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第45話 クレープと、静かな怒り


昼のアルトは、とにかく人が多い。


大通りには色とりどりの屋台が並び、焼き菓子の甘い匂いと、香辛料の刺激的な香りが入り混じって流れてくる。大道芸人の笑い声、商人の呼び込み、馬車の車輪の音。


歩いているだけで楽しい街だった。


ティアはきょろきょろと辺りを見回している。


銀髪の長い髪が陽の光を受けて揺れ、そのたびに青い瞳が嬉しそうに細くなった。


今日の彼女は、新しく買った淡い青色のワンピースを着ている。


奴隷だった頃の粗末な服とは違う。


柔らかな布地が揺れるたび、ティア自身もまだ少しくすぐったそうだった。


「そんなに気になる?」


リナが笑いながら聞く。


「……はい。街って、こんなに綺麗なんですね」


ティアは小さく頷いた。


その声には、本物の驚きが混じっていた。


通りを歩く人々の中には、ちらちらとティアへ視線を向ける者もいた。


見慣れないほど整った銀髪。


それに、どこか儚い雰囲気。


自然と目を引く。


けれど、不思議と誰も近寄ってこない。


カイがさっきから無意識に周囲の空気を調整していたからだ。


人の流れが、ほんの少しだけ逸れる。


ぶつからない。


近づきすぎない。


歩きやすい距離だけが綺麗に保たれていた。


「カイ様」


ティアがふいに立ち止まる。


「あれ……すごくいい匂いがします」


指差した先には、行列のできたクレープ屋台があった。


鉄板の上で薄い生地が焼かれ、甘い香りが周囲へ広がっている。


リナが看板を見る。


「チョコバナナクレープ。アルトの名物みたいね」


カイもそちらを見る。


そして、少しだけ考えた。


「……食べたい」


「でしょうね」


リナが即答する。


屋台の列は長かった。


カイは二人を見て言う。


「僕並ぶから、二人はあそこのベンチで待ってて」


木陰のベンチを指差す。


リナは素直に頷いた。


「じゃあお願いしようかしら」


ティアもぺこりと頭を下げる。


「ありがとうございます、カイ様」


列は思った以上に進まなかった。


焼きたてを作っているせいか、一人一人に時間がかかる。


カイは特に急かすこともなく待っていた。


むしろ焼いている様子をじっと見ている。


「……綺麗に巻くんだね」


「兄ちゃん初めてかい?」


店主が笑う。


「うん」


「ならクリーム多めにしといてやるよ」


十五分後。


「チョコバナナクレープ三つ。全部クリーム増しね」


紙に包まれたクレープを受け取る。


生地の温かさが手に伝わってきた。


甘い香りがする。


カイはそれを落とさないよう慎重に持ちながら振り返った。


ベンチには、誰もいなかった。


昼の風だけが木陰を揺らしている。


リナも。


ティアも。


いない。


カイは静かに歩み寄る。


ベンチの上には、リナの手提げ鞄だけが残されていた。


その隣。


木製の座面に、一本のナイフが深く突き刺さっている。


刃の間には羊皮紙。


カイはクレープを片手に持ち替え、ナイフを抜く。


紙を開いた。


そこに書かれていた文字を読む。


『女たちは預かった。返してほしければ、西区画地下ダンジョンまで来い。――白銀の剣 ジーク』


数秒。


沈黙。


カイは紙を折り畳み、ポケットへ入れた。


その顔から、感情が消える。


灰色の瞳だけが静かに細くなった。


「……ティア、楽しみにしてたのに」


ぽつりと呟く。


「リナも、朝ご飯減らしてたのに」


その声には怒鳴り声も殺気もなかった。


ただ静かだった。


逆に、それが怖いくらいに。


カイは手の中のクレープを見る。


焼きたての生地。


冷たいクリーム。


このまま時間が経てば、食感は変わる。


味も落ちる。


それは嫌だった。


カイはクレープへ指を向ける。


「【保温】『ウォーム』」


生地の熱が固定される。


続けて。


「【保冷】『クール』」


中のクリームだけが、ちょうどいい冷たさのまま止まる。


さらに。


「【定温】『キープ』」


三つのクレープが、一番美味しい状態のまま固定された。


温度。


食感。


甘さ。


全部。


普通ならあり得ない精密制御。


相反する温度操作を、同じ物体の中で完全分離して維持している。


けれどカイにとっては、ただの“美味しく食べるための工夫”だった。


「これで大丈夫」


カイは小さく頷く。


そして西の方角を見る。


地下ダンジョンのある区域。


街の裏側。


「……おやつの時間を邪魔したこと、後悔させてあげる」


静かな声だった。


足音も変わらない。


歩幅も一定。


それでも。


アルトの空気が、ほんの少しだけ冷えた気がした。


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