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翌日早朝、青白い光に包まれる中、侍女に起こされた。
まだ寝ぼけた頭で、ぼんやりと眺めていると目覚ましの紅茶を出される。
「本当はダメなんですけど…疲れが癒されると良いなと思いまして」
優しい心遣いに感動したニコラウスは、感謝の気持ちと、その侍女の名前を尋ねた。
「ありがとう…。心遣いに感謝する。君…名前は?」
「あ…いえ、……ユーリと申します」
「良い名だ。知っているかも知れないがニコラウスだ。短いだろうけど滞在中、世話になる。よろしく」
「はい、誠心誠意お世話いたします」
笑顔でお辞儀をしたユーリは、飲み終わったカップを受け取ると、湯を張った桶とタオルを準備してくれて、綺麗な訓練着を揃えると一礼して退出して行った。
着替え終わると、見計ったかのように昨日手合わせした面々が入ってくる。
今日もまた剣技からかと身構えていると、端に連れてこられた。
「今日は室内走り込み30本でーす」
「ふ…ふんっ30本とは、いくら広いといえども室内だ。余裕だろうっ」
「はいはーい、んじゃ頑張って1番とってねー?よーーい…」
「え?1番…?」
「ドン!!」
開始の合図と共に、軽快に飛び出していく。
「な!抜け駆けは卑怯だ!まてっ!」
「はっ!斜に見て備えない方がおかしいんだよっっ。おっ先〜〜!」
****
「ぜぇぇぇぇっっっはぁぁぁぁぁぁぁっっ」
「はい、ドベラウスくん、息を整えて剣持ってねー」
「あ…っっ水っっ」
「あの…ニコラウス様、こちらどうぞ」
嘲笑を浴びる中、優しい声が響き、視線を向けるとユーリが居た。
まるで砂漠の中で見つけた小さなオアシスに見えた彼女は、心配そうに眉尻を下げて、ちょうどよく冷やされた水を手渡すと、優しく額の汗を拭ってくれた。
「ユーリ…すまない…!生き返るようだ…」
「まぁ……ニコラウス様、大袈裟ですわ」
嬉しそうに微笑むユーリと、ひと時の休憩を堪能した。
カチカチ…
『ねぇ、あのユーリって名乗ってるジュリはどう言う設定なんだ?エリス』
『過酷な訓練に耐える男を、健気にも陰ながら応援しつつ惹かれ合う…だったかな?』
『ゴールはどこだ?』
『何日で心変わりするか?だっけかな?』
『『『エッグぃな』』』
『でもさ、早そうじゃね?』
『『『それな』』』
………カチカチカチカチ
何故か憐れみの目を向けられるニコラウスは、そうとは気づかずにホンワカとしていた。
そうして4日、手を替え品を替えた鍛錬をした(された?)ニコラウスは、いったん皆が下がった剣術後に開いたままの扉に目を向けた。
交代要員はまだ来ていない。他は運動用のマットレスを敷いている最中だ。
『いける……行けるのではないか?!』
もたれていた壁からそっと背中を離すと、足音を立てないようにそーっとそーーーっと扉に近づく。
『よし、良い感じだ!誰も気付いてないな?』
そんなわけもなく、貴族のボンボンが慣れない忍足でこっそり動く様を視界の隅っこや、気配で察知していた。
むしろこみ上げそうになる笑いに、気付かせないように必死である。
『扉だ!よしっっ!』
サッと開けた扉の先は左右に広がる長い廊下。
小脇に抱えられて連れてこられた時の記憶を頼りに道を選んで進んでいくと、上へと繋がる階段を見つけた。
足音を抑えながらも足早に進み、一気に階段を上り切ると閉じられた扉に手をかける。
そっと取手を下ろして指幅ほどの隙間を作ると、扉にへばりついて外の様子を窺った。
『………だれも…居ないな?よしっ!』
─ガチャ!
勢いよく開け放つと、ズカズカと進み出て辺りを見回した。
『何処だここは!』
見たことがなかったニコラウスは、1階の奥手にある、庭園近くの廊下に居た。
『と…兎に角外へ出ればなんとかなる…!』
そう思い、近くの窓に手をかけた。
─ッガチャ…ガチャガチャガチャ!
「あ…あかない…?!」
愕然とした顔で何度も開けようとするが、全く動く様子がない。
この窓の建て付けが悪いのかと、隣の窓に手をかけるが、こちらも開かない。
「どういうことだ…!?」
窓の外に見える陽の光を浴びて煌めく葉や、揺れる草花が自分を嘲笑うかのように鮮やかさを増したように見える。
「くそ!!」
かと言って自分より格上の家の窓を割る勇気はなかったので、諦めて出入り口を探すことにした。
一方窓の外からヒョコッと頭を出したのは、レイだ。廊下を進み、遠ざかる背を見ながらニンマリと笑う。
「2枚で諦めるとは、まだまだだねぇ〜。それにしても誰もいないことに疑問は持たないのかな〜?」
そういうと、窓に取り付けていた金具を取り外し、ニコラウスが向かうであろう先へ向かった。
***
なんとか玄関ホールまでたどり着いたニコラウスは、重厚感のある両開きの扉に飛びつくように近づくと、そのドアノブに手をかけた。
─ガチャ……ドン!ガチャガチャ!
軽く体当たりしても開かなかった。悲壮感漂う顔で、扉を叩いてしまう。
『何故だ!何故開かない!!』
「あの……如何されました?」
背後から静かに響いた声に驚き、扉に背をつけるように振り向くと、ユーリが心配そうに窺っていた。
「ユ、ユーリ!あぁ、良かった君で」
吸い切った息を勢いよく吐き出して胸を撫で下ろすと、おずおずと近寄って来たユーリに目を向けた。
「その、一旦プロバースド家に戻ろうと思ったのだが、扉が開かなくて困っていたんだ」
「そうでございましたか。あっ、よろしければこちらをどうぞ。今お持ちしようと思っておりましたの」
ユーリは持っていた濡れタオルを手渡して微笑んだ。タオルから香る微かな花の香りが、焦ってささくれた心を解きほぐすようだった。
「いつもありがとう。とても癒される」
「もったいないお言葉でございます。でもお帰りになりますのね………寂しいですわ」
シュンとして目を伏せるユーリの手を慌てて取り、軽く持ち上げて視線を合わせるようにしたニコラウスは、思わず言葉を発していた。
「いや、居なくなるわけじゃないんだっ。その、一旦帰って…そうだ、一緒に行かないか?同じ条件でうちに来てくれ。弟も妹も未だ小さい。君のような優しく聡明な女性が側にいれば私も安心だ」
「ニコラウス様…しかし、私は侯爵家に……」
暗く沈み、悲しげな表情を浮かべるユーリに何かを察したのか、ニコラウスは眉根を寄せた。
「まさか、弱味でも握られているのか?脅されているのか?これでもそこそこの資産はある伯爵家だ。父上も母上も私の願いなら力を貸してくれる。ユーリ、力になるから言ってくれっ」
熱い眼差しを送るニコラウスに、ユーリはゆっくりと視線を上げて絡ませた。
「どう…して…?どうしてそこまで……」
瞳を潤ませるユーリに、ニコラウスは照れたように頬を染める。
「ユーリの優しさに、心惹かれたんだ。出会って日は浅いが、その…」
口籠って目を逸らせるニコラウスに、ユーリはぴったりと寄り添い握られたままの手に、そっともう片方の手を添えて包み込んだ。
その温かな感触にハッとしてまた視線をユーリへと向けたニコラウスは、儚げな微笑みを向けるユーリに見惚れてしまった。
「ニコラウス様……」
その先を言って?と言わんばかりに小首を傾げるユーリに促されて、ニコラウスは意を決して口を開く。
「ユーリ…好きだ!」
「ニコラウス様…!では一緒にいて下さいますか?」
「ああ!もちろん!ずっと居よう!」
「ありがとうございます!」
満面の笑顔を向けたユーリは、そのまま数歩下がって距離を取ると、スルリと繋いだ手が解けた。
「ユーリ?」
「ニコラウス様、継続!ずっと一緒に居てくださるそうでーーーーす!」
「ユっっユーリ?!何を言って…!」
変わらない笑顔をニコラウスに向けたまま、大きな声で何処かへ呼びかけるように言った言葉に、何処からともなく返事と人影が湧き出てくる。
「「「「「りょーーかーーい!」」」」」
人影は鍛錬の相手をする者だったり、屋敷の使用人であった。
「では、次からは私ユーリことジュリめもお相手として参加させていただきますわっ!」
「え……ユー……ジュリ??」
「ええ!では、投げ用暗器を用いた戦闘訓練で!ニコラウス様、行きますよー!!」
ジュリはそういうとお仕着せのエプロンのポケットに手を突っ込んで、指の間全てに暗器を挟んで取り出し、ニコラウスの足元目掛けて投げつけた。
「ひぇっっあっっっあぶな!」
「刃先は潰してある練習用ですのでご安心を。てぇい!!」
「わっっっゎぁぁぁぁぁ!!」
次々と飛んでくる暗器に恐怖を覚えつつ、玄関ホールを逃げ惑うニコラウス。その場にいた諜報員は悪ノリして同じように攻撃を始める。
一番の年長組であるレイとトビーは、安全圏でその様子を眺めつつ、窓ガラスや花瓶などの装飾品に当たりそうな暗器を止めたり相殺したりしていた。
「暗器合戦ってなかなかできないもんねぇ〜」
「ま、そうだけど。よっ…と」
「あ、トビー、僕の勝ちだよね♪フッ…っと。危ない危ない」
「ああ、告白までの期間の賭けな。負けた負けた」
こうしてまた地下へ連れ戻されて揉まれ、1日の最後の報告書に手先を振るわせながら向かい合うのであった。
これでニコラウス君のorzに繋がります。
何が嫌ってジュリに引っ掛けられたことを報告書に書き上げる辺りでしょうか?
それを読まれていると知るのはもっと先ですが。
哀れニコラウス。ワンコになる日はすぐそこだ!