04-B
雪のせいで、どこからどこまでが道なのか判別しづらい山道を、全速力で駆ける。
後方からは、狼の群れが雪を蹴散らしながら追ってきている。
速い。
少しでも気を抜けば、あっという間に追いつかれるだろう。
彼らにとって、この山は自分たちの庭のようなもの。当然、走り慣れている。
対して私は、初めて雪の上を走ってから、まだひと月も経ってない。
こういうところにも、経験の差は出る。
次第に、狼たちとの距離が縮まりつつあった。
……どうする? やっぱり、斬ってしまおうか。
いや、駄目だ。殺しちゃいけない。
それなら、死なない程度に痛めつければいいか?
いや、相手が人間ならともかく、狼では、どのくらい力を加減すればいいのかわからない。
そんなことを考えている間にも、狼たちは迫ってくる。
くそっ。どうす――
「――え?」
地面の感覚が無い。
身体が、視界が、傾いていく。
「うっ」
やばっ! これって……!
「うああああぁぁぁぁっ!」
かなり傾斜のある純白の坂を、上も下もわからないくらいの勢いで転げ落ちていく。
必死に手を伸ばし、掴まれそうな物を探し求める。
――無い!
縦やら横やらに回転する視界に、坂に生える木々の姿がブレて映る。でも、届かない。
私が転がっているルートには、何も無いのか?
「うぐっ、うっ、がっ、げふっ」
雪が積もってるくせに、坂は真っ平らではない。
雪の下にはゴツゴツとした出っ張りがあり、それらにぶつかって痛みが走る。
「うっ!」
ひときわ強烈な衝撃が、頭部を襲う。
ああ、駄目だ。意識が……
「ぅ……」
ゆっくりと、目が開いていく。
「いててて……」
それと共に、身体が痛みを訴え出した。全身が痛い。特に、頭が痛い。
「寒……」
身体が、尋常じゃなく冷えている。雪に、身体の半分以上が埋まっていたからだろう。
痛みに耐えながら、ゆっくりと身体を起こしていく。
……ここ、どこ?
辺りには、真っ白になった木々。
後ろには、とんでもない傾斜の坂がある。
「あんな上から……」
よく無事だったな。
いや、無事ってわけではないんだけど、大した怪我もしてないようだし。
これがもし、雪が積もってない普通の山だったらと考えると、……ゾッとするね。
まぁ、その場合、坂を転げ落ちるようなヘマはしないだろうけど。
「!」
地面の雪に、赤黒い小さな染み。
「いてて……」
額に触れてみれば、手袋に血がついた。そして、坂を転がっている時に、何かにぶつかったことを思い出す。
大した出血ではなさそうだけど、手当てくらいはしないとな。
痛みを我慢しつつ立ち上がり、すぐ近くに落ちていたバッグを持ち上げる。
「……」
狼たちは、まだ近くにいるんだろうか。
こんな状態では、もう思うようには動けない。走って逃げるなんて無理だ。
今度遭遇したら、……その時は、戦うしかないかもしれないな。
……そんなことより、今は休めそうな場所を探さないと。
まずは、辺りを確認しよう。
……マズイ。もう夕方だ。
このままだと、夜の雪山を歩くことになってしまう。
あれからずっと歩き続けているけど、休めそうな場所はおろか、道すらも見つからない。
行き倒れという言葉が、脳裏をよぎる。
……こんな場所で死んだら、誰にも発見されずに雪の下で眠ることになるだろう。
冗談じゃない!
「――うっ」
視界が、ガクッと揺れる。
「あっぶな……」
右足が、膝の辺りまで雪に埋もれた。
地面のへこみに、雪が積もっただけの場所だったんだろう。
……浅くて良かった。
さっきから、溜め息しか出ない。
口から出た息は白いもやとなり、風下へ消える。
寒い。
前の街で、もっと厚い服を買っておくんだった。
でも、まさかこんなことになるなんて思ってなかったからなぁ……。
これまでそうだったように、今回も、その日の内に次の街まで辿り着けると思ってた。
「――ぅわっ!」
また、身体が傾く。今度は、かなり大きくだ。
数時間前の転落を思い出す。
慌てて手を伸ばし、近くに立っていた木の幹を掴む。そして、必死に抱きつく。
呼吸と鼓動を落ち着けながら、下を見る。
……また坂だ。ぼーっとしてた。
「……!」
少し顔を上げた時、向こうの方に何かが見えた。あれは、……家か?
もしかしたら、山小屋かもしれない。
私が落下しかけたのは、今度は緩やかな坂だった。
慎重に下り、建物が見えた方向を向く。
まだだいぶ離れているけど、確かにある。
やった。あそこまで行けば、ひとまず休憩できる。
そんな希望が、心の中に生まれた時だった。
「――うわっ!」
上空から、雪を蹴散らしながら現れた何かが、私の行く手に着地した。
……しつこい奴らだ。
現れたのは、散々追い回してくれたあの狼たち。
やっぱり、あの後も私を探してたわけだ。よほど腹を空かせているんだろう。
だけど、大人しく食べられてやるつもりは無いね。
剣が抜けないように固定具を閉め、鞘ごとベルトから引き抜く。
……激しい動きはできない。
だったら、殴って追い返すしか無い。
鞘付きの剣を見た途端、狼たちが一斉に襲いかかってきた。
自分と敵の位置関係と、どこから何頭来ているのかを瞬時に把握し、前へ。
一番最初に突っ込んできた狼を限界まで引きつけ、飛びかかってきたところで腹へ一撃。
力の加減は、これで大丈夫か?
狼は、甲高い悲鳴を上げて地面を転がり、慌てて起き上がって逃げていった。
……よし。大丈夫そうだな。
それを見て、狼たちの足が止まる。
その隙に、近くまで来ていた2頭を同じように剣の腹で殴り飛ばすと、ほかの狼は距離を取り始めた。
……まだやる気か?
冷たい風が、吹き抜けていく。
「!」
睨み合いが、終わる。
狼たちは、悔しそうに私へ一瞥を残した後、身を翻して走り去っていった。
諦めてくれたのか?
それとも、体勢を整えて、再度私を襲うつもりか。
……どっちでもいいや。
とりあえず、彼らを無駄に傷つけなくて済んだわけだし。
それに、これでようやく休める。
剣をベルトに戻し、前方にある小屋を目指して歩き出す。
やれやれ。疲れた……。
建てられてから、かなりの時間が経っていると思しき佇まい。
その山小屋の中には、誰もいなかった。最近使われた形跡も無い。
小屋の中にあったのは、暖炉とテーブル、椅子が2脚に、部屋の隅に置かれた空のキャビネット。それだけだ。
椅子のホコリを払って座り、頭の怪我の手当てをする。
手早くそれを済ませて、暖炉へ。
暖炉の扉を開けると、少し灰が残っていた。いつの物だろうか。
いや、そんなことより、何か燃やす物を探さないとな。暖炉があっても使えないんじゃ意味が無い。
……でも、小屋の周囲に薪らしき物は置いてなかった。
だから自分で用意する必要があるんだけど、切ったばかりの木って、燃えないよな。
雪の下の枯れ枝とかはどうだ?
湿ってるだろうけど、細い枝ならなんとかなるかもしれない。
「はぁ」
大きく溜め息をつき、外へ出る。
……あ~、寒い。早く温まらないと、凍え死にしそう。
近くの木の根本付近に積もる雪を、どけていく。……おお、出てきた出てきた。
枯れ枝に枯れ葉。いずれもかなり湿っているけど、乾かせば使えるだろう。
私は黙々と、暖炉にくべる枝や葉を集める作業を続けていった。
……こんな事態だから、仕方ない。
着替えとしてバッグに入れておいた服を一着暖炉へ入れ、マッチで火をつける。
よし。これで種火はできた。
燃えて黒くなっていく服を見つめて溜め息をついた後、集めてきた枯れ葉をいくつか投入。
「……やった。ついた」
火のついた枯れ葉が、ぱちぱちと燃えていく。
よし、この調子で、次は枯れ枝を……。
こうして私は、どうにか暖を取ることができた。
外はすっかり真っ暗。風も強まってきた。
雪山で過ごす、初めての夜だ。辺りは夜闇に閉ざされ、全く視界が利かない。
加えて、自分1人。
知らない土地で1人で過ごすことにはもう慣れたけど、こんな環境で一晩明かすのは初めてだからなぁ。
心細いことこの上ない。
……食事は、買っておいた干し肉で済ませた。固かったけど、それなりにお腹は膨れた。
睡眠は、……この小屋にはベッドが無いけれど、寝袋を買ってあるからたぶん大丈夫。
あとは、ひたすら我慢だな。
懐中時計を見る。もう夜の10時だ。
さっさと寝て、明日は早く起きて街を目指そう。
寝袋を広げて、中に入る。
……やっぱり寒い。寒すぎてなかなか寝付けないかも。
……あの狼の群れ、あんな簡単に撃退できるなら、さっさと剣で殴って追い払うべきだったなぁ。
そしたら、余計な怪我をせずに済んだし、今日中に山を下りられたかもしれないのに……。
今更そんなことを考えつつ、私はゆっくりと目をつぶるのだった。




