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地下へ降りると、赤い大型犬…ではなく、ニコラウスが椅子に座り、大きめの机の上に乗せられた大判の紙をジッと見つめていた。
部屋に入った僕に気づいたニコラウスは、小さく驚くと、嬉しそうに顔を綻ばせる。僕は内心でゲンナリしつつ、軽く挨拶した。
「やぁ、最後の対戦の相手は僕だよ。川を挟んだ地形なんだね。じゃ、始めようか」
対戦で使う駒の入った箱を、それぞれの手元に置いて僕らはゲームを開始した。
***
1時間半後。
僕は机に突っ伏しているニコラウスの頭頂部を眺めながら微笑んでいた。
「オースティン殿、ずるいずるいぞぉぉぉ」
「おや、心外な。ちゃんとルールに則って進めましたよ?」
「そうですが……!ギリギリをわざわざ攻めてくる戦略に、翻弄されまくって情けないです!」
「いやでも、思ったより成長されていて驚きましたよ。後は経験が増えれば、戦略のバリエーションも増えますし、合格と言えます」
「へ??で、では」
「最初に言いましたよ?僕がこの鍛錬における『最後の対戦相手』と。明日は一緒にハリソン殿下に会いにいきましょう」
「え?それは今日の『最後の対戦相手』では?
…そそうですか。負けたけれどっっ嬉しいです!」
感極まって泣き出してしまったニコラウスにそっとハンカチを手渡して、僕は明日の予定を告げる。
「明日は朝にダイニングルームまでいらしてください。朝食が済みましたら、身支度後に王城へ向かいます。殿下に会いましたら、後は殿下の判断となりますが、まず問題はないでしょう」
「はい!はい!!あ、がんばり゛まず!!!」
凄く泣くな、大型犬。そんなに鍛錬が厳しかったかと、ちょっと反省したのだった。
***
翌朝、ダイニングルームにおずおずと現れたニコラウスは、挨拶の言葉を口にした後固まっていた。
「おはよう、ニコラウス殿。どうかされましたか?」
「あ、あ、えっと、おはようございます、オースティン殿。凄い量ですがそれは?」
「ん?ああ、新聞ですよ?もう終わりますので気にせず、お座りください」
僕は最後の新聞記事を読み終わると、席に着いて、ウィズリーからの報告を聞きながら朝食を摂る。
大型犬が目を丸くしながら見ていたが、口を開かないので無視しておいた。
王宮に向かう馬車の中で、やっと口を開いたかと思うと、朝の習慣についての質問だった。
「あれですか?王都近隣で配布されている新聞ですよ。内容の真偽はどうあれ、垂れ流される情報は一応汲んでおくのが主義なもので。時折面白い記事も見つけるので……まぁ趣味みたいなものですね」
「そうですか私も読むべきでしょうか?」
「そうですね、読み解く能力の向上と思って読むのは如何でしょう?個人個人で向き不向きもありますから、無理にとは言いませんが」
「やってみたいです。まずは向いているかを試してみたいです」
「それも良いですね」
そんなとりとめのない話をしている内に、あっと言う間に王城に着き、早くも第一王子ハリソン殿下の執務室前に到着した。
2人してやや緊張した面持ちで中に入ると、ハリソン殿下は、書き物をしている最中だったようで、軽快にペンを走らせているところだった。
こういう時はひと段落着くまで静かに待つのだが、今回に限っては、一層こっちの緊張が高まってしまう。
ハリソン殿下は書き終えたのか、直ぐにペンを置いて書類に判を押すと、書類を済み箱に入れた。「すまない待たせた」と言い、顔を上げてから僅かに目を見開いた。
僕はひとまず、いつも通り軽く挨拶から始めた。
「おはようございます、ハリソン殿下。本日も良いお天気ですね。こちら、昨日仰っていたものを纏めた資料です。……それから、こちら仕上がりましたので、本日お連れしました」
「ご無沙汰しておりますっハリソン殿下!私の都合とは言え、ご挨拶もせずに申し訳ありませんでした!」
ハリソン殿下は勢いの良いニコラウスの謝罪を聞きながら頬杖をつき、「これはまた…」と呟いた。
そして、ニコラウスから目を離さないまま、ハリソン殿下は口を開いた。
「エリオット、随分(容貌が)変わったようだが(無事使えるのか)?」
「はっ。(能力上)問題ございません。ニコラウス殿、警護計画書を殿下に」
「はいっ!こちらにっ!」
僕が指示を出すと、サッとハリソン殿下の前に書類を出し、元の位置まで下がったニコラウスは、緊張した面持ちでハリソン殿下の反応を見ていた。
ハリソン殿下は姿勢を正すと、出された計画書に目を通す。
「うむ、よく考えられている。では、今一度候補として側に上がる事を許す。全力を以て当たり、その有用性を示すならば側近の1人に取り立てよう」
「はい!全力でお守りし、殿下のお力になれる様邁進いたしますっ!」
またも感極まったニコラウスは、ウルウルとした目でハリソン殿下を見つめていた。
ハリソン殿下は遠い目をし、僕は斜め下方向に目を逸らせたままという、全体の温度差が激しい何とも言えない雰囲気の中、ニコラウスの復帰は叶ったのである。