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ここから  作者: きさら
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最悪な出会い

第1話 最悪な出会い


人の第一印象というものは、案外あてにならない。


そんな言葉を、どこかで聞いたことがある。


けれど、20歳の私には、その意味がいまひとつ理解できなかった。


第一印象が悪ければ、その人とは距離を置けばいい。


わざわざ苦手な相手と関わる必要なんてない。


少なくとも、あの日まではそう思っていた。


5月3日。

これからの人生で忘れられない1日。


私、惠見莉衣奈(めぐみりいな)は、一人の男性と出会った。


彼の名前は、川崎繋(かわさきつなぐ)。


25歳。私より5つ年上の、建築系の職人だった。


彼を紹介してくれたのは、共通の友人だ。


友人はオンラインゲームの某TPSを通じて彼と知り合い、時々一緒にチームを組んで遊んでいるらしい。


仕事を終えた彼が、ビールを飲みながらゲームを楽しむのは日課なのだという。


「ねえ、彼女探してる人がいるんだけど、会ってみない?」


そう声をかけられたのが、そもそもの始まりだった。


正直なところ、私はそれほど乗り気ではなかった。


というのも、当時の私には恋人がいたからだ。


もっとも、恋人と呼んでいいのか迷ってしまうほど、その関係は冷え切っていた。


付き合い始めた頃のような楽しさも、相手を思いやる余裕も、いつの間にか失われていた。


それでも、別れを選ぶことはできずにいた。


情なのか、未練なのか。


それとも、ただ変化を恐れていただけなのか。


自分でも、よく分からなかった。


そんな曖昧な毎日を送っていた私に、友人は新しい出会いを持ちかけてきた。


すぐに恋愛へ発展させるつもりはなかった。


ただ、知らない誰かと話すことで、少しは気分が変わるかもしれない。


そんな軽い気持ちで、私は紹介を受けることにした。


もっとも、その選択を数時間後には少し後悔することになるのだけれど。


初めて会うことになった場所は、彼の自宅だった。


待ち合わせの日が近づくにつれて、私は落ち着かなくなっていた。


もともと人付き合いが得意な方ではない。


初対面の相手と何を話せばいいのか分からないし、会話が途切れたときの沈黙が何より苦手だった。


相手が気まずい思いをしていないか。


つまらない人間だと思われていないか。


そんなことばかり考えてしまう。


ましてや今回は、5つも年上の男性だ。


どんな人なのか、ほとんど知らない。


分かっているのは、名前と年齢、職業、それからゲームが好きだということくらい。


それだけの情報を頼りに、私は彼の家へ向かった。


そして、いよいよ初対面の瞬間が訪れた。


「……こんにちは」


緊張しながら挨拶をした私の前に現れたのは、想像していたよりもずっと大きな男性だった。


身長は172cm。


体重は80kgほどだという。


158cmの私と比べても、身長差は14cmしかない。


それなのに、がっしりとした体格のせいか、数字以上に大きく感じられた。


そして何より、表情が険しかった。


――え、何か怒ってる?


一瞬、そんな考えが頭をよぎった。


どうやら、その日彼の家に届いた荷物に不備があったらしい。


それが原因で、ひどく機嫌を損ねていたのだ。


もちろん、私に怒っているわけではない。


頭ではそう理解していた。


けれど、初対面の相手が明らかに不機嫌だという状況は、私にとって十分すぎるほど恐ろしかった。


ただでさえ大きく見える身体。


険しい表情。


どことなく張り詰めた空気。


――怖い。


率直に、そう思った。


どうしよう。


何を話せばいいんだろう。


私は必死に頭を働かせた。


沈黙が続けば、ますます居心地が悪くなってしまう。


何か話さなければ。


とにかく、何でもいいから。


私は目に入ったものを、次々と話題にした。


「このアーティスト好きなんですか?」


「ああ、それ?」


「そうです! よく聴くんですか?」


「まあ、色々」


「へえ……そうなんですね!」


「うん」


……終わった。


会話が、終わってしまった。


まだ始まったばかりなのに。


私は心の中で頭を抱えた。


どうしてだろう。


こちらから質問しているのに、返ってくる言葉は短い。


そこから別の話題へつなげようとしても、なかなか広がらない。


別に、彼が私を無視しているわけではない。


聞いたことには答えてくれる。


ただ、それ以上がないのだ。


「お仕事って、忙しいんですか?」


「まあ、時期によるかな」


「そうなんですね。大変そう……」


「うん」


また、会話が終わった。


――誰か助けて。


心の中で、何度そう叫んだだろう。


私は昔から、沈黙が苦手だった。


誰かと一緒にいるとき、何も話さない時間が続くと、どうしても落ち着かなくなる。


相手は何も気にしていないのかもしれない。


けれど、私は勝手に焦ってしまう。


何か話さなきゃ。


楽しませなきゃ。


気まずいと思われないようにしなきゃ。


そう考えれば考えるほど、頭の中が真っ白になっていく。


それでも、私は口を動かし続けた。


彼の趣味について。


仕事について。


目に入ったものについて。


思いつく限りの話題を、次から次へと持ち出した。


けれど、返ってくるのは相変わらず短い言葉ばかりだった。


もしかして、私に興味がないのだろうか。


それとも、会ってみたら想像と違っていたのだろうか。


そもそも、今日会うこと自体が面倒だったのかもしれない。


そんな考えが次々と浮かんでは消えていく。


初対面なのだから、多少ぎこちないのは仕方がない。


そう自分に言い聞かせても、気持ちは少しも楽にならなかった。


何よりつらかったのは、彼が何を考えているのか、まったく分からなかったことだ。


怒っているのか。


退屈しているのか。


それとも、ただ無口なだけなのか。


判断できないからこそ、私は必要以上に気を遣ってしまった。


部屋の中に流れる時間が、やけに遅く感じられる。


時計を見たい。


でも、何度も時計を確認したら、帰りたがっていると思われるかもしれない。


いや、実際に帰りたいのだけれど。


そんなことを考えながら、私はどうにか会話をつなぎ続けた。


結局、彼の家にいたのは2時間ほどだったと思う。


2時間。


数字だけを見れば、それほど長い時間ではない。


けれど、あの日の私にとっては、途方もなく長い2時間だった。


ようやく帰ることになったとき、胸の奥で小さく安堵の息をついた。


――やっと帰れる。


そんなことを思ってしまう自分に、少しだけ罪悪感もあった。


彼が悪い人だと決まったわけではない。


たまたま機嫌の悪い日に会ってしまっただけなのかもしれない。


それでも、もう一度あの空気の中に身を置きたいかと聞かれれば、答えは決まっていた。


できれば、遠慮したい。


帰り道、私はぐったりと疲れていた。


初めて会った男性の家で、ひたすら話題を探し続けた2時間。


思い返してみても、楽しかったという感想は出てこなかった。


むしろ、よく頑張ったと自分を褒めてあげたいくらいだった。


彼は、私のことをどう思ったのだろう。


やたらと話しかけてくる、落ち着きのない女だと思っただろうか。


それとも、私と同じように、居心地の悪さを感じていたのだろうか。


分からない。


そして、その答えを知りたいとも、あまり思わなかった。


――きっと、もう会うことはないんだろうな。


そう思いながら、私はいつもの日常へと戻っていった。


このときの私は、まだ知らなかった。


あの日、ほとんど会話が弾まなかった彼が、私の何気ない言葉を覚えていたことを。


そして、もう二度と会わないと思っていた相手から、再び連絡が来ることを。


最悪だった、あの出会い。


けれど、それは確かに、私たちの物語の始まりだった。


すべては、ここから。


⸻


第1話 終

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