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魔女とみちづれ  作者: 仕様です。


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#1 フィオとローデン1

 二百年ほど前のことだった。

 ぼくは物心つくころには、ヴェルグ傭兵団の中で暮らしていた。年かさの者たちの使いっ走りからはじまり、水を汲み、薪を運び、泥まみれになった具足を洗う。また少し年を重ねれば、今度は戦士たちの見習いとして扱われるようになった。


 朝には重い荷を背負って走らされ、昼には木剣や棒を握り、倒れては起き、また倒された。刃の研ぎ方も、切れた革紐の替え方も教わった。雨の日には薄暗い広間に集められて、古参の戦士が床に広げた地図を仲間たちと囲み、戦場についての講義を受けた。


 ──川を背にして戦うな」

 ──森から鳥の声が消えたなら気をつけろ」

 ──逃げる敵の背中ばかりを見るな」


 そんなことを何度も聞かされた。

 戦乱が絶えず続く土地で、ヴェルグ傭兵団は古い廃城を根城として、金さえ積まれればどんな戦場だろうと赴いたものだった。戦で仲間が死ねば、また次の誰かがその穴を埋めた。

 人には困らなかった。戦が続けば、親を失う子供も、帰る場所をなくす者も、生まれ続ける。ヴェルグはそういう者をよく拾った。ぼくもその一人だった。

 同じように拾われた若者たちと走り、剣を振り、怒鳴られながら、ぼくらはいつか自分たちも戦場へ出るのだと思っていた。

 片腕を失った男から、戦場は恐ろしいところだと聞いていた。生きたまま腹を裂かれた奴の話も、泥の中で三日間死体に紛れて生き延びた奴の話も聞いた。それでも、戦から帰った者たちには肉と酒が振る舞われた。また大きな戦果を挙げた者には報奨金が出て、皆から肩を叩かれた。ぼくらは戦に対する恐怖心と、それと同じくらいの憧れを抱いていた。


 こうした昔を思い出すとき、ぼくはローデンのことをよく思い出す。ローデンは後に、ぼくの目の前で血溜まりに沈んで死んだ。けれど、あのころのぼくらにそんな結末が待っていることなど分かるはずもなかった。


 その日の訓練が終わると、彼はいつものようにぼくの横へ勢いよく座り込んだ。


「疲れたな!フィオ」

「……嘘つけ」

「何でだよ」

「息も切らしてないじゃん、おまえ」

「疲れたものは疲れたんだよ」


 ローデンはそう言って、地面に大の字になった。ぼくはというと、しゃがみ込んだまま、まだ肩で息をしていた。朝から城の外周を走らされ、そのあと木剣を振らされ、最後には二人一組で組討ちまでさせられた。ぼくの身体はとっくに限界だった。しかし、ローデンは違った。同じ訓練を受けたはずなのに、彼は少し休めばまたすぐに起き上がることができた。


「もう一回やる?」

「やらない」

「何で?」

「おまえの剣を受けると、腕がいつまでも痛むんだよ」

「そういう訓練だろ」

「訓練でも痛いものは痛い」

「弱っちいなあ」

「うるさいなあ」


 ぼくが蹴ると、ローデンは笑いながら避けた。ぼくらは同い年だった。少なくとも、そう聞かされていた。ぼくらのような拾われた子供には、生まれた日が分からない者も珍しくなかった。だから歯や背丈を見て、お前はこれくらいだろうと勝手に年を決められた。

 ぼくとローデンは子供のころから、何かにつけて競いあった。どちらが先に城壁まで走れるか。どちらが薪を多く運べるか。どちらが長く息を止められるか。剣を持つようになってからは、どちらが先に相手から一本取れるか。

 勝つのはたいていローデンの方だった。ぼくは身体が丈夫ではなかった。走ればすぐ息が切れたし、冬にはよく熱を出した。木剣を振り続ければ、皆より先に腕が上がらなくなった。

 ローデンは、そんなぼくとは正反対だった。身体が丈夫で、動きが速く、教わったことを覚えるのも早かった。ローデンの成績は若い世代の中でも飛び抜けていたし、年上の戦士に混じって訓練をすることも増えた。傭兵団の者たちがローデンを天才だとはっきり認識して久しい。けれど、ぼくは彼を天才だと思ったことはなかった。皆が寝たあとも、一人で剣を振っているところを知っていたからだ。ぼくは素直にローデンを尊敬していたし、また友人としても彼のことを好ましく思っていた。


「なあ」と地面に寝転んだまま、ローデンが言った。


「何?」

「今日の夕飯、なんだろうな」

「知らない」

「肉だったらいいな」

「昨日食べたじゃん」

「毎日が肉でいいだろ」

「そんなにあるわけないよ」

「じゃあ、フィオの分の飯をわけてもらおう」

「なんで僕の分をローデンが食うんだよ」

「おまえ、食うの遅いから」

「関係ないだろ」


 そんな話をしていた。その日の夕食が肉だったのかどうかも、もう分からない。けれど、ローデンが肉を食べたがっていたことは覚えている。


◆


 ローデンは、ぼくよりずっと強かった。だからといって、いつも負けてばかりでは面白くない。


「もう一回!」


 ぼくは地面から起き上がり、ローデンに食い下がる。そんなとき、きまってローデンは嬉しそうに笑った。僕は木剣をローデンに向けて言う。


「次に負けた方が、明日の水汲みだ!」


 ぼくらはよく、そんなふうに訓練へ勝手な賭けをつけた。負けた方が水を汲む。負けた方が靴を磨く。負けた方が夕食のパンを一口渡す。たいしたものを持っていなかったから、賭けられるものもたいしたものではなかった。それでもぼくは真剣だった。ローデンに勝つことは、ぼくにとってたいへんなことだったからだ。


「おい、ローデン」

 

 不意に声が飛んできた。振り向くと、教官の一人が立っていた。


「まだフィオとやってるのか」

「そうだけど」

「自分より強い奴とやれ。おまえなら上の組に混ざってもいい」

「あとでやるよ」

「なあおい。そいつに付き合っていても、おまえは強くならんぞ」


 教官はぼくを見ながら言った。間違ってはいなかった。ぼく自身、そう思った。けれどローデンは眉をひそめた。


「……誰とやるかくらい、俺が決める」

「生意気言うな」

「訓練の方はちゃんとやってるだろ」

「口の利き方を言ってるんだ」

「だったら最初からそう言えよ」


教官の拳がローデンの頭に落ちた。


「いってえ!」

「次は尻を蹴る」

「横暴だ!」

「傭兵団に何を期待してんだ」


 教官は呆れたように去っていった。ぼくは笑った。


「馬鹿だなあ」

「あん?」

「黙ってれば殴られなかったのに」

「……別にいいよ」


 ローデンは頭を擦りながら木剣を拾った。


「俺が誰とつるむかくらい、俺が決める。ほら、やろうぜ!」


 ローデンはずっと、そういう奴だった。自分のことは自分で決める。何をするか。誰といるか。何を大切にするか。


 あのころのぼくは、それを単に頑固なのだと思っていた。


◆


 ぼくらが暮らしていた廃城には、大きな地下の階層があった。城に地下室があること自体は珍しくない。食料を置く場所もあったし、武器をしまう場所もあった。けれど、ぼくらが普段入ることを許されない場所が、さらにその下にあった。

 そこを使っていたのが、「アルカネム」という教団だった。ヴェルグよりもずっと古くからある教団で、傭兵団も元を辿れば彼らから生まれたものだという。ぼくらが使う武器や食糧のいくらかもアルカネムが用意していたし、この廃城も彼らの持ち物だった。だからぼくは、ヴェルグよりもアルカネムの方が偉いのだと思っていた。

 戦場へ出る傭兵とは違い、彼らは黒っぽい長衣を着て、城の奥で暮らしていた。何をしているのか、ぼくはよく知らなかった。ただ、ヴェルグにとって大切な人たちなのだと教えられていた。

 戦勝のあとや、大きな遠征の前。そして、年に何度か決まった日に。ぼくらは地下へ連れていかれた。


「寒い……」


前を歩くローデンが言った。


「地下なんだから当たり前だろ」

「おまえ、寒くないわけ?」

「寒いよ」

「じゃあ何で平気そうなんだよ」

「平気じゃないよ。けど、文句を言ったって暖かくならないから」

「……けっ」


 石段を降りるにつれて、空気が冷たくなる。松明の火が壁を照らし、ぼくらの影が長く伸びた。何度来ても好きになれない場所だった。

 やがて広い部屋へ出る。奥には祭壇があった。その向こうには、さらに巨大な扉がある。扉はいつも閉じられていた。あの先に何があるのか、ぼくらは知らなかった。


「静かに」


 長衣の男が言った。若者たちは一列に並ばされた。一人ずつ名前を呼ばれ、祭壇の前へ進む。


 膝をつき、祈る。ただそれだけの儀式だった。ぼくらは、地下に不老不死の魔女がいるのだと教えられていた。その魔女がヴェルグを守っているのだと。子供だったぼくは、そういうものなのだと思っていた。

 戦場へ行けば人が死ぬ。地下には魔女がいる。空から雨が降る。ぼくにとっては、どれも同じくらい当たり前のことだった。


「次。ローデン」


 呼ばれて、ローデンが前へ出た。

 祭壇の前に膝をつく。長衣の男が、その頭へ手を置いた。しばらく何も起こらなかった。それから。

 ふっ、と祭壇の火が一つ消えた。

 風はなかった。ぼくは顔を上げた。長衣の者たちも、ローデンを見ていた。一人が隣の者へ何かを囁いた。ローデンが振り返る。


「もういい?」

「……ああ」


 それから、ローデンはぼくのところへ戻ってくる。


「なんだったんだろうな。俺、なんかした?」

「ふざけた顔をしてたのがバレたんじゃない?」

「なにっ!?」


 ぼくらは小さく笑った。後ろから叱られた。

 そのときのぼくは、消えた火のことをすぐに忘れた。

 アルカネムは、忘れなかった。


◆


 ぼくが初めて戦場へ出たのは、十五になった年の春だった。

 そこには小さな川が流れていた。雪解けの水を集めて、春先には少しばかり流れの速くなる川だった。その両側にはまだ丈の低い草が生え、ところどころに黄色い花が咲いていた。川を北へ辿れば森があり、反対へ行けば麦を作る農村がいくつかあった。ぼくらが陣を張った丘からは、その畑を囲う石垣までよく見えた。つまり、どこにでもある土地だった。


 戦場というものを知らなかったころ、ぼくはそこをもっと特別な場所だと思っていた。血の臭いが染みついて、草木も生えず、いかにも人が死ぬために用意されたような場所が、この世界のどこかにはあるのだと思っていた。

 けれど、そんな場所はなかった。

 戦場になるのは、たいてい誰かが昨日まで歩いていた道や、牛を放していた野原や、春になれば花の咲く川辺だった。そこへ大勢の人間がやってきて、踏み荒らし、旗を立てれば戦場になる。戦が終われば、旗はなくなる。死体もいつか片づけられる。そうすれば川はまた流れるし、翌年には同じ場所に草が生える。

 土地というものは、人間がそこで何をしたかについて、案外無頓着なものらしい。

 もっとも、そのころのぼくはそんなことを考えもしなかった。ただただ、朝から腹が痛かった。


「顔、白いぞ」

 

隣を歩いていたローデンが言った。


「元からだよ」

「そうだっけ」

「そうだよ」

「今のうちに吐いとけよ」

「吐かない」

「俺の隣では吐くなよ」

「そうなったら、おまえにかける」

「やめろよ」


 くだらないことを言っていた。怖いと言ってしまえば、本当に怖くなってしまいそうだった。

 ぼくらに与えられたのは、前線の端で古参の戦士たちについて動く役目だった。初陣の若者をいきなり敵陣へ放り込むほど、ヴェルグも人を粗末にはしなかった。ぼくらだって、育てるまでにはそれなりの飯を食うのだ。

 それでも、腰に吊るした剣は木ではなかった。

 歩くたびに鞘が腿に当たった。

 訓練場ではあれほど本物の剣を持ちたがっていたのに、その朝ばかりは、ひどく重たいものを渡されたような気がした。


「フィオ」

「何?」

「死ぬなよ」


 ローデンが言った。冗談を言っている顔ではなかった。


「そっちこそ」

「俺は死なない」

「何で?」

「ふ、俺だから」

「はは、何だよそれ」


 ローデンは笑い、つられてぼくも笑った。それから角笛が鳴った。丘の下で旗が動いた。大人たちが立ち上がり、槍を担ぎ、兜をかぶる。誰かが怒鳴った。さっきまで草を食んでいた馬がいななき、ぼくらもその流れに押されるように歩き出した。

 戦場は、聞いていた話とずいぶん違っていた。もっと恐ろしいものが待っているのだと思っていた。実際には、恐ろしがっている暇がなかった。人が多かった。そして、うるさかった。怒鳴り声がして、角笛が鳴り、鉄と鉄がぶつかる。馬が走ると地面が震えた。誰かが転び、別の誰かがその上を跨いだ。前を歩く男の背中が邪魔で、敵がどこにいるのかさえよく分からなかった。訓練では、教官の声はよく聞こえた。戦場では、誰が何を叫んでいるのか分からなかった。


「離れるなァ!」


 古参の戦士の声に、ぼくは必死についていった。何度も教わったことを思い出そうとした。川を背にして戦うな。逃げる敵の背中ばかりを見るな。けれど、川がどちらにあるのかも分からなかった。目の前に敵の背中があったとして、それ以外を見る余裕が自分にあるとも思えなかった。

 戦場について、ぼくはずいぶん多くのことを教わっていたが、その日初めて、知っていることと、できることは違うのだと知った。


 やがて、前にいた戦士たちが左右へ分かれた。急に視界が開けた。一人の敵兵がいて、ぼくを見ていた。向こうも若かった。顔はもう覚えていない。ただ、髭がなかったことだけは覚えている。だからきっと、ぼくらとそう変わらない年だったのだろう。

 敵兵が剣を振り上げた。

 足を止めるな、相手の剣ではなく肩を見ろ、間合いを見ろ。頭の中には、教わった言葉がいくつも浮かんだが、身体は一つも動かなかった。

 殺される。そう思った。

 刃が振り下ろされる。その前に、横から何かが飛び込んできた。鉄のぶつかる音がした。


「何やってんだ!」

 

 ローデンだった。彼は敵兵の剣を受け、雄叫びをあげ、そのまま身体ごと押し返す。


「動け、フィオ!」


 怒鳴られて、ようやく足が動いた。ぼくは剣を振った。どこを狙ったのかも分からない。ただ、手に嫌な感触が残った。

 敵兵が倒れ、ぼくはそれを見ていた。


「フィオ!」


 腕を掴まれた。


「行くぞ!」


 ぼくはローデンに引かれて走った。そのあとのことは、ところどころしか覚えていない。誰かの後ろについて走り、言われたところに立ち、敵が来れば剣を構えた。何度か剣を振ったはずだが、それが誰かに当たったのかも覚えていない。ぼくはほとんど何もできなかった。


 ローデンは違った。大人たちの動きを見ていた。敵を見ていた。それだけではなく、その向こうまで見ているようだった。

 誰かが退けば、その空いたところへ入った。敵がこちらを迂回しようとすれば、言われる前にそちらを見た。森の方から騎馬が現れたときも、ぼくが馬を見ているあいだに、ローデンはその後ろから続いてくる兵を見ていた。ぼくが目の前の一人だけで精一杯だったとき、ローデンは戦場を見ていた。同じ日に初めて戦場へ出たはずなのに、もうぼくよりずっと先にいるように見えた。


 戦いには勝った。どちらの軍がどれほど死んだのか、当時のぼくは知らなかった。ただ、ヴェルグの旗がまだ立っていて、大人たちが勝ったと言ったので、ぼくらは勝ったのだと思った。

 帰るころには、陽が傾いていた。丘を下りながら、ぼくは朝に見た川をもう一度見た。あれだけのことがあったのに、水は朝と同じように流れていた。ぼくはその日、人を斬った。ローデンに命を助けられた。そして、自分が思っていたほど戦えないことを知った。


◆


 城へ戻るころには、もう日が暮れかけていた。門をくぐると、留守を預かっていた者たちが出迎えた。怪我人はそのまま治療のできる部屋へ運ばれ、死んだ者の名を確かめる者がいた。その横では、もう酒樽を転がしている者もいた。


 戦に勝って帰った日のヴェルグは忙しい。死んだ者を数え、怪我人の手当てをして、奪った武具や金品を集める。それが一段落すると、今度は酒を飲み、肉を焼いた。

 死んだ者については、明日になれば誰かが悲しむのかもしれなかった。しかしその夜は、勝った者たちの夜だった。中庭には火が焚かれ、大きな鉄鍋がいくつも掛けられた。肉の焼ける匂いが漂い、酒の入った木杯が行き交った。

 ぼくらがずっと憧れていた光景だった。初陣を終えた若者たちも、大人たちに混じることを許された。もっとも、ぼくには酒は回ってこなかった。

 ローデンはあちこちから呼ばれていた。「初陣にしちゃ上出来だ」と、大きな手がローデンの肩を叩いた。「敵を前にして、よく動けたな。おまえ、いい戦士になるぞ」と別の男もそう言った。

 ローデンは得意そうに笑っていた。それは当然のことのように思えた。あいつは実際、よくやったのだから。ぼくはというと、少し離れたところで教官に怒鳴られていた。


「戦場で固まる馬鹿があるかァ!」

「……はい」

「ローデンがいなけりゃ死んでたぞ!」

「はい」

「聞こえねえ!」

「はい!」

 

 昼間よりよほど身体が小さくなったような気がした。悔しかった。ぼくが何もできなかったことが悔しかった。あれだけ走った。あれだけ剣を振った。川を背にするな。敵の背中ばかりを見るな。相手の剣ではなく肩を見ろ。

 どれも知っていた。訓練場なら、できた。それなのに本物の剣が自分へ向かってきただけで、身体の中から何もかも消えてしまった。

 教官から解放されたあとも、ぼくは火から少し離れたところに座っていた。腹は減っているはずなのに、肉の焼ける匂いを嗅いでも食べたいとは思わなかった。

 中庭では、今日の戦いについて話す者がいた。自分が何人斬ったかを数えている者がいた。肩に包帯を巻いたまま酒を飲んでいる男もいた。そうした声を聞きながら、ぼくは昼間の敵兵を思い出そうとした。

 

「──ほら」

 

 不意に、目の前に皿が差し出された。顔を上げると、ローデンが立っていた。皿には肉が二切れ乗っていた。


「何?」

「食えよ」

「いらない」

「何で」

「腹減ってない」


 ローデンは少し考えてから、ぼくの隣へ座った。しばらく何も言わなかった。それから皿の肉を一つ摘まんだ。


「くれるんじゃなかったのかよ、それ」

「いらないって言っただろ」

「だからってここで食うなよ」

「じゃあ食え」

「……ああ。ありがとう」


 皿を奪った。肉は端の方が黒く焦げていた。噛むと固かった。それでも、朝からろくにものを食べていなかったので、ひどくうまかった。


「最初なんだから、仕方ないだろ」


 ローデンが言った。


「ローデンはすごかったな」

「ああ、俺だからな」

「またそれ」


 ローデンは笑った。ぼくは肉を噛んだ。それから「次は」と言って肉を飲み込む。そんなぼくの様子に「ん?」とローデンはこちらを見る。


「次はもっと上手くやる。もっと、鍛える」


 ぼくがそう言うと、ローデンはしばらく黙っていた。それから、「ほどほどにしろよ」と言った。


 努力すればいい。ローデンと同じだけ走って、同じだけ剣を振る。それでも足りなければ、ローデンより多くやればいい。単純な話だった。そうすればいつか、ローデンの隣に立てる。その程度のことだと思っていた。


◆


 中庭では誰かが歌っていた。

 宴がまだ続いているうちに、ぼくらは戦勝の儀式のために、廃城の地下へ呼ばれた。

 石段を一つ降りるごとに、大人たちの声が遠くなった。肉の焼ける匂いも、酒に酔った笑い声も届かなくなる。代わりに、湿った石の匂いと松明の燃える音が戻ってきた。


「せっかくの飯が……」


 隣を歩くローデンが言った。まわりには、初陣を済ませた仲間たちもいる。


「もう食べたじゃん」

「もっと食いたいだろ。あんなに一度に肉が食えること、これまであったか?え?」

「……静かにしろ」


 前を行く男に叱られて、ぼくらは黙った。けれどローデンがこちらを見て笑ったので、ぼくも少し笑った。

 やがて祭壇のある部屋へ着いた。戦場から帰った者たちが順番に前へ進み、跪いていった。

 ぼくの名が呼ばれた。祭壇の前へ進み、膝をつく。長衣の男が僕の頭に手を置いて、僕はしばし目を閉じる。

 松明の爆ぜる音がした。それ以外には、何も起こらなかった。


「──次」


 言われるままに立ち上がる。戻る途中で、ローデンとすれ違った。彼も祭壇の前へ進み、さっきまでのぼくと同じように跪く。

 ぼくは何となく、その姿を見ていた。長衣の男がローデンの頭へ手を置いた。男は、昼間の戦いで何があったのか、何か尋ねていたように思う。ローデンが短く答えた。奥にいた別の者が、手元の紙へ何かを書いた。以前、祭壇の火が消えたときと同じように、彼らはローデンを見ていた。 

 儀式が終われば、中庭へ戻れる。肉がまだ残っているだろうか。ぼくはそんなことを考えていたのだと思う。

 あのころのぼくらは、何も知らなかった。ローデンは、自分の人生を自分で選べるものだと思っていた。ぼくは、いつか彼の隣まで追いつけるものだと思っていた。

 だから翌朝。まだ日も昇りきらないうちから、ぼくは訓練場を走っていた。昨日までより、少しだけ速く走ろうと思った。

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