長い付き合い
街へ出ることになったのは、昼前だった。
王城から離れた時間帯。
人の流れが増え始める直前で、騒がしさはまだない。
屋敷の門を出たところで、マグダレーナが軽やかに外套を翻した。
「いいわね、この時間」
機嫌のいい声音。
「人が多すぎると、見るものも見られないもの」
「……そういうものですか」
エルフリーデが答えると、すぐ隣でイレーネが淡々と頷いた。
「午前中は、店主の集中力も高いです」
「買い物向き、ってことね」
二人の会話は噛み合っているようで、少しずれている。
その間に挟まれながら、エルフリーデは歩調を合わせた。
通りに出る。
石畳の向こう側。
少し距離を取った位置に、視線を落とした人影がある。
こちらを見ているわけではない。
だが、歩く速度も、曲がる角も、不思議と同じだった。
(……護衛)
意識しなければ、気づかない。
だが、見失われていないという感覚だけが、静かにある。
王女たちの外出は、決して無防備ではなかった。
「さて」
マグダレーナが、通りを見渡す。
「まずは、軽いところから行きましょうか」
軽い、という言葉に、エルフリーデは内心で身構えた。
だが、案内されたのは小さな雑貨店だった。
木製の扉。
飾り気のない看板。
中から漂う、布と革の匂い。
「こういう店、好きそうだと思って」
理由はそれだけ。
中に入ると、棚には日用品が整然と並んでいる。
刺繍入りの布。
素朴な器。
装飾は控えめだが、手触りの良さが伝わってくる。
「……落ち着きます」
思わず、そう漏れた。
「でしょう?」
マグダレーナが満足そうに頷く。
「派手なものは、後からでいいのよ」
イレーネは、すでに一つの棚の前で足を止めていた。
小さな硝子瓶を手に取り、光にかざしている。
「保存用ですね」
「調味料?」
「ええ。香りが逃げにくい」
即、実用。
エルフリーデは、二人の様子を交互に見て、小さく笑った。
(……思っていた“王女様”と、だいぶ違う)
次に入ったのは、香りの店だった。
扉を開けた瞬間、空気が変わる。
花と樹脂と、わずかに甘い香料が混ざり合う。
「ここは、好き嫌いが分かれるわね」
マグダレーナが言う。
「でも、覚えておくと便利よ」
イレーネは、何も言わず、棚を一つずつ見ていく。
香りを確かめる時も、控えめだ。
エルフリーデは、少し距離を取って様子を見ていた。
(……一人だったら、入らなかったかも)
そう思った瞬間、マグダレーナが振り返る。
「無理に選ばなくていいわ」
見透かしたような声。
「今日は、“知る”だけ」
その言葉に、胸の奥が少し緩む。
店を出ると、通りの向こうで人影が位置を変えていた。
近づかない。
離れすぎない。
仕事としての距離。
(……守られてる、というより)
(……ちゃんと、前提にされてる)
そう感じた。
少し歩いた先で、三人は小さな茶店に入った。
通りに面した窓際。
外の様子が、自然に視界に入る席。
マグダレーナが迷わず注文を済ませ、
イレーネは砂糖の位置を確認してからカップを取る。
エルフリーデは、その一連の動きを見ながら、背筋を伸ばした。
「緊張してる?」
マグダレーナが、あっさり聞く。
「……少し」
正直に答える。
「でしょうね」
笑う。
「でも、変に取り繕わなくていいわ」
イレーネが、淡々と補足する。
「私たちは、評価しに来たわけではありません」
「……分かっています」
分かっている。
けれど、意識しないのは難しい。
マグダレーナが、カップを持ち上げる。
「あなたが、どういう人か」
一口飲んでから続ける。
「それを知りたいだけ」
「好きなもの」
「落ち着く場所」
「無理をする癖があるかどうか」
一つずつ、軽く並べる。
「それだけよ」
イレーネも、静かに頷いた。
「足りないものがあれば、補う方法を考えます」
命令ではない。
助言でもない。
家族としての、自然な前提だった。
エルフリーデは、ゆっくりと息を吐いた。
「……ありがとうございます」
そう言うと、マグダレーナは肩をすくめた。
「礼を言われることでもないわ」
「これから、長い付き合いになるんだもの」
窓の外では、人影が通りを横切る。
一瞬だけ視線が交わり、すぐに外された。
護衛は、そこにいる。
だが、会話には入らない。
それでいい。
エルフリーデは、カップを両手で包んだ。
(……大丈夫かもしれない)
緊張は、まだ残っている。
けれど、それ以上に。
(……一人じゃない)
その実感が、静かに胸に広がっていた。
街は、いつも通りの顔をしている。
だがその中で、エルフリーデは確かに――
新しい輪の中に、足を踏み入れていた。




