支度
その後、二人は短く言葉を交わした。
舞踏会の日取り。
会場。
出席者の顔ぶれ。
どれも、すでに予想の範囲内だ。
新しい情報はない。
あるのは、「避けられない」という事実だけだった。
「準備が必要だね」
ルーカスが、淡々と言う。
「はい」
エルフリーデも、同じ調子で頷いた。
感情の話は、もう終わっている。
残っているのは、どう立つか、だけだ。
「仕立て屋を呼ぼう」
それは提案というより、確認だった。
「王都の西側に、信頼できるところがある。各国の使節向けも手がけている」
「分かりました」
即答だった。
その日のうちに、予定は決まった。
※
数日後の昼前、屋敷の前に一台の馬車が止まった。
派手な意匠はなく、実務用と分かる簡素な造りだ。
だが、降りてきた数人の動きには無駄がない。
年配の職人を先頭に、助手たちが静かに荷を下ろしていく。
応接間はすでに整えられていた。
低いテーブルの周囲に椅子が配置され、壁際には空きが作られている。
助手たちは慣れた手つきで、採寸用の道具を並べていく。
巻き尺、木製の定規、留め針。
続いて、布見本が何枚も広げられた。
色も質感も異なる布が、応接間の光を受けて静かに揺れる。
それだけで、空間の空気が少し変わった。
年配の職人が一礼した。
「本日は」
視線が、自然とエルフリーデに向く。
「式典用で、よろしいですね」
「はい」
彼女は、はっきりと答える。
職人は、それ以上を聞かずに頷いた。
「主役ではありません。ですが、隅に控える立場でもありません」
エルフリーデが言葉を足すと、職人の目がわずかに細まる。
「承知しました」
簡潔な返事だった。
「では、場の性質を」
「各国の代表者が集まります。王族も、官僚も、商人も」
ルーカスが、補足する。
「どこかに寄せすぎない方がいい」
職人は、布見本の前へと二人を案内した。
「色は、抑えましょう」
並べられた生地の中から、派手なものを避ける。
「ですが、沈みすぎると埋もれる」
エルフリーデは、視線を巡らせる。
落ち着いた色合い。
深みのある青。
灰がかった緑。
「……これ」
一枚の布を指す。
「主張しませんが、光を受けると表情が出ます」
職人が、布を持ち上げて確かめる。
「良い選択です」
即座に、そう言った。
「立った時より、動いた時に映える」
次は、線だ。
首元。
肩。
背中。
「詰めすぎない方がいいですね」
職人が言う。
「装身具を活かす余地を残しましょう」
その言葉に、エルフリーデは一瞬だけ視線を落とした。
そして、首元に手をやる。
普段から身に着けているもの。
細い鎖。
小さく、だが確かな存在感のあるネックレス。
職人の視線が、そこに留まる。
「……なるほど」
感心とも、驚きとも違う声。
「そちらが、中心に据える品ですね」
「はい」
エルフリーデは、静かに答える。
「外す予定はありません」
「でしたら」
職人は、迷わず言う。
「余計な装飾は要りません」
首元は開きすぎず、詰めすぎず。
鎖が自然に落ちる位置を基準に、全体を整える。
「この方が、品が立ちます」
ルーカスは、少し離れた位置からその様子を見ていた。
口を挟まない。
評価もしない。
だが、ネックレスに視線を向けて、一言だけ言う。
「それで行こう」
それだけだった。
職人は、頷く。
「仮縫いは三日後で。本縫いは、その翌日」
日程が告げられる。
舞踏会まで、残された時間が、具体的な形を持つ。
※
仕立て屋たちが帰ったのは、日が傾き始めた頃だった。
応接間には、畳まれた布見本と、走り書きの寸法表だけが残っている。
先ほどまでの人の気配が嘘のように、屋敷は再び静けさを取り戻していた。
エルフリーデは、その場に立ったまま、無意識に首元へ手をやる。
そこにある重みは、変わらない。
奪われた時間も、取り戻した経緯も、今さら言葉にする必要はなかった。
「……いよいよですね」
ぽつりと零れた声は、自分でも驚くほど落ち着いていた。
「そうだね」
ルーカスは、否定も強調もせずに答える。
「立つと決めた以上、準備するだけだ」
エルフリーデは、静かに頷いた。
ドレスは、まだ形になっていない。
だが、それは逃げるための装いではない。
あの場に立つための、装いだ。
舞踏会まで、あと少し。
準備は、もう確実に動き始めていた。




