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逃げるなら最後

連合商務調整局本部、統括官室。


灯りは落としていない。

だが、外は完全に夜だった。


机の上には、すでに片づけられた書類。

それでも、空気は仕事の延長線上にあった。


扉を叩く音。


「……どうぞ。」


入ってきたのは、エルフリーデだった。


「お呼びでしょうか、ルーカス様。」


「うん。少しだけ、状況の整理をしたくて。」


“相談”ではない。

“報告”でもない。


その中間の、曖昧な呼び方だった。


ルーカスは、机の前に立ったまま、言葉を選ぶ。


「君に与えた肩書についてだけど。」


エルフリーデは、静かに頷く。


「想定通り、一定の抑止にはなった。少なくとも、軽い接触は減ってる。」


歯切れ悪く、ルーカスは続けた。


「ただ――それ以上に、はっきりしたこともある。」


視線を上げる。


「“この程度の立場なら、まだ動ける”と判断している国がある。」


説明は、それだけだった。

それで十分だ。


エルフリーデの表情が、わずかに引き締まる。


「……完全には、止められていないのですね。」


「止めるには、もう一段、重い札が要る。」


率直な言葉だった。


「役職か、身分か。いずれにせよ、次に打つ手は――」


そこで、ルーカスは一度、言葉を切った。


「君を、はっきり“こちら側”に固定することになる。」


エルフリーデは、すぐには答えない。


「だから。」


声のトーンが、ほんのわずかに変わる。


「その前に、一度だけ確認したい。」


視線が、真っ直ぐになる。


「君自身は、この先どうしたい?」


最終判断に入る前の、当事者確認だった。


「今なら、まだ別の道も用意できる。」


淡々と続ける。


「連邦の外で仕事を続ける選択もある。危険は承知の上で、だが。」


それは、優しさではない。

縛る前の、最後の説明責任だった。


「それは。」


ぽつり、と。


「“逃げてもいい”と、おっしゃっているのでしょうか。」


ルーカスは、否定しなかった。

それが“甘さ”だと分かっていても、訂正する言葉を持たなかった。


「そう取っても構わない。」


ルーカスの顔色は伏せられてわからない。


「君がここにいる理由は、義務じゃない。少なくとも――今は。」


その「今」が、どれほど限定された時間なのか。

二人とも分かっている。


エルフリーデは、少しだけ考え込むように視線を彷徨わせた。


「……不思議ですね。」


静かな声だった。


「選択肢を示されると、初めて“今いる場所”の重さが分かります。」


ルーカスは、答えない。


「私。」


一度、息を整える。


「ここに来てから、一度も“どこに行くか”を考えたことがありませんでした。」


それは、逃げないという宣言でも、忠誠でもない。

ただの事実だった。


「仕事をして、判断をして、次に必要なことを考えていただけで。」


彼女は、ルーカスを見る。


「それが、できる場所が、ここでした。」


短い沈黙。


ルーカスの胸の奥で、何かが強く鳴る。


だが、彼は言わない。

引き留める言葉も、期待も。


「……すぐに答えを出さなくていいよ。」


ようやく、そう言った。


「これは、今夜決める話じゃない。」


エルフリーデは、小さく頷く。


「はい。」


立ち上がり、一礼する。


「教えてくださって、ありがとうございます。」


扉に向かいかけて、ふと足を止める。


「……ルーカス様。」


振り返らずに、続けた。


「もし私が、ここに留まると決めたら。」


初めて、エルフリーデが小さく笑顔を作った。


「それは、“選ばされた結果”ではありませんから。」


それだけ言って、部屋を出た。


扉が閉まる。


ルーカスは、その場から動けなかった。


(……最悪だな)


選択肢を与えたつもりで、

自分が選ばれているかもしれない、という可能性に

初めて気づいてしまった。


それでも。


(……まだだ)


まだ、答えは出ていない。


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