
名前を、心の中でなぞる。
さっきまでとは、違う重み。
でも。
距離は。
ちゃんと、残っている。
変わりすぎず。
離れすぎず。
その絶妙な距離が。
今は、少しだけ心地よかった。
――物語は、静かに進み続ける。




