第68話 夜更けの約束と、それぞれの部屋
王都の夜は遅い。
窓の外では、夜になっても魔導灯の明かりが街を照らし続けていた。
水鏡亭の一室では、温かな紅茶の香りが静かに漂っている。
テーブルを囲むように座り、カイたちはのんびりとした時間を過ごしていた。
「それじゃ、明日の朝に迎えに来る」
ベルクが椅子から立ち上がる。
深い青色のローブが揺れた。
「王都魔導院は広い。迷うなよ」
「迷ったら帰る」
「帰るな」
即座に返される。
リナが吹き出した。
「案内付きで正解ね……」
エルミナも小さく笑う。
「でも、楽しみです。カイさんとお話できるの」
「話?」
「はい。魔法のこと、いっぱい聞きたいです」
純粋な瞳だった。
王都魔導院に所属する優秀な魔導士。
それでも、カイの魔法は彼女にとって未知そのものなのだろう。
「どうやって空気を綺麗にしてるのかとか、あの温度維持とか……本当に意味が分からなくて」
「快適にしてるだけだよ」
「その“だけ”がおかしいんです」
エルミナは困ったように笑った。
ベルクが腕を組む。
「わしも聞きたいことは山ほどある。特に、お前の魔法理論だ」
「理論……?」
「お前、自覚がないだろうが、やっていることは常識外れだ」
「でも便利だよ」
「便利とかそういう次元ではない」
リナが頷く。
「ほんとそれ」
「キュル」
フォルまで同意するように鳴いた。
カイは少し考えてから、ぽつりと言った。
「……難しい話長い?」
「長いだろうな」
「眠くなるかも」
「子供かお前は」
「眠いの我慢すると次の日パフォーマンス落ちるから」
真顔だった。
エルミナが思わず笑ってしまう。
「ふふっ……本当に面白い人ですね」
「変な意味でな」
ベルクが呆れたように言った。
その時。
くぁ……。
フォルがエルミナの膝の上で大きな欠伸をした。
「あっ……眠そう」
「キュルゥ……」
そのまま丸くなる。
完全に寝る気だった。
「フォル、懐きすぎじゃない?」
リナが苦笑する。
「快適判定されたんじゃない」
「そんな判定あるの……?」
「ある」
カイは真面目に頷いた。
「フォル、人の温度と匂いで安心できる相手判断してるから」
エルミナは少し驚いた顔をしたあと、嬉しそうにフォルの背中を撫でた。
「……じゃあ、認めてもらえたんですね」
「たぶん」
「キュル……♪」
フォルが気持ちよさそうに鳴く。
ベルクはそんな光景を見ながら、小さく息を吐いた。
「……まあ、お前たちも今日は疲れただろう」
「歩いたしね」
「王都、人多かった」
カイがぽつりと呟く。
ベルクは扉へ向かいながら振り返った。
「明日は朝から魔導院だ。遅れるなよ」
「朝ご飯美味しい?」
「魔導院の食堂は王都でも有名だ」
「行く」
「現金な小僧め」
ベルクが笑う。
エルミナも立ち上がり、フォルをそっとリナへ返した。
「それじゃ、おやすみなさい」
「おやすみ」
「おやすみなさい、エルミナさん」
「キュル〜♪」
フォルが小さく前足を振る。
エルミナはその可愛さに頬を緩めながら、ベルクと共に部屋を後にした。
扉が閉まり、部屋に静けさが戻る。
しばらくして。
リナが紅茶を飲みながら呟いた。
「……なんか、普通に馴染んでるわね、あんた」
「何が?」
「王都の人たちと」
カイは少し考える。
「そう?」
「ベルクなんて王国トップクラスの大魔導師なのよ?」
「でも変なおじいちゃんだった」
「聞かれたら怒られるわよ」
「エルミナも優しかったです」
ティアが小さく微笑む。
「うん。フォルも懐いてたし」
「キュル」
フォルは既にリナの膝の上でうとうとしていた。
部屋には穏やかな空気が流れている。
カイは窓の外の夜景をちらりと見た。
知らない街。
知らない人たち。
でも、不思議と居心地は悪くなかった。
「……さて」
カイが立ち上がる。
「寝る」
「早っ」
「睡眠は重要」
「はいはい」
リナが呆れながら笑う。
ティアも「おやすみなさい」と頭を下げた。
そして、それぞれ自分たちの部屋へ戻る時間になる。
カイの部屋は廊下の突き当たりにある一人部屋。
一方、リナとティアは隣同士のベッドが置かれた二人部屋だった。
「ちゃんと起きなさいよ、明日」
部屋へ向かう前、リナが振り返る。
「起きるよ」
「この前みたいに“あと五分”を三回繰り返したら置いてくからね」
「今回はベッドの質が良すぎるから危険かも」
「知らないわよ」
ティアが小さく笑う。
「おやすみなさい、カイ様」
「おやすみ」
「キュル〜♪」
フォルも前足を振った。
カイは軽く手を振り返し、そのまま自分の部屋へ入っていく。
扉が閉まる直前。
「……【調律】」
ぼそり、と小さな声が聞こえた。
たぶん湿度か温度を調整したのだろう。
「本当に徹底してるわね……」
リナが呆れたように笑う。
そのまま二人と一匹も自分たちの部屋へ戻った。
窓の外では、王都の灯りが静かに揺れている。
こうして王都での最初の夜は、穏やかに更けていった。




