第66話 夕食会と、研究者の限界
水鏡亭の店内は、外観と同じく落ち着いた雰囲気だった。
木目の綺麗な床。
柔らかな魔導灯の光。
窓際には小さな花瓶まで置かれている。
夕食時ということもあり、それなりに客は多かったが、騒がしすぎることはない。
カイは店に入った瞬間、小さく頷いた。
「……うん、悪くない」
「何様なのよ」
「床が綺麗。あと空気が乾燥しすぎてない」
「宿の評価基準が最後まで独特ね……」
リナが呆れながら席につく。
ティアは少し緊張した様子で周囲を見回していた。
「王都のお店って、なんだか綺麗ですね……」
「掃除が行き届いてる」
カイが即答した。
「あと厨房から変な臭いがしない」
「そこまで分かるの?」
「油の質が悪いと空気に残るから」
エルミナがメモ帳を取り出した。
「なるほど……嗅覚による環境分析……」
「だから書くな」
「はっ、すみません!」
反射的にメモしていたらしい。
ベルクはもう諦めたように椅子へ腰掛けていた。
「店主殿。おすすめを適当に頼む」
「かしこまりました」
給仕が下がっていく。
すると、エルミナがそわそわしながらカイを見た。
「あ、あの……一つだけ質問を——」
「だめ」
「まだ何も言ってません!」
「顔が長くなる質問の顔してる」
「顔で判定しないでください!」
フォルが「キュルッ」と笑うみたいに鳴いた。
エルミナの肩の上が気に入ったらしく、すっかりくつろいでいる。
時々ふわふわの尻尾が、エルミナの頬に当たっていた。
「うぅ……幸せ……」
完全に骨抜きだった。
ティアが小さく笑う。
「フォル、エルミナさんのこと好きみたいですね」
「キュル〜♪」
「えへへ……」
エルミナは頬を緩めたあと、はっと我に返る。
「じゃなくて! 私は研究者として——」
その瞬間。
カイが無言で水差しを持ち上げた。
コップへ水を注ぐ。
すると。
とくん、と小さな音を立てて、表面に浮かんだ氷が花の形に変化した。
「……え?」
エルミナが固まる。
カイは何事もなかったみたいにコップをティアへ渡した。
「喉乾いてたでしょ」
「あ、ありがとうございます」
ティアは嬉しそうに受け取る。
花型の氷が、涼しげにカランと揺れた。
一方。
エルミナは震えていた。
「い、今の……無詠唱どころか……魔力の揺れすら……」
「エルミナ」
ベルクが低い声を出す。
「……はい」
「落ち着け」
「無理です」
即答だった。
「だって今、水分子の結合を瞬時に再構築してましたよね!? しかも氷結速度おかしくなかったですか!? 普通あんな滑らかな造形——」
「ご飯前に騒ぐと疲れる」
カイが真顔で言う。
「静かにして」
「はい……」
エルミナがしゅんとした。
その頭を、フォルがぽふっと前足で叩く。
「キュル」
「慰めてくれるの……?」
また頬が緩む。
リナが吹き出した。
「完全にフォルに飼い慣らされてるじゃない」
「フォル、有能」
カイが頷く。
「精神安定効果あるから」
「薬草みたいに言うな」
そんなやり取りをしているうちに、料理が運ばれてきた。
焼き立ての白身魚。
香草スープ。
柔らかなパン。
王都らしく見た目も綺麗に整えられている。
カイはスープを一口飲んで、少しだけ目を細めた。
「……温度がちょうどいい」
「そこ重要なのね」
「熱すぎると舌が疲れるから」
「初めて聞いた理論だわ」
ティアは嬉しそうにパンをちぎっていた。
「すごく美味しいです……!」
「キュルッ♪」
フォルまでパンの香りに反応する。
エルミナはそんな賑やかな空気を見回して、少しだけ目を丸くした。
「……なんだか不思議ですね」
「何が?」
リナが尋ねる。
エルミナは、カイを見る。
「ベルク様から話を聞いてた時は、もっとこう……恐ろしい存在なのかと思ってました」
「失礼だな」
「だって王都中の結界を一人で書き換えられるかもしれない人ですよ!?」
「やらないよ。面倒だし」
「でも、この人……」
エルミナは少し笑った。
「ご飯の温度とか、フォルちゃんの毛並みとか、そういうことばっかり気にしてるんですね」
「大事だから」
カイは真顔だった。
その答えに、リナたちがまた笑う。
王都での最初の夜は、思ったよりずっと賑やかに、更けていった。




