04-F
「それいい! とてもいい案よ、お兄様」
楽しげに笑いながら、私に向き直るリディア。
……奴隷にしようとでも提案されたか?
「あんた、今日から私のもとで働きなさい」
彼女はそう言い放ち、ニッと白い歯を輝かせる。
「……は?」
なんだって?
こいつのもとで、働け?
おいおい。本当に奴隷にするつもりなのか?
「ちょうど、使用人が欲しいと思ってたところなのよ」
「えっ? 使用人? 私が?」
すると、リディアは「そう」と頷いた。
どうやら、奴隷とは違う扱いにはなりそうだけど、それでも、やっぱり困る。
「待ってよ。私にはやりたいことがあるの。こんなところで、あんたたちの使用人なんかやってられないんだって!」
「やりたいことって、何よ」
リディアの目つきがキツくなる。
「え? えっと、……大陸一周。私、今旅をしてるの」
「へぇ、大陸一周ねぇ」
私の返答に、青年が反応する。
「始めてどのくらいなんだ?」
「4ヶ月とちょっと」
「なんのためにそんなことしてるんだ?」
「え? ……自分を鍛え直すため」
青年は、「男みたいなことを言うんだな」と笑う。ほっとけ。
「お前、この国の人間じゃないのか?」
「うん。オルトリンデから来たの」
「へぇ。じゃあ、まだ2国目か」
「ううん。ブリュンヒルデ、ゲルヒルデと進んで、この前ジークルーネに入ったとこ」
青年は「なるほどな」と言って、腕組みをする。
そして少し黙った後、「よし」とリディアを見る。
「どうせ住むとこ無いし、俺たちも旅に出るか、リディア」
「?」
「え? お兄様?」
戸惑うリディアに、青年は「いいだろ?」と微笑みかける。
……住むとこ無いって、どういうことだろう。
「まぁ、お兄様がそう言うなら。それで、どこへ行くの?」
「どこへも何も、こいつと一緒に大陸一周するのさ」
「!」
「えっ?」
今度は、リディアと共に私も戸惑う。
何勝手に決めてんの?
「こいつの大陸一周に付き合うってこと?」
「そういうことになるかな。まぁ、いいじゃないか。この国から出たこともほとんど無いし。いい機会だと思わないか?」
兄にそう言われ、リディアは「う~ん」と難しい顔をする。
しかしそれは一瞬。すぐにパッと明るい顔になる。
「わかった。行こっ!」
「よし。決まりだな」
……私の意見も聞けよ。
まぁ、文句を言っても無駄なんだろうけど。
あ~あ。私の1人旅が……。
「あ。そういえば、まだお互いのこと何も知らなかったな」
言われてみれば。
……ホント、こいつら何者なんだ。
「俺はロラン・キリチェンコ。さっきも言ったが、AAAランク傭兵だ。よろしく」
ロランと名乗った青年は、手のひらを差し出してくる。
それを無視してやると、ロランは気を取り直したようにリディアの肩に触れる。
「で、この子は妹のリディア。君は?」
……こんなに名乗るのが嫌なのは初めてだよ。ったく。
「……ティナ・ロンベルク」
「ロンベルク? もしかして、クレイグ・ロンベルクの娘か?」
「ええ。クレイグは私の父親だよ」
父の名が知られているのは嬉しい事のはずなのに、なんだろう、今回に限っては全然嬉しくない。
「なるほど。オルトリンデの低ランク傭兵なのに妙に強いのは、そういうことか。親父さんに剣を教わったんだろ」
「ま、そんなところ」
詳しく教えてやる必要は無いな。
「クレイグさんのことはそこまでよく知ってるってわけじゃないが、相当強かったと聞く。引退したらしいけど、今は元気かい?」
「まぁね」
そろそろ、こっちの質問にも答えてもらおう。
「それで、あなたたちは何者なの? あんな馬車を持ってたり、高い壺とか持ってたり。あそこにいるのは、使用人? もしかしてあなたたち、貴族か何か?」
私の問いかけに、リディアは口を引き結んで目を逸らした。
「……まぁ、そんなようなもんだ」
ロランも、やや目を伏せている。
……なんだ、この反応。
そんなようなもんって、なんだよ。
「詳しいことは馬車で話す。今日中に、行かなければならないところがあるんでね」
そう言って、リディアの背を優しく押して歩き出すロラン。
……私、なんかいけないこと聞いたかなぁ。
男女合わせて10人の使用人。
その内の9人は後ろの2台の幌馬車に分乗し、残りの1人が、私とキリチェンコ兄妹の3人が乗る馬車を運転している。
出発してから10分くらいが経ったけど、兄妹の表情は暗く、無言だ。
馬車がどこへ向かっているのかもわからない。
……早く、何か喋ってくれないかなぁ。
そう思ったタイミングで、ロランがようやく口を開いた。
「俺たちは、これから没落貴族と呼ばれることになるだろう」
「え?」
没落貴族?
……って確か、何かの原因で力を失った貴族のこと、だよね。
「……1週間前に、父が亡くなってな。そこで初めて、父が多額の借金を抱えていたことを知らされたんだ」
……こりゃあ、暗い話になりそうだ。
「その借金を、残された俺たちが返すことになった。まず俺の貯金を全てつぎ込んだんだが、それだけでは足りなかった」
AAAランク傭兵の貯金額なんて、きっと相当な額に違いない。
それで足りないって、どれだけ膨大な借金なんだ?
「屋敷や土地を売っても、まだ足りないと言われた。だからこうして、倉庫に保管しておいた美術品も売ることになったってわけだ」
……その内の一つを、私が壊したことになっている。
思い出すだけでも腹立たしい。悪いのは私じゃないっつーの!
「今から、街の西にいる美術商のもとへ行く。そこで全部売り払って、使用人たちともお別れだ」
「お別れって、……辞めさせるってこと?」
「俺1人の稼ぎでは、彼らの給料まで払う余裕は無い。辞めてもらうしかないんだよ。むしろ、よく10人も最後までついてきてくれたものだ」
彼ら以外にも、使用人がいたってことか。
だけど、そうなると……。
「じゃあ、これからは私だけなの? 使用人」
「そういうこと」
今まで黙っていたリディアがそう言った。
そして私を見て、少しだけ口の端を上げる。
「タダで使える使用人ができて、ホントに良かったわ」
「え? タダ?」
私の反応に、リディアはムスッとする。
「当たり前でしょう? あんたには、7万ディースの借金があるのよ? タダ働きに決まってるじゃない」
借金って……。
「……でも、ホントにあの壺、7万の価値があるの? いい加減なこと言ってない?」
そんな高価な壺、ありえるのか?
「失礼ね。あんたのような平民なんかに、美術品の価値なんてわかんないわよ」
腹は立ったけど、まぁ、一理ある。
「そんなに疑うなら、同じ壺がもう一つあるから、美術商にはっきりさせてもらいましょ。もしかしたら、もっと高いかもしれないわよ?」
「でも、もし安かったら、借金はその分減らしてもらうからね」
……どうか、安くありますように。
運んできた全ての美術品を、美術商に鑑定してもらった結果、どうにか借金を完済できるだけの額になったようだ。
ちなみに、あの壺の値段は、確かにリディアが言っていた額とほぼ一致していた。
……くそっ。
そうして今、街の西側にある広場にて、キリチェンコ兄妹と彼らの使用人たちが向かい合っている。
私は、兄妹の少し後ろから、その光景を眺める。
「お前たちには、わずかな退職金と幌馬車しか残してやれなかった。本当に、すまないと思っている」
俯くロランに、使用人たちは、「大丈夫ですよ」とか「顔を上げて下さい」などと声をかけた。
彼らは誰一人として、怒りや憎しみを兄妹にぶつけたりしない。
それどころか、この2人を気遣い、心配しているようにすら見えた。
……兄妹とこの10人の使用人たちの間には、それだけの信頼関係が築かれていたのだろう。
部外者の私は、ちょっと入り込めない雰囲気だ。
「俺たちは、どこでだってやっていけます」
「そうですよ。ねぇ、みんな」
女性使用人の言葉に、ほかの使用人らは「おー」などと盛り上がる。
「もし何か困ったことがあったら、いつでも呼んで下さい。お二人がどこにいたって、駆けつけますよ」
「まだまだ、返し切れてない恩がありますからね」
笑顔を絶やさない使用人たちの様子に何を感じたか、リディアが泣き始めた。
「泣かないで下さい、お嬢。笑って別れましょうや」
「うん。うん。……ありがと」
ロランが、優しくリディアの頭を撫でる。
「おい。そこの、……ティナって言ったか?」
「はい?」
男性使用人の1人が、私を睨むように見てくる。
「お二人のこと、頼んだぞ。あんた傭兵なんだろ? しっかりお守りしろよ」
「え、ええ。はい」
……リディアはともかく、AAAランク傭兵のロランは、私が守るまでもないだろうに。
ほかの使用人たちも、「頼むよ」、「お願いね」などと、私に声をぶつけてくる。
やれやれ。ホント、面倒なことになったな……。
使用人たちは、ロランとリディアに向き直る。
「それじゃあ、俺たち、……行きます」
「ああ。今まで、よく尽くしてくれた。みんな、本当にありがとう」
ロランの言葉に、使用人たちはとうとう耐え切れなくなったかのように、涙を流す。
……とりあえず、この2人はそこまでイヤな奴ではないようだ。
そう思いながら、私は感動の別れを眺め続けた。




