第十九章 灯りの名
金属の匂いが、朝よりも先に満ちていた。
夜が完全に明けきる前の研究棟は、いつも少しだけ時間から取り残されている。窓の外は白み始めているのに、室内にはまだ夜の重さが残っていた。油のにじんだ床、使い込まれた机、重ねられた図面。どれもが静かに、しかし確かに積み上がってきた時間を語っている。
遊は、その中央に立っていた。
机の上に置かれたそれは、かつての試作機とは似ても似つかない姿をしている。角ばった仮組みの名残はどこにもなく、滑らかな曲面が光を受けてやわらかく返していた。掌に収まるほどではないが、両手で包めば隠せてしまいそうな大きさ。まるで、呼吸を待っている生き物のように静かだった。
指先で触れると、わずかな振動が返ってくる。
「……ここまで、来たか」
ひとりごとのように落ちる。
机の向こうで、ひよりが顔を上げる。
「え、なにそのラスボス倒した後みたいなセリフ」
遊は視線を動かさないまま、少しだけ口元を動かした。
「まだ第一章だろ」
「自覚あったんだ」
ひよりが立ち上がる。
「ちょっと見せてよ、それ」
軽い足取りで近づき、隣に並ぶ。
「……なにこれ、めっちゃ丸いじゃん」
くすっと笑う。
「かわいいんだけど」
「機能美だ」
「いや絶対それ逃げでしょ」
ひよりは手を伸ばし、触れる寸前で止める。
「触っていい?」
「壊れたらお前のせいだな」
「え、今さら責任押し付けてくる?」
小さく笑ってから、そっと触れる。
次の瞬間、わずかに光が走る。
「うわ、今の見た?」
「見てる」
「ね、これ絶対動いてるって」
遊は答えず、指先に意識を向ける。
ひよりが覗き込む。
「なんかさ、こう……ペットみたい」
「餌はやらないぞ」
「そこ?」
沈黙が一瞬だけ落ちる。
外の光が、わずかに強くなる。
遊はゆっくり息を吐く。
そして、小さく呟く。
「収集された感情の流入を制御せよ。それらの感情はエネルギーにならない」
ひよりがすぐに反応する。
「急に難しいこと言い出すじゃん」
その直後―
揺れた!?
「……え、ちょっと待って」
声が変わる。
「今、動いたよね?」
遊は視線を落としたまま、小さく返す。
「命令は聞くらしい」
「いやいやいや、軽く言ってるけどそれ普通にすごいやつ」
ひよりが少しだけ黙る。
そして、わざと肩をすくめる。
「……ほんと、やることだけは天才だよね」
「それ以外は?」
「問題しかない」
「言い切るな」
間が生まれる。
ひよりが空気を戻すように言う。
「で?これ、なんて呼ぶの」
「……CUYON」
「くうよん?」
すぐに笑う。
「なにそれ、ちょっとかわいいじゃん」
「仮だ。意味はない」
「いいじゃん別に。呼びやすいし」
その瞬間、また光が揺れる。
「ほら、気に入ってるって」
「そういう解釈するな」
だが否定しきらない声だった。
遊はその光を見つめる。
成功かどうかは、まだ分からない。
だが確かに、何かは動き出している。
見えない歯車が、静かに噛み合う音がする。
その中心にある小さな光を、遊はただ見つめ続けていた。
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