第55話 街道のお掃除と、最高の休憩所
第51話 街道のお掃除と、最高の休憩所
アルトを出発してから、数時間。
春の柔らかな陽射しが街道を照らし、石畳の上を旅人たちがのんびり行き交っていた。
風は気持ちいいし、景色も綺麗だ。
……なのに。
「……リナ」
前を歩いていたカイが、ふいに立ち止まった。
「何?」
「この道、すごく歩きにくい」
また始まった、とリナは思った。
カイはしゃがみ込み、石畳をじっと見つめている。
指先で軽く段差をなぞり、真面目な顔で頷いた。
「石の高さが微妙にズレてる。歩くたびに足裏へ小さい衝撃が来るんだよね」
「いや、全然分かんないんだけど」
「このまま歩き続けたら疲労効率が悪い」
「疲労効率って何よ」
カイは小さく息を吐いた。
「メンテナンス不足だなぁ……」
そう呟くと、街道へ向かって軽く指を振る。
「【整地】(フラット)」
次の瞬間だった。
ゴゴゴ……と低い音が響き、石畳が波みたいにうねり始める。
ズレていた石は綺麗に揃い、ひび割れは埋まり、隙間に詰まっていた泥や苔まで消えていく。
くすんでいた街道は、まるで磨き上げられた大理石みたいに滑らかになった。
陽射しを反射して、ちょっと眩しい。
「よし」
カイは満足そうに頷いた。
「これなら歩きやすい」
「ピカピカすぎるのよ!!」
リナが即ツッコミを入れる。
「旅人みんなびっくりするでしょ!」
「でも快適だよ?」
「快適さを追求しすぎなの!」
ティアがそのやり取りを見ながら、小さく笑った。
「……カイ様が通ると、世界が綺麗になりますね」
「この人の場合、“お掃除”の規模がおかしいだけよ」
リナは呆れたように肩をすくめる。
その頃には、フォルはもうカイの肩で丸くなって寝ていた。
「キュル……」
完全に昼寝モードだった。
街道をさらに進む。
夕陽が山の向こうへ沈み始めた頃、一行は森手前の小さな休憩所へたどり着いた。
石造りの古い建物だった。
屋根は少し傾き、窓枠は古び、壁には長年の煤汚れがこびりついている。
中へ入った瞬間。
カイの足が止まった。
「……うわ」
珍しく、本気で嫌そうな声だった。
リナが苦笑する。
「まあ、安い休憩所なんてこんなもんでしょ」
「空気が重い」
カイは真顔だった。
「あと湿度が高い。カビ臭いし、机がベタベタする」
「細かいわねぇ……」
「このままだと睡眠の質が落ちる」
それはカイにとって重大問題だった。
静かに袖をまくる。
「あ、始まるわね」
リナが遠い目をした。
カイが部屋の中央へ立つ。
そして、軽く指を鳴らした。
「【清浄】(クリーン)」
ふわっ、と空気が揺れる。
その瞬間。
部屋中の埃が消えた。
カビ臭さも消える。
空気そのものが澄み切り、春の朝みたいな爽やかな香りへ変わった。
「【調律】(コンフォート)」
冷えていた室温が、一番心地いい温度へ変化する。
隙間風は止まり、湿度も整い、空気がふわっと柔らかくなった。
「【修復】(リペア)」
ひび割れていた壁が元に戻る。
軋んでいた床も綺麗に補修された。
最後に、カイは古い木製ベッドへ視線を向けた。
「硬そう」
「え、まさか」
「【調整】(チューン)」
ぼふんっ。
木のベッドが、一瞬でふかふかになった。
リナが目を見開く。
「待って、今ベッドの寝心地変えた!?」
「腰に悪そうだったから」
「宿屋泣くわよ!?」
数分後。
そこにあったのは、さっきまでのボロい休憩所ではなかった。
空気は澄み、部屋は暖かく、ベッドは高級宿以上。
窓から入る夜風すら気持ちいい。
カイは満足そうに頷いた。
「……うん。これなら快適」
「基準が王族なのよ、あんたは」
ティアはそんな二人を見ながら、小さく笑う。
その横で、フォルはふかふかベッドへ飛び込み、幸せそうに転がっていた。
「キュルル〜♪」
完全に気に入ったらしい。
少しして。
ティアがアルトで買った茶葉でお茶を淹れ始めた。
部屋の中へ甘い香りが広がる。
「カイ様、お茶です」
「ありがとう」
カイはカップを受け取り、一口飲んだ。
「……うん、美味しい。温度もちょうどいい」
ティアが嬉しそうに笑った。
リナは焼き菓子をかじりながら、ソファ代わりになったベンチへもたれかかる。
「はぁ……。なんかもう、普通の宿に泊まれなくなりそう」
「不潔なの嫌だし」
「その感覚を他人に押し付けるのやめなさい」
カイは真面目な顔で首を傾げた。
「でも快適だよ?」
「そういう問題じゃないのよ」
ティアがくすくす笑う。
フォルまで「キュルッ♪」と鳴いた。
窓の外では、夜の森が静かに揺れていた。
本来なら、旅人が警戒する時間帯だ。
けれど、この空間だけは別世界みたいに穏やかだった。
暖かいお茶。
甘い焼き菓子。
ふかふかのベッド。
そして、隣には気の抜けるくらい平然とした仲間たち。
ティアはカップを両手で包み込みながら、小さく思う。
――こんな夜が、自分にも来るなんて。
静かな笑い声が響く中。
アルトを出て最初の夜は、ゆっくり更けていった。




