貴方の話
屋敷に戻ったのは、夕方前だった。
通りの喧騒が遠のき、門をくぐると、空気が一段落ち着く。
昼の外出で少し温まった身体に、屋敷の静けさが馴染んでいく。
玄関ホールで外套を預けると、エルフリーデは一度だけ肩の力を抜いた。
(……思ったより、疲れていない)
むしろ、頭の中が静かに整理されている感覚があった。
応接間へ向かう途中、廊下の先から足音が聞こえる。
「おかえり」
声をかけてきたのは、ルーカスだった。
書類を片手に持ったまま、立ち止まる。
「どうだった?」
探るでもなく、評価を求めるでもない。
ただ、結果を知りたいという聞き方だった。
エルフリーデは、少し考えてから答える。
「……素敵な方たちでした」
即答に近い。
言葉を飾る必要を感じなかった。
「安心しました」
続けて、静かに。
「お二人とも、とても自然で」
「気遣いはありましたが、距離を測られる感じはありませんでした」
ルーカスは、わずかに口元を緩める。
「そうか」
それだけで、十分だったようだ。
二人は、そのまま応接間に入る。
使用人は控えており、室内には二人きりの静けさがあった。
エルフリーデは、椅子に腰を下ろしてから、ふと視線を落とす。
(……私)
(ルーカス様の家族のこと、何も知らなかった)
名前は知っている。
立場も、肩書きも。
けれど、それだけだ。
今日、街を歩きながら見た二人は、
王女というより、もっと近い存在だった。
自然に笑い、
自然に暮らしを気にかける人たち。
その姿が、胸の奥に残っている。
エルフリーデは、顔を上げた。
「……ルーカス様」
呼びかける声は、落ち着いていた。
だが、そこには迷いが少しだけ混じっている。
「どうした?」
「今日」
言葉を選ぶ。
「お姉様方とご一緒して、気づいたことがあります」
ルーカスは、何も言わずに待った。
「私」
一度、息を整える。
「ルーカス様の“家族”のことを、ほとんど知らないままでした」
責める響きはない。
事実を確かめるような言い方だった。
「お名前も、立場も知っています」
「でも、それだけです」
視線を逸らさず、続ける。
「……知りたい、と思いました」
ルーカスの指が、持っていた書類の端をわずかに押さえる。
考える癖の出る仕草だった。
「家族の話を?」
「はい」
はっきりと頷く。
「差し支えなければ」
「ルーカス様が、どんな場所で育ってきたのか」
「どんな方たちに囲まれてきたのか……聞きたいです」
沈黙が落ちる。
短いが、軽くはない。
ルーカスは、窓の外に一瞬だけ視線を向けた。
それから、静かに戻す。
「……あまり、面白い話じゃないよ」
前置きは控えめだった。
「王族としては、かなり歪な家庭だ」
評価でも、愚痴でもない。
事実としての言い方。
「それでもいい?」
エルフリーデは、迷わなかった。
「それでも、です」
その答えに、ルーカスは小さく息を吐いた。
「そうか」
椅子に腰を下ろす。
背もたれに預けず、姿勢を正したまま。
「じゃあ、順番に話そう」
声は、いつも通り落ち着いている。
だが、その奥に、少しだけ過去を辿る気配があった。
「まず」
短く区切る。
「レクシア王家は、外から見るほど整っていない」
エルフリーデは、静かに頷いた。
聞く姿勢を整える。
ルーカスは、淡々と続けた。
「僕の母は、正妃じゃない」
「だから、最初から“外側”にいた」
それは、彼自身の立場の話であり、
家族という輪郭の話でもあった。
夕方の光が、応接間にゆっくりと差し込む。
これから語られるのは、
肩書きではなく――
ルーカスという一人の人間の、家族の話だった。




