第73話 白銀の門と、職人泣かせの一言
門衛たちの空気が、一瞬で張り詰めた。
「……え?」
若い門衛が固まる。
もう一人の年配の門衛も、思わず白銀の扉を見上げた。
この門は、王都魔導院でも最高位の結界職人たちが調整した特注品だ。
開閉機構には風属性補助。
重量分散術式。
静音化まで施されている。
そして実際、普通の人間には“完全に無音”にしか聞こえない。
だが。
カイは扉を見ながら、静かに続けた。
「右側だけ、ほんの少しズレてる。たぶん内側の軸が歪んでるせい」
門衛たちが凍る。
エルミナが思わず眼鏡を押し上げた。
「え……?」
「昨日より湿度高いから、金属膨張してるのかも」
カイは本当に自然に言っていた。
まるで、少し机が傾いているのを指摘するくらいの感覚で。
年配の門衛が恐る恐る口を開く。
「……な、なぜそれを」
「音」
「聞こえませんでしたが!?」
「小さかったし」
リナはもう慣れてきた顔でため息を吐く。
「ほら始まった」
「始まったって何じゃ」
「カイが“快適じゃないポイント”見つけるやつ」
ベルクが頭を抱える。
「よりによって魔導院の正門でやるな……」
その時だった。
ギィ――……。
本当に、ごく僅か。
耳を澄ませてようやく分かる程度の金属音が鳴る。
門衛たちが絶句した。
「う、嘘だろ……」
「昨日点検したばかりだぞ……!?」
カイは扉を見ながら眉を寄せる。
「このままだと、そのうち完全にズレると思う」
「わ、分かるんですか!?」
「歩くたびに微振動出てるから」
門衛たちはもう何も言えなかった。
ベルクが諦めた顔で杖を鳴らす。
「ほれ。ぼさっとしとらんで開けんか」
「は、はいっ!」
慌てて門が開かれる。
重厚な白銀の扉が左右へ動き、静かに内部を露わにした。
その瞬間。
ティアが小さく息を呑む。
「……わぁ……」
中は、外以上に幻想的だった。
磨き抜かれた白い床。
天井近くを漂う光球。
壁際に並ぶ巨大な本棚。
空中を滑るように移動する魔導書。
そして。
廊下そのものに、淡い魔力光が流れている。
まるで建物全体が生きているみたいだった。
「すご……」
リナも思わず見回す。
村育ちの彼女には、何もかも別世界だった。
だが。
「……空気、ちょうどいい」
カイの感想だけは相変わらずだった。
「湿度も安定してる。落ち着くね」
「見るところが独特すぎるんですよねぇ……」
エルミナが苦笑する。
けれど、少し嬉しそうでもあった。
魔導院の人間は皆、“偉大な術式”や“高度な魔法技術”ばかりを見る。
でもカイは違う。
そこにいる人が、快適に過ごせるかを見ている。
その視点は、どこか新鮮だった。
一行が廊下を歩き始める。
すると、周囲の魔導士たちが次々と足を止めた。
「……ベルク様?」
「隣の子供、誰だ?」
「平民服じゃないか……?」
「エルミナ様まで一緒だぞ」
ひそひそ声が広がる。
ティアは少し不安そうに縮こまった。
そんな彼女を見て、カイがぽつりと言う。
「気にしなくていいよ」
「え……?」
「みんな、珍しいもの見る時はああなるから」
その言葉に、ティアは少しだけ肩の力を抜いた。
フォルも「キュルッ」と鳴きながら、ティアの頭へ飛び乗る。
そして。
一行が長い廊下を進んでいた、その時だった。
前方から、複数の足音が近づいてくる。
カツ、カツ、と規則正しい靴音。
やがて現れたのは――。
純白のローブを纏った、一人の女性だった。
腰まで届く長い黒髪。
冷たいほど整った美貌。
そして胸元には、銀でも金でもない、“白金”の紋章が輝いている。
周囲の空気が変わった。
通りすがる魔導士たちが、一斉に姿勢を正す。
「……副学院長」
エルミナが小さく呟く。
女性の鋭い視線が、ゆっくりカイへ向いた。




