04-A
風切り音を纏った強烈な一撃が、頭のすぐ横を抜けていく。威力だけでなく、速度もかなりのものだ。
だけど、当たらなければ問題無い。
「おっとっと……」
足場が非常に悪い。地面に積もった雪が飛び散り、踏みしめた雪が固まって妙な感触を靴裏から伝えてくる。
白い息は乱れていないけど、寒さで身体の動作が少し鈍い。
剣をうまく握れないからと、手袋を外してしまった両手がじんじんと痺れている。
そんな万全とは言えない状態でも、互角以上に戦えている。
その事実が、心に余裕をもたらしていた。
体勢を立て直し、剣を構える。
一つ大きく息を吐き、眼前の敵を見据える。
低い唸り声を上げながら私へ向き直る、白い怪物。
雪の純白さとは若干異なる、ややくすんだ白の体毛を持つ、巨大な熊だ。
突撃のために身を低くする熊に対し、私は地を蹴って駆け出す。
縮まる距離。
そして熊も動き出す。
その一歩は、とても大きい。
自らを鍛え直すため、大陸の国々を巡る1人旅を始めて、早4ヶ月が過ぎた。
今私は、大陸北方を国土とする、ジークルーネという大国にいる。
国土は大きいけど、その半分以上は、人が住めるような場所ではない。
この国は、1年の半分くらいは雪が降っており、ただでさえ山だらけの大地を極寒の地へと変えるからだ。
特に北部は、この国の人間にとってさえ未開の地。
その先に海があるらしいけど、目にしたことがある人はほとんどいないらしい。
そして今、私は数日間拠点にしていた街を離れ、次の街へ向かう道中にいる。
汽車も無いので雪山を進むことになるんだけど、そこでは必ずといっていいほど奴らに遭遇する。
人類の敵、ファミリアに。
現れたのは、体長3メートル以上はある巨体。
アイスバーグという名の、熊型ファミリアだ。
大きめの山1つにつき、生息数は10体前後と少ないものの、遭遇すれば覚悟しなければならない。
もちろん、死の覚悟をだ。
まぁ、それは一般人の場合の話。
傭兵である私に、そんな覚悟は必要無い。
「おわっと!」
前足での一撃は躱したものの、雪に足を取られかける。
だけど、動作の遅れは一瞬だ。
横を通り過ぎて行く巨体目がけて身体を捻りつつ剣を振り、熊の右横腹を裂く。
――手応えが弱い。足場のせいにはしたくないけど……。
振り返れば、すでに熊は次の攻撃に移っていた。
その横腹は血で濡れているけど、傷はやはり浅かったようだ。
それでも、少なからず痛みは感じているようで、若干冷静さを失っているように見える。
一撃二撃と、突進しながら前足を繰り出してくる熊。
後ろへ跳び、あるいは横へ跳んで全て回避した私は、熊が構え直す隙を狙って駆け出す。
それに気付いた熊は、大声を張り上げて突進してくる。さっきまでとは比べ物にならない速度だ。
――好都合だよ!
互いに速度を落とさず、肉薄。
右前足を振り上げ、覆い被さるように迫る巨体。
それに対し私は、身を低くして巨体の下へ潜り込むべく前方へ跳んだ。
振り下ろされる前足。
私は一瞬足をつき、再跳躍。わずかな方向転換も含んでいる。
顔の横を、熊の前足が通り過ぎて行く。と同時に、一閃。
ずぶりと熊の腹に入り込んだ刀身は、面白いようにそれを斬り進んでいく。
私の突撃だけでは、こうはいかなかっただろう。
熊の突撃速度があってこそ、それを借りて剣の威力を上げることができたんだ。
「よっと」
剣を振り切ると共に、熊の身体の下から抜けた。
着地と同時に身体を反転させ、さらに後ろへ跳んで体勢を整える。
熊は太い叫び声を上げ、白い地面に突っ伏した。
積もっていた雪が吹き上がり、風と共に私に届く。
一つ息を吐き、まだ少し動いている熊のもとへ。
私の足音に反応し、熊は弱々しい声を上げつつ、その場から動こうともがく。
そのもがきも、弱々しい。
放っておけば、そのうち死ぬだろう。
だけど、そのせいでもしものことがあっちゃいけない。
切っ先を下にして、剣を振り上げる。
そして、熊の眉間へ振り下ろす。
かなりの力を込めて振り下ろした刃は、眉間から侵入し、骨を貫き、脳を破壊して止まった。
びくんと大きく痙攣した後、熊の身体はぐったりと脱力していく。
敵の眉間から剣を引き抜き、真っ赤に染まった刀身を一瞥した後、その赤を振って落とす。
地面の白に、赤が散る。
「あ~、寒っ」
剣を鞘に戻し、コートのポケットから手袋を出してはめる。……全然温かくない。冷え過ぎたか。
空を見上げる。
遠くに灰色の雲があるのを確認し、フードを被る。
「さてと」
急ごう。山の天気は変わりやすい。
まだ青空の範囲の方が広くても、いずれ雪が降ってくるだろう。
こんなところで吹雪にでも遭ったら最悪だ。
バッグを抱え直し、歩き出す。
……それにしても、この雪を踏む感触、やっぱ慣れないなぁ。
山道を吹き抜ける風が、強くなってきた。
空はすでに雲に覆われ、今にも雪が降り出しそうだ。
立ち止まり、周囲を見渡す。
この国に入ったばかりの頃は、真っ白なこの景色を楽しんでいたものだ。
でも、その気持ちはすぐに無くなった。
理由は簡単。死ぬほど寒いからだ。
オルトリンデでは経験したことのないこの寒さに、身体がなかなか慣れない。
いくら着込んでも、この寒さをわずかに和らげる程度の効果しか得られない。
身体の中から温めようにも、歩き続けるくらいしかその手段が無いんだ。
だけど、永久に歩き続けられるわけではない。
体力の限界ってものがあるのだから。
せめて山小屋でもあればと首を巡らせてみたものの、地面も森も山肌も、一面雪化粧。
建物らしき物は見当たらない。
溜め息。……気分は最悪だ。
自分以外に人がいないというのも、憂鬱になる一因だな。
1人でザクザクと雪を踏みしめ黙々と歩くっていうのは、想像以上にキツイ。
「……」
こんな時、彼がそばにいてくれたらなぁ……と、その顔を思い浮かべかけたところで、首をぶんぶん振ってかき消す。
駄目だ駄目だ。そうやって甘えようとするから、強くなれないんだぞ。
もっと気を引き締めて行かないと。
「……よし」
もう少し麓に近い山道なら、人の姿もあるかもしれない。そこまで下りてみよう。
そう考え、歩みを再開させた時だった。
「――!」
何かの気配を感じ、後ろを振り返る。
少し離れた場所に何かがいるのを、すぐに見つけた。
……あれは、狼?
少し盛り上がった雪の向こうから、銀の体毛を持つ何かが覗いている。
「!」
そしてぞろぞろと姿を現したのは、やはり狼。……多いな。10頭以上はいる。
じりじりと近付いてくる狼たち。
見れば、奴らは少しずつ広がり、私を取り囲もうとしている。
……彼らはファミリアじゃない。普通の狼だ。
たぶん、私のニオイを嗅ぎつけたんだろう。
獲物の、ニオイを。
どうする?
殺すのは簡単だろうけど、ただの野生動物である彼らを殺したくはない。
どうしてファミリアじゃないんだと歯噛みし、素早く後ろを確認。
後ろには、彼らの仲間はいないようだ。
「!」
私の考えに気付いたか、群れの中の1頭が吠え、それを合図に一斉に狼たちが走り出した。
「くっ」
身を翻しつつ、駆け出す。雪のせいで本来の速度は出せないけど、走るしかない。
こうして、私と狼たちの追いかけっこが始まった。




