第2章 影の流儀と次元の歪み
ここからはZIKAGEを「直影」として、進めていきます。
「ノーネーム」の医療室を後にしてから、数日が経過していた。
金属と強化ガラスに囲まれた巨大な浮遊拠点。
空を交錯する見たこともない飛行艇や、様々な姿かたちをした異能の民が行き交う無機質な街並み。
そのすべてが、記憶を失った直影にとって異郷そのものだった。
だが——彼には、この街で途方に暮れている暇などなかった。
「ハッ……!!」
薄暗い下層区画の裏路地。冷たい風を切る音とともに、一人の男が壁を蹴って跳躍した。
「な、なんだアイツは……!? 銃撃も魔法も一切通じねえぞ!!」
悲鳴を上げたのは、「アンチハンター」と呼ばれる街の治安を脅かす武装犯罪組織の男たちだ。彼らが放った火炎魔法やプラズマ弾が直影の至近距離まで迫る。だが、直影がとっさに突き出した右掌に触れた瞬間、すべての超常現象がまるで霧のようにかき消えて消滅した。
「なにっ……!?」
直影自身、頭で考えたわけではない。身体が、皮膚が、勝手に反応していた。(俺の手に触れた力が……消えた……?)戸惑う間もなく、直影の足は地面を滑るように地を這い、相手の懐へと滑り込んでいた。無駄のない足さばき。相手の重心を最小限の力で崩し、首筋へと手刀を叩き込む。
「ぐはっ……!?」
殺さず、急所のみを正確に打ち抜いて意識を奪う。引き倒した敵の腕を素早く捻り上げ、背後で拘束する手際。その一連の動作には、幾千・幾万回と血の滲むような鍛錬を重ねてきた者だけが持つ「型」があった。
「よし……これで三人目だ」
息一つ乱さず呟いた直影は、自分の両手を見つめた。
(俺は……どうしてこんな動きができる? 敵を殺さず、生け捕るための技術……まるで、影に潜んで戦う『忍び』のように……)
胸の奥で、記憶の欠片がかすかにうずく。だが、その答えを掴む前に、足音が静かに路地に響いた。「——見事な腕前ね。記憶を失っているとはとても思えない立ち回りだわ」
路地の闇の中から姿を現したのは、一人の女性だった。黒を基調とした隙のない軍服に身を包み、腰には儀礼用の細身の剣を差している。整った美しい顔立ちには、一切の隙を感じさせない冷徹な知性と誇りが宿っていた。
「あんたは……」
「私の名はヴェルニカ。『ノーネーム』最高執行官であり、不動理事長に次ぐ第二の統括者よ」
ヴェルニカと名乗った女性は、気品のある動作で直影を見据えた。
「あなたの捕縛劇、見せてもらったわ。超能力も魔法も無力化し、泥臭くも圧倒的な体術で生け捕る……多種族が入り乱れるこの拠点においても、類を見ない異端の戦闘スタイルね」
「……褒め言葉として受け取っておくよ。で、不動の代理人が俺に何の用だ?」
直影が警戒を解かずに問うと、ヴェルニカは淡々と本題を切り出した。
「単刀直入に言うわ。あなたに『アンチハンター』の本格的な調査と討伐の協力を頼みたいの」
「断る」直影は即答した。
「俺はあんたたちの都合で動く駒になる気はない。俺が知りたいのは自分の過去と記憶だけだ」
「つれないのね。けれど……これを聞いても同じことが言えるかしら?」
ヴェルニカは端末を操作し、空間に青いホログラム映像を映し出した。
そこに映し出されていたのは、歪んだ次元の裂け目と、異質な姿をした人々が鎖で繋がれ、連れ去られていく惨状だった。
「アンチハンターたちの裏の顔……それは、次元の壁を越えて『異世界』へ侵入し、その世界にしか存在しない特別な姿や能力を持つ人間たちを生け捕りにして売買する掠奪行為よ」
「異世界の人間を……生け捕りにして掠奪だと……!?」
直影の胸の奥で、激しい怒りと不快感がこみ上げた。理由もなく他者の尊厳を奪い、世界を荒らす行為——彼の魂が、それを激しく拒絶していた。
「目的は人身売買や異能の兵器化……胸糞悪い話でしょう? だが、私たちが最も注視しているのはそこではないわ」ヴェルニカの瞳が鋭く光る。
「問題は『彼らがどうやって、異なる世界へ自由に移動しているのか』ということよ。本来、世界の境界を越えることなど不可能に等しい。だが奴らは、何らかの手法で次元の扉を自由に開き、行き来している。……その『異世界移動の術式』を突き止めることこそが、今回の真の任務よ」
異世界——その言葉を聞いた瞬間、直影の頭に落雷のような衝撃が走った。
自分が眠っていたあの医療カプセル。そして『ZIKAGE』という傷痕。自分もまた、崩壊した「異世界」から流れてきた漂流者なのだ。
「……待て。そのアンチハンターたちを追えば……奴らが使っている異世界への道筋を解明できれば、俺がどこから来たのかも分かるかもしれないってことか?」
「理解が早くて助かるわ」
ヴェルニカは微かに唇を吊り上げた。
「奴らの幹部の中には、次元移動を統括する『二人の特級ハンター』が存在する。……彼らを追い詰め、その移動手段を奪取すれば、あなたの過去や記憶へ繋がる手がかりが手に入る可能性は極めて高い」
直影は静かに拳を握りしめた。自分の記憶と過去を取り戻す道すじが、今、目の前に示されている。
「いいだろう。……だが、条件がある」
直影はヴェルニカの瞳を真っ直ぐに見返した。
「あんたたちの依頼を受ける代わり、条件を三つ出させてもらう」
「三つ……? 強気ね、直影」ヴェルニカが眉をひそめる中、直影は人差し指を立てた。
「まず一つ目だ。あんたたち『ノーネーム』の持つ全情報網を使って、俺の記憶と過去を取り戻す手助けを全力を挙げて行うこと。これが一つ目の条件だ」
「……いいでしょう。我が組織の全データベースと諜報網をあなたに開示するわ」
ヴェルニカが即答すると、直影は静かに息を吐き、残りの二本の指を軽く折りたたんだ。
「よし。そして……残りの二つの条件だが、今はまだ言わない。今後、俺が『これだ』と決めた時に、改めてその二つの条件を提示させてもらう。……どうだ?」
思わぬ提案に、ヴェルニカは驚きに目を丸くした。だがすぐに、その綺麗な唇に不敵な笑みを浮かべた。「ふふ……後から何を要求されるか分からない契約なんて、食えない男ね。……いいわ。ただし、私が叶えられる『常識の範囲内』であれば、という注記をつけさせてもらうけれど」
「交渉成立だな」
直影が頷くと、ヴェルニカはふっと表情を引き締め、言葉を付け加えた。
「ええ、取引は成立よ。……なら、私からも一つ言っておくわ。すぐというわけにはいかないけれど……いつか折を見て、あなたに『ハンター』と『アンチハンター』の真の違いについて教えるわ。彼らがなぜそう呼ばれ、何を境界として分かたれているのか……それを知ることも、あなたがこれから戦う上で決して無駄にはならないはずよ」
「……ハンターと、アンチハンターの違い……か」
その言葉の重みに、直影は微かに目を細めた。
「楽しみにしておくよ。……それじゃあ、その『二人の特級ハンター』とやらを追う準備に取りかかるとするか」
記憶を失った異端の忍びと、治安組織の最高執行官。三つの条件と未だ見ぬ真実を胸に秘め、直影の新たなる戦いが、ここに静かに幕を開けたのだった。
記憶を失った主人公の物語が、次回から始まります!




