#4 フィオとハクレン2
ハクレン、そう呟いても返事はなかった。ここのところ行動を共にしていたような気持ちでいたから、あの傲慢で人を心底楽しそうに見下す声がやむというのは、まったく予想していないことだった。
困惑のあと、ぼくが考えたのは「なぜ?」だった。ハクレンの声が聞こえない──いや、呼んでも返事が聞こえない。わかる事実はそれだけだった。
もともと、ハクレンの姿は見えないから、ぼくからは、彼女がどこにいるのかはわからない。もしかすると今もそばにいて、ぼくの呼びかけにあえて返事をしていないのかもしれなかった。あるいは、ぼくの声が聞こえておらず、気付いていないのかもしれない。いや、しかし、ハクレンからはぼくの姿は見えているのだから、呼びかけようとしていることは気付くはずだ。その様子を見て、ぼくの声が聞こえないと考える彼女であれば、ぼくになんらかの呼びかけをするだろう。たとえば──声が聞こえなくなったから、用があれば文字を書け、などと伝えるかもしれない。
そばにいるハクレンがあえて返事をしないという可能性も捨てきれないが、これまでの彼女の性質からいって、いっときの悪ふざけでそういうことはしても、すぐに飽きてぼくに茶々を入れるだろうと思われた。
そこまで考えて、見落としていた事実があることに気づいた。呼んでも返事が聞こえない、──それは、あの廃城を出てからだ。
廃城の中を好き勝手気ままにうろつき、ぼくにだけ声をかけることができるハクレンだが、その力は、廃城の外には及ばないのではないか。ぼくに声をかけることができないのは、ハクレンというものが、あの廃城に由来するものだからではないのか。ハクレンは、城の外の様子にはあまり明るくはなかった。とすると、彼女は、廃城の外に出ることができないのではないか。
もっとも、そう考えたところで、それを確かめる方法はなかった。ぼくはもう一度だけハクレンの名を呼んでみたが、やはり返事はなかった。
◆
ぼくたちが目的地である戦場に着いたのは、それから五日ほど経った後のことだった。ヴェルグはこの戦に傭兵として加わっていたが、どうやらあまりうまくいっていないらしかった。そこへ後から呼ばれたぼくたちは、戦える者が減り、欠員が出た穴を補うために送り出されたのだと聞いていた。
味方の本陣は、広大な盆地の、とある低い丘の陰につくられていた。
大小の天幕が並び、馬が繋がれ、荷が行き来していた。人は大勢いたが、誰もが忙しそうで、ぼくらを出迎える者はいなかった。
ぼくたちを率いてきた男が、どこかへ報告に行った。それからしばらく待たされた後、ぼくたちは前線へ物資を運ぶよう命じられた。食糧や矢束、替えの槍などを積んだ荷駄馬を引くのが、この地でのぼくの最初の仕事となった。
世の歴史に目を向ければ、戦というものは、時代を経るごとにその有様を大きく拡げていったことがわかる。それは技術の進歩であったり、諸侯同士の融合により、大きなもの同士が争う──小さきものは蹂躙され、争いという形にすらならないかもしれない──理由は様々だけれど、何か今よりも「よいもの」を求めようとすれば、それは必然的に起こっていくことのように思われる。この頃の戦もまた、それまでの戦いと比べて、ずいぶんと大きなものになりつつあった。
いくさ場にとどまる人間が増えれば、物を口にする人間も増える。剣も矢も槍も、傷を手当てするための布も、必要なだけ前線へ運ばなければならない。そうして戦う人数が増えたことで、敵を殺すことよりも、味方に食べ物を届けることの方が難しくなる場合があった。物資の補給という仕事の重要性は増しつつあった。ただ一方で、まだこの頃は単純に大量の荷をひと所から他方へ移動させるだけで済むようなこともあり、ある種、人材を選ばない仕事でもあった。
ヴェルグ傭兵団においても、物資の補給というのは他の仕事の流れに上乗せさせる形で積まれるものだった。またそれは、時に経験の浅い年若い戦士たちにとっては、戦闘より、最も期待される任務でもあった。彼らはそうやって戦場を駆けずり回り、年長の者たちと顔をつなぎ、また戦場のならいを知っていくのだ。ぼくもそうだったし、周りの僚友たちも、同じようにしていた。そして、ぼくらの先達も。
たとえば、ぼくらに戦場のことを数多教えてくれたアズという男が、かつて初陣を迎えたその日のこと。彼は送り出された戦場で荷車をひき、ときには懐いっぱいに手紙や砥石、応急用品を抱えて一日中走り回った。また、それとまったく同じことをひと月もふた月も、またはそれ以上も続けた。
そこで彼は経験した。一刻ごとに変化していく前線のかたちや、荷を渡すはずの相手が少し前に物言わぬ塊になり変わってしまっていたことや、酒を届ければ、気をよくした相手がいくらかのわけ前をくれたこと、医療品の乏しくなった陣地に一抱えの救急箱を届けたときには、まるで英雄のように肩や背中を叩かれたこと。このようにして若者は大小の恩を売り、隊列に、ひいては戦場に、己の居場所をつくっていくものだった。
そうしてアズは、無人となった廃墟を横切り、泥に塗れながら瓦礫の下をくぐり、降り注ぐ矢玉の中、それらが自分を避けるようにと廃城のよくわからぬ魔女に祈りながら走り、極限の光景を目に耳に焼き付けながら、命をつないだ。かつて荷の届け先として縁に触れた者たちの、その多くを見送った頃、アズははじめて気づいた。自身が補給を受けることの方が多くなっていることに。
ぼくもまた思い出す。多くの荷を運んだことや、運んだ先でついでとばかりに別の仕事がそのまま始まったことを。それはローデンと別れ、ハクレンとも別れ、廃城から離れた戦場での、幾日かにわたる日々だった。
本陣を出て丘を越えると、盆地の、その広い平野を見渡すことができた。ところどころに畑があり、見ればその間を細い道が走っている。さらに遠くには家々が寄り集まっている場所も見え、屋根の形からすると、農村なのだろうと思われた。
平野のあちこちからは、細く煙が上がっていて、はじめ、ぼくは煙の出ている場所が戦場なのだと思った。けれど、しばらく眺めていると、煙のない場所でも多くの人影が動いているのがわかった。
人の集まりは、遠くから見ると黒い染みのようで、その染みはまた、少しずつ形を変えていた。ひとつが伸びると、別のひとつが縮む。ときどき、染みの一部が千切れたように離れていく。ぼくは以前にも戦場へ出たことがあったが、こんなふうに離れたところから眺めたのはこれが初めてだった。あの中の一つ一つがぼくと同じような人間なのだと思うと、少しばかり奇妙な景色のように思えた。
時おり、風に乗って何かの音が届いた。大勢が叫んでいるようにも聞こえたが、何を言っているのかはわからなかった。
それからぼくたちは丘を下り、平野の端を通る道へと入った。道には深い轍が残っていて、荷車の車輪が何度も同じところを通ったらしく、土が削れて溝になっている。きっと雨が降れば、ここにはよく水が溜まるだろうと思われた。また道の脇には、車輪の外れた荷車が捨てられていた。少し進むと、今度は車輪だけが落ちていた。
途中、負傷者を乗せた荷車とすれ違った。荷台には、三人の男が寝かされており、一人は顔に布をかけられていて、残る二人のうち、一人はぼくたちの方を見ていたが、もう一人は目を閉じていた。荷車を引く馬は、ぼくの馬よりずっとくたびれているようだった。ぼくたちは道を譲り、荷車が通り過ぎるのを待った。
それからまた歩いた。前線へ近づくにつれ、道を行き来する人間が増えていった。前へ進む者もいれば、後ろへ戻る者もいた。荷物を運ぶ者、負傷者に肩を貸す者、何も持たずに走っている者もいた。
戦いに用があるものが前へ、もう戦えなくなったものは後ろへ。ぼくたちは急かすように道を譲られたり、逆に、血の匂いがする荷台に道を譲ったりしながら、ひたすらに歩き続けた。
◆
物資を届けたぼくたちは、そのまま前線に残ることになった。街道を守る部隊に欠員があり、頭数の補充が必要なのだという。それで、ぼくを含む四人ほどが、小さな街道を守る部隊に割り当てられた。
それは主戦場たる平野部から、少しばかり逸れた場所にある街道で、街道とはいっても、広いところで荷車が一台通れる程度の幅しかなく、両側には土と岩の斜面が迫り、ところどころに木が生えている、比較的狭い道だった。しかしその道を敵に使われると、平野で戦っている味方の横へ出られてしまうのだと聞かされた。
街道にある陣地は、木の柵と土を盛った低い壁で作られており、柵の一部は壊れていて、新しい木材で補われていた。そこでぼくたちを迎えた年かさの男は、ぼくらを一人ずつ見て、その人数を確認した。ぼくを見たところで彼は、少し眉をひそめた。
──これっぽっちか」
彼は落胆の色を隠さなかった。それからぼくらは、それぞれの持ち場を伝えられた。
ぼくが立つことになったのは、街道の右方、切り立った崖の岩肌が、少し突き出している場所だった。そこには、前に誰かが使っていたらしい盾が無造作に転がっていた。縁が割れていたが、まだ使えそうだったので、ぼくはそれを拾うことにした。
街道へ立ってからの最初の戦いは、それほど長くは続かなかった。敵が柵へ近づき、ぼくたちがそれを迎え撃った。
ぼくは一人の男と剣を交えた。男の剣を受けたとき、以前の癖で右脚を引きかけたが、けれど、そこで踏みとどまることができた。ハクレン様々だ、と心のうちで感謝したその時、相手の剣が盾を滑り、身体の横を通り過ぎた。ぼくはその隙に剣を突き立て、男は倒れた。
敵が退くと、ぼくたちは急いで柵の補修に取り掛かった。倒れた木材を起こし、杭を打ち直した。
次に敵が来たときも、同じように戦った。ただ、今度は敵の数が多かった。そのためついに柵の一部が壊れ、そこから敵が入り込んできてしまった。
隣にいた味方が雄叫びをあげ、槍で追い払った。ぼくも一人の敵を押し返し、また別の敵から振るわれた剣を盾で受けた。何度か繰り返し、ついに盾が割れ、左腕を切られてしまった。鋭い熱が走ったが、腕はまだ動いた。ぼくはすぐに盾を捨て、剣を構え直した。相手がもう一度踏み込んできたので、咄嗟に身体を横へずらす。
そのとき、足元にあった石を踏んだ。
ぼくの身体は傾いて、あっという間に転んでしまった。敵の剣が頭の上を通り過ぎ、ぼくは転んだまま相手の脚を蹴り払うと、男も倒れた。ぼくは立ち上がり、その男の腹を剣で貫いた。男は何度かのみじろぎをして、やがて動かなくなった。
敵が退いたあと、ぼくは石を拾って道の脇へ投げた。
次に踏まないためだった。
◆
何度かの攻防のうち、ぼくの体は、だんだんと立ち上がることを難しくしていた。はじめは、腰を下ろして休んでいるところへ敵が来てもすぐに立つことができた。けれど、そのうち膝に手をつかなければ立てなくなった。さらにしばらくすると、膝に手をついても、一度では立てなくなった。ぼくは、立ち上がる前に身体を少し前へ倒すと、うまくいくことに気づいた。それからは、そうするようにした。
気がつけば、陣地の味方はずいぶん減っていた。ぼくの隣にいた男は、二度目か三度目の攻撃で腕をひどく負傷し、後ろへ下がった。そのまた隣にいた男は、いつの間にか柵にもたれかかるように息絶えていた。
最初にぼくたちを迎えた年かさの男も、いつの間にか姿が見えなくなっていた。ぼくはその男が死んだのか、どこかへ行ったのか知らなかった。ただ、もう指示を出す者がいなくなってしまったので、それからはなんでも自分で考える必要があった。
戦場において、肝心であるとされるものは、数限りなく挙げられる。たとえば、ローデンにしてみれば、全てはわからないと考えることが肝心だと。ほか、廃城で聞かされた教訓の数々もそうだ。それらは数多の血によって記されたものであり、それを軽んじた者は、また、誰かが誰かを戒めるための教材として語り継がれることになる。
しかし、やみくもに何かの考えや恐れに頭をとらえられ過ぎるのもまた、身動きをとりづらくし、命を戦場に無防備に晒すことと変わりはなかった。だから、ぼくはただ、自分にできることをやり続けることにした。
ここへきて、街道を塞いでいた陣地の柵は、そのほとんどが大破してしまっていた。それでも、生き残っている味方たちは懸命に瓦礫をかき集めたり、持ち主のいなくなってしまった盾や槍を地面に打ち立てて、攻め込もうとする連中への障害としようとしていた。
また、街道の脇には大きな岩があった。そこには人が一人通れるくらいの隙間があって、時おり味方の目をかいくぐった敵がそこを通ろうとするので、ぼくはその大岩の隙間を守ることにした。
敵が来て、ぼくは立ち上がった。岩の隙間へ入ってきた男にぼくは剣を向けた。男はそれを避けようとして岩に肩をぶつけ、そこを突くと、男は倒れた。
次の男が来ると、ぼくはまた剣を向けた。今度の男は盾を持っていた。剣が通らなかったので、盾の下から脚を突いた。男が膝をついたところを、さらに突いた。敵は一度退いた。
ぼくは腰を下ろした。左腕から血が流れ、右脚も痛んでいた。剣を握る手には、うまく力が入らなかった。ぼくは剣を地面に置き、指を一本ずつ伸ばした。ハクレンから教わったことだった。指のだるさが、少し楽になったので、それから、もう一度剣を握った。
しばらくすると、また敵の気配がした。ぼくが立ち上がると、そのとき、後ろから声がした。
──おい、まだやるのか」
振り返ると、負傷した味方が一人、土壁にもたれていた。ぼくは何を聞かれたのかわからず、少し考えた。
「だって、ほら、敵が来ているから」
そう答えた。男は何か言いかけたが、結局何も言わず、それきり、うなだれて動かなくなった。
最初に来た男は、槍を持っていた。ぼくは岩の陰にぴったりと身体を寄せて、目の前を穂先が流れるのをやり過ごした。男が槍を引き戻そうとしたところで、ぼくはその柄を掴んだ。力のかぎり引っ張ると、男もこちらへよろめいたので、剣で突いた。
男は岩壁にその肉をこするように倒れていった。また男は、命を奪われたあとも槍を手放さなかった。ぼくは男の指を一本ずつ外して、槍を取り上げた。剣よりも槍の方が、この隙間を守るには都合が良いだろうと思った。
またすぐ、次に来た男は、ぼくが構える槍の穂先を見て足を止めた。その後ろにも二人いた。ぼくは槍をぐっと突き出すと、男は盾で受けながら後ろへ下がった。もう一度突くと、今度は盾の縁に穂先が引っかかってしまった。ぼくは槍を引き戻そうとしたが、うまく抜けなかった。男が盾を捻ると、柄は岩にぶつかってあっさりと折れてしまった。ぼくは折れた槍を捨てて、再び剣を取った。何度かの打ち合いのあと、結局その攻撃では、敵は隙間を通れず退いていった。
ぼくはその場にとり残された男の亡骸を、岩の脇へ引きずった。男の身体は重かったが、どうにか動かすことができた。大岩の隙間の幅が、少し狭くなった。
また男の腰には短い剣があった。抜いてみると、刃は欠けていたが、まだ使えそうだったから、ぼくはそれを自分の足元に置いた。
それから、男の目が開いたままだったので、閉じてやった。
そんな戦いが幾日か続いた。
結局、ぼくらの後に増員はなかったから、ぼくが守らなければならない持ち場は、次第に増えていった。大変だと思ったが、仕方なく、やるしかなかった。
夜になれば、交代で岩を背にして眠った。寝ているのか、死んでいるのかよくわからない者もいた。ぼくらはそこで、限られた食糧をわけあった。時おり、やみ夜に乗じて敵がこちらに浸透しようとしたので、ぼくらはそれを警戒する必要があった。
目を覚ますと、大岩の隙間に横たわっていたあの男の亡骸は、いつの間にかどこかへと動かされていた。
敵が引きずっていったのかもしれない。
また、道が少し広くなっていた。ぼくは近くにあった折れた柵の木材を拾い、そこへ置いた。
◆
撤退の合図が聞こえたのは、それからしばらく経ってからのことだった。
不意に角笛が鳴り、一度目はよく聞こえなかった。二度目で、ぼくはそれが味方の合図だと気づいた。
陣地の後ろにいた誰かが叫んだ。
「ここは放棄する!退くぞーッ!」
何度目かの敵の攻撃を退け、また息を整えているところだった。ずいぶん長いこと、ここにいたらしかった。ぼくは剣を持ち直して、後ろへ下がった。
ぼくたちは街道を下りながら、こちらの様子に気づいて追ってくる敵と何度か振り返って戦った。途中で、ぼくは脚を深く切られた。剣が腿の外側を通り、肉を裂いた。足をつくとひどく痛んだが、それでも、歩くことはできた。さらにしばらくすると、歩く速さも落ちた。それでも、まだ足は前へ出た。途中で何度か休んだ。水を飲み、傷を押さえ、また歩いた。
平野へ戻ると、味方の兵士たちがばらばらと走っているのが見えた。
ぼくたちが守っていた街道とは別の場所でも、戦いが終わっていたらしい。ぼくは、近くにいた味方に何が起きたのかを尋ねた。
──負けたんだよ」
そう答えた男は、ぼくの顔を見なかった。ぼくはもう一度、街道があった方を振り返った。
あの街道は、最後まで抜かれることなく、守ったはずだった。けれど、戦には負けたのだという。
そういうこともあるのだろう、と思った。
寄り合いで生きているものは、どこかしらで、大勢でなにかを成し遂げる必要がある場面にでくわす。そんなとき、ぼくら一人ずつのはたらきというものは、限りなくうすまっていく。
あの丘で見た、黒くうごめく染みのように、ひとつの生き物のように。いくさ場の戦士はみな、目を凝らして、耳を澄まして、辺りをうかがう。煙をゆさぶる風向きから、柵越しに見える穂先のきらめきから、日暮れ前の真っ青な視界にひそむ人影から、なにげなく見せる足跡に滲む違和感を、あらゆる兆しを見てとるのだ。あらゆる問題に直面し、その命を絶やさぬように最善を尽くすが、彼らはみな一方で、たまらずそれ以外については盲目なうちに務めを果たすことになっているのだ。
しかし、きっとそうはならずに、溶かし切れない個として羽ばたきを見せるものもいる。それはたとえば、ローデンのような人のことをさしたかもしれない。
ぼくはこの数日間を経て、自分ではどうにもならぬ大きな出来事があることを理解した。
◆
廃城へ戻るまでに、どれくらいかかったのかは、よく覚えていない。
途中からは、自分で歩いていた時間より、荷車に乗せられていた時間の方が長かったように思う。誰がぼくを荷車に乗せたのかも、覚えていない、ただ、車輪が石を踏むたびに脚が痛んだことを覚えている。
荷台の揺れで目を覚ますと、見覚えのある、ヴェルグの廃城の城壁が見えた。荷車から下ろされ、誰かに肩を貸してもらって城門をくぐった、そのときだった。
「ひっどい顔じゃのう」
ぼくは顔を上げた。
「ハクレン」
「なんじゃ」
ぼくは少し考えた。
「やっぱり、城から出られないんだね」
しばらく返事がなかった。
「……おぬし、そんなことを考えておったのか」
「外では声が聞こえなかったから」
「……そうか。うむ」
それきり、ハクレンは黙った。ぼくは肩を貸してくれている男に促され、城の中へ入った。
しばらくして、また声がした。
「それで? おぬしは何をしてきた」
「戦ってきた」
「見ればわかるわ!そういうことを聞いておるのではない」
ぼくは何を聞かれているのかがよくわからなかった。
それで考えてみたけれど、うまく言葉が見つからなかった。
「ああ、その、街道を守ったんだ」
「ほう」
「でも、戦には負けちゃった」
「そうか」
ハクレンは少し黙った。
それから、いつもの調子で言った。
「おぬしらしいの」
ぼくは返事をしなかった。
肩を貸してくれている男に、止まってほしいと頼んだあと、ぼくは息を整え、自分で歩くと伝え、男を見送った。
それから、また歩き始めた。




